東へ伸びた街道はそのまま国境を越えて大陸東端の国へ入る。そこからさらに進めば東の国の王都とその先に広がる海へ出ることができた。貿易商と呼ばれる者たちはそこから海を越えて世界を渡るのだという。
軍服を脱いだ近衛隊長は約三日をかけて自国の国境へやってきていた。国境の手前には小さな街と近くに砦もある。砦には国境警備の部隊がいるが、彼らが異国の軍と衝突したという報告はまだない。
森の中を横断する街道を進んでおおよその国境を越える。馬を進ませる近衛隊長のそばでは貿易商らしい一団が馬車を引き進んでいた。その一団に半ば紛れながら進んでいくと前方から旅人がふたり歩いてくる。
二人組の旅人は馬車の一団に道を譲りつつそばをすれちがった。
一団の最後尾にいた近衛隊長はそんな二人組に目を向ける。すると不意に二人組のうちのひとりと視線が交わった。
けれどすぐに視線ははずされ近衛隊長も二人組とすれちがう。しかしそこで森の中から武装した集団が現れた。見覚えのある軍服に身を包んだ集団は商人を狙うのではなく二人組に切っ先を向ける。
「これは困ったなぁ。我々が国境を抜けることまで知られていたとは」
「のんきに笑ってないでさがれ」
二人組は言葉を交わしながらそれぞれ動く。色白で細身な男はもうひとりの指示を受け笑いながら駆け出した。しかし軍服の集団は逃げた男ではなくもうひとりだけを狙っている。
その様子を目にした近衛隊長は馬から降りていた。馬の尻をたたき走らせると、剣を抜きながら男の元へ駆け寄る。
男に背を向け集団に剣を向ければ相手は戸惑うでもなく襲いかかってきた。近衛隊長は応戦すると同時にそのおかしさを再認識して口を緩める。
茂みから出てきた瞬間から近衛隊長はその集団に疑念を抱いていた。旅人を襲うという行動ではなく、見慣れたその軍服に引っ掛かっていたのだ。
近衛連隊の衣装によく似た軍服をまとった輩たちは統率のとれた集団だった。一対一で勝てないと見るや複数で襲いかかってくる。しかし近衛隊長はそんな相手の隙をついて腕や肩を斬りかかっていた。
だがそんな近衛隊長の背後に声を上げた敵が飛び込んでくる。けれどその切っ先は近衛隊長へ届くことはなかった。
振り向いた近衛隊長の目の前で、敵は長い棍棒によって殴り飛ばされる。近衛隊長は棒の持ち主を一瞥したがすぐに敵へ意識を戻した。
半数ほど倒したところで敵は仲間を連れて逃げるように森の中へ消えていく。そうして危険が去ると近衛隊長は剣を収めて吐息を漏らした。
「助かった」
そこで棒の持ち主に声をかけられ目を向ける。
「しかし今のは西の国の軍人だろう。歯向かうようなことをしていいのか」
「あれが正規の軍だとしたら、あんたは軍に狙われるような人間なのか?」
近衛隊長は腰に手を当てると、棒の持ち主に向かって言い放つ。すると相手は口を閉ざした上で顔を背けてしまった。
そんな男を眺めていた近衛隊長は目を背けると東の方角へ顔を向ける。
「今のはどう見たって偽物だろ。訓練は受けてるらしいけどな」
軍人のふりをした盗賊と思うには統率が取れ過ぎている。しかし軍人だと思うにはあまりにも戦い方がお粗末すぎた。それに何より、近衛連隊の軍服をまとう者がこんな国境にいるはずがない。
そう考えてみたが、それは告げずに緋色に染まる空を見上げた。
「とりあえず今日は戻ったほうがいいぞ。また連中が現れるかもしれねぇし、日が沈んでから進むのは危険だから」
「……そうだな」
これ以上は進まないほうが良い。そう意見する前から、相手は意気消沈した様子を見せている。やはり偽物とは言え軍人に襲われれば恐怖を抱くのだろう。そう思うと近衛隊長は小さな罪悪感を手にした。
衣装はよく似ていたがあれは近衛連隊ではない。そう確信していても、あの姿をした集団が人を襲うというのは気分のいいものではない。
「あー……あれだ。おまえの旅が急ぎじゃねぇならちょっと教えてほしいんだけどさ。この先の街に戻ってからで良いんだけどよ」
「なんだ」
もしこの罪悪感がなければ男とはそのまま別れていただろう。そう思いながら、近衛隊長は男に話しかけつつ歩き出した。商人の一団は既に遠くまで進んでいて、男の仲間もおそらく彼らと一緒だ。そのためどうしたところで男は街道を戻る必要がある。
「海の水がしょっぱいってマジな話か?」
歩き出した近衛隊長の視線の先で、質問を受けた男は一瞬きょとんとした顔を見せる。しかしすぐに笑みをこぼすとうなずいて返した。
魚住という男は海で育ったらしい。そのため船を操る術も天候の読みかたも把握している。しかし今は船乗りではなく別の仕事をしているのだとか。
「なんで船乗りをやめたんだ?」
「親戚の仕事を手伝うことになったからな」
「へぇ、その親戚は海の男じゃないのか」
「どちらかと言えば陸の男だ」
言葉を交わしてみればこの魚住という男はとても話が合う相手だった。空気感が似ているのか、相手がこちらに合わせているのかはわからない。ただ少なくとも城にいる誰よりも話しやすい相手だと思える。
「けど海でも陸でもさ、自分の好きな仕事をするのが一番だよな」
「そっちは……」
言い放った近衛隊長に魚住は腰の剣を見ながら問いかける。
「好きな仕事に就いているのか?」
「さぁな」
話は合うし会話は楽しい。だがわずかではあるが、何かを警戒しているような雰囲気を持っている。それはこちらが世間で敵国と言われる側の人間だからか。そう考えながら近衛隊長は剣の柄に手を乗せた。
そこで前方に先程の連れを見つけて近衛隊長は足を止める。同じくその人物に気付いた魚住は足を速めて連れの元へ近付いた。ふたりが何やら言葉を交わす間に、近衛隊長は自分の手元に目を落とす。
最初は死を望んで始めた仕事だが、何の因果か剣の才能があったらしい。けれど王子を守る役目に就くというのは本当に皮肉な話だと思えた。
かつての王位継承者が今の王位継承者に臣下としてひざまづいているのだ。もし人並みに野心やプライドのある男ならこんなことは耐えられないだろう。
「いやはや、魚住さんを助けてもらったそうで」
プライドの所在について考えていた近衛隊長は声をかけられ視線を持ち上げた。すると魚住の連れが穏やかそうな笑顔でやってくる。
「礼の代わりと言ってはなんだが、今夜の宿代くらいは出させてもらえないだろうか」
「礼なんていらねぇよ。それにそんな事して良いのか? おまえら東の国のヤツだろ。敵国同士じゃねぇか」
魚住はこちらを警戒しているが、連れはそうでもないらしい。そのあたりは性格の違いだろうかと思いながら近衛隊長は腕を組んだ。すると魚住の連れは楽しげに笑う。
「はっはっは、我々は国に属した人間ではないから関係ないよ。まぁ君があちらの国で軍か何かに所属していて困るというならこちらは遠慮するが」
「俺はそういうんじゃねぇよ。ただ魚住が……あー……なんだ。気にしてるっつーか」
「ん? 魚住さんがか?」
近衛隊長の発言に連れの男は目を丸めながら魚住に振り向いた。しかし何も問いかけることもせず気のせいだろうと言い放つ。
「まぁ、気がかりなことがあるとするなら君の腰にある剣くらいではないかな。魚住さんは血が苦手で、そういう武器も駄目なんだ」
「ああ、そういうことか」
血を見ることもできないから刃物も苦手というのは近衛隊長も覚えがあることだった。なにせすぐ下の弟が血を見ることもできない人間なのだ。そのため近衛隊長に用があったとしても、軍の施設には近付かない。
「俺の剣をチラチラ見てたから、敵国の人間だから気にしてるんだと思ったわ。けどそういう理由なら仕方ねぇよな」
敵だと認識されていたと思ったが、それは杞憂だったらしい。そう認識した近衛隊長は我知らず安堵の表情を見せていた。
そんな近衛隊長の様子を前にした連れの男はわずかに目を大きくさせる。しかしすぐに目を細め微笑むと誤解は解けたなとつぶやいた。その上で白い手を差し出す。
「ところで君の名前を聞いても良いかな。どうやら魚住さんはそこを聞き忘れているようなのだが」
「ああ、俺は光秀って言うんだ」
連れの男に問われるまま答えた近衛隊長は、その目を魚住に向ける。
「海を見たくて東を目指してるんだよ」