エンジェル・ハート 作:伊集院隼人
不夜城。
東京一の繁華街、新宿。
だがそんな眠らない街も、繁華街を離れると人も車も疎らになる。そんな深夜のことである。
午前2時を回った深夜、一機の小型ジェット機が羽田へ降り立った。日本から遠く離れた国、エルレア王国。その若き第2王子を乗せたプライベート機である。
近隣その他への"配慮"の為、通常ならこの夜中に離着陸する機は無い。なればこそ、明らかに異質な光景である。
王子の来日、その表向きの目的は、非公式に日本政府と会談し、王国への資金援助を取り付けることにある。が、その実は第2王子を国外に逃がして身の安全を確保することにあった。
事実上の亡命である。
去年の秋からエルレア王国は民主化運動が進み、激しい内戦状態が続いている。しかも現状では王国政府の旗色は悪い。
加えて、王宮に迫るその反政府軍を率いているのは、次期国王となる筈の第1王子という"お家騒動"も付加されて、まさに混沌の状況にある。
スモークの防弾フィルムをサイドとリアのガラス窓に貼った車輌が首都高速を走る。警視庁が用意した、第2王子を護送する為の車両だ。
通例ならば国賓用のセダンを出すところなのだが、今回はマスコミにも通達されない非公式の来日であり、更にエルレア反乱軍の手による第2王子の暗殺も予測されている。
よって、警視庁では一般的な同型同色のミニバンを数台用意し、その中の一台での護送を決めた。
囮の三台は羽田から西へ向かい、もう一団の囮の三台は首都高速を走り続ける。
そして、第2王子が乗る本命の三台の行き先は新宿、市ヶ谷。
そこで第2王子の身柄の保護は警視庁から国へと切り替わる。そこまで守り切れば、警察の勝ちだ。
追い越し車線を連なって走行する三台のミニバンの中央の車両は、極度の緊張感に満たされていた。
助手席に乗るのは、この作戦の現場指揮を執るのは警視庁新宿署長、野上冴子警視。新宿署の刑事から警視庁捜査一課の捜査官、管理官を経て新宿署の署長となったキャリア組で、かつ前警視総監の娘である。
冴子は、ふと後方──二列目シートの真ん中に鎮座する人物をルームミラー越しに見る。
右隣に座る警察官越し、憂鬱そうに車窓に流れる景色を眺めるエルレア王国第2王子、クリストの横顔は線が細い。17歳という若さとプラチナブロンドの長髪のせいかスーツ姿が妙に浮いていて、その華奢な体格は何処か儚く見える。
「……流行りの中性的な美男子、ね」
呟く冴子に顔を向けたクリストは、曖昧な表情で小首を傾げる。そんな王子を見ながら、王子の左隣に座るお付きのエランシュ女史は曖昧に笑う。
第2王子であるクリストはまだ17歳。日本の教育制度に照らせば、まだ高校生の年齢だ。もっと言及してしまえば、冴子の息子、と言っても差し支えのない年齢である。
尤も、このクリスト王子は既に飛び級で大学を卒業しているし、自分の意思かどうかは別にして冴子は独身を貫いている。
だが、飛び級で大学へ行ける程に知能が高くとも、まだ17歳の少年だ。
そんな少年が、兄のせいで国を捨てなければならない。もう祖国には帰れないかも知れない。
それは、どれだけ無念なことだろう。きっと、寂しさや悔しさ、忸怩たる思いで胸は一杯だろう。
冴子の真後ろの席、第2王子に随行して来たエランシュ女史は、寂しげな顔を冴子に向ける。冴子は笑顔で応える。大丈夫、という意味を込めつつ。
そう、大丈夫。
彼なら……きっと。
首都高速を降りて一般道に入る。
片側三車線の道路、前後左右に覆面パトカーを配した状態でしばらく走ると、新宿のランドマークとなっている都庁が見えてきた。
冴子の表情が険しくなる。
ここまでは無事に来れた。
しかし信頼出来る情報筋によると、王子を狙う暗殺者は既に日本に潜伏している。
つまり、王子はこの先の何処かで狙われる。
数を揃えての直接の襲撃は考えにくい。
連なる三台のミニバンの周囲には覆面パトカーが随行しているし、ただでさえ通行量の少ない時間帯に固まって走る車の群れを襲うリスクが分からない程反乱軍も馬鹿では無いだろう。そもそもそれでは暗殺にならない。
ならば、敵が選択する手段はひとつ。暗殺者を雇っての狙撃である。
ミニバンの左右と後部のガラスにはスモークの防弾フィルムが貼ってある。が、これは気休めでしかない。
38口径の拳銃くらいなら防げるかも知れないが、貫通力の高い狙撃用のライフルともなると話は別だ。それを完全に銃弾を防ぐのならば、厚さ3センチ以上の防弾ガラスが必要となる。
だからこそ盾として左右に覆面パトカーを配しているのだが……死角はある。
前方からの狙撃だ。
正面からフロントガラスを貫通させれば、2列目シートの真ん中に座る王子を狙撃することは可能だ。そして狙撃手の逃走経路を考慮すると、自ずと最適な狙撃のポイントは見えてくる。しかし狙撃のポイントが割り出せても、そこに対処出来る人材は冴子の部下にはいない。
だからこそ冴子は、あの男に依頼した。
X、Y、Z。
カクテルの名前にもなっている、その言葉。
今や都市伝説扱いされている、その言葉。
それは、新宿を根城にするシティハンターへの依頼時の決まり文句だ。
──頼むわよ、
冴子の鼓動が速くなる。
対照的に、丁寧な運転で緩やかに左に弧を描く車輌。問題は、次の右カーブへの進入だ。その旋回中の一瞬だけ、車輌は300メートル前方のビルと正対する。つまり、スモークを施していないフロントガラス越しに王子を狙える場所を通過するのだ。
獠なら大丈夫。
そう信じていても、やはり不安は募る。
狙撃の想定ポイントまで、あと200メートル……100メートル。
もう少し。もう少しで──
──!
抜けた。
冴子たちが乗った車が右に旋回し始めたその時、遠くのビルに反響した銃声が届く。
一発。狙撃手がいるであろうビルを過ぎた辺りで立て続けに二発。
強張る身を無理矢理動かして咄嗟に助手席を立ち、冴子はフロントガラスと王子の間に身体を滑り込ませる。
一応防弾チョッキは着用しているが、狙撃用のライフル弾ならば容易く貫通してしまうだろう。
覚悟を決めた冴子は、王子を庇いながら自身の背中への着弾に備えて身を強張らせ、がっちりと歯を食い縛る。
……が、何も起きない。次の着弾の様子も何処にも無い。
その時、覆面パトカーの群れを縫って、一台の車がミニバンの左側から追い抜きをかけてきた。反射的に冴子の手がホルスターに伸びる。
が、並走しているのは見知った車だった。
赤のアバルト595。
彼の娘が「可愛い」と言ったのがきっかけで買った、小さな外国車。
その運転席に座って親指を立てるのは……シティハンター、冴羽獠。
冴羽は、とても未成年に見せられない卑猥な笑いを浮かべて運転席の窓から身を乗り出す。
「冴子〜、報酬はもっこり1発だからな〜今までのツケもまとめて払えよ〜忘れるなよぉおおお」
明らかに速度超過で去り行く冴羽を尻目に、助手席から盛大にずり落ちる冴子。
「……あんの節操無し、王子の前でなんて事を口走るのよ」
呆れる冴子だが、その表情は明るい。あとは市ヶ谷まで一直線。冴羽が近くにいるのなら、この先で襲撃されても安心だ。
……あれ。
獠が今横を通ったってことは、あの銃声は──誰?
「ミス冴子、もっこりって何デスカ?」
片言の日本語で投げかけられた王子の質問は、冴子の耳には入らなかった。
第2王子を乗せた車両が市ヶ谷に入る頃に、もう一発の銃声が深夜の新宿に木霊した。