「おはよう、諸君。ホームルームを始める……久々津はどうした?」
「来てませんけど……」
久々津がIS学園に転入して、3日。
初日以降、彼が教室に来る事は無くなっていた。
学園の一角、木々の生い茂る森林地帯。
その中にある開けた空き地の中央、そこに置かれたひとつのベンチ。
まるで隠れ家のような、そんな背景の中で。
「…………」
久々津は1人、絵を描いていた。
ベンチに腰掛け、眼前のキャンバスに筆を走らせる。
彼が描いているのは、いわゆる抽象画と呼ばれる類のもので、それが何を顕わしているのかは定かでない。
意味を知るのは、彼自身のみだった。
「……そろそろ仕上げか」
呟きながら、キャンバスに色を重ねる。
赤、青、黄、紫、白、黒、緑。
統一性の感じられない彩り。傍から見れば、絵とさえ呼べないような色の羅列。
それでも久々津にしてみれば、しっかりと意味のある配色らしい。時折筆を止め、少しばかり悩むように眉根を寄せていた。
「…………」
……何故彼が、授業にも出ずにこのような事をしているのか。
それは、言ってしまえば簡単な理由である。
久々津には、元々授業への出席義務が無いのだ。
世界で3番目の男性IS操縦者、久々津・オテサーネク。
しかし彼は、その過去があまりにも不透明であった。
戸籍さえ存在しない、何ひとつ身元を明らかにするものを持たない異分子。発見当初はテロリストの疑いさえ掛けられていた。
結局その疑いは杞憂だったのだが、IS学園を擁する日本政府にしてみれば、久々津の存在はいつ爆発するかも分からない爆弾のようなもの。
故に学園へ所属はさせてもISへの搭乗を不許可とし、純粋な生体データのサンプル――悪い言葉で言えば、『実験体』の役目を彼に与えた。
この事は、織斑千冬を始め一般教員には知らされていない。非道な事であると、承知しているからである。
更に言えば、久々津には外出許可さえ無い。特別な理由でもなければ、彼はこの学園の敷地から出る事も出来ないのだ。
授業の免除は、そのせめてもの代償であった。
「ん……」
久々津としても、この扱いに不満があるかと問われれば、「ない」と素直には言えない。
けれどここ以外に行くあてがあった訳でもなく、根なし草のままでいれば男性IS適性者のデータを喉から手が出るほど欲しがっている研究施設等から、延々と逃げ続けなければならない。
それは御免だった。
「…………」
絵具まみれのキャンバスに、横一線の青が入る。
……居たくてここに居る訳じゃない。
ここに居る事を余儀なくされたのだ。
真綿で首を絞められているようだと、久々津は口の端に冷たい笑みを浮かべる。
ぐちゃぐちゃの絵が、完成した。
「…………寝るか」
キャンバスをそのままに、ベンチの上で横になる。
瞼を閉じながら、彼はふと思った。
「何でこんなところに、ベンチなんか置いてあるんだ……?」
ここは学園の敷地内でも、かなり隅の方に位置している。
ついでに言えば、辺りには木が立ち並んでおり、外からこの場所が見える事は無い。
久々津のようにたまたま辿り着くか、この場所自体を知っていなければ、決して利用される事は無いだろう。
まるで、そう意図して作ったような場所だった。
「ふん……まあいいか。日当たりは申し分ないし、何より静かで絵を描くには丁度いい。誰も使ってないんなら、俺が使えばいいだけのこと」
下らないと思考を切り、久々津はそっと瞼を閉じる。
そよ風に身を預けた彼が眠りに就くのに、そう時間は必要なかった。
久々津の眠るベンチの背凭れ。
その後ろ側には、隅の方に小さくこう刻まれていた。
『かたなせんよう』、と。