・こんな大人にはならないように
食堂に僕と朔也さんは特に意味もなく居座り、コーヒーを啜っていた時のことだった。
「やっぱり僕の彼女はかわいいと思うんだ」
「いきなり何言いやがりますか。とうとうボケましたか?それとも頭でも打っておかしくなーーー失礼。すでにおかしかったですね」
「おい、どういう了見でそんなことを言うのか詳しく聞こうじゃないか」
迫ってくる朔也さんを押し返しながら、ため息を吐く。正直言ってうざい。彼女自慢がしたいのなら他所でやってほしいものだ。
「見てくれよ、この間二人でプールに行ってさ。その時の水着姿の切歌ちゃんがもうかわいくてさ!」
「いや、自分の彼女の水着姿を他の男に見せていいですか?」
「自慢する分には問題ない!」
「よーし、歯を食いしばれ」
「それだけは勘弁してください!」
即座に正座に移行。再びため息が漏れる。取り敢えず朔也さんの携帯を覗き込んでみると画面には切歌ちゃんではなく別人の水着姿が映っていた。無言で切歌ちゃんにいま見たことを、通信アプリを使って送信した。さてーーー
「おいおい朔也さん。あんたいつから切歌ちゃんから世界の歌姫に鞍替えしたんだ」
「何言ってんの⁉︎そんなことありえない、から……」
眼前に携帯画面を突きつける。そこにはやけにキメ顔のマリアさんが水着姿で映っている。現実を認められないのか、朔也さんは目を逸らし頭を抱えていた。
「おかしい。俺はマリアさんとプールに行った記憶はない。となるとあとから入れられたのか?いつどこで?……まさか、この間珍しく家にいて俺と切歌ちゃんたちにご馳走を振舞ってくれた時か!」
「どうやら、ようやく気付いたようね」
「その声はマリアさん!」
「いったい、いつからスタンバッてたんですかカデンツァヴナさん」
「貴方たちか食堂に来たあたりからよ。千佳、言いづらいだろうから私のことはマリアでいいわよ」
食堂の入口に腕を組んだカデンツァヴナさんが背を預けて、キメ顔で立っていた。世界の歌姫は暇だったらしい。ずっと見てたんなら最初からこっちに来ればよかったのに。マリアさんはこちらにやってくると、流れるように朔也さんの腕に絡みつく。マリアさんの豊かな胸部装甲に腕を挟まれ、満更でもなさ気な様子の朔也さん。その様子を白い目で見ている僕。パシャリと写真を撮り、切歌ちゃんに送信。もうそろそろ彼女がここにやってくるだろう。ここら辺で僕はお暇させてもらうことにした。
「おい千佳!今の写真どこに送った⁉︎」
「…………」ニコリ
「やめて⁉︎笑うだけとかマジで恐いから!え、待って本当にどこに送ったの!」
「あら?こんな美人のお姉さんを放っておくつもりかしら」
「あんたが原因なんだけど!お願いだからそれ以上胸を押しつけないでぇ⁉︎」
スタスタと食堂を出て行くと、ちょうど切歌ちゃんに会った。額には青筋が何本も浮き出ており、かなり怒っているのが窺える。
「千佳。朔也はどこデスか」
「食堂にいるよ」
「情報提供感謝するデス」
僕の返答を聞くや否や、切歌ちゃんは食堂へと駆け出していった。これから起こるであろう惨劇を想像して、黙祷しておこう。取り敢えず朔也さんのように、女性問題を抱えている大人にだけはならないようにしようと、固く胸に誓った。
この日、食堂から断末魔が響き渡ったのは言うまでもないことだろう。
・習得祝い
「……………空が青いなぁ」
「千佳くん、そろそろ起き上がって練習を再開するよ」
「…………はい」
緒川さんとの修行の真っ最中。俺は仰向けに地面に倒れ、青い空を虚ろな瞳で眺めていた。俺はさっきまで水蜘蛛と壁走りをやっていた。……初めて師匠と山に登った際に付けられた重りを装着した状態で。少しずつ慣れてきたなぁ、なんて思っていたのがいけなかったのだろう。緒川さんの前では何も考えないようにした方がいいかもしれない。きっと、あの人は読心の能力持ちだよ。じゃなかったら、こんな仕打ちはできないね。
「次は影縫いの練習ですが、今日中には習得してもらうのでそのつもりで」
「あれれぇ?すみません緒川さん。俺さっきの修行で耳を打ってたみたいで、聞き漏らしてしまいました。もう一回言ってもらってもいいですか?」
「今日中に影縫いを習得してもらいます」
「聞き間違えじゃなかったかー!」
本当に突拍子もないことを言ってくれるよ、この人たちは。いったい俺を何だと思っているんだ。
「風鳴さんは三年かかったっていうじゃないですか。それだけ難しいものなのに、一ヶ月にも満たない俺が今日中になんて無理です!」
「大丈夫ですよ。千佳はセンスがありますからね。一割ほどはすでにできていますから。それに、人間死ぬ気になれば何でもできるものです。現に千佳くんも心当たりがあるでしょう?」
「ま、まあ、ないこともないですけど……」
「だから、私は千佳くんが失敗するたびに影縫いを使い、その有用性について説きます。実体験をともなって、ね」
サァーっと背筋が冷えていく。冷や汗が滝のように流れ落ちる。きっと、俺の顔は引き攣っているのとだろう。
「そ、そこまで急ぐ必要はないんじゃないでしょうか?」
「翼さんはアイドルやノイズの掃討で忙しい身でしたので、時間がかかるのも必然。やってやれないことはありませんよ。何より、千佳くんは多少の恐怖を与えておいた方が習得が早くて助かるんですよ。私にはマネージャーとしての仕事もありますから」
「絶対最後の奴が本音だよこの人⁉︎この鬼!悪魔!」
「それでは始めますよ。対象は僕ですからね」
「スルーしないで⁉︎」
ーーー数時間後。
「……で、できた」
「お疲れ様です。ほら、やっぱりできたじゃないですか」
それもこれも、失敗するたびに影縫いで拘束して、その場合どうするかをみっちり体に叩き込まれたから。体が動かないというのは恐怖でしかない。しかも相手が緒川さんだからなおさら恐い。せっかく影縫いを習得できても素直に喜べないのが現状だった。
「それでは、習得祝いとしてこの短刀を進呈しますね」
「え?そんな受け取れませんよ!」
「受け取ってください。この短刀自体に銘はありませんが、業物の一つなので切れ味は保証しますよ。これを使って鍛えれば斬鉄も夢ではありません」
「いや、目指しませんからね?……ありがたく受け取らせて頂きます」
「これからも一緒に頑張っていきましょうね」
「は、はは。お手柔らかに……」
修行は辛かったが、認めてもらえたことがちょっぴり嬉しかったりする。絶対に言わないけど。
後日、影縫いを習得したこと知った風鳴さんがやってきて、『いったいどんな修行をすればそんなにも早く習得できる⁉︎』と聞かれたので、修行内容を伝えた。途端に同情の目を向けられ、労ってくれた。おかしいな、目から汗が止まらないや……。
・命名
「痛てて、まだ脇腹が痛いよ」
「大丈夫ですか?」
響さんをモニタールームへ運んだ後、小日向さんと調が笑顔を浮かべて佇んでいた。あまりの気迫に僕は自然と正座をしていた。何故か二人から説教を食らい、調に脇腹を思い切り抓られた。解せぬ。
「その
「いえ、違います。
「え、僕なんかがつけていいのかな?」
「はい!これから一緒に戦う訳ですから、千佳さんが適任です」
名前。名前、かぁ。つけてと言われてもなかなか良い案がない。何か身近なものに関連付けようと思った時、ふと思いついた。
「……フューゲル、っていうのはどうかな?」
「聞いたことない言葉ですね?」
「造語なんだけど、
「明日を掴むための翼、ですか……。すごく良いと思います。きっと、この子も喜んでます」
臆病で、弱い僕が明日を踏み出すために。そんな願いも込められた名前。願わくば、僕が一歩踏み出すための翼になってくれることを祈っている。
「調整も終わったので、これから残りの機能説明をしますね」
「分かったよ、エルフナインちゃん」
影縫いの件は本当に申し訳ない。急すぎるけど、どうしても使わせたくてやってしまった。名前についても作者の妄想が入ってるんであまり突っ込まないでください。普通に恥ずかしいので……