魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
廃教会内は、甘い香りで満ちていた。
香ばしいカカオの匂いは、複数の個所から発生していた。
それぞれ微妙に香りの異なる香りの源泉は、重ねられた丸皿から階層状に滴る黒茶色の甘い滝。
滝となっているのは、液状化したチョコレートだった。
皿の階層の高さは一メートルほどもあり、滝の底を鉢植えのような銀の容器が支えていた。
容器からは微細な振動と機械音が断続的に生じ、粘性の高い液体を力強く噴出させている。
チョコレートタワー、またはツリーと呼ばれる機械である。
パーティや集会、または専門店で見られるような代物が、
廃教会の中に複数並べられている光景はシュールではなくホラーであろう。
粘土の高い水音を立てる機械の前に、複数の人影が並んでいた。
ある者はソファに座り、またある者は床にレジャーシートを敷いていた。
傍らに一口大に切った果実やイチゴなどを置き、それを長串や楊枝に刺し、
チョコの滝へと潜らせている。
光景で見れば、先の例に近いだろう。
だがそれを行う者達の姿が異常であった。
ソファに腰掛けた薄紫髪の少女は指の全てに包帯を巻き、
額と頬には大きめの絆創膏を貼っている。
長袖パーカーの裾からも包帯の端が覗き、ミニスカートから突き出た両脚もまた、
全体を包帯に巻かれている。
その隣に座る黒髪の少年も似たような様子だった。
だがこちらは殊更に疲弊した様子であり、また少女よりも包帯の量が多かった。
更には左手をギプスで固定し、首に引っ掛けた包帯によってぶら下げている。
だが傷付いた少年少女は、疲労や痛みなど無いかのように、
果実をチョコでコーティングして食んでいった。
時折、両者は互いに視線を交わしていた。
血色と闇色の眼が、ちらちらとかち合う。
視線には言語が乗せられていた。
「気まずいな」
との意思が、視線によって送られていた。
だが如何する事も出来ないと分かっているのか、二人は食事を継続した。
神経が図太い事の証明だった。
薄紫髪の少女の左側、少年から見て反対側には栗毛の小柄な少女が座っていた。
こちらは無傷であったが、小さな体躯を更に縮めるようにし、
ソファに軽く腰掛けている。
何時でも逃げられるような体勢だった。
薄紫髪の少女が串と果実を差し出すと、
栗毛の少女はおずおずと手を伸ばしてそれらを受け取った。
怯える少女を見つめる血色の眼には、相手を安堵させようとする慈愛の眼差しが宿っていた。
栗毛の少女は怯えつつも、可能な限りでの笑顔で迎えた。
だが笑顔の奥には、濃厚な恐怖が潜んでいた。
怖れの源泉は、血色の眼の少女の奥にいる、傷だらけの少年であった。
更に三人が座る場所の対岸へと、怯える少女の視線が向いた。
床に腰掛けた黒髪の美少女は、タワーから滴るチョコをカップに注ぎ、
溢れる寸前まで貯めてから一息に飲み干していた。
見ているだけで、胸が焼けるような光景だった。
口を黒茶に染め、朗らかに微笑む美しい少女。
栗毛の少女には、チョコの色が深紅に思えてならなかった。
それを笑顔と共に啜る美少女は、血を喰らう古の怪物にしか見えなかった。
栗毛の少女同様、全くの無傷である吸血姫の隣には、白い物体が転がっていた。
長さ百五十センチ少々のそれは、包帯で雑に覆われた人体だった。
白の頂点からは、くすんだ黄色の髪の断片が見えた。
時折芋虫のように、もぞもぞと蠢いている。
美しき吸血姫が、頭部を覆う包帯の一部を捲り、そこに熱いチョコレートを注ぎ込んだ。
人体が割れる寸前の蛹のように、包帯で包まれた人体が激しく動いた。
脚は二本一纏めに、腕も胴体に沿って固定されている為に逃げられず、
床上でびたんびたんと跳ねている。
それは明らかに苦痛によるものだったが、吸血姫はそれを真逆の感情からと認識した。
魔法少女特有の剛力で蛹の顔を強引に固定し、チョコを更に注ぎ込む。
動きは更に激しさを増したが、吸血姫はそれを更に誤解した。
甘味による地獄は、まだ終わりそうになかった。
またここまでで、室内に声というものは発生していなかった。
人数は増えたと云うのに、室内で奏でられる音の変化は些細であった。
液体が滴り、衣服が擦れる程度と云った、現象に伴う音の増加がある程度だった。
まるで葬式の様相だと、栗毛の少女は思った。
口に出してはいないが、黒髪の少年と薄紫髪の少女も似たようなものを思っている事だろう。
だが黒髪の美少女は、場の重苦しい雰囲気など何処吹く風で、
相変わらず無自覚な善意による拷問を続けつつ、楽しそうにチョコを飲み続けている。
被害者の蛹人はそれどころではなかった。
彼女の意識の全ては、熱と甘味と窒息で出来ていた。
そしてこの教会内で、一際静謐さに満ちた場所があった。
栗毛の少女も、そこにだけは眼を向けなかった。
恐ろしすぎたのである。
そこは教会の一番奥、嘗て祭壇が据えられていた場所だった。
廃教会の支配者。
真紅の髪の魔法少女、佐倉杏子は普段通りの寝床に腰かけていた。
左の肘掛けに身を寄せる彼女の反対側には、自警団長が座っていた。
よく言えばリラックス、その反対で言えば脚を組むなどして行儀悪く座る杏子とは
対照的に両脚はきちんと揃えられ、背筋もぴんと伸ばされていた。
だが先程の少年と少女のように、彼女らの全身もまた絆創膏と包帯に覆われていた。
今なおも苦悶によって跳ね続けている蛹人に比べればマシではあるが、
それでも肌が露出する場所の大半が白で覆われていた。
肌の部分にも、打撲による青黒い鬱血が見受けられた。
互いの隣に座る者が、その原因であった。
座る事を許可したのは杏子であったが、両者の間に会話は無かった。
時折手を伸ばし、チョコレートタワーに果実を潜らせ口に含んでいった。
別段に気にした様子も無く、また気負いする様子も無かった。
それから数時間が経過した頃、タワーから滴る甘味は完全に枯渇していた。
少年は視線で好敵手と別れを交わした。
薄紫の少女は頷きで返した。
黒髪の吸血姫は、何時の間にか姿を消していた。
蛹人を抱えた自警団長は家主へと頭を下げたが、杏子がそれを見送ることは無かった。
獣から竜と称された少女とその眷属扱いとされた少年、風見野の自警団と
物騒な黒髪少女とその参謀が再び出会い会話をするに至るまでは、
更に数日を要する事となった。
重苦しさが表現できていれば幸いです。