王都で馬を買い走らせた光秀は二日で国境付近まで戻っていた。そんな光秀のそばには東の国の国王である魚住もいる。
ただこの男は元は海で生まれて五年前まで船で生活していたらしい。王族の遠縁だが両親の海好きが高じてそんな人生を歩むことになったのだとか。そんな男は五年前に前王に呼ばれて陸へ上がった。
だが遠縁ということもあり、魚住もその周囲も玉座は念頭になかった。そのため魚住は帝王学も何も学ばずに育ち、今も王らしいことはできていないと言う。
「西の国には先王の孫がいるという。祖父である王の葬儀にも来られなかった方だが、俺よりは王にふさわしいと考えている」
国境近くまで来て馬の歩みを緩めた光秀のそばで魚住がそんな話をする。そのため光秀はそんな魚住を鼻で笑った。
「ふさわしいって意味がわかんねぇわ。王に一番必要なのは周りにいる優秀な人間に慕われることと人を見る目だろ。頭の良さだの何だのは側近に任せてもなんとかなるからな」
「だが俺は……」
「おまえの欠点はその自己評価の低さだな」
さらに自分を卑下しようとした魚住を遮るようにして光秀が笑う。
「おまえが良い国王だってのはあの街を見ればわかるだろ」
「それこそ側近の努力の賜物だ」
「優秀な側近に慕われ認められるってのは、わりと難しいモンだぞ」
だからふさわしいのだと言い放った光秀は手綱を引いて完全に馬の足を止めた。さらに魚住の乗る馬の手綱も引いて止めさせる。
そうして進みを止めた光秀に魚住はどうかしたのかと問いかけた。
「国境はまだ先だろう」
国境手前の街を出てまだそれほどたっていない。馬の足であってもまだ国境には届いていないはずだ。そう考える魚住の目の前で光秀がわずかに首を振る。
「おまえはこのまま引き返せ」
問いかける魚住に振り向くでもなく、光秀は前方を凝視したまま静かに告げる。さらに手綱を引いて魚住の馬首の向きを変えてしまう。
「おまえひとりをおいて行けない」
「なぁ、魚住。俺とおまえじゃ人間としての価値が違うんだよ。何もない俺と違っておまえはたくさんの人間に必要とされてる。わかるだろ」
「わかるわけがない。俺は…」
「わかれよ」
気持ちを吐露しようとした魚住は、光秀が振り向いたことで絶句する。鋭い眼光を受けた魚住は自分の気持ちを告げることもできず口を閉ざす。
「テメェはここから引き返して東の軍に守られろ」
しかし光秀から指示を向けられた瞬間、魚住は私憤を爆発させていた。
「一緒に守られればいいじゃねぇか! 俺もお前も価値は一緒だろうが」
「はっ、一緒なわけねぇだろ。ばーか」
まっすぐに怒りを向けても光秀はそれを笑うだけで届かない。あげく光秀は魚住に二本の手綱を握らせると馬から降りてしまった。
そしてあの国境での襲撃以降抜くことのなかった剣を引き抜く。
「俺は守られる側じゃねぇ。守る側の人間なんだよ」
そう言い放った光秀は片手にしていた剣の鞘で馬の尻を思いきり叩く。とたんに馬はいななき魚住を乗せたまま走り出した。
馬は賢い生き物で指示をしない限り道に沿って進んでくれる。そして馬に慣れていない魚住はここまでの道中で馬の操作をして来なかった。馬の乗り方も座り方も何もかもを光秀が教えてくれている。
そして魚住は手綱をつかんでいるだけで、停止などの操作は光秀が行っていた。そのため走り出した馬を止めることがどれだけ難しいかを魚住は改めて知らされる。
疾走する馬をなだめその足を止めさせると前方から騎馬の一団がやってきた。その先頭を進んでいた騎馬が魚住を見つけるなり足を速めて駆け寄る。
「やあ、魚住さん。いつ馬術を学んだかは聞かないが、速い歩みだったな」
馬にまたがりやってきたのはにこやかに微笑む灰原透だった。
「透、今すぐ軍を率いて国境へ向かうぞ。光秀が単独で応戦している」
「……うむ、ではやはり相手は西の軍ではないのだな」
魚住の提案に透は笑顔のまま何やら思案する。
「怜ちゃん! 前方に敵軍がいるようだ。軍の指揮を頼む」
「了解しました!」
透は珍しく声を張って指示を出す。たちまちに兵士たちの騎馬が進み出したため、魚住は手綱を引っ張りその後を追おうとする。しかし馬は言うことを聞かず、首を曲げることもしてくれない。
その様子を眺めていた透は魚住の馬の手綱をつかむ。
「魚住さん、そのやり方では馬は動かんよ。しかし馬に乗れぬ者をここまで連れてこられるとは、さすが噂に名高い近衛隊長殿だ」
手綱を少し引いただけで馬首の向きを変えた透が感心そうに言う。しかし意味のわからない魚住は怪訝な顔で透を見た。
「何の話だ」
素直に問いかけた魚住の前で、透は微苦笑を漏らす。
「そうか、語ってもらえるほどの進展はなかったか。だがここで俺が語るより、本人の口から聞いた方が魚住さんのためになるだろう。敵の軍勢へ単身で向かう愚行を選んだ彼の本音などもな」
そう告げた透は魚住の乗る馬の尻を叩いて進ませた。
多勢を相手に戦うのであれぱ見晴らしの悪い場所のほうが良い。特に茂みなどがあればその音で接近を認識できる。それは軍では学べない戦法のひとつだった。
時に森の木々を盾にしながら十人を越える兵士を切り捨てたところで光秀は舌打ちする。こんなにも早く息があがるのは長旅による疲労のためだろう。
そう考えながらも光秀は反射的に地面を転がった。すると光秀が立っていた場所を矢が走る。
それを目にするでもなく光秀は起き上がるとそのまま走り出した。敵に斬りつけながら木々の隙間を走っていく。すると遠くで歓声のようなものが響き剣の当たる音が聞こえ出した。
木々の隙間から見える藍色の旗を見た光秀は敵を斬り倒しながら笑みをこぼす。どうやら東の軍から騎馬隊が届いたらしい。
「……予想以上の機動力じゃねぇか」
魚住を連れていたとは言え、こんなにも早く追い付かれるとは思わなかった。そう思うまま笑いをこぼした光秀の身体が疲労のためふらつく。
「まぁけどこれであいつの無事は…」
確保されたはずだとつぶやいたその声が突然の轟音にかき消された。爆発音にも似たその音とともに木々がなぎ倒される。それを遠目にした光秀は我知らず奥歯を噛み締めた。
「今の、魔法か? まさかあいつ…」
とっさに走り出そうとした光秀だが足が動かず体勢を崩して倒れ込む。そんなみ光秀のもとへ茂みを踏む音とともにひとり近づいてきた。
「光秀!」
敵の接近に対処すべく剣を握る手に力を込めたところで名前を呼ばれる。その声に驚いた光秀だが、駆け寄った相手は容赦なく光秀の腕をつかんだ。
「大丈夫か。立てるか?」
「なんでテメェがここにいるんだよ。守られろって言ったろーが」
腕を取り立ち上がらせてくれたのは他ならぬ魚住だった。血と泥に汚れている光秀はそんな魚住を突き飛ばすようにして距離を取る。
「やられっぱなしは性に合わないんだよ」
「は?」
「今度はおまえが俺に守られてもいいはずだ。俺じゃなく、俺の軍に…だが」
なぜか悔しげな顔で言葉を吐き出す魚住に光秀は一瞬呆気に取られた。周囲では今も戦いの音が響き応戦しろという声も飛んでいる。その中で今までより激しい轟音が響きわたり光秀はとっさに魚住を押し倒した。
魚住の上に覆い被さると同時に爆風が襲い、周囲の木々がしなる。やがて爆風が収まると光秀は背中に落ちた枝を落としながら立ち上がった。
「なにやってんだあいつ」
舌打ちしながらも魚住の手を取り立ち上がらせる。そんな光秀のつぶやきを聞いた魚住は知り合いなのかと問いかけた。
「あれは魔法か? だが魔法使いなんて」
「確認してくるわ」
いるはずがないと言う魚住の言葉も聞かず光秀は走り出してしまう。そしてまたしても光秀を止めることができなかった魚住は黙って後をついていく。
強大な魔法の力によって森は広範囲で破壊され木々もなぎ倒された。残っている木々も幹が折れていて爆発の勢いを物語っている。
そこへ
たどり着いた光秀は、中心地点に立っている見知らぬ男に眉を潜めた。白いマントに杖を手にしているのは不健康なほど青白い顔色の男だ。その男を凝視していた光秀はややあってその顔をしかめる。
「おまえ……北の国の王か」
北の国の王子は魔女を倒したことでその血を受けて魔女となった。その王子を城から追い立て玉座に座ったのは大臣のコジーモという男だと聞く。
けれどコジーモがこの惨状を作り上げたのであれば、話は少しずつ変わっていく。
「魔女を殺して血を浴びたのはおまえか。コジーモ」
「おまえ呼ばわりとは無礼だね。傭兵崩れが」
青白い肌の男は灰色の目を細めて笑うと光秀の後方を見やった。その視線に気づいた光秀はやってくる魚住に気づいて歯を噛み締め駆け出す。
「魚住!」
「ふふふ、東の国の王が愚かで助かったよ」
男は笑いながら杖の先に光を生み出した。その光から二本の矢が顔をのぞかせ魚住に放たれる。
魚住の元へ駆け込んだ光秀は振り向きざまに一本を剣で落とした。そしてもうひとつを自分の肩で受け止める。
その瞬間、光秀は世界が遠のくような感覚に陥った。