「揚羽達は幸いにも無事だったよ……だけど、俺は家族を守れなかった」
「…………」
陽は殆ど沈みかけ、暗がりの中で久々津の表情は窺い知れない。
楯無はただ、彼の話に耳を傾けていた。
「それからすぐ、揚羽に「ここを出よう」と言われた。こんな組織に何時までも居たから、蠍は死ぬ羽目になったとな」
「……それで」
「ああ。揚羽を連れて組織を抜けた……蛇と蜘蛛を置いて」
蠍を目の前で失った彼は、怖かったのだ。
組織から逃げ出すと言う事は、当然組織から追われると言う事。
蠍を失ったばかりの彼には、そんな状況から蜘蛛と蛇を守りきる自信が……無かった。
「あの日の2人の顔は、今でも鮮明に覚えている。忘れる事など、出来ない」
「……久々津君」
「蜘蛛にな……「嘘吐き」って言われたよ。あいつらが大人になるまで守り抜くって約束を、俺の方から破ったんだ……当然さ」
「…………」
自嘲する久々津。
そんな彼の姿を見て、楯無はどうしようもなく胸が痛んだ。
「それからすぐ世にISが出回った。姿をくらますには丁度いい事に」
「そうだったの……」
「俺はずっと逃げていた。揚羽と傷を舐め合う様に生きていた。それはそれで幸せだったと思っちまってる俺は、最低の屑だ」
「……ッ」
夕陽が、地平線から姿を消す。
夜闇の中、波の音だけが良く響いていた。
「……その揚羽も、2年前に死んだ。俺には文字通り、何も無くなった」
キメラは短命だ。
そしてそれは、久々津の様に遺伝子強化を受けていなかった揚羽の方が、より顕著であったのだ。
愛する者を2度も、目の前で失う。
それはどれだけの絶望だったろう。
「これが俺の知る揚羽の真実。彼女を愛した……俺の過去」
「…………話してくれてありがとう、久々津君」
瞼を閉じ、久々津は静かに息を吐く。
その姿は、何処か疲れているようだった。
「俺は何時か、報いを受ける。家族を見捨てた報いを。あるいはそうやって罰を受けることさえさせて貰えず、朽ちて消えるのかも知れない」
久々津はゆっくりと、ベンチから立ち上がる。
「先に帰らせて貰う」
「……うん」
「伝えるべき事は、伝えた……出来ることなら、もう俺に関わるな」
最後に彼はそう言って。
宵闇の中に、その姿を消した。
「…………」
楯無は1人、浜辺で思案していた。
それは母の事でも、久々津が居たと言う組織の事でも無く。
「……久々津君」
彼自身の、事だった。
家族の事を話す際に見せた、穏やかな表情。
お母さんに向けられていたであろう、柔らかな笑顔。
蠍と呼んでいた少女を失った時の事を話す彼の、悲痛な顔。
その全てが、楯無にとって新鮮で。
不謹慎だったが、もっと見せて欲しいと。そう思った。
「…………」
そして、もうひとつ。
母に愛情を向ける彼を見た時に、胸に響いた小さな痛み。
家族を何より大事に思う彼を見て、心が締め付けられるようだった。
「…………」
私は嫉妬している。
かつての彼の家族だけじゃない。
誰よりも大好きだったお母さんにまでも。
彼が一心に愛を向けてくれるその人達を、浅ましくも妬んでいる。
「…………」
思えば、初めて会った時。
秘密の場所で、本を読んでいた彼をひと目見た時から。
私は彼に対して、特別な感情を抱いていた。
けどその感情が何なのか、ずっとずっと分からなくて。
でも一緒に居たくて、何かと理由をつけて傍に居ようとした。
迷惑がられても、怒られても、鬱陶しく思われても。
それでも、周囲に対して無関心を貫いている彼が私を見てくれるのが、とてもとても嬉しかった。
そう、それはまるで――
「……あぁ」
そっか。そうなんだ。
思い至ってしまえば、ひどく簡単な事だったんだ。
今……やっと分かった。
確かめたかったもうひとつの事。
「私は……」
私は。
更識楯無……いいえ。
「私……そう、『私』は」
生まれて初めて抱いた思い。
楯無じゃない本当の『私』が抱いた思い。
漸く、気付けた。
『私』は……『更識刀奈』は。
彼の事が、好きなんだ。
どうしようもないぐらい、久々津君の事が好きなんだ。