城に連れてこられて以降、魔女は部屋に引きこもっていた。世話役の近衛副隊長以外の誰とも言葉を交わそうとせず王子たちが呼んでも部屋からでない。
そのため心配した慶次が部屋を訪れると魔女は本を読んでいた。椅子に腰かけて真剣に読書する魔女のそばには近衛副隊長がついている。
そんなふたりを目にした慶次は笑顔で魔女に近づく。
「おはよう、白雪。何を読んでるんだ?」
「なんやろ…周辺諸国の歴史と地政学みたいなもんやろか。堅物な書記官が持ってきてくれたんやけど難しゅうてな」
「堅物な書記官?」
必死に本を読む魔女の言葉に慶次は首をかしげる。すると長政が兄上殿ですと教えてくれた。
「兄……みっちゃん?」
「はい。いろいろと助けていただいています」
「でもみっちゃんは白雪のこと……」
先日の兄は白雪の立場や境遇を知った上で助けられないと言い放っていた。そんな冷たい兄が平然と本を貸してくれるのは違和感がある。
そんな慶次の疑念を知ってか知らずか長政は嬉しそうな顔を見せた。
「書記官様は優しい方なので、秀吉さんの為に本を探してきてくださったんですよ」
「みっちゃん優しいのか……って秀吉さん? 白雪じゃなくて?」
「白雪というのは通称ですね。雪のように清廉なのでそう呼ばれているとかなんとか」
そう教えてもらいましたと長政は笑顔で言う。その素直な態度を前にしては、慶次もいつまでも兄への疑念を抱いていられなかった。
「そっか。秀吉っていう名前なんだな。俺知らなくて白雪って呼んでたけど」
「呼び方なんて何でもええよ」
疑念をかき消すように話題を変えた慶次に魔女はあっさりと返す。
「俺は魔女で人やないし、人だった時の名前なんてどうでもええから」
「魔女じゃなくて魔法使いだろ。それで、俺たちを助けてくれるすっげーいいヤツ!!」
自分を卑下したがる魔女に慶次は力いっぱい語った。すると本を読んでいた魔女はすねたような顔を向けてくる。
「助けてくれたのはあんたらのほうやろ。特に長政君は過保護で世話好きで甘やかしぃで…こんな大事にされたのはじめてや」
すねた様子で口をとがらせる魔女だが、嫌そうな雰囲気はなかった。そして長政もそんな魔女の発言に嬉しそうな顔を見せている。
王国の王子でいながら大臣に裏切られて追われる身となった。そんな魔女は己を嫌い、自分は人々に忌み嫌われていると思い込んでいる。そんな魔女に、若く素直で温厚な近衛副隊長は相性が良いのだろう。
「長政は真琴が信頼する一番の親友で幼馴染みだって聞いてる。だから俺も長政のこと信頼してるし、秀吉の事も守ってくれるって思ってるよ。だって長政は十五なのに副隊長に選ばれてるからな。兄ちゃんに認められたすごいヤツってことだし」
「そんな、僕はまだまだですよ。隊長の足元にも及びません。でもできる限りの事はしますし、いつか秀吉さんの笑顔が見られたらなって思います」
きっととてもきれいだからと、長政は照れたように笑いながら言う。しかしそれ以上に言われた魔女のほうが照れのため顔を真っ赤にさせていた。
「長政君のそういうのがあかんわ!」
「でも秀吉さんは顔立ちがきれいなので、笑うともっと良いと思うんですけど」
「恥ずかしいて言うとるの!」
「あ、はい。すみません」
白い肌を真っ赤に染め上げた魔女の指摘に長政は慌てて謝罪する。そしてまた失敗しましたと、苦笑いで慶次に報告してくれた。そんなところはどう背伸びをしてもまだ成人したばかりの若者なのだろう。
そう考えながら十七歳の慶次は二歳年下の長政を兄のような目で眺めていた。真琴もそうだが、十五のふたりはとにかく言葉がまっすぐなのだ。
城に滞在して数日が経った頃、夜中に妙な気配を感じた秀吉は部屋の外に出た。冷ややかな気配をたどるように暗い城内を歩き、やがて庭園へたどり着く。はじめてこの城に来た時もこの庭園に降りたと思い出しながら暗い庭園を進んだ。
空には半月が浮かび庭園を照らしている。その下を歩き進んだ秀吉はその先で黒い軍服の兵士を見つけた。
「長政君やないの」
それが親しい相手だと知ったとたんに秀吉は気配の事も忘れて近づいた。肩からずれたストールを整えながらも長政のそばに立つ。すると月を見上げていた長政がゆっくりと秀吉に目を向けてきた。
「月って丸くなったり細くなったりしますよね」
「そやね。月の満ち欠けは星の巡りに関係しとるらしいなぁ」
どうやら月の観察をしていたらしい。そんな長政ののんきさにほだされた秀吉は笑みをこぼすと寄り添うように立った。
「長政君は星とか月とか好きなん?」
「はい。と言っても仕事中はあまり見てられないんですけど。それに隊長はああいうの興味ないんですよ。誰よりも優しい人だから、いつも周囲の人を見てるんです。この国や国の人々を守るためにいつも一生懸命で……本当に凄い人です」
「長政君は星とかより、その隊長さんが好きみたいやね」
ロマンチックな雰囲気は長く保つこともなく、秀吉はつまらない思いで少し離れる。けれど長政はそんな秀吉の気持ちに気づく様子もなく笑顔を見せていた。
「はい、僕を育ててくれた大切な人ですから」
「ん? 育ててくれたん?」
「僕は小さい頃、城の前に捨てられてたんです。本当ならそのまま街で生きていくのでしょうけど、隊長が拾ってくれて」
「その年で副隊長になるんはえらいことやってあの子が言うとったな。けどそれもこれもその隊長さんのおかげなんやね」
親であり上官でもある近衛隊長を、長政は誰よりも慕っている。その素直な気持ちを聞いた秀吉は近衛隊長を助けたいと思い始めた。あの第一王子の泣き顔を見られないのは惜しいが長政の為なら尽くしてやりたい。そう考えた秀吉は不思議と胸が暖かくなるような気がした。
「けど今夜は風が冷たいから、あんま外におったらあかんよ。長政君が病気になってもうたらその隊長さんも心配するやろ」
ポカポカと暖かな胸に手を当てた秀吉は城へ戻るべく踵を返す。そんな秀吉の背後で長政がそういえばと声をかけてきた。
「秀吉さん」
名前を呼ばれて振り返った秀吉は長政の手にあるリンゴに気づく。
「このリンゴ、食べてくれますか?」
笑顔の長政はおそらく赤色だろうリンゴを差し出してきた。そのリンゴを見つめていた秀吉は首をかしげながらも手を差し伸べてリンゴを受けとる。
「ありがとな。けど俺、赤いリンゴは苦手やねん」
赤いリンゴは苦手だが長政のくれるものなら食べられる気がする。そう思っていても言えない秀吉は笑顔で長政に礼を向けた。
すると不意に長政の顔から笑みが消えて真面目な表情になる。
「もしそのリンゴが青リンゴで毒が塗られていたなら、あなたは食べられますか?」
長政から向けられた問いかけに秀吉は表情だけでなく頭の中まで硬直した。目を見開いたまま微動だにしない秀吉を見つめていた長政はやがてその目をそらす。
「あなたがお妃様に青リンゴを渡して問いかけたのは、これですよね」
「それは……」
「そんなことをしなくても皆さんあなたのことを信じてくれますよ。あなたが希望と正しい心を持って接してくだされば、皆さんそれに返してくれます。あなたはあなたの力で孤独から抜け出ることができるんです」
今までと態度が違うのは真剣な話をしているためだろう。そしてそこまでして話してくれる長政のことを秀吉は心から愛しく思えた。
「長政君はほんまに優しい子やね」
「これでも怖い男なんですよ。あの近衛隊長の部下ですからね」
好きだという思いをこめても鈍感な子供には通じなかったらしい。幼さの残る顔をきりりと引き締めて言う長政に秀吉は自然と笑ってしまう。
「そうやったな。えっらい近衛隊長さんに信頼されたえらい副隊長さんやもんな」
「そうですよ。いくら秀吉さんでも、僕を侮ったら大変ですからね」
こういうところはまだまだ子供じみていて可愛らしいからいけない。そう思いながら秀吉は城へ戻ろうと告げた。そんな秀吉の手にはリンゴが大切そうに抱えられている。