BLEACH come back the agent 作:寒桜
――――世界には知られていない、知ることの出来ない世界がある。
空座町――――深夜。
草木も眠る丑三つ時の真夜中。昼間の活発さを失い黒檀色の闇が支配する、夜の世界。
人も獣も存在を削り取られたかのようで、静寂だけが取り残された死した街。
だが唯一、月だけが生きているようにあった。
月光が青々と夜を浮き彫りに照らし上げ、更に病的のように見える。
古びた街路灯が不規則に点滅を繰り返し、生暖かい風が道に吹いている。
ヒタリ、ヒタリ。
誰もいない筈の夜道を一つの塊が歩いている。
スッポリと上から汚れた古布を包み、体全体を覆い隠した姿は不思議とこの夜に似合っている。
時折布の端から幼い色白の手足がチラチラと見え隠れする。背丈からしてどうやら幼子のようだ。
偶に何かを恐れるかのように立ち止まって後ろを振り向き、何もない事を確認するとまた歩き始める。
「――――オオオオオオォ……」
風に紛れて不気味な雄叫びが響いた。
生きている者が出すには有り得ない音響。風音と共にその声を聴いた子供はビクリと肩を震わせる。
子供はしだいに歩速を上げ、ついには走り出した。
声が聞こえた方角とは逆向きに進路を変更し、時折後ろを確認してはまた進路を変えた。
右へ左へと不規則に行路を変えてはまた後ろを見て速度を上げる。
走る速度が上がるに連れて布から手足が露出する。
月光と街灯に照らし出されるそれは痛々しく赤みがかっている。
擦り傷だらけの裸足で舗装されたコンクリートの上を走り、手は布を強く握り締めているお陰で指先に血が通わずに青白く染まっている。
恐怖を押さえ込む為なのか、震える手は布を掴む力を弱めようとはしない。
子供の体格では過剰ともいえる距離を走っても速度を落とすことなくまだ足を止めようとはしない。
何を怯えているのか、何から逃げているのか、それは当人である子供しか分からない。
とある橋の上で子供は足を止めた。
何かを探るように左右を見渡し、また何も無い事を確認すると溜息を一つ。
新春を過ぎたとはいえまだ寒さの残る夜は火照った体をすぐさま冷やしにかかる。
吐いた息が白息となり大気と混ざって消えていくのを眺め、子供はまた歩き始める。
――――轟音。
爆音とも聞こえる重低音の鳴動が橋全体に伝わり、鋼鉄で造られた鉄橋が衝撃で何度も左右に揺れた。
子供は地揺れと動揺で足元がふら付きその場に座り込んでしまう。
「あ……」
子供が見上げる先には異形がいた。
常識では考えられない程に非常に大きな身の丈、顔を覆う様に被せられた白仮面から覗く目と口からは、獰猛な殺気と狂気を孕んでいた。
一切の太陽を浴びることのない程に不気味に白い肌は血の巡りさえも拒絶したかのように感じられる。
「エ、エザ、エサ……ウマソウナ、タマシイイィィ」
呟くように口から漏れ出す低声はハッキリと子供に聞こえ、背筋を凍らされた。
逃げようと腰を上げようとするが目の前の恐怖から、体が動くことが出来ない。逃げようとする子供を異形は溢れ出す涎を抑えることなく垂れ流しながら口を大きく開けた。開いた口からは異臭が漂い思わず顔を背けたくなる。
だが、金縛りのように動かない体では眉一つ動かすことも用意に出来ない。
化け物は丸呑みするように上半身を子供に覆い被せる。
「お母さん……」
生暖かい風を肌に感じながら、子供は身を縮ませ恐怖から身を守った。
だが、どれほど経っても一向に痛みも苦痛も何も起きない。恐る恐る子供は顔を上げ、フードの隙間から上を覗き込み――――
「――ったく、中間前だってのに出てきやがって……イモ山さんは何やってんだよ」
そこには化け物の姿ではなく、一人の男が背を向け佇んでいた。
不恰好な大刀を肩に担ぎ、対峙する先にはあの化け物が削がれた右腕を庇いながら唸っていた。
「アアアアアアアアアアァ! ――――シニガミイイイッ!!」
咆えると同時に風が吹き、男と子供を襲う。
霊圧の込められた突風は子供に触れるよりも先に、前に立つ男によって掻き消され意味を失い、消えていく。
「――よお、平気か?」
男が喋り出した。
平気というのは自分の事なのだろうと、子供は周りと体を確認しコクリと頷いた。
男からは子供が見えていない筈だが安心したように、そうかと言い大刀を肩から下ろす。
「ちょっと待ってな。すぐ終わらせる」
子供からも男は後ろ姿しか見えない。
唯一特徴を挙げるとしたら、月光に照らされ光るオレンジ色の髪しかない。
だが、それでも子供にはその声だけで確信できた。
目の前の男はあれよりも強いのだろう。
有り得ないことだ、体格からして裕に数倍の差がある相手に正面から立ち向かう男、結果は幼子にだって分かる。
――なのに確信もなく勝てるとそう思えてしまう。
止めないと!
そう声を出そうとするが、出ない。まだ恐怖で体の芯から凍ったように上手く体が動かせない。
化け物が動いた。
残った腕を男に向け殴りつける。男は避けることも大刀を構えることもせずに、ただ悠然と迫る拳を迎えていた。
男を中心に橋がクレータを造った。
――――殺した! こいつもエサだ!
その光景を見た化け物がこの後の食事に対して笑みを浮かべるが、拳にその手応えがない。
今まで幾人のプラスの霊を潰した時に感じたあの肉を潰した感触が何処にも感じられなかった。
潰したと思われる敵は自分の拳が死角を作り姿が見えない。肉を潰す感覚も地面を砕いた衝撃も感じないまま、恐る恐る自分の腕を引く。
初めに確認できたのは直立する二本の足だった。
次に胴、下半身が完全に見えたところで化け物は硬直した。今までに体感したことが無いほどに自分が恐れている事を実感する。
化け物は勢い良く足を踏みしめ後方に飛びのいた。
跳び、距離が離れるにつれ死神の全貌が見えた。右腕を前方に伸ばし、何かを抑えているような格好をしその顔は無表情だった。化け物は悟った。あの死神は、自分以上の今まで見てきた奴のさらに上を逝く――――化け物だと。
名前__黒崎一護
死を直感した化け物はすぐにガルガンダを開き、自分らの世界『虚圏』へと帰還しようとする。
だが、化け物が虚圏へと帰ることは永劫無かった。
髪の色__オレンジ
自分を裂くように橋の中央を一本の亀裂が走る。
亀裂の元にいたのは大刀を振り下ろした死神だった。
年齢__十七歳
その自恃とした顔が化け物の眼に写ったのを最後に、化物は声を上げる暇もなく粒子となって大気に解けた。
職業__高校生 兼 新生・死神代行
夜空に消え逝く化け物と目の前にいる男を呆然と子供は眺め、やがて危機が去った事を頭が理解するよりも先に体から力が抜け落ち、倒れた。
ザッザッザッと自分に近づく足音を聞くが、そのまま子供は目を閉じ意識を手放した。
――斯くして刃は再び振り下ろされ、月は今一度天壌へと上がる――