近衛隊長が城を離れて四日が経った頃、慶次は第一王子に呼ばれていた。女官の案内でとある部屋にたどり着くと、そこには赤いドレスと数名の女官がいる。
そして部屋の中央に椅子を置き第一王子が座っていた。
「えっと、何の用ですか」
立ち並ぶ女官に圧倒されながら問いかけた慶次の目の前で第一王子が笑みをこぼす。
「青いドレスを着た君の姿も良かったけど、赤いドレスも似合うと思ってね」
椅子に腰かけ足を組んだ姿勢の第一王子はそう言うなり手をすっと動かした。すると意を察したらしい女官たちが慣れた動きで慶次を取り囲み服を脱がせ始める。
突然の状況についていけず混乱していた慶次はあれよあれよと脱がされてしまった。あげく今までにないほどレースの多い赤色のドレスを着せられる。
腰に大きなリボンのついたドレスは丈が極端に短かった。波打つスカート部分の前は丈がひざ上までしかない。けれど後ろは足首に届くほどの長さがある。それはどことなく軍の要職がまとっている軍服のようで格好いい。
「……じゃなくて! 俺は別に女装好きとかじゃなくて!」
頭に大きな赤色のリボンをつけられた慶次は気恥ずかしさのため声をあげた。しかし女官はお似合いですよと微笑ましげな顔を向けてくる。
「こんな肩だって出てるしなんかひらひらだし俺なんかじゃなくてもっと可愛い人が」
「そのドレスは慶次のために4日かけて僕が仕立てさせた逸品だ。まさかそれを気に入らないなんて言わないよね?」
「いっ、言いません!」
不意に第一王子の黄緑色の瞳が見開かれ慶次はもうこのドレスを脱ぐことも否定することもできなかった。
赤いドレスの裾をなびかせた慶次は真琴を探すべく庭園へ走った。赤と白のブーツは少し走りにくいが転ぶほどではない。むしろガラスの靴ほどの走りにくさはなかった。
階段を駆け降りて庭園に入ると愛する夫を探す。この庭園は地上ではなく城の二階部分に作られた空中庭園のようなものらしい。
大きな城の構造は、慶次もまだすべてを把握できているわけではない。けれど真琴と語らった思い出のあるここは慶次の最も好きな場所だった。
淡い赤色のバラが咲き乱れる庭園を進んで行くと一階の中庭を望むことができる。てすりに手を置いた慶次はそこから中庭を見下ろして夫の姿を探した。
するとそんな慶次の真横に白いマントに身を包んだ何かが舞い降りる。
「趣味の悪い赤色を着込んどるってことは、あんたやな」
どこからか舞い降りたその人物はてすりに立ったまま声をかけてきた。それに驚き見上げた慶次は目をしばたかせる。
「鏡が言っとった、この国で誰よりも愛されとるっちゅーヤツは」
「誰よりも愛された……?」
何の話なのかと問いかけようとした慶次の目の前でその人物はフードを脱ぐ。すると清楚で柔らかな白銀の髪がふわりと揺れた。その瞳は片目ずつ金と淡い青色を宿した不思議な色合いで慶次の目を離さない。
「あなたは、誰ですか」
「北の魔女と言えばわかるやろ」
それは数日前に第一王子から注意の体で説明された存在だった。北の国境を越えたその先には魔法使いが住んでいると。第一王子はその魔女に気をつけるよう言っていたが、本物を前にした慶次は目を輝かせた。
「やっぱりいたんだ! 魔法使い!」
「は?」
「すっげー! やっぱり正しい心を持った人間の前には現れるんだな!」
「あんた何言うてるの。賢いあんたなら俺のこと前から知っとったやろ。むしろなんでそんな嬉しそうなん?」
「だって魔法使いだから!」
すごいすごいと騒ぐ慶次の目の前で魔女を名乗った人物は困惑した顔を見せる。けれどそんな慶次の声を聞き付けてか兵士たちが庭園にやって来た。
その時に現れたのは近衛隊長から代理を任された副隊長だった。近衛隊長とよく似た身丈の副隊長は慶次の前に駆け込み魔女との間に割り込む。そうして慶次を隠した上で、一緒に現れた真琴が慶次の手をつかみ引き寄せた。
突然の物々しい空気に魔女はそれでこそと微笑んだ。魔女とはこの世に忌み嫌われ疎まれる存在である。そのため先ほどのように喜ばれる反応はまずありえない。
「あんたのことも鏡で見たわ。近衛隊長さん」
口許を緩めて微笑む魔女は黒い軍服と同色の帽子を見やった。淡い茶系の髪の軍人はそんな魔女に怪訝な顔を見せる。
「その鏡は、この城に災いをもたらせと言っていたんですか」
「そないことは言うてないなぁ」
兵士たちの警戒した視線を受けながら魔女は長い髪の毛先を指で絡めた。
「鏡は過去も未来もだいたいの事は見せてくれるけどな。それだけや。人間たちに災いが襲いかかろうとどうなろうと俺には関係無いやん。だからいつもならほっとくんやけど」
そう言い放った魔女は男たちに守られた赤いドレスの持ち主に目を向けた。
「この国で一番愛されたあんたが、災いを前にして泣く様を見るのも楽しいからな」
「そんなこと言って、ホントは助けに来てくれたんだろ。魔法使いは正しい心と優しさを持ってるから」
万遍の笑みで残酷な言葉を向けた魔女だったが慶次には効かなかった。魔法使いは人々を救うものだと思い込んでいる慶次は今も嬉しそうな笑顔を見せている。
そんな慶次の態度は、魔女にとって初めて目にするものだった。それだけに攻撃しようという気がそれてしまう。
「ほんまに……あんたは頭の緩い子やね」
他の者のように警戒と敵意の目で見てくれれば良いのに。そうつぶやいた魔女は嘆息を漏らすと周囲を一瞥した。そして改めて慶次を守るため前に立ちはだかっている兵士に視線を定める。
「近衛隊長さん、あんた数日のうちに眠りの森の呪いを受けるわ」
魔女が告げた予知に兵士たちがざわめく。そして魔女自身が目を向けているその先にいる若者も驚いたように目を丸めていた。
「魔女の言葉を信じるかどうかは、あんた次第やけどな」
そんな若者に冷笑を浮かべて言い放つ。すると若者はかぶっていた帽子を脱いでわずかに頭を下げた。
「助言ありがとうございます、まこ……じゃなくて王子殿下」
若者は礼儀もそのままに真面目な目を慶次とともにいる王子へ向ける。
「隊長の捜索をご命じください」
「わかった。だが長政は近衛隊長から代わりを頼まれているんだろう。だとしたら緊急時の事を考えて兄上のもとにいたほうがいい」
彼らの会話を聞いた魔女は自分の認識を改めた。目の前の人物を近衛隊長だと思い込んでいたが、それは違ったらしい。
近衛副隊長と真琴は真面目な顔で話し合いながら庭園を離れる。それとともに兵士たちも危険はないと察してか庭園からいなくなってしまった。
そんな様を眺めた魔女はため息を吐き出す。この世から忌み嫌われた存在である魔女を放置するとは、なんとものんきな兵だと思えたのだ。
「なぁ、魔法使いは兄ちゃんの居場所とかわからないかな?」
兵士たちが立ち去っても動かなかった慶次は大きな瞳で魔女を見上げ問いかける。そんな慶次を見下ろした魔女は知らんとだけ返した。
「俺は魔法使いやなくて、魔女やからな。人に疎まれ嫌われる役目や。人を呪うことはしても、助けることはせぇへん」
「そんなことない。魔女でも魔法使いでもあなたはいい人だ。兄ちゃんがピンチだって教えてくれたのが証拠だろ」
まっすぐな目に見つめられた魔女は長いまつげを伏せるように目を細めた。
「あんたにはあんたを助ける王子がおる。たくさんの人に愛されて幸せに包まれて、ほんま羨ましいわ」
「魔法使いだってたくさんの人に慕われてるだろ。俺だって小さい頃からずっと魔法使いがいるって信じてた」
「けどそれは俺やない。俺は雪深い北の国で生まれたただの白雪や。何の色もない真っ白な嫌われ者やから、そんな名前で言われとった」
「そんなこと言ったら俺だって灰かぶりな時があったからな!」
白くて寒い土地で独りぼっちな己を笑う魔女に慶次は強い口調で言い放った。
「真琴と知り合った時は灰かぶりで汚かったし川に落ちてたからな! だけど真琴はそんな俺でも好きだって言ってくれたんだ。だから魔法使いさん……じゃなくて白雪さんもいつかそういう人が現れるよ絶対!」
自信満々と言い放つ慶次はぐっと拳を固めている。その姫らしからぬ姿に魔女は呆れと脱力感を覚えていた。
この手の人間に否定的な言葉を向けても意味はないのだろう。不幸を知らず恵まれて育った人間というのは、それ自体を知らないものだ。孤独がどんなにも恐ろしくつらいものなのかなど想像もできない。だから常に明るくポジティブな言葉を並べ立てる。
「俺はもう帰るわ。あんたは頑張らんでも、王子様たちがなんとかしてくれるやろ」
「何とかしてくれるかもしれないけど、助けてもらってばかりは慣れてないんだ。だから俺も何かしたいと思うけど、魔法使いさんはホントに兄ちゃんの居場所知らない?」
立ち去ろうとした魔女へ再び問いかけが向けられる。そのため魔女は嘆息を漏らしながら空を見上げた。北から吹き付ける冷たい風が庭園に流れ魔女の髪を揺らす。
「……魔女を頼ろうなんて、ほんまアホやな」
子供の頃から疎まれ続けてきた魔女には、もう慶次のような考えは理解できない。魔女の力を利用しようとしているとしても、そもそも信じようとする姿勢がありえないのだ。
けれどそんな慶次の態度を、魔女は疎ましく思えなかった。
白く繊弱な手を差し述べると弱い風が渦巻いて青いリンゴが現れる。リンゴを手にした魔女はてすりに立ったまま背を屈めて慶次にそれを差し出した。
「このリンゴを食べたら、手を貸してやらんでもないわ」
「ホントか!?」
その言葉に笑顔を輝かせた慶次はためらう事なく魔女に近づこうとする。けれど慶次が手を出す前に、飛んできた短刀がリンゴに刺さり魔女の手から落とした。
てすりの外へ落ちるリンゴを眺めた魔女はその目を横手へ向ける。すると短刀を手にした王子が立っていた。緋色の髪を風に揺らした王子は気丈な黄緑の瞳で魔女を凝視する。
「毒リンゴを食べさせて慶次を殺すつもりかい」
「わかった。鏡が言っとったのはあんたや」
赤い髪と同色の衣装をまとった第一王子は不遜な顔で魔女を眺めている。そして魔女はそんな王子に冷笑を向けた。
「この国で最も愛された人間。あんたは近いうちに最も大切な存在を失うから覚悟しといたほうがええよ」
「くだらないね。僕には最も大切な存在なんていないし、いないものは失わない。それに君の戯れ言なんて信じないよ」
魔女の言葉を一蹴した第一王子は慶次のもとへ近づいた。すると慶次は第一王子にそれは違うと意見する。
「あの、魔法使いは兄ちゃんがピンチだって教えに来てくれたんです。そんないい人だから、信じたほうがいいです」
「近衛隊長が? この僕の許可なく城下で羽目をはずしているだろう彼がどんな理由で危険に陥るのかな。だらしない彼の事だから、女性問題でも起こしそうではあるけどね」
「違うんです。眠りの森の呪いとかいうのです」
一度は嘲笑った王子だが慶次の言葉に愁眉を歪ませた。そしてそのままの目で魔女を見る。
「まさか君が呪いをかける、なんてことはしないよね」
「なんでそんな面倒なことせなあかんの。まぁけど、そうやね。そっちの姫さんが泣くのは見たないけど、あんたの泣きっ面は見てみたいわ」
そう笑った魔女は軽い足取りで手すりの上を歩き出した。
「どうあがこうと未来は変わらへんからな。せいぜいあがいて最後に泣けばええわ」
呪いのような言葉を吐き出した魔女はてすりから飛び降りる。突然の事に驚いた慶次がてすりに駆けより周囲を眺めるがどこにも魔女の姿はなかった。そのためどこに消えたのかと思いながら振り向く。
するとそこには殺意に目を見開いた第一王子がいた。