魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
『ドゴォ』とでもするような音が鳴り響いた。逆さまの貴婦人が奏でる哄笑の嵐を掻き消す、重質量の音だった。
深紅の巨体が繰り出した右拳が魔女の顔面に激突していた。今までに幾度かあった事だが、今回は殊更に威力が増していた。
着弾の瞬間、逆さまの巨体が幻の様に霞み、その直後には木の葉のように吹き飛ばされていた。
吹き飛ばされる最中、魔女の顔がぐるりと動いた。上半分の無い顔は、無いはずの視線を深紅の鬼へと向けていた。
鬼との距離は、十メートルも無かった。魔女を殴り飛ばした直後、深紅の巨体もまた追撃を行っていたのである。
追い縋る巨体に微笑むように、優雅な唇が再び僅かな尖りを見せた。
唇の先に魔法少女とは比較不可能な莫大な魔力が集中し、一瞬にして大気の組成が変容する。
気体の成分は万物を腐食させる強酸へと変わり、空気は風を纏い始めた。
次の瞬間には強酸の大嵐が再び吹き荒れ、眼前の深紅へと注がれるはずだった。
だが唇の先で渦巻いた嵐の脇から伸びた紅の一閃が酸の嵐を貫いた。
そしてそれは更に伸び、魔女の唇どころか顔面全体を覆い隠した。
紅は深紅の巨体の右腕から伸びていた。太い五指が握るのは、その身と同じ色をした布であった。
魔女が魔力を貯めると同時に深紅の鬼もまた動いていた。背面で靡く外套の一部を引き裂き、魔女へ向かって投擲したのである。
それは布の靡きを以て広がり、そして毒蛇の狡猾さで魔女の顔面へ向けて伸びた。
そして鎖の強靭さで魔女の顔を雁字搦めにしたのだった。
魔女の顔を覆う紅の布が大きく膨らむ。内部で嵐が暴発したのだろう。
巨大な顔を覆う布の隙間からは白煙が吹き上がっていた。
右手で魔女の動きを拘束したまま、深紅の鬼は自らの胸元へと手を伸ばした。そこには、魔女から降り注いだ闇が一塊となって蟠っていた。
太い指を備えた手が広げられ、闇の一角を握り締めると一気に引いた。
闇を引き剥がす際に生じた音は、金属が割れるような破砕音、そして肉が引き裂かれるような粘着質な音だった。
横長に広がった胸を基点に、巨体に浴びせられた闇は全身から引き剥がされていった。
深紅の左腕の先にぶら下がる一塊からは、巨体の各部に張り巡らせられていた細い闇が繋がり、触手の様になっていた。
深紅の巨体が、巨大な黒いクラゲを掲げたような姿はほんの一瞬だった。
全身から闇が引き剥がされたその瞬間、闇を握る拳が完全に握り締められた。
力が指に込められた瞬間、その表面から深緑の光が迸ったのを認めたのは機械鬼以外には誰もいなかった。
握られた闇は弾けず、そのまま垂直に落ちていく。根の様になっていた形も液状化し崩れていった。
落ちていく中、溶け崩れる形の中に人体に似た形状があった事もまた、鬼以外に見たものはなかった。
豪風を巻き上げながら巨体が動いた。
深紅の色を纏った機械の鬼の姿が陽炎の様に揺れたとみるや、破砕音と共に両腕を喪った逆さまの貴婦人は遥か上空へと弾き飛ばされていた。
数百メートルほど上昇したところで、魔女の巨体に影が降りた。そして衝撃が轟いた。
魔女は弾丸の速度を帯びて、今度は地へと向けて落下していった。
隕石群のように並ぶ無数の破片の層を突き破り、遥か下方へと落下していく。
終ぞ勢いは止まらずに、深青の巨体は灰色の地表へと吸い込まれていった。魔女の巨体が点に見えるほど離れた距離となっていた。
そしてその巨体は地へと堕ちた。莫大な衝撃を受け、遺灰を思わせる色の地表は臓物の蠢きの様に波打った。
巨大な歯車と人形姿が横たわるそこに、再度の衝撃が走った。歯車と人体の境目に、巨大な膝が喰い込んでいた。
刃の様に戦端を尖らせた膝の一撃を見舞った巨体には、音速を遥かに超えた速度が乗せられていた。
二重の振動は激震となり、世界を襲った。大地を支える地盤が崩壊し、着弾地点には巨大な真円の陥没が生じていた。
破壊の円の大きさは、円を勉強机と例えれば二体の巨影が消しゴム程度にしか思えないほどとなっていた。
その光景に、リナは生唾を飲み込んだ。力の源泉である魔女と連動し、彼女らのいる場所も地表近くに降りていた。
下方に向けて引かれる力にリナは強引に耐えたが、道化の姿は消えていた。
気配を探ると、落下の最中に放り出されたらしくまだ上空にいることが分かった。
心配ではあったが、親衛隊長の魔女も一緒らしいので大丈夫だろうと強引に納得した。つくづく真面目な少女であった。
道化への思いを馳せた後に、リナは再び喉を鳴らした。額には汗が浮き、滴となって頬を濡らした。
「凄い…」
感嘆の宿った声だった。
常軌を逸した破壊の光景や、魔女と機械鬼の禍々しさのせいでもあるが、彼女の心が最も反応を示していたのは機械鬼の動きであった。
全長約五十メートル。魔法少女の身長を百五十センチ程度とすれば、単純な対比で三十数倍にも達する巨体でありながら、遠方の事象とは言え魔法少女であるリナの感覚でも先程の動きは鮮明で無かった。
それでも一連の動作を精査すると、蹴りを組み合わせた宙返り、俗に云うサマーソルトで魔女をかち上げて追撃。
太い指が並ぶ両手を組み合わせての鉄拳の振り下ろしで魔女を叩き落した。恐らくはそういう事になるのだろうとリナは思った。
思いつつもやはり、実際の現象とは思えなかった。どう考えても機械の動きとは思えない。人体どころか、獣を彷彿させるしなやかで柔軟な動きだった。
どこか猫科動物のような形状をした角を冠した頭部と相俟って、機械の獣、機械獣とでもいうような言葉が頭を過った。
麻衣がいたら眼を輝かせたのだろうかと、リナの脳裏を仲間の横顔が掠めた。それは、丁度そんな時だった。
音が響いた。それは災厄達の女王の哄笑でも、彼女の衣服や肉体が破壊された時の音では無かった。
バキン、という金属が砕け散る際の、甲高く乾いた音だった。
音は深紅の機械鬼の胸元から生じていた。
そして音の発生と時を同じくして、深紅の巨体は背後へと下がっていた。僅かだが、その巨体は何かによって仰け反ったように見えた。
「何が」
そこで言葉は途絶した。魔力で強化したリナの視力は、鬼の胸から一筋の赤が迸るのを見た。
眼が眩むような深紅の流れ。それは正しく、噴き上げた鮮血のように見えた。
深紅の奔流は前面へと迫り出した胸部装甲に生じた小さな隙間から噴き上がっていた。
正面から見て左から右下までを縦断する斜めの線が装甲の上に開いていた。
紅の線は鬼の頭部よりも更に上空へと昇っていたが、それは直ぐに停止した。
開いた装甲の内側に籠る闇の中では、人知の及ばぬメカニズムが緑の色を帯びて蠢いていた。
紅の残滓が空中に散らばっていく中、リナの眼はある一点に吸い込まれた。鬼もまた、鋭角の眼でそこを見ていた。
深紅の鬼の正面には、今も体の各部から闇を滴らせながら大地に倒れた伝説の魔女の姿があった。
引き裂けた胸の手前。闇が滝となって大地に流れる場所のすぐ近くに、孤影が浮かんでいた。
無尽蔵とも思えるほどに魔女から溢れる闇と同じ色が、赤い輝きで人影として切り取られていた。
その大きさは深紅の巨影の三十数分の一程度、精々百五十センチメートルといった程度だった。
奇しくもそれは、リナが先程思い浮かべた対比と等しかった。
赤で縁取られた闇が備えた四肢は、魔女よりも比較的人間に近い容姿をした鬼よりも細く、華奢な輪郭を備えていた。
そしてその孤影は、華奢な身体の上に闇の衣を纏っていた。
太腿に裾が掛かるかどうかの短いスカートに、なだらかな体表にしっとりと這う質感の上着が見えた。
長い脚の背後には、上着の背部から伸びたと思しき外套状の裾が幕を下ろしていた。
細い肩からは更に華奢な腕が伸び、垂れた左腕の先には長大な物体が握られていた。
その長さは人影の倍近くもあった。長く続いた柄の果てには十字を描いた刃が据えられていた。
そして当然の様に、その長大な槍の切っ先は深紅の鬼へと向けられていた。
長い柄には、上部から垂れた長い流線が触れていた。流れる闇を辿り人体の上部へと向かって行くと、身体同様に赤で縁取られた顔の輪郭が見えた。
流線は、頭頂付近で結ばれたリボンによって束ねられていた。リボンの形は、猫の耳にも見えた。
そしてリナは、この姿に以前交戦した相手との類似性を見出していた。
爆発音のような音が、リナの心臓から生じた。
姿と形状を認めた時、この世界に招かれてから幾度となく感じた悪寒がリナを襲った。
幾ら経験しようとも、決して慣れることが無い冷気が彼女の内より溢れ出していた。
「さく…」
言い掛けた声に、巨大な音が重ねられた。つい先ほどにも似た事が起きていたが、音の質が異なっていた。
魔女が奏でる、一種の妖艶さを湛えたものではなく、それらは子供のあどけなさと、覚えかけの大人の色気を漂わせた声だった。
それは赤く縁取りをされた闇の槍手から発せられていた。
闇が漂う顔の一角、口にあたる部分が半月に裂け、滔々とした笑い声を挙げていた。