ひっきりなしに運ばれてくる料理と、ジョッキ。それらは瞬く間に空にされ、オーダーは繰り返される。その度に呼びつけられる店員も態度にこそ出さないが、少し迷惑そうだ。
私は、自分のグラスに刺さるストローに口を付ける。軽く吸い込むと、すでにオレンジジュースはぬるい。見ると、氷は溶け切っていた。雫が机にしたり落ち、丸い円を描いていた。
もごもごとした声が聞こえる。
「ふぉら!まこも食べて!飲んで!」
「食べながら喋るな、沙織」
一応、行儀の悪さを咎めては見る。
だがやはり、彼女は一向に気にしてはいないようだ。
「あ、コレ美味しい!コレも!この生春巻きは……ん〜!最高!」
皿の上から次々と料理が消える。口の中をいっぱいにした彼女は、それをビールで一気に流し込む。その様は、魔法を見ているかのようだ。
これまでにも、こういったことは何度かあった。これは、この友人が失恋をする度に行なう。暴飲暴食――つまりはヤケ喰いとかヤケ飲みと言った類のモノ。呼び出された理由も、連絡を受けた段階で何となく察しがついたものの、今日の儀式は特にヒドい。
「もう少し落ち着いて食べたらどうだ」
「ムリ」
一瞬だけ目から光を消した沙織。
そう言って、掴むが早いか一瞬で空にされたジョッキが机に叩き付けられる。ガチャリと空の皿がタップダンスを踊った。
これに毎度付き合わせられる私の身にもなって欲しいが、これを西住さんたちに押し付けるワケにもいかない。
時計を見る。
入店して、もう2時間。
時計の針は天辺近い。私は目の前の友人の介護と、午前様を覚悟した。
◇
2軒目は、どこにでもあるチェーン店。
ここでも沙織は相変わらずだ。ハイペースでジョッキを空け続けている。
変わったことと言えば、だいぶ呂律が怪しくなったのと――時折、会話に鼻をすする音が混じるようになったことくらい。
「なぁ、沙織。大丈夫か……?」
「んあ?ばかいってんじゃないよまこぉ。大丈夫にきまっへる!ずずっ……」
と、この調子だ。
今回の件の相手の名前をひたすら呼んでは、表情をころころと変える沙織。その姿は、人には滑稽に映るかも知れない。でも、私はその姿を見て胸が痛んだ。
余程ショックだったのだろう。アルコールのせいだけではないのが分かるほど、沙織の目は真っ赤だ。私はこうして話を聞いてやることしか出来ない。だからこそ、胸が痛むのだ。
「まこものめーっ!」
ぐい、と目の前に突き出されるジョッキ。
沙織の距離感は既に狂っているのか、ジョッキが鼻先に軽く触れる。感じる冷たさと共に、水滴が鼻先を濡らした。
◇
「まぁ、こうなるとは思ってたが……」
あれから3軒目、4軒目と居酒屋のはしごをした。最後の店で、その店の店長に追い出されるまで沙織の儀式は続いたのである。
当の本人は、さすがに疲れたのか眠っている。私の背中で。それは、学生時代からは考えられないことだった。きっと、これを見ればあんこうのみんなも驚くことだろう。
空を見る。もう朝が近いのだ。東の方には少しだけ朱が差していた。
あれだけ騒いでいたのに、眠ってしまえば静かなものだ。寝静まった街に、背中からは寝息一つ聞こえない。
私は、一歩一歩ゆっくりと踏み締めるように歩いた。起こしてしまってはかわいそうだからだ。もっとも、それでなくても起きるのは今日の夕方過ぎだろうが。
「ごめんね……」
耳元で聞こえたのは謝罪の言葉。
寝言だろうが、今日の話を聞く限り沙織は何も悪いことはしていない。きっと、悪いのは相手の方なのだ。誰に謝る必要があるというのだろうか。背負った沙織の重みが、心にまでのしかかってくるようだった。
もう一度空を見ると、明るみが増していた。
「ありがとう……」
今度聞こえたのは感謝の言葉。誰に感謝しているというのだろうか。自分を捨てて、次の相手に鞍替えした最低な奴に感謝することなどあるものか。それとも、短い間でしたが――ということなのだろうか。私には分からなかった。
幸いにして、沙織の家の住所は知っていた。と言うよりこっちに出て来て、いの一番に押し付けるように教えられた。こういう時にしか役にやったことはないが、まぁそれも良しとしよう。ひとまず、明るくならないうちに沙織をベッドに放り投げるのが先決だ。
私は、少しだけ歩幅を開いた。その時、また耳元でかすかに声が聞こえた。
「……まこ……」
私の名前だった。思わず脚が止まる。
「まこ、ごめんね……ありがとう……、まこ」
私の名前と、謝罪と感謝。
てっきり、昔の恋人へ送る言葉だと思っていたそれは、私に対するものだったらしい。
私は、彼女に何かしてやれていたのだろうか。
謝られるようなことを。有り難がられるようなことを。
そう思うと、何故か涙が出てきた。鼻水も一緒に。
何も出来なくて、ごめんなさい。頼ってくれて、ありがとう。
「それを言わないといけないのは私だよ、沙織」
鼻すすりながら、無理やり声に出す。
「ふが……!」
突然、背中から怪獣のような声が聞こえた。
今まで静かだったと思ったら、このタイミングで盛大ないびき。それが何とも滑稽で、涙など一瞬で引っ込んでしまった。多分、これが質問への答えなのだろう。明日聞いても多分、本人は覚えちゃいないだろうけど。
遠くで始発電車の走る音がする。
電柱にとまっていたカラスが3羽、夜明けの空に羽ばたいた。もうしばらくすれば、街も目を覚ます。
今度は私から沙織を誘ってみよう。何か、お祝いごとでも重なってくれれば御の字だ。その時は、沙織に極上のサイド・カーでもごちそうしてやろう。
一気飲みはするな、と付け加えて。