魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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第19.5話 アンティル・ザ・ダイイングディ

廃教会の中は静寂に満ちていた。

天井付近まで伸びたステンドグラスからは、朝と昼の中間の光が

虹色を伴って室内へと降り注ぐ。

定期的な清掃のためか、光の中に舞う埃の量は多くなかった。

埃は舞い散る粉雪のような光を放ち、茫洋とした美しさを空間に彩らせていた。

 

その中に、一台のソファが横たわっていた。

祭壇の頂点に据えられた寝床の上には、横たわる一人の少女がいた。

 

ソファの上に仰向けになった杏子は、顔の上に左手を置いていた。

中指に嵌められた赤い宝石が、赤いきらめきを放っていた。

半ばほど、黒に染まった赤だった。

腕と指の隙間から這い寄る光を前に、彼女は額に皺を刻んだ。

 

「くそっ…たれ」

 

乾いた唇が震え、途切れつつも短い悪罵を漏らした。

言い終えたと同時に、杏子は激しく咳き込んだ。

埃の所為ではなく、湧き上がる不快感によるものだった。

内臓の全てが爛れ、蕩けた粘液が胃袋からせり上がる。

粘液には濃厚な酸の香りが纏わり付き、鼻孔から体外へ抜ける際に目頭に灼熱を残す。

その影響か視界は明瞭さを欠き、見慣れた室内の光景は悪夢じみた色彩と輪郭となっていた。

 

肉体的には健康な状態であったが、彼女の感覚は悪疫の罹患を訴えていた。

腕どころか、指の一本も動かせない。

 

不快な感覚に魂を苛まれる中、室内に変化が生じた。

祭壇の麓に、黒い紋様が浮かび上がった。

長さは縦に約二メートル。

両刃の大斧を湛えた、杯の抽象画であった。

それが扉のように、音も前触れも無く出現していた。

 

紋様の表面が波を打った。

そして波は左右に裂け、紋様も姿を消した。

後には、一人の黒髪の少年が残った。

 

経年劣化の激しい床を、白い安全靴は音も無く踏みしめ進んでいく。

足は祭壇へ続く段に乗り、更に上へと歩んでゆく。

僅かな停滞もなく、されど重い足取りだった。

まるで脚に枷を嵌めているような、または身が鉛と化したような。

 

「悪い、遅くなった」

 

登り切ると、ナガレは言った。

杏子の返答は無い。

僅かに動いた瞳の中、少年の姿は悪鬼のような姿となっていた。

黒を基調とした歪んだ胴体、太く細くと秒単位で変容する手足。

炎のような黒髪は、一対の角を生やした鬼の頭部と成り果てていた。

 

よく言えば迅速に、悪く言えば無遠慮に彼は右手を伸ばした。

赤黒い半纏を浮かせた包帯で覆われた細い指の先に、卵型の物体が摘ままれていた。

大きさとしても卵と等しい大きさの物体の、

銀色の縁取りと彩飾の内には凝縮された闇があった。

 

グリーフシードと呼ばれる魔女の卵を、ナガレは杏子の左手へと近付ける。

接触するかしないかの距離にて、魔法少女の手が黒霧を放った。

不吉な色を纏った霧は、同じく不吉な闇の卵へと吸い込まれていった。

黒を吸った闇は更に色を濃くし、逆に杏子の指輪は赤みを増した。

苛む苦痛が嘘のように引き、魔法少女の身には力が満ちた。

視界もまた正常な線と色を取り戻していく。

 

炎のような紅の眼が、同居人の姿を見据える。

悪鬼は消え、見慣れた少年の姿となった。

 

「随分とやられたな」

 

言葉を発するまで、数秒の間が空いた。

 

「一匹目は外れだったからな。二匹目を探すのに手間取った」

 

ナガレの顔は、打撲と切り傷で彩られていた。

傷口は乾ききり、青痣が入れ墨のように童顔に映えている。

そして彼の肌の色は、白蝋のそれとなっていた。

外見からは出血が見受けられないが、

それは恐らく既に彼の得物によって『吸われた』からだと杏子は思った。

 

「魔女って呼ばれるだけあって、どっちも手強くて仕方ねぇ。

 病み上がりの所為にはしたくねぇが、このザマだ」

 

死人のような顔色を皮肉気に歪め、少年は語る。

負傷の不甲斐なさ半分、そして残りは戦闘による充実感と云った表情だった。

またそれでいて、自らの力を驕る様子は微塵も感じられなかった。

それが却って、杏子の怒りを誘った。

 

「どっちが化け物なんだかな、テメェはよ」

 

言いながら、嫌悪感が心中で渦巻くのを彼女は自覚していた。

彼への悪罵は、消耗によって臥せっていた自身の甲斐性なさの裏返しでもあった。

 

「その様子だと調子が戻ったみてぇだな。お前らも随分としぶてぇもんだ」

 

乾き、ひび割れた唇から歯を覗かせてナガレは笑った。

 

「あぁ、全くだよ」

 

その返事は、言った杏子自身としても、思いがけないものだった。

ふんと鼻を鳴らし、横たわりを継続しようと思っていた。

時として自分の枷となる、生来の真面目さのためだと魔法少女は思った。

 

「自分で言っててなんだけど、魔法少女は脆いんだか頑丈なんだか分からねぇ」

 

気が付くと、更に言葉を紡いでいた。

顔の険が緩んでいることに、杏子は気付いていなかった。

 

「ま、だからこそ年がら年中戦ってられんだけどね」

「改めて考えると、お前らって歳の割にやってっことすげぇよな」

「皮肉かい?」

「いや、単にそう思っただけよ」

 

短いが、彼らにとっては比較的長い会話が成立していた。

疲労の為か、普段の罵詈雑言も湧いてはこない。

 

「あたしからしたら、テメェも十分凄ぇけどな」

 

皮肉ではなく、褒め言葉であった。

奇跡に近い現象だった。

 

「今更だけど、何で魔女や魔法少女と戦えやがんだ?」

 

その疑問もまた、自然と彼女の口から出ていた。

 

「斧型の魔女を振り回す…ってこの時点で可笑しいけどさ、

 普通ビビったり動きに着いてけなかったりするだろうよ。

 何でテメェにはそれがねぇんだ?」

「戦いばっかりやってたからな。お前らをバカにする訳じゃねぇが、慣れだ慣れ」

 

事も無げに彼は言ったが、杏子は返答を見失っていた。

『慣れ』るまでに至った経路は、戦いに満ちた日常を送る杏子にも興味があり、

また知りたくも無い事柄であった。

見てはいけない。

頭の中でそんな声が響き、文字が刻まれたような気がした。

五秒ほど、沈黙が振り降りた。

 

話は終わったとみて、ナガレは杏子に背を向け、祭壇を降り始めた。

彼は出来る限り御してはいたようだが、杏子の慧眼を前にして、

疲弊によるふらつきは隠せなかった。

 

「それ、何時まで続けるんだい」

 

ナガレの背に、杏子の問いが投げられた。

突き刺され、地面に縫い留められたかのように、彼の足は停止した。

それは会話の流れからすれば、噛み合うようで噛み合わない問いだった。

 

一瞬ののち、彼は頸を傾け背後を見た。

 

「死ぬ日までに決まってんだろ」

 

戦鬼の笑みで、少年は魔法少女へと告げた。

そして再び、歩みを続けた。

祭壇の麓へ降りるまで、そう時間は掛からなかった。

そして、寝床を目前としたその時。

 

「アンティル・ザ・ダイイングディ」

 

魔法少女が呟いた異国の言葉に、彼は再び背後を振り返った。

意味を察しかねているのか、彼は眼を瞬いていた。

どうやら、英語力は皆無らしい。

 

「『死ぬ日まで』って言葉の英語訳さ。昔、なんかの歌で聴いた事がある」

「中々いい響きだな」

 

戦鬼の笑顔ではなく、楽し気な顔で彼は笑った。

そして撃たれた鳥が堕ちるように、寝床へとその身を突っ伏した。

寝息が聞こえてきたのは、直ぐの事だった。

 

魔法少女は右手を伸ばした。

伸びきると同時に、手は虚空より生じた真紅の槍を握っていた。

死なれたら面倒だからと言い聞かせつつ、杏子は贄を捧げられた暴竜のように、

祭壇の上から室内を睥睨していた。

先日一応の和解を果たしたが、魔法少女同士の同盟や一時休戦など、

濡れ紙のように脆い事を杏子は知っている。

 

彼女の認識の言葉を借りれば、『クソゲス発情道化』が相手方に入れば尚更だった。

それを踏まえた上で、杏子は彼への借りを返すと決めていた。

彼が目を覚ますのが、喩え幾日掛かろうとも。

 

魔の槍は主の誇りを宿したが如く、聖なる白光を真紅の矛先に纏っていた。

 








時間的には19話から二日後あたりとなります。

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