夕方の7時頃、ナルの田舎での生活も三日目が終わろうとしていた。今日も私はナルの部屋の布団で寝転がっている。昨日は川に行ったり、山に行ったりとナルのお兄さんとの思い出の場所を巡り、今日はナルの行きつけだった食事屋や駄菓子屋、本屋などに言ったりと、普段の生活からは考えられない遊びをした。
数日とはいえ、田舎で生活する事になるとは思ってもみなかったので、私の知らない世界が目の前に広がってるような気がして、とても新鮮な気分だった。
しかし、そんなとても楽しいはずなのに私の心臓はずっとうるさかった。ナルと二人で遊んでるだけで鼓動が早くなる。やはり、私はナルの事が好きなのだろうか。
「……………」
ダメだ、分からない。自分の気持ちなのに自分で分からない、というのも変な話だが、本当に分からないんだから仕方ない。まるで、アイドルの話を持ちかけられた時のようだ。
とにかく、考えても分からない事を考えても仕方ない。とりあえず、今はナルの実家での生活を楽しもう。なんだかんだであと2日で東京に帰るんだ。
「………にしても、ナル何してるんだろ」
すぐに部屋に来るって言ってたのに………。
気になって探しに行こうと思った時、部屋の扉が開かれた。
「凛ちゃんいる?」
「あっ、お、おばさん……」
「お義母さんで良いのよ?」
「い、いえ………」
「それと、おばさんじゃないから。まだ40代だから。家族で一番年上だけどギリギリセーフだから」
「は、はぁ………」
何を焦っているんだろう………。若い私にはまだ分からないことなのかな………。
「今日はこの後、鳴海と予定でもあるの?」
「無いですよ」
強いて言うならゲームくらい。すると、おばさんは「じゃあ」と言って浴衣を私に差し出して来た。
「はい、これ」
「へっ………?」
「近くでお祭りやるのよ。ナルと行ってきたら?ってお父さんが」
「えっ………あのおじさんが………?」
何か企んでるんじゃ………。
「ああ、大丈夫よ。お父さん、ああ見えて精神年齢低い割りに教育者だから。あ、でもあの人をお義父さんなんて呼ぶ必要ないからね?私の事だけお義母さんと呼んでちょうだい」
………家族仲が良いのか悪いのか分からないんだけど。
「ナルにはお父さんから話してあるから。じゃ、着替えちゃってね」
「あ、でも………私、浴衣の着方なんて………」
お祭りは行ったことあるけど、浴衣を着たことなんてない。ていうか、うちに浴衣なんてあるのかな?
「じゃあ、私が手伝ってあげる」
「すみません、わざわざ………」
「良いのよ。………息子の彼女のためだもの」
「っ、ま、まだ、彼女じゃないですし………」
「まだ、ね?」
「っ………!」
とてもナルのお母さんとは思えないくらい、上手くカマをかけて来る。絶対、ナルはお父さん似だ。
私が服を脱ぐと、おばさんは浴衣を私に着せ始めた。
「あら、肌綺麗ね。何か特別な事でもしてるの?」
「い、いえ………。特には何も………」
「何もしてなくてこれなの?羨ましい限りだわ。………私ももっと若ければ」
自分で自分の地雷を踏み抜くのはお願いだからやめて欲しい。なんか気まずいし。
「で、凛ちゃんは鳴海の何処を気に入ったの?」
「ぶふっ⁉︎」
こ、この家に来てから私、吹き出し過ぎな気がするんだけど………。
「にゃっ、何の話ですか」
「もういいわよ、隠さなくて。別に本人に言いやしないから」
そう言われてもな………。私もナルが好きであるって確信があるわけではない。だってほら、もしかしたら心不全かもしれないし。
「で、何処が良いの?」
「………私がナルを気に入ったのは、優しい所です」
「ふーん?」
「最初、見た時は私より身長の低くて童顔な私の理想からはかなりかけ離れた男子高校生でしたが、なんかお母さん………私の母を助けてくれたみたいで」
「あら、あの子が?」
意外、みたいな反応したけど表情は驚いていない。流石、親だ。息子の事はよく分かってるんだろう。
「はい。まぁ、大したことではなかったのですが………まぁ、それから色々あって、二人でゲームしたり遊んだりする仲になって……その時とかに色々良くしてもらって………」
「ふーん……?ベタ惚れじゃない」
「っ!ほ、惚れてなんかないです」
「まぁ、あなたがそう言うならそれでも良いけど。でも、自分に素直になった方が良いわよ」
「そ、そんなこと………!」
「…………婚期が遅れるから」
「……………」
「………私が好きだった人は次々に結婚して……大学の仲良かった同級生の中でいつの間にか結婚してなかったのは私だけで………」
「あの、もうその辺で結構ですので………」
ていうか、憎しみが乗ってるのか、ちょっと帯締め過ぎなんですけど………。
「と、とにかくっ、私の経験から言わせてもらうと、恋愛に関しては変なプライドは捨てた方が良いわよ。私も、お父さんがいなかったらどうなってたか分からないんだから」
「…………」
そうなのかな。しかし、今の話を聞いた感じだと、本当にナルはお父さん似なんだろう。
「………覚えておきます」
「よし、完成っと。ナルは居間にいると思うから、行っておいで」
「はい、ありがとうございます」
それだけ話して、私はナルの部屋を出た。思ったより浴衣って歩きにくいな……。足の可動範囲が狭い。
少し手間取りながらもなんとか歩き、居間に入った。
「親父!テメェ、俺の抹茶プリン食いやがったな⁉︎」
「お前だって俺のミルクプリン食っただろ‼︎」
また下らない事で………。私は小さくため息をつくと、殴り掛かろうとするナルの襟を掴んで引っ張り、後頭部を胸で受け止めると、右腕を首に回して締め上げた。
「おごっ⁉︎」
「小さいことで喧嘩しない。おじさんも」
「ずっ、ずびばぜ……カハッ」
「………あれ?おかしいな……今、母ちゃんの影が………」
「返事」
「「はい」」
素直な返事が返って来て、私は手を離した。ゲホッゲホッと咳き込みながら、ナルは私の方を見た。
「それより遅かっ………」
直後、何故か唖然とした。その後に、頬を赤らめて照れたように目を逸らした。照れたように、というか照れてるんだろう。自分の浴衣姿を見られて照れられ、私も少し気恥ずかしくなり、頬を染めて目を逸らした。
「………ど、どう?」
感想は聞くまでもない。照れるほど似合ってるんだろう。だけど、本人の口から聞きたくて聞いてみた。
するとナルも、頬を赤らめながら目を逸らしてボソッと答えた。
「あ、ああ………。とてもよくお似合い、ですよ………」
「そ、そう………」
自分で聞いておいて、恥ずかしくなって敬語である理由を聞き損ねた。嬉しさと羞恥心が入り混じり、顔が真っ赤に染まるのが分かった。
お互いに頬を染めたままモジモジしてると、おじさんが私達を見てボソッと呟いた。
「………良いなぁ、若さ故の恥じらい……。歳を取ると、あの頃の母ちゃんはもう見れないと………」
直後、おじさんは後ろに倒れた。何が当たったかは分からない。気が付けば倒れていた。
「さ、二人とも。いってらっしゃい?」
私の後ろからおばさんが声をかけて来た。………え、そこからおじさんに攻撃したの………?おばさん、何者………?
「い、行こうか、凛」
「う、うん」
若干、引き気味に私とナルは家を出た。
×××
おばさんに用意してもらったゲタを履いて、お祭り会場の神社に来た。歩きにくそうにしてると、ナルが腕を貸してくれたので、ありがたく腕を組ませてもらっている。
変装しなければならないと言うことで、相変わらずポニテに伊達眼鏡だけど、ナルはそれでも気にした様子なく歩いている。
………いや、気にした様子なくというか、さっきから会話がない。ナルは多分照れてるんだろうけど、私は違う。未だにさっき褒めてもらったのが嬉しくて、内心舞い上がってると共に、もっと褒められてしまいたくなっている。
「………ねぇ、ナル」
「? 何?」
「い、今更だけどさ、この眼鏡、似合う?」
気が付けば質問してしまっていた。
「お、おう。なんか賢く見える」
「………それは普段は賢く見えないって事?」
「あ、いや違うから。いつにも増してって事だよ」
「ふふ、分かってるよ」
こんな何気ない会話ですら、何となく楽しくて、嬉しく感じてしまう。
テンションが上がって来て、ナルの手を引いて先を歩いた。
「さ、お祭りだよ。何かしようよ」
「そ、そうだな。何する?」
「とりあえず何か食べよう。私、わたあめ食べたい」
「あ、ああ。兄貴からお金もらったから、俺が出すよ」
「へ?い、良いの………?」
「ああ。こういう時くらい男見せろってさ……」
「いくらもらったの?」
「二千円。それ以上は自分で払えだって」
「そんなに………」
そんな話はともかく、二人でわたあめの屋台に並んで購入した。続いて型抜き、あんず飴、型抜き、射的、型抜き、金魚掬い、型抜き、さらには型抜きの屋台を巡った。ていうか型抜きの屋台多過ぎるし。しかもこの人、型抜きも射的も金魚掬いも上手過ぎ。特に型抜きなんて最高難易度の5千円を片っ端からクリアして、2万5千円巻き上げてるし。軍資金は増える一方だ。
「………す、すごいね」
厚くなった財布と、射的で入手したプレ4の箱を持ってナルは上機嫌に歩いていた。
「まぁな。さ、次は何やる?」
「うーん………何やってもナルが上手すぎてお店に申し訳ないんだけど………」
なんでこんな上手いの。もはや祭り荒らしでしょ。もしかしたら、ゲームなら何でも上手いのかもしれない。
「東京戻ったらプレ4のゲーム買うか」
「そうだね。何か面白いのある?」
「さぁ?あるんじゃね?」
「テキトーすぎるし………」
まぁ、そもそもプレ4持ってないんだし当然といえば当然か。でも、新しいゲームを手に入れたのは少し嬉しいので、東京に戻ってからも楽しみが出来たような気がした。
すると、ナルがスマホの時計を見て「あっ」と声を漏らした。
「? どうかした?」
「もうすぐだ。凛、祭りでやり残したことは?」
「へ?な、無い、と思うよ」
「なら、ついて来て」
腕を組んでいたのを外し、ナルの方から手を繋いでくれた。そんな事だけでもドキッとしてしまう。お泊まりとかしてるのに今更。私は何なんだろうか。
「ど、何処行くの………?」
「良いから、ほら」
ナルが連れて来てくれた場所はこの前の川だった。二日ぶりに来ただけなのに随分と懐かしく感じた。
川に掛かっている橋に到着すると、ナルは橋の手摺に寄り掛かったので、私も一緒に寄りかかった。
「ねぇ、ここがなんなの?」
「あと3分待って」
言われて、渋々待機する事にした。しばらく待ってると、ヒュ〜ッというお馴染みの音が聞こえた。ふと顔を上げると同時に、ドォンッと胸に響く音が街中を包んだ。
言うまでもない、花火だ。赤、青、緑、黄色の火薬の花が夜空に咲き、散って行った。
「…………わぁ」
感嘆の声が口から漏れた。綺麗だ。東京と違って、雲どころかマンションも何もない空に、大きく花火が上がっているからだろうか。いつもより大きく華々しく見えた。
「すごいっしょ」
ニヒッと悪戯に成功したような笑みを浮かべて、ナルは私に言った。
「………うん、驚いた。すごいね」
「だろ?前に兄貴とここから花火を見てたんだ」
「……………」
またお兄さんとの場所か。そういう思い出の場所を教えてくれるのは嬉しいけど、少し……こう、羨ましい。私も、私とナルだけの場所みたいなのが欲しい。
でも、それにはこの田舎では無理だ。東京に来るまでの15年間、ナルはお兄さんとここで暮らしている。そんな場所で私だけの場所が探せるとは思えない。
それに、ナルとの場所を作るのは私と出会った東京が良い。
「ね、ナル」
「? 何?」
「東京に戻ったらさ、私とナルだけの場所を探してみない?」
「…………どういうこと?」
この野郎、察しが悪いな。
「だ、だから………その、ナルとお兄さんの場所みたいな」
「ああ、そういう事?」
「…………うん」
「良いよ」
頷いてくれた。まぁ、都会でそんな所を見つけるのは難しいかもしれないけど。
でも、探せばあると思う。私はナルの手を取って小指を結んだ。
「約束だからね」
「…………んっ」
指切りした手をナチュラルに繋ぎ直して、花火を見続けた。