魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

6 / 455
お待たせしました。
やっとですが、第1話です。



第1話 魔女

「…………」

 

朝の日差しを浴びつつ、流れ者少年のナガレは己を見据えていた。

左手に柄を持たれた丸形の赤い手鏡に映る自分の姿を、食い入るように見つめている。

 

右手がその童顔に恭しく触れた。

指の先端を飾る爪は細く、刻まれた皺も浅く、少ない。

それが、張りと艶で彩られた皮膚を伝う。

触れつつ時折、やや乱暴気味に肉に指を押し込んでいる。

それは、肉の内側で己を構築する骨の固さを診ているということだろうか。

 

「……ええとな。……あーーーーー」

 

少しの沈黙と多少の戸惑いの後に、ナガレは喉を震わせる。

これもまた細めの首で、喉元の隆起は気持ち程度しかない。

吐き出されたのは、女のようなだった。

発声後、数分ほどの硬直があった。

虚無的な表情が、少年の顔に顕れていた。

心なしか、血の気も薄くなったようだった。

 

雪解けか、冷血動物の冬眠の目覚めのごとくゆっくりとした覚醒の後、

手が幾度も顔を這い、眼窩や鼻梁と言った窪みや隆起を撫でていく。

燃え盛る焔や鋭い槍穂の群れの如く攻撃的な様相を呈した毛髪にも手は伸びた。

首と頬にも纏わる豊かな黒髪が、彼の指に絡み付く。

 

先端を弄び、人指し指に絡ませつつ、やや強引にひっ掴む。

そのまま手を左右に捻り、只でさえ揺らめいていたような髪型を更に変形させる。

手首を回し、黒髪に渦を巻いていく。

捻り切るのではないかと思うほど痛め付け、限界と思しき辺りで指を離した。

 

途端に、どの様な力か捻りの加減のせいかは定かでないが、

黒髪が荒波か炎の噴流の如く暴れ狂った。

 

二秒ほど暴れに暴れ、黒髪は動きを止めた。

鏡に映し出されたのは、捻られる前と寸分違わぬ形にトゲを配置した髪型であった。

 

恐ろしい頑丈さ、というよりも可逆性を持った毛髪だった。

髪の毛の一本も切れるどころか、抜け落ちてさえいない。

無節操に見えるトゲの配置も、どうやら法則と呼べるものがあるらしい。

 

次に、と言うよりも今さらと言った順番になるが、今度は顔の形を確認していた。

先程までは骨に対する肉の付き方だったが、今度は見た目の確認といったところで、

鏡に自分の顔を角度を変えて映していた。

 

こればかりは男らしいと思える太めの眉毛と鋭い眼、

年相応でありつつもしっかりとした形の鼻梁など、 美形な要素は多々に見受けられた。

だが当の本人は不満なのか納得しているのか、 その両方が入り交じった様な表情をしていた。

 

対比で言えば不満が勝るが、最終的には認めたところがあるようで、

目を閉じて静かな息を吐いていた。

再び目を開け、また二秒ほど経ち、鏡に映る自分の瞳を眺めながら

 

「やっぱ、俺だよなぁ…コレでも」

 

と、脳内に湧いた感想を呟いていた。

 

その様子を、彼の背後で眺めている、

というよりも呪い殺すような視線で睨み付けている者がいた。

 

「…………」

 

呆れによる疲労感と、ふつふつと沸き上がる、灼熱を宿した感情が彼女の心に渦巻いていた。

行き付けのコインランドリーから戻って来た佐倉杏子は、

呆れを越えた何かの表情で即席の結託者をジト眼で睨み眺めていた。

 

「……なぁ、ブン殴っていいか?」

 

そう思った回数は昨日から数えて、約XX回目に昇っている。

心配というよりは、憐れみが強い。

左手の中指に嵌められた指輪は、あの宝石と同じ色の光を放っていた。

やはりというべきかそれもまた、黒い濁りを宿していた。

 

 

 

 

「なぁ、昨日はどこまで話したっけか?」

「知るか。あたしに聞くんじゃねえ。つうか喋るな息すんな」

 

朝の支度と"運動"を終え、二人は道を歩いていた。

杏子が菓子をポリポリやりつつ先行している。

それに、後頭部の辺りで両手を組んだナガレが続く。

現在の人間関係を顕すが如く三メートルほどの距離が両者を隔てていた。

通学と通勤で多くの人間を抱える歩道も、今は随分と空いていた。

時刻は午前九時三十五分。

学生も会社員も、概ねそれぞれの場所に着いている。

社会から切り離された者達がうろつくには、都合のいい時間だった。

 

昨日はあれからコンビニに行き、教会で晩飯を喰った。

互いに罵倒しあっての道中故に、碌なことになっていなかった。

例えば双方贔屓のコンビニの相違は両者の溝を亀裂に進化させた。

結果で言えば、ナガレが折れた。

要約すれば、腕力が物を言う結果になった。

 

また、具の好みもまたその傷を大きく拡大させる要因となった。

それぞれを別に分ければいいという解答は、具を蓋と容器で分けた時に、互いに閃いていた。

スタッフのミスにより、箸も一膳しか無かったため、

縦に二本に分割し、具に突き刺して食べた。

尚、食事中は無言だった。

食物の摂取に夢中になっていたためか、両者が発するのは咀嚼と嚥下の音のみとなっていた。

不可視の何かが、張り詰めて冷えきった空気と殺気にも似た気配が、廃教会内に充満していた。

 

腹が満ちると流石に気分も落ち着くためか、張り積めていた空気が僅かに弛んだ。

余裕の出来た思考に沸き立つのは、「暇」による虚無感だった。

 

その日、彼女が起きた時間は午後六時半。

眠ろうにも睡魔は訪れず、横になる気分にもならなかった。

かといって外出するかと言えば、そこまでの気力は無く、

有り体に言えば再度の外出が面倒くさい。

 

そしてここにはテレビも無く、彼女は携帯も持っていない。

読書をする習慣も無く、書物自体が無い。

 

だが今日は、暇を埋められそうなものがいた。

面白いかどうかは別として。

 

「おいガキ。なんか話しな」

 

ソファに寝転がりつつそう言ったのはそのためだろう。

興味よりも気紛れが近い。

数年ぶりに接する異性の生き物に、そこまで気を許していないというのもある。

それに、どう扱うべきかをまだ決めかねていた。

 

なら、少しでも理解してやろうと思っていたのかもしれない。

あくまでも、自分の負担を少しでも軽くするために。

ガキ呼ばわりについては思うところがあるようだったが、ナガレもそれに頷いた。

 

こちらもまた、同じ気分だったのだろうか。

壁に背を預けていた彼は記憶を辿るためにしばしの間沈黙し、話を始めた。

 

それが、十時間ほど前の出来事だった。

 

その話を、杏子はよく覚えていなかった。

どういう訳か、思い出そうとしても上手くいかない。

聞いたという事は覚えていた。

碌でもない話だったということもなんとなく覚えていたが、詳細には霧が掛かっている。

自分の頭の中の右か左の脳やらも、

きっとそれを思い出すために使われたくないのだろうと、杏子は結論付けた。

 

「ああ思い出した。調子こいて暴走した野郎の顔面に一発かまして、それから北海道で」

「ゆーふぉーと鬼ごっこでもしてたのか?いい加減にしろよバカ」

 

適当に返したが、どうせこんな突拍子も無いことに決まっているだろう、

という見立ては出来ていた。

 

辛うじて覚えているキーワードは幾つかある。

借金、踏み倒し、ヤクザ、気違○、麻酔、鬼、粘着野郎、戦友、クソジジイ、鬼娘だ。

当然ながら、十四歳の少女の理解の範疇を越えていた。

というより、これで理解できたらそれこそが異常である。

 

「つうか、鬼って何だよ」

 

当然の疑問を、杏子は口にした。

少年の話は全く信用に値しておらず、答えられるなら答えてみろとの、

挑むような口調だった。

 

「鬼は鬼だ。頭に角生やした筋肉全裸野郎。

 たまーに鎧着てたり、羽根を生やしてたりもする」

「ワケが分からねぇよ、馬鹿」

 

あっさりと、そして詳細までもが返ってきた。

考えるどころか、記憶を掠めさせるだけで頭痛がした。

この自分と同じくらいの身長の多分年下のクソガキが、

奇声を上げる気○い暗殺者だの金棒を担いだ赤鬼や青鬼と殴り合う。

 

その鬼とかいう珍獣だかそれこそ妖怪どもは、

鳩かカラスの如く背中から生えた羽根をパタパタとさせて 空を飛ぶ事もあり、

更にあろうことか、口からは怪光線を連射するそうだ。

 

昨日聞いた話を統括すると、そんな感じになるはずだった。

空想の産物だと思うのだが鬼娘とやらは、怪物どもの雌個体だろうと妄想した。

ナガレの語る様子から、そいつは特におぞましいに怪物に違いないと、

人間の雌であり女たる自分の勘が告げていた。

 

とりあえず言いたいことは山ほどあるが、どんな頭を以てすれば、

そんな考えが出てくるのかが分からなかった。

分かりたくもない。

 

「にしても便利だな。魔法ってなぁよ」

「何がさ?」

 

服の事を言っているのかと思った。

安価な洗剤の浄化力を魔法で強化したことにより、

上着も下着も、一片の隙間もなく新品同様の清浄さを持っていた。

その事を言っているのだとしたら、思い知らせてやろうと彼女は思った。

少なくとも、顔面と腹にはキツいのをぶちこんでやろうと。

 

「未来でも占えるんだか分らんけどよ、北海道くだりのトコ。大当たりだ」

「……そうか」

 

杏子は、やはりこいつは、重症だと思った。

原因たるものは"いる"のだろうが、仕留めた処で治るようには思えなかった。

それならいっそという考えが、反射的に思い浮かぶ。

これから向かう場所であれば、コトと次第に依っては、それが容易く行える。

 

頭にうっすらとそれが浮かぶと、杏子はポケットから一本の菓子箱を取り出した。

切られた封からは、細いチョコレート棒が見えている。

rockkieと言えば、世界のどこでも通じるだろう。

 

タバコのように口に含み、先端から噛み砕く。

口内に広がる味は、ほろ苦さが強かった。

咀嚼している間と飲み込みをしている内は、この理不尽な嫌悪感から逃げられた。

乱れていた心が安定していく様を、杏子は確かに感じていた。

 

「喰う?」

 

早歩きの歩調を緩めそう聞けたのも、そのせいに違いなかった。

こんな話を平然とほざける少年に、憐憫の気持ちもあったのだろう。

箱を掴んだ右手が後ろに廻る。

ちらっと覗き見た背後に、丸みを帯びた眼をしたナガレがいた。

少し驚いているらしい。

ムカつくが、割とかわいらしい顔つきだった。

基本的には攻撃的な眼をしているが、気が緩むとこうなるらしい。

 

先程の鏡に向かっての狂気じみたやりとりから「これは使える」と、杏子は思った。

主導権を握るための弱味として。

 

「おう。ありがとよ」

 

右手の人差し指と中指で掴み一本を箱から引き抜き、口に誘う。

噛み切るというよりも、切り裂くためといった方が正しそうな、牙じみた歯がそれを捕らえた。

受け渡しを確認すると、杏子は再び距離を離した。

その挙動は、一撃離脱の様相に近かった。

 

しかしながら礼を言われたことには、杏子も悪い気はしなかった。

この気に食わない生き物に困惑を与えられたこいうことも、

それに付随し、口元を僅かに綻ばせた。

そしてこれも気紛れの一つだと、杏子は思うことにした。

 

「頼むから足手まといにはなるんじゃねえぞ。そん時ゃ、容赦なく捨てるからな」

「ああ、俺もハジはかきたくねぇ」

 

両者の足取りは早く、住宅地を抜け始めていた。

傍らを世話しなく車や人が行き交い、

彼等を囲む音と排熱による息苦しさが歩を進めるごとに増大していく。

気にする訳もなく、両者は街の中へと進んでいく。

そして紅と黒の、一対の年少者達は風見野市の喧騒へと呑まれていった。

 

 

 

 

 

街中の喧騒を抜け、忍び込むように、両者は裏道へと入った。

先程までの、鬱陶しいほどの人の流れは嘘のように止み、周囲には人影の欠片もない。

人の流れから数十メートルほど離れた、ビル同士の隙間を抜けた先の空間は静寂に満ちていた。

二人の発するものが、そこにある唯一の音だった。

 

「ひょっとして、あそこか?」

「ああ」

 

否定する理由も無いため、杏子は頷く。

「何で分かるんだ?」とは言わなかった。

どうせ、理解不能な事を言われるのだと思っていた。

 

両者の先には、建設中の建物があった。

全身を、薄汚れた白のビニールシートが覆っている。

見れば、同じ様な様相の建物が周りに幾つもある。

急な開発を進めているためか、こういう場所が多いことを杏子は知っていた。

そしてそれらの場所には、よく"いる"ことも。

 

建設中のものに混じってある完成品は、新古の区分にてはっきりと分けられていた。

新しいものは未だ無人、古いものは打ち捨てられているものだ。

その様子は、連なる巨大な墓場を連想させた。

 

その内の一つ、掛けられたビニールシートを強引に退かし、内部へと忍び込む。

鉄柱が山を成し、作業用の機械類が土が剥き出しの地面に転がっている。

湿気を纏った埃が少女と少年の鼻孔を突いたが、それを気にする者達でも無い。

簡易な鉄の階段を見つけ、両者はそれを登り始めた。

 

その間、二人の間に言葉は無かった。

特に話すこともなく、話す気分でも無かったようだ。

一歩一歩進む度に、粘着に近い重苦しさが少女と少年にまとわりついていく。

心と呼ぶべきものを冷やすような、そんな空気がこの工事現場には満ちていた。

 

そして、平日の昼間だというのに、ここには作業員の一人もいない。

原因が何故かを、彼女はよく知っていた。

考えるまでも無かった。

 

「この光、見えるかい?」

 

地上より約十メートルの高みへと辿り着いた時に、杏子はナガレに尋ねた。

 

「光っつーより、こりゃ闇だな」

 

さも当然のように、明確な回答が返ってきた。

驚きの感覚も、この頃には麻痺していた。

あったとしても、これからの行動において邪魔だった。

 

ビニールシートの隙間や天井から差し込む光とは別のかがやくものが、そこにはあった。

丸い輪郭をした、扉の様に見えるそれは、コンクリートで囲まれた、

作りかけのフロアーの中央に、忽然と浮かび上がっている。

それは脈動を打つかのように、光を明滅させていた。

輝いてはいる、光であることは間違いない。

ただし、それはとても禍々しく、どす黒い。

黒く輝く光であった。

少年が闇と称したのも無理はなかった。

 

その様子に、ナガレは唇の端を歪めた。

肉食動物による、獲物への威嚇のような笑みだった。

 

「お呼びらしいな」

 

光の、脈動じみた動きについてである。

多分これは、知能の程度が近いから分かるんだろうなと、杏子は思った。

モチベーションの低下を危惧し、口に出すのはやめておいた。

 

「怖くなったか?言っとくけど今更降りるのはナシだからな」

「ふざけんな。手懸かりになっかもしれねぇんだぞ。

 大体、ここまで来て手ぶらで帰るわけねぇだろ」

 

少なくとも、逃げられる心配は無さそうだと、ナガレの言葉と表情から読み取れた。

挑発的な眼光が、目の前の黒を睨み付けていた。

 

「なら、いいさ」

 

言い様、杏子は左手を前方に向けて突き出した。

水平に伸ばされた細腕の更に先の細指の中指から、紅光が発せられていた。

それは紅の濃度と光の強さを増し、彼女の周囲に幾筋もの光の線が飛び交い、

重なりあって渦を巻く。

 

光の内部にて、異変が生じた。

肌を覆っていたパーカー、ホットパンツ、

更には下着までの衣類が消失し、少女の姿は裸体と化した。

消失とほぼ同時に、そこに光が纏わりついた。

 

手首から肘までを黒布が覆い、肘から先、腋の手前までを白のレースが包み込む。

細い腰に展開された光は、厚みが薄く短いスカートとなった。

僅かな膨らみを見せた胸元を赤い光が這い、下半身まで一直線に延びていく。

先端が彼女の踵近くまで延びきると、光は布へと変化。

脹ら脛の辺りまでは紅であり、それから先の裾の部分を白いフリルがひらめいている。

脚部は脛までを赤いブーツが被さり、スカートのラインの手前までを黒いソックスが包み込んだ。

 

変身の完了と同時に、彼女を覆う光が弾け飛ぶ。

霧散していく光の中に、真紅の魔法少女となった佐倉杏子がいた。

 

「…済んだか?」

 

杏子が振り替えると、二歩ほど下がった場所に、左腕で両目を隠したナガレがいた。

眩しかったみてぇだな、ざまぁ。と杏子は内心で指を指して嘲笑った。

実際には光からの視覚の保護ではなかった。

光景を脳に取り込むことへの防御であった。

それに彼女が気付くのは、だいぶ後のこととなった。

 

「ああ。だからさっさとこっちに来な」

 

盾にならねぇだろ、と繋げようとしてやめた。

警戒されては、いざというときにやりづらい。

 

「…へぇ」

 

隣に並びつつ、杏子の姿を眺めつつナガレが呟く。

純粋に、感心しているような声色だった。

 

「すげぇな。一瞬でこれかよ」

 

彼の視線は、少女の胸元に向けられていた。

間髪入れずに、杏子はそこを右腕で覆った。

見方によっては異性へのアピールにも見られかねない、

前を開いた胸元には真紅の宝石が固定されていた。

何かに縛られている訳でも無いのに、落下する様子は無かった。

彼が見ていたのは、それであった。

宝石を張り付けた、薄めの脂肪層とそこから覗いた肌を見ていたのでは無い。

杏子はそれに気付いておらず、湧いた羞恥による体温の上昇を覚えていた。

後で殴ろうと、彼女は心に決めた。

もしかしたら記憶を失い、従順になるかもしれないと思った。

 

「なぁ、さっきまでの服はどこやったんだ?」

 

頭部への殴打は試す価値があると、杏子が方法を考えたころ、そんな質問が投げかけられた。

これもまた純粋な好奇心というか、頭に湧いた疑問点なのだろう。

 

「テメェは、そうやって何でも聞かなきゃ気が済まねぇのか?」

「そういう約束だっただろうが」

 

確かに昨日の会話の中で、そんな事を言った気がしていた。

自分に嘘はつけず、彼女は答えてやることにした。

 

「なら答えてやる。知るか、んなもん。

 リクツもタネもあったもんじゃねえんだよ。だから魔法だっつってんじゃねえか」

「そうかい。物理法則もあったもんじゃねえな」

 

またワケの分からねぇことを、と杏子はナガレを睨み付けた。

視線を送ってすぐに、ナガレの眼が細まった。

但し、それは杏子に向けられてはいなかった。

その視線は、杏子の背後に向けられていた。

すぐに、杏子も気が付いた。

うなじの産毛が、悪寒によって総毛立った。

 

「下がれ!!」

 

ナガレが叫んだ。

空気を断ち切るような声だった。

「分かってる」と、そう思ったときには、身体が動いていた。

弾かれた磁石のように、少年と少女が跳躍。

 

距離を離した二人の隙間で、衝撃が弾けた。

衝撃の起点となったコンクリート床が砕け、粉となった白煙が噴き上がった。

そして、それを押し退け衝撃の中央からは、対照的な黒い煙が立ち昇る。

煙は、揺らめきながら形を成していった。

 

「くそったれ!!」

 

叫びは、杏子の口から飛び出していた。

歳と外見に似合わぬ悪罵であった。

 

おぼろげな輪郭が固まっていき、影絵か、または切り絵のような姿が浮かび上がった。

 

「波長からして嫌な予感してたけどよ。よりにもよって、テメェかよ!」

 

再び、杏子が叫ぶ。

彼女の記憶にあるものと、出現した怪物の姿は一致していた。

逆関節を描いた脚、やや角ばった頭部の左右から伸び、くの字に大きく湾曲した頭角。

角の傍らで震える、黒布のような外耳。

 

怪物即ち魔女は、歪ながらも、二本足の黒牛の姿をとっていた。

 

 

 




ここまでで。
もたつくのもあれなので、続きもできるだけ早めにいきます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。