フルメタル・アクションヒーローズ   作:オリーブドラブ

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第172話 夜道を駆ける姫君

 それからの日々は、修練の連続だった。

 学校の授業が終わった後は、兄貴と古我知さんを加えての猛特訓。家に帰れば、一煉寺家の男三人で戦術会議。

 

 早朝、昼休み、放課後から夜中まで。それら全ての時間を、戦うためだけに費やしていた。

 クラスメートや顔なじみのおっちゃん達は、そんな毎日を送る俺の顔を見て様子の変化を感じているようだったが……今は、そのことに気をかける暇はない。

 

 救芽井達女性陣も、見守ったりタオルや飲み物を持って来たり――という形で、俺の背中を押してくれている。特に矢村は体育会系出身のスポーツ少女なだけあって、サポートの手際がズバ抜けていた。

 普段こういう部活のマネージャーのような仕事をしていない救芽井や四郷も、慣れないなりに手を尽くしてくれてるし――俺も、彼女達の誠意にはしっかり応えなくちゃな。……久水先輩のマッサージだけは、刺激がイロイロ強すぎて考えものではあるのだが。

 

 ――そして、今日で特訓開始から四日。そろそろ、一週間の修練も折り返しの時期に入る頃合いだ。

 

 毎晩恒例の「汗だくになった俺の道衣を誰が洗うか」という謎の闘争。着鎧甲冑部員による、その意味不明で不毛な争いを鎮めた後、俺は入浴を済ませてから夜道の散歩に繰り出していた。

 ちなみに、久水先輩だけはこの闘争には最初から参加させないようにしている。初日の特訓の後に、俺のパンツを頭から被ってアヘ顔を晒すという大事件を起こしたからだ。

 

「……はぁ」

 

 寝間着の赤いジャージ姿で、夜風を求めて通り慣れた道を行く。

 心地好い風を浴びているというのにため息が出てしまうのは、十中八九女性陣の仕業だ。決して特訓の疲れだけではない。

 

「龍太君の道衣、汗びっしょりだし臭うでしょ? 私が洗うから、ね?」

「いやいや、樋稟のキレーな手を汚すわけにはいかんやろ。龍太ってホンットに汗っかきなんやから。……ほやけん、アタシが洗ったるけん、な?」

「……先輩の道衣を洗うのは後輩の仕事。先輩方の手を煩わせるわけには行かない……。ここは、ボクに任せて」

 

 穏やかに笑みを浮かべ、そんな調子で譲り合いを繰り返していた三人。端から見れば、優しさゆえに起きてしまう微笑ましい光景に映っていたことだろう。

 だが、俺には分かっている。あの時の三人は、片時も目が笑っていなかった。

 しかも、そんなに嫌なら俺が自分で洗うと言い出せば、「疲れてるんだから休んでろ」と三人揃って強烈な眼光で訴えてくるのだ。一体、どうしろと。

 

 結局じゃんけんでランダムに決定するまで譲り合いは続き、それまで俺は安心して風呂に入ることすら出来なかったわけだ。普段は基本的に仲良しな彼女達だが、たまにこういう意見の不一致が起こると、なかなか纏まらないのが玉に傷かな。

 ……ま、なんにせよ四人共、特訓に掛かりっきりになってる俺の面倒を見てくれてることには違いないんだ。感謝しなきゃ。

 

「あーでも、やっぱりもう少し仲良くなって貰う方が俺としては――ん?」

 

 そうして、彼女達が本当の意味(?)で笑い合う未来に思いを馳せた時。

 見慣れた曲がり角に、小さな人影が――

 

「いでっ!」

 

 ――転んでいた。

 あの声と、長髪が揺れるシルエットはもしや……?

 

「お姫様が何やってんだ、こんな時間に」

「え――げっ!? 偽物ジャップっ!?」

 

 駆け寄ってみると、俺の予想が的中していたことがわかる。水玉模様のパジャマを着ていることから、彼女も風呂上がりである事実が窺えた。

 月の光に照らされた艶やかな褐色の肌と桜色の唇が、麗しく輝く。それを目の当たりにして、ようやく俺は彼女が「姫君」なのだと実感することが出来た。

 相変わらずのジャップ呼びだが、これを矯正するにはなかなか骨が折れそうだ。なにせ伊葉さんや古我知さんはおろか、あのジェリバン将軍が注意しても最後まで治らなかったのだから。

 

 ……それにしても、彼女が転んだ後に必死に拾って抱き抱えている袋と皿が気になる。この袋は……ペットフードじゃないのか?

 

「ジェリバン将軍の話じゃ、二人共民宿に泊まってるって聞いてたけど……」

「う、うるせぇ! お前には何の関係も――あーっ!」

「な、なんだぁ?」

 

 すると、俺の追及を遮るようにダウゥ姫が大声を上げる。近所迷惑なお姫様だな……安眠妨害など、おいたが過ぎますぞ。

 一方、その小さくか細い人差し指は、俺の肩越しに塀の上を狙っていた。その先を視線で追う俺の眼前に、一匹の猫が現れる。

 

 虎模様の小さな猫――恐らく野良だろう。この辺りにペットを放し飼いにしてる家庭はなかったはずだ。

 闇夜に紛れ、静かに俺達を見つめていたその小猫は、やがて逃げるように塀の上を走り去っていく。まるでどこかの姫様みたいだな。

 

「ま、待ってー!」

「おい、ちょっ……しょうがないんだから、全く」

 

 その後ろ姿を見届けた俺の脇を、ダウゥ姫が慌てて駆け抜けていく。何度も転んでは、起き上がりながら。

 せっかく風呂に入った後だってのに、あれじゃ意味がない。ジェリバン将軍も大変だな……。

 

 だが、今の流れでおおよその事情は読めた。ダウゥ姫は、あの野良猫を世話しようとしてるんだな。

 一時的に民宿に泊まってる以上ペットなんて飼えないけど、放っておくのも可哀相だから餌だけでも買ってあげてる――ってところだろう。ジェリバン将軍が同伴してないってことは、また「抜け出してる」ってことか。

 

 そういえば俺も小学生の頃、捨てられた犬に色んな食べ物を持ってきて、面倒見ようとしてたことがあったっけな。結局、その犬は別の家庭で引き取られちまったけど。

 ……だからまぁ、彼女の気持ちはわからなくもない。だけど、引き取り先がいるって保証がないまま餌をやり続けても、いつかは面倒を見れなくなっちまうわけで……。

 もしかしたらダスカリアンに連れていくつもりなのかも知れないが、向こうの環境に日本の猫が対応できるのだろうか。

 

 必死に髪を揺らして小猫を追う、水玉模様の小さな背中。それを追いかけながら、俺は彼女と小猫の別れを想像してしまうのだった。

 

「あっ……!」

 

 ダウゥ姫が走り出してから、約一分。

 小さな空地をゴール地点にして、少しばかりの追跡劇はようやく終結を迎えた。

 

 急に塀から飛び降りた小猫は、忍者の如き素早い動きで空地を駆けると、隅に置かれていた段ボールの中に入り込んでしまった。

 段ボールの中は新聞紙が敷かれ、近くには安物の傘が置かれている。恐らく、全てダウゥ姫が用意したものなのだろう。

 

「よかった……ウチに帰ってるだけだったんだな。オレから逃げてるみたいだったから、てっきり嫌われちまったのかと思ったよ」

 

 すっかり大人しくなった小猫は、安堵した表情のダウゥ姫に抱き上げられると、嬉しそうに鳴いていた。彼女には随分と懐いているらしい。

 

「そっかぁ……オレのこと探してくれてたんだなぁ……。可愛いヤツめ、うりうり」

 

 ……猫の散歩を凄くいい方向に解釈しながら、頬すりを行うダウゥ姫。風呂上がりってこと忘れてませんか姫様。まぁ、彼女と一緒に走ってた俺が言えたことじゃないんだが。

 

「なるほど、こういうことだったわけか。で、どうするんだよこの子。引き取るのか?」

「……ワーリには、ダメって言われた。日本の猫は、ダスカリアン周辺の熱帯地域に適応できないって……」

 

 どうやら、ジェリバン将軍には猫のこと自体は知られていたみたいだな。案の定、お断りだったようだが。

 それを知った上で、こうして世話をしているところを見るに、やはり諦め切れなかったのだろう。日本人は嫌いでも、日本の猫はお気に入りらしい。

 

「しょうがないさ。生まれ育った場所が一番過ごしやすい、ってのは動物でも人間でも当て嵌まる。ダウゥ姫だって、故郷に居たいからジェリバン将軍に勝って欲しいんだろう?」

「あ、当たり前だ! お前達ジャップの言いなりなんて、絶対嫌だからなっ!」

「……ま、そうだろうな。だったら、猫の立場も汲んであげなよ。この子も、今のこの町の方が暮らしやすいはずだ」

「う……」

 

 相変わらずの悪態だが、初対面の頃ほど話が通じないわけでもないらしい。言葉を詰まらせ、しばらく俯いた彼女は、観念したように小さく頷いていた。

 さて……この娘を安心させるには、新しい引き取り先を見つけるしかなさそうだな。もちろん、決闘の対策が専決ではあるが。

 

「ごめんな……グレートイスカンダル。いつかお別れしちゃうけど、それまでオレ、頑張るからさ」

「……はい?」

「あ? なんだよ?」

「い、いやその……今、なんて? グレート椅子噛んだる?」

「グレートイスカンダル。この子の名前だよ、カッコイイだろ?」

「あ、ああ、カッコイイデスネー」

 

 ……にしても、このネーミングは何とかならかったんかいな。ま、まぁ個性に溢れた名前ってことにしとくか。深く考えたら負けな気がする。

 

「とにかく、決闘が終わったらこの子の引き取り先を探そう。いつまでもここで過ごさせるのもマズいからな」

「……」

「大丈夫だって。この町には結構、動物好きな人が多いんだ。よっぽどのことでもなきゃ、保健所送りになんかならないよ」

 

 既に名前も決まっているようだし、後は育ててくれる環境を見つけるだけだ。

 俺は膝を曲げ、目線の高さを彼女に合わせる。そして、少しでも安心できるように精一杯笑ってみせた。

 

「……」

 

 だが、彼女からの返事はない。訝しむような視線をしばらく俺に向けたかと思うと、やがて視線をプイッと逸らして屈み込んでしまう。

 猫に餌をあげるつもりらしい。袋を破り、程よい範囲で皿に盛っていく。……たまにこちらをチラチラ見ているのだが、これは「お前邪魔だからとっとと帰れ」と言いたいのだろうか。

 

 確かに俺は別に役に立っているわけでもないし、居ても意味がないとは思う。だが、俺は今すぐにここを離れるわけには行かなかった。

 この町は随分と平和になった――とは言え、元々は日本屈指の無法地帯だ。三年前にファミレスで起きた強盗事件のように、その名残も僅かにある。

 彼女としては、何かあってもジェリバン将軍が解決してくれる、という期待があるからこその単独行動なのかも知れない。が、彼とて人間だ。その可能性は絶対ではない。

 そこまで知っていながら、警察用着鎧甲冑の資格者でもあるこの俺が、本人の言いなりになって引き下がるわけには行かない。鬱陶しがられるだろうが、やむを得ないのだ。

 

「……感謝なんて、しないからな」

「あはは、そうか。残念だな」

 

 餌をやり終えて、ダウゥ姫が立ち上がると――再び手厳しい言葉が炸裂。僅かに紅潮し、むくれた褐色の頬を目の当たりにして、俺は苦笑いを浮かべるのだった。

 

「じゃあ、お休み。グレートイスカンダル」

 

 そして、微かな微笑みを愛猫に送り、彼女は空地を立ち去っていく。ようやく帰宅、というところか。

 入口でジェリバン将軍が待ち構えてたら、詰み状態もいいところだけど……仕方ない、か。

 

 俺はダウゥ姫の隣に立つと、無言のまま彼女のペースで歩き続けた。当然ながら、ダウゥ姫がギラリと敵意の篭った眼光を放つ。

 

「なんだよテメェ。ジャップ風情が、まだ何か用があるのか」

「夜道は少々危険だからな。途中まで送っていく」

「ハッ、バカ言ってんじゃねーよ。オレにはワーリが付いてるんだ、ジャップの手なんか借りるかよ」

「必要あろうがなかろうが、俺が好きでやってるだけだ。気に食わないなら、カカシと思ってりゃいい」

「す、好きッ!?」

「ああ、大好きさ」

 

 やはりいい感情は持たれない――か。予想はしていたが、実際にその通りになるとなかなか来るものがある。たまには外れてもいいのよ?

 ――だが、俺自身が望んでこの仕事を請け負っている以上、こんなところで手を抜くわけには行かないからな。そこだけはハッキリ伝えないと。

 

「ふふ、ふざけんじゃねぇえ! テンニーンの顔でそんなこと言ったって、オオ、オレは騙されにゃいぞっ!」

「落ち着けよ、噛んでるぞ」

「ひにゃあぁ!?」

 

 そう思い立ち、この仕事を「大好き」と言い切って見せたのだが……さらに煽る結果を招いてしまったのか、彼女は鼻先まで真っ赤にして怒り出してしまう。激しく憤怒する余り、噛んでしまうほどに。

 なんとかその興奮を鎮めるべく、俺は彼女の両肩を抑えて説得に掛かる――が、彼女はさらに裏返った悲鳴を上げ、顔面が破裂しそうなほどに赤面していた。

 

「だめっ……! だめだめ、だめえっ! ジャップのお嫁さんなんて、だめぇっーっ!」

「うわっ!? ちょ、待っ……!?」

 

 しばらく涙目になっていた両眼をギュッとつぶり、イヤイヤと首を左右に振っていた彼女は、やがて俺を力一杯突き飛ばすと一気に走り出してしまった。

 少しでも目を離すと、あっという間に見失いかねない速さ。――だが、見過ごすわけには行かない。

 

 俺は自分が風呂上がりだという事実を敢えて投げ出し、ダウゥ姫の背中を目指して全力疾走するのだった。

 

 ――それから、約三分。

 古ぼけた小さな民宿の前で、膝に手を置き息を荒げる彼女に、ようやく追いつくことが出来た。

 どうやら、ここが例の宿泊先で間違いないらしい。この辺りにある宿泊施設と言えば、ここしかないからな。

 そういや俺も昔、家の風呂がブッ壊れた時にここの温泉を使わせて貰ったことがあったっけ。あの時は兄貴とふざけてた弾みで女湯までブン投げられて、大騒ぎになったんだよなぁ。

 

「さ、ようやく着いたな。俺はもう帰るけど……やっとこれが言える。『お休み』」

「……」

 

 彼女の息が整うのを待ってから声を掛けたつもりだったのだが――相変わらず返事がない。どうしても俺と仲良くすることはできないようだ。

 ……これ以上、ここに居ても仕方ない。ジェリバン将軍と鉢合わせしたら、余計にややこしいことになるし……今日は引き上げるか。

 

 時には、諦めも必要。そう判断し、彼女の返事を待たないまま、俺は踵を返す。

 そして、彼女の背中を一瞥してから、その場から静かに離れて行った。

 

 ――だが。

 

「そ、そんなに残念だってぇなら、しょーがなく感謝してやらねぇわけでもねぇけどよ……勘違いだけはすんなよ。……お、お休み」

 

 俺のお節介も、まんざら無駄ではなかったようだ。

 


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