魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
異界の空に、異変が生じていた。虚無を思わせる灰白色という事に変わりはないが、空には無数の物体が浮かんでいた。
嘗ては何かを構成していたと思しき大小さまざまな灰白色の物体が連なり、雲のような幅と分厚さをもって空の一面を覆っていた。
その広がりは遥か地平線の果てまで続き、終わりがないように思えた。
それらの全てが、時折微細に振動していた。空の彼方から届く衝撃によって。
当然だが、発生源に近付くたびに空を覆う物体が受ける振動は強くなっていった。
個々が震える程度だったものが、やがては互いにぶつかるようになり、やがて喰らい合うように激しく接触し砕けていった。
その破壊の連鎖は、ある距離にてぴたりと止んでいた。正確には、縦横無尽に荒れ狂う衝撃に耐えるものが無くなっていたのだった。
ぽっかりと空に開いた巨大な球型の空間。
破壊の乱流が舞い踊る中心には、一対の巨影が存在していた。
深青と深紅の色を纏ったそれらは、終わりなき闘争を繰り広げていた。
「キャーッハッハッハ!ハハッハッハッハ!!」
深青の豪奢なドレスを纏った人形と、無骨な歯車を半身とした貴婦人が逆さまの体勢のままに右腕を振った。
優雅に揃えられた五指と典雅な動作はまるで、臣下に命を下した支配者を思わせた。
全長百メートルに達する巨体と等しい長さのそれは、史上最大最長の鞭だった。
凄まじい衝撃を放ちながら、巨大さに似合わぬ超速度にて魔女の腕は振り切られた。
腕の軌道の彼方では、直近でも一キロは離れていたというのに、その動きに沿って物体が破砕されていた。
破壊の連鎖は止まらず、物体が粉微塵に砕け、吹き散らされていく。
魔女の一撃によって、空には広大な半円の空白が生じていた。
そして長大な腕が巨大な半月を描いた終点には、魔女に匹敵する巨体があった。その深紅の巨体の接触の瞬間、空に激震と轟音が奔った。
先程空に迸った衝撃が今度は全方位に撒き散らされ、空白は更に領土を得た。
だが莫大な衝撃の発生源である深紅の巨体は、その深紅の鬼は掲げた太い左腕一本で、己の頭部を狙った魔女の攻撃を完全に防いでいた。
次の瞬間、鬼の鋭い菱形の眼が輝いた。爛々とした光を放ったその眼は、報復の機を喜ぶ悪鬼の眼だった。
防御に使われていた左腕が前に伸ばされ、その先端で五指が開いた。更に次の瞬間には、深紅の五指は魔女の細首を握り締めていた。
魔女の一撃を防いだ剛力は攻守を変え、魔女の肉体を破壊しに掛かっていた。
完全に握り締められた状態でなおも魔女は哄笑を挙げ続けていたが、そこに巨大な拳が激突した。
鼻から上が無い魔女の顔の、半月を描いた口の辺りに深紅の拳が減り込んでいた。その瞬間、魔女の腕の一閃同様、空に衝撃が迸った。
衝撃波は魔女の後頭部と空白地を抜け、遠方の物体群を貫いた。真上から見れば、空が縦に割られる光景が見えたことだろう。
割れた空からは、地上の様子が伺えた。異国の古い町並み、峩々たる山脈、広々とした森林地帯、太古の遺跡に最新のビル群。
それらに相当するものが、まるでスプーンで掻き出された氷菓子のように無残に根元から抉り取られていた。
それは地表の数か所といった程度ではなく、至る所で生じていた。
一対の巨影同士の闘争は異界を破壊しながら、遂には完全な空中戦へと雪崩れ込んでいた。
「うわぁ…」
破壊と轟音が鳴りやまぬ中、一対の巨影が争う場所の遥か上空にてその呟きは発せられた。
「顔面にモロ入ってますねぇ。うわっ、しかも連続」
明瞭な発音で告げた優木の青い瞳の中では、伝説の魔女が悪鬼によって顔面を殴打されていた。
通常サイズの数体の魔女を纏めて捕獲できるであろう巨大な手で構築された鉄拳が、魔女の顔を打ち据える度に異界が震えた。
着弾の度に魔女の哄笑は途切れていった。
「ありゃあ、もうキマっちゃいますかねぇ。どう思います?リナさん」
くふふっという独特の笑みが語尾となって続いていた。
伝説の魔女と魔女と正体不明の悪鬼が対峙する戦場の上空に浮かぶ島状の瓦礫の中で、優木はリナに問うていた。
瓦礫の淵に立ち、姿同様の道化のような愉快な挙動で、巨影達の様子を眺めている。
それだけなら普段の相手を煽る様子と変わらなかったが、その瞳孔はぐりぐりと絶え間なく動き、一瞬として一点に留まっていなかった。
唇の端は痙攣を起こし、形で見れば間違いなく美少女に当る顔の造形は、右側が苦痛に、左側が愉悦の形に歪んでいた。
「あー、魔法少女ってやっぱ面白いですねぇ。やっててホント退屈しませんよぉ」
再びくふっと笑い、手にした杖と共に優木はその場でターンとステップを踏んだ。
それは一度では終わらず、何度も何度も続いた。その間、優木は魔女の様に笑い続けていた。
身を穢す狂気により、優木の精神は発狂と正気の境目を揺蕩っていた。
リナは後悔していた。気合を入れるために、顔面を十数発殴った事を。
対してリナは生きた魔女の貯金箱である優木からグリーフシードを借りたため、全身の負傷は治癒されていた。
完治した両眼の視線を半狂人から逸らした。ここまできたらもうどこにも、逃げ場所は無い。
ならば自分に出来る事をしなければと、誇り高き魔法少女は思った。
リナは瓦礫の淵に立ち、衝撃渦巻く世界を見降ろした。その時だった。
「くぅふふぅうってひゃあああああ!?」
道化が悲鳴を挙げた。同時にリナもまた「ひっ」と小さな声を発していた。
見降ろしたその瞬間、巨大質量が鼻先を掠め更に上空へと吸い込まれていった。
衝撃に突き飛ばされ、道化は木の葉のように吹き飛ばされた。瓦礫の一角へと激突する寸前、大きな腕が道化の下半身へと差し出された。
腕の根元には不細工なぬいぐるみとでもしたような姿があった。彼女の親衛隊長でもある、不細工な巨大魔女だった。
「痛ってーェ!もっと優しくしろ!バカっ!」
咄嗟の救助に対し、道化は絶叫と罵詈を挙げながら魔女の頭を杖で叩いた。慣れているのか、魔女は特にリアクションを示さなかった。
魔女の丸型の眼は主の姿ではなく、上空に向けられていた。リナも同じくそこを見ていた。
一面の大銀河のように拡がった破片の大海の前、リナとの距離で言えば二百メートルほど先に、深紅の巨体が聳えていた。
リナは改めて深紅の悪鬼の姿を見た。そして幾つかの事に気が付いた。
最初に見た時は精神の同様の為に気付かなかったが、全身を彩る深紅と白には、金属の光沢が見えた。
また巨体の各部にある緑色の部分からは、僅かに内側の様子が透けて見えていた。
うっすらと見えたのは、絶え間なく稼働する血肉ではない何かの蠢きと、その上を走る紫電の光だった。
「機械…機械の巨人…」
リナはある種の確信を籠めてそう呟いた。
激しい違和感がリナを襲った。物体としての正体を察したはいいが、更に疑問が吹き荒れる。
こんな機械は見たことも無ければ聞いたことも無い。ロボットとして見ても、精々街中で不気味に立ち尽くす人工知能搭載の白い人型を偶に見かける程度だった。
だが今目の前にいるものは、二足歩行どころか背から鮮血の大瀑布のような外套を靡かせて飛行している。
何をどう考えても、この世の理を外し掛けている魔法少女からしても意味不明としか思えない。
機械で稼働しているというからには何かの原理があって飛行を可能としているのだろうが、全くとして分からない。
これではどちらが魔法だか分からないとさえ、リナは思った。
深紅の巨体の頭部が少し傾いていた。
見られている事に気付いたとき、リナは己の身にこれまで感じた事のない悪寒が走った。
魔女相手には感じなかった、未知のものに対する恐怖を感じていた。
そのためかリナは、無意識の内に魔女の方へと眼をやっていた。彼女は気付かなかったが、それは助けを求める視線にも似ていた。
遥か下方に滞空する魔女もまた、逆さまの体勢で、上空の悪鬼を見降ろしていた。
貴婦人の唇は僅かに先端を尖らせていた。
優しく微笑むような形であると思った時、リナは吐き気と、そして極大の危機感を覚えた。
その時だった。
深紅の巨体が高速で動き、手を伸ばしていた。彼女らを乗せた瓦礫の一部に広い手が軽く触れられたその瞬間、瓦礫は弾き飛ばされていた。
「ぎゃああああああああああっ!?」
道化は絶叫を挙げたが、それに反して彼女らが受ける衝撃は皆無だった。
瞬く間にキロ単位の距離を進んだが、僅かな風が吹き付ける程度に収まっていた。
この時には機械の悪鬼の視線は、下方の魔女へと向けられていた。
尖った唇の先端で、大気がゆらめく光景が見えた。陽炎の様に揺れたと見えた次の瞬間、揺れた大気は螺旋と化した。
美麗な唇の先から生じた螺旋は、魔女から離れるに従って幅が爆発的に増加した。
魔女の口から発せられたのは、幅が魔女の体長の数倍はあろうかという巨大な竜巻だった。
竜巻は更に途中で複数に別れ、そして元以上の太さとなって激しい渦を巻いた。
それらはまるで光のような速度で、上空の悪鬼へと伸びていった。
その巨体をして視界の全てを埋め尽くすであろう大気の竜の群れを前にして、悪鬼は飛翔した。背後でも上空でも、その逆でもなく、前へ向けて。
渦という名の口を開けた竜の群れへと飛び込む寸前、悪鬼の背から流れた深紅の外套が巨体の全てを包み込んでいた。
「馬鹿っ!!」
リナは叫び、そして驚いていた。自分の叫びは、まるで仲間に向けたもののようだった。
声を挙げた時、リナは胸に痛切な感覚を感じていた。
遠く離れていても、竜巻が引き起こす暴風を感じていた。優木は巨大魔女に必死にしがみつき、魔女も地面に爪を深々と立てていた。
リナもまた杖を地面に突き刺し、膝を落として耐えていた。その時一つの風がリナの頬を掠めた。
その瞬間、彼女の頬はざっくりと開いた。叫びながら、リナは電磁障壁を発動させた。
瓦礫の全域を、電撃の毒蛇が這い廻る障壁が包み込む。魔女の暴威を遮断したリナは、頬に手を当てた。
そこに触れた指先に、鋭い痛みが走った。
即座に引き剥がしてみると、どろどろとした赤い塊の付着が見えた。それは溶解した頬の肉だった。
悲鳴に似た声と共に治癒魔法を全開させ、頬の溶解を強引に治療する。
治療が功を奏し、新たな肉の盛り上がりによって酸を帯びた頬肉が彼女の顔から剥がれ落ちた。
地面に落下した後も、肉の淵から滴る溶液はアスファルトに触れた途端に白煙を上げた。
流石に残滓であり、弱い溶解であったが、生理的な嫌悪感を感じずにはいられない光景だった。
まだ若く赤い皮膚のままで、リナは再び前を見た。
その先では今も酸を纏った竜巻が轟々と吹き荒れている。その光景に、リナは生きた心地がしなかった。
あと一瞬、この瓦礫帯があの場所に留まっていれば、自分たちは今頃欠片も残らず消し飛んでいたに違いない。
恐怖に身体が震えるが、彼女は前を見続け眼を動かした。
酸を数滴浴びたのか、背後で叫びのたうつ道化の声もリナの耳には入らなかった。
そしてリナは、渦巻く竜の体内で光る紅を見た。
長さ数キロにも及ぶ長大な渦の根元付近で、その光は生じていた。即ち、伝説の魔女の直ぐ近くで。
哄笑と共に放たれ続ける竜巻の上部が一気に膨らんだ。
次の瞬間、爆音の悲鳴を挙げて爆ぜ割れた渦巻く竜の胴体から、深紅の巨体が姿を顕した。
全身を覆っていた深紅の纐纈布を振り払い、金属の身体が宙を舞う。
強酸と暴風の影響か、羽織られていた外套は至る所が破れ、無残な襤褸となっていた。
隙間から入り込んだ酸の毒牙によって、深紅の装甲の表面には無数の細かい傷が浮いていた。
顔面や胸部、そして脚部にある緑色の半透明部分にもひびが入り、特に顔面では幾つかが剥落し内部のメカニズムを晒していた。
その報復を果たすべく、悪鬼は魔女の巨体へと向かって行った。
掲げられた両腕の根元、全面に迫り出した胸の装甲板の肩部分から、二つの塊が飛び出した。
それが高々と掲げられた両手によって受け止められ、直後に振り下ろされた。
ざくんっという音が鳴った。轟音の渦巻く世界でありながら、その音はリナの元へも届いた。
魔女の口からは竜巻が断絶していた。膨らんだ大気は、魔女の口の前で不自然に消失していた。
霧散する大気を浴び、巨大な物体が吹き飛んでいた。深海の様な深青の生地で覆われた、異常なまでに長大な物体。魔女の右腕だった。
腕の断面から夥しい闇を噴き上げる魔女の胴体から少し離れた場所に、振り切られた右の巨腕があった。
その先端の深紅の巨拳は、物騒な刃を握っていた。強化した視力で形状を視認したリナの顔に、苦笑のような表情が浮かんだ。
「また、斧ですか」
悪鬼の左右の巨拳には、無骨な手斧が握られていた。
呉キリカのそれや麻衣から聞いた斧型の魔女とは異なる、蛮人を思わせる無骨な手斧だった。
そしてリナの声に合わせたように、第二刃が放たれた。
左腕による水平の一閃は魔女の欠損した右腕の断面を抉り、豊かな胸の膨らみを無惨な亀裂に変え、そして抜け出ていた。
破壊の軸線上の最後にあった左腕は、先の右腕同様に切断されていた。
多大なる損傷を受けた魔女の上半身は、闇の火口と化していた。
噴き上がる溶岩の様に、魔女の内部からは黒々とした闇が飛沫を上げて噴き出していた。
だが傷付いた状態でありながら、魔女は笑い続けていた。その声を挙げる顔面に、深紅の五指が巨樹の根のように這った。
次の瞬間、手は拳となり魔女の顔を圧搾した。
莫大な力が強度の限界を超え、貴婦人然とした顔には陶器のようなヒビが入った。
悪鬼は魔女の顔を右手で拘束したまま、手斧を握る左手を高く掲げた。
そして魔女の腹部へとその切っ先を突き刺すと、そのまま勢いよく下方に向けて引き切った。
縦に裂かれた荒い断面からは、更なる闇がばら撒かれた。闇は滝となり深紅の巨体へも降り注ぎ、その身を紅と黒の斑へと変えた。
残酷な光景に、リナは思わず嗚咽を漏らした。道化に至っては、魔女の上で手足を投げ出し口端から泡を吹いていた。
しかしリナは、少しの安堵を覚えていた。悪鬼が魔女を捌いた瞬間、魔女の声は絶えていた。
戦闘の終焉だと、彼女は思っていた。少なくとも一つの脅威が滅されたのだと。
リナは改めて悪鬼を見た。機械の鬼は、今も魔女から降り注ぐ闇を浴びていた。
やはり悪鬼としか思えない、おぞましい光景でありその正体は分からないがリナには不思議と、この存在が敵には思えなかった。
少なくとも呉キリカという名の災厄よりは、味方側にいるように思えた。
それになにより、先程瓦礫を押した行為は自分たちを竜巻から守ったとしか思えなかった。
リナは息を軽く吸い、そして吐いた。その間に、次にやるべきこと決めていた。
まずなによりも、やらなければいけない事があった。それを成すために、彼女は口を開いた。
「ありが」
一秒に満たない時間で、それは言い終える筈だった。
だがそれを、
「キャァァァッハッハッハッハッハッハッハ!!!ハァァッハッハハッハッハッハッハ!!!!」
狂気を孕んだ哄笑が消し飛ばした。
全身から体液と思しき闇を滔々と溢れさせながら、伝説の魔女はまだ生きていた。
そしてその巨体から流れる闇にも変化があった。
噴き上がる中の大気中で、魔女の体表で、そして深紅の装甲の上で。
闇は、不気味な蠢きを見せていた。無数の昆虫が、一斉に脚を蠢かせたかのような動きだった。
久々に少々長めです。