ダーさんがハンバーガーを食べます。昼間からお酒を呑みます。
思い浮かぶのは、誰の顔でしょうか?
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女心と秋の空――とは、誰が言い出したのだろうか。
頬に当たった冷たいしずくを指先でなぞる。
空を見上げると、どこから現れたのか薄暗い雲が一面に広がっていた。内心で、一つ舌打ち。あいにく、傘は自宅で留守番中だ。
雨粒がアスファルトをたたく音が早くなる。それに習うように、周りの人もそろって早足になった。
予報では降水確率30%だった。そんな日に、傘を準備している人間の方が少ないのは当然だろう。
ブーツを履いた足で、歩道に面した店の軒下に駆け込んだ。バッグからハンカチを取り出し、肩を拭う。
まだ営業中の軒先を間借りするのは少し気が引けたが、致し方ないだろう。
ハンカチを手にしたまま、なんとなく中をうかがうと、その店舗は飲食店のようだった。アメリカ映画のポスターが壁に貼られ、カウンターにはアメコミ・ヒーローの精巧なフィギュアが数体乗っている。アルコール飲料の商品名をかたどったネオンの装飾。漏れ聞こえるBGMは、ドナ・サマーの《Hot Stuff》だ。
まだ、ギリギリお昼前だからだろう、中にはお客の姿はない。平日、というのもあるかもしれない。
ふと、中で机を拭いていた店員と目が合った。
相手は反射だったのだろう。いらっしゃいませ、の一言が聞こえてくる。マズい――と、思った時には時すでに遅し。私も釣られて、会釈を返してしまう。
やがてゆっくりと、空けられる入り口のドア。その隙間から顔を出した店員は、満面の笑みで言った。
「いらっしゃいませ、どうぞ」
その店は、名前を『カウ・ガール』といった。どうやら、軽食もできるカフェらしい。アルコールも提供しているらしく、流行りの〝バル〟と呼んでも差し支えないだろう。
通された窓際の席で、通りを眺める。
降り始めだった雨は、いつの間にか本降りになっていた。今では、道行く人影もほとんど見えない。誰もかれも、どこかに引っ込んでしまったのだろう。誰だって、冷たい雨に濡れるのは嫌なモノだ。私だって嫌だ。だからこそ、こうしてこの店にいる。
出されたおしぼりで手を拭いていると、店員が声を掛けて来た。
「飲み物はお決まりですか?」
今日はもう予定はない。少々早い気もするが、アルコールを飲んでしまっても問題ないだろう。かといって、へべれけになるまで飲むつもりもない。
口を突いて出そうになった〝ワイン〟を一度呑み込んで、私はもう一度店内を見回す。郷に入っては郷に従え――だ。小さく頷く。
「ラム・コークを」
「かしこまりました」
そう言うと、店員は手元の小さなオーダーにペンを走らせた。一礼をして厨房の奥に引っ込んでいく。
私は、手元のメニューに視線を落とした。そこには、アメリカン・テイストを意識したさまざまなメニューが並んでいる。スパイシーなバッファロー・チキンにフライドポテト、ピザにサーロイン・ステーキ。そんな、目を通すだけでお腹が膨れて来そうなメニューが写真と共に名前を連ねていた。
脳みそがそれらを想像してしまったのだろう。途端に空腹を覚える。朝はしっかり食べて来たはずだったが、美味しそうなモノというのは何とも罪作りだ。カメラマンを内心呪う。
はた、とページをめくる手が止まった。そこに載っていたのは、ハンバーガーだった。 オーソドックスなクラシック・ハンバーガーを皮切りに、いくつものバリエーションが紹介されている。そのどれもが、また一段と美味しそうに見えて、私は思わず生唾を飲み込んだ。いつからこんなに食い意地が張ってしまったのだろうか。
私は、一人笑いを堪えて天井を見上げた。そこで、店員が戻って来たのに気が付く。手にしたお盆の上にはラム・コークが乗っている。目の前に、グラスが置かれた。
「お待たせしました。ラム・コークです」
グラスの端にはライムの輪切りが刺さり、それがみずみずしい香りを放っている。アイスはクラッシュ。一口飲むと、何ともいえない爽やかさが一杯に広がる。絞られたライムが清涼感を更に増していた。氷もクラッシュなのがいい。ロック・アイスでは、この涼やかなノド越しなかなか出ないだろう。
ほう、と息を吐き出して目を閉じる。炭酸の刺激が胃に落ちた時、ふと思い出した。
そう言えば、友人の一人にハンバーガーが大好きな女性が一人いる。決して友人が多いとは言えない私だが、そこは親交の深さでカバーしているつもりだ。浅く広くよりも、狭く深く――だ。彼女も、そんな〝深い〟友人の一人。
長崎出身だという彼女は、いつも溌剌としていた。開放的でポジティブ。後輩からも慕われていて、まさにリーダーシップの固まりのような人。
生まれ変わりたいとまでは思わないけれど、私はいつも彼女のことを羨ましいと思っていた。その誰に対してもフレンドリーな生き方は、今でも私の心の中に根付いている。初対面の人間に、いきなり抱きつく――なんて芸当は、逆立ちしたってマネできないけれど。
そんな彼女が好きだったハンバーガー。そのページに目を走らせる……。見つけた。
視線と並走するようにページを滑っていた指の先には、チーズ・バーガーの文字。友人が一番好きだったのは、このチーズ・バーガーだった。
店員を呼んで、オーダーを伝える。
「このチーズ。バーガーを頂けるかしら」
「はい。少々お待ちください」
そこで、ラム・コークをまた一口。
学生時代のことだ。渋る私を引っ張って、ファースト・フード店に連れて来ては、彼女がおいしそうにバーガーを頬張っていたことを思い出す。
初めて二人で店を訪れた時だ。
『ナイフとフォークはありませんの?』と聞いた私を、彼女は目じりに涙を浮かべて笑ったことを覚えている。
包装紙に包まれたハンバーガー。それを、彼女は器用にはぎ取り、中身を豪快にほお張っていた。どうしようかとオロオロする私。そんな私に、彼女は食べ方を教えてくれた。なんと言って教えてくれたのだったか……。それを聞いた私は笑っていたような気がするが、肝心の言葉の内容が思い出せなかった。
しばらくするとチーズバーガーが運ばれて来た。
大き目の白い皿に載った付け合わせのポテトとピクルス。ここまではいい。何よりも目を引くのは、高さが10センチを超えているのではないかと思うほどのバーガーだ。
焼き目の付いたバンズにチェダーチーズ。そのチェダーチーズがとろりと溶けて、下のパテは黄色いドレスで着飾っているようだ。炙ったベーコンも入れてあるのだろう。香ばしい匂いが鼻をつつく。
〝チーズバーガー〟という言葉の響きと、懐かしさに目を細める。
目の前にあるチーズバーガーは、思い出の中のモノとはだいぶ違うけれど。あの時のアレは、こんなに〝分厚く〟はなかった。これを見たら彼女は何というだろう。驚きで『Wao!』だろうか、それともうらやましさで『Shit!』だろうか。
いや、きっと彼女ならこう言うはずだ。
『Can I have a bite?』と。
あの友人のことだ、一口かじるだけではすませてくれなさそうだが……。
美味しそうに頬張る、金髪の友人の顔が浮かぶ。もちろん、その時の彼女は満面の笑みだ。それは、彼女の髪の色と同じ金色の笑顔。
「あ……」
そこで、私は思い出した。彼女が教えてくれたハンバーガーの食べ方を。
私はそっとバーガーを持ち上げた。プラスチック製のピンで留められてはいるが、崩れないようにそっと両手で。無事持ち上がったことに安心すると、一転して両手に力を入れる。すると、あれだけ高身長だったバーガーがわずかに小さくなる。今は中肉中背といった所。
今日は窓際の席で一人だ。誰に気兼ねすることもない。私は大きく口を開けた。
確か、彼女はあの時、得意げにこう言っていた。ようやく思い出した。
『プレス&バイト!』と。
店員にお礼を言って外に出る。
いつの間にか雨は止んでいた。空を見上げると、雲の割れ目から太陽が顔をのぞかせている。はしたないとは思ったが、満腹になったお腹をさすった。白いコートの下では、さぞかしお腹が張っていることだろう。
大きく一度伸びをする。たまにはこういう食事も悪くない。ペコやアッサムを連れてきたら、どんな顔をするだろうか。それはそれで見てみたい気はする。バーガーにかぶり付く私に驚く彼女たち。その唖然とした顔を見て、私は笑うだろう。
でも、今一番一緒にハンバーガーを食べたいのは最近永らく会っていない、あの友人。
今度会ったら彼女に見せつけてやるのだ。ナイフとフォークを投げ捨てた私を。
雨が上がったせいだろう。周囲には少しだけ薄いもやが掛っている。街は再び賑わいを取り戻しつつあった。その中を、私は軽快な足取りで歩き出す。
久しぶりに連絡でもしてみようか。そう思った私はバッグから携帯を取り出す。
電話帳で検索するイニシャルは、アルファベットで『J』の次――