お酒にまつわる、エトセトラ   作:駄犬@

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ダージリンとオレンジペコのお話。
ペコちゃんは苦労人。
pixivにも掲載しております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8523298


ヨコハマ・ギブソン

 そばで歓声とも悲鳴ともつかない声が上がった。

 私は顔を上げる。

 どうやら、急に降り始めた雨に、会社員のグループが上げた嬌声らしかった。同時に、街中が浮足立つのが分かる。私は、これ見よがしに準備していた折り畳み傘を広げた。天気予報さまさまだ。

 広げたオレンジ色の傘を小雨がぽつぽつと叩く。私は、道をぽつぽつと歩く。

 雨は、次第に強くなって来た。この天気だ、雪になるかも知れない。

 

 指定したお店のカウンターで待つこと15分。指定した時刻ちょうどぴったり。恐ろしいほど正確に、その人は姿を現した。

「あら、ペコ。早かったのね」

「後輩の努め……ですかね。すみません、お呼び立てしてしまって」

「いいのよ。私も丁度飲みたい気分だったの」

 ダージリン様は備え付けのコート・ハンガーに上着を掛ける。掛けられた真っ白なコートは、雪を塗り付けたように白かった。私の隣に彼女は座る。

「いいお店ね」

 隣で、ダージリン様が呟く。今日、私がこの日のために選んだお店。それは、どうにか彼女のお眼鏡に叶ったようだ。

 場所は横浜市の中区。サンフランシスコ・スタイルのロング・カウンターが特徴的なお店だ。小さく流れるBGMは《virtual insanity》

「私たちは隣どうしの席でよかったのかしら。離れて座った方が……」

「グラスを端から滑らせる……なんてことを考えてないですよね」

「この店からグラスがなくなってしまうわね」

 自分で想像してツボにはまってしまったのか、ダージリン様はくすくすと笑う。

「とりあえず、何か飲みましょうか」

「そうね。じゃあ私は、ワインでも」

「私も同じものを」

「ペコも大きくなったわね……」

「なんですか」

「いえいえ。三日会わざれば……と言うものね」

 グラスを黙って磨いていたマスターに目くばせする。すると、彼は無言で頷いた。彼の手元のグラスには、一点の曇りも見えなかった。

 

「あら、美味しい。ペコが選んだお店だけあるわ」

 ダージリン様の言葉に、マスターが小さく頭を下げた。

「前に、先輩に連れて来てもらったことがあるんです」

「そこで口説かれた?」

「違います。チームの先輩ですよ。入団祝いに、って」

「無粋な先輩ねぇ。こんなにかわいい女性を前にして、口説き文句の一つも出て来ないなんて」

「からかわないでくださいよ。素敵な先輩なんですから」

「私よりも?」

 唇を尖らせるダージリン様。何となく感じる優越感。

 学生時代にはできなかったような会話が、妙に心地いい。

「ま。それはそうと」

 ダージリン様が続けた。

「今日は、なんの用なのかしら?」

 彼女らしい単刀直入な質問だった。

 私は無意識に視線を逸らしていた。ダージリン様の眼差しが、私の横顔を斬りつけるのが分かる。

 逸らした視線の先には色とりどりのボトルが並んでいた。ブラウン、グリーン。ホワイトにコバルト・ブルー。それらは、店内の薄明りに照らされて万華鏡のように輝いて見えた。

「それは……」

 言い淀む。

 こういう所は流石だ、と思った。他の人とは鋭さが違う。勘とはまた違った、嗅覚にも似た独特な感覚。彼女のそれは、学生時代よりも鋭敏になっているようだった。

「失礼するわね」

 隣でダージリン様がタバコに火を点けた。フリント式で細身のガスライターは、キャサリン・ハムネット。〝らしい〟チョイスだ。唇から吐き出される煙が漂い、空調に掻き消されては消える。

「本当は辞めたいのだけれどね。ワインの味も分からなくなると言うし」

と、ダージリン様ははにかんだように言った。それが、彼女なりの緊張のほぐし方だろうことはすぐに分かった。学生 時代にも何度かその表情にお世話になったことがあったからだ。

 私は、グラスに残っていたワインをぐい、と飲み干す。『話します』の合図だ。

「実は、相談がありまして」

「何かしら?子猫の里親募集なら、生憎だけれど……」

「そうじゃないんです。仕事のことで」

「随分と深刻ね」

「深刻です」

「話してごらんなさいな」

 ダージリン様は正面を向いたままだ。先ほどから、彼女はワインに手を付けていない。グラスの中はもう温くなってしまっているだろう。

「来シーズンのことです」

「もうすぐだものね」

「はい。私、ファームから上がれるのかなって……」

 私が今日彼女を呼び出した理由はそれだった。来シーズンへの不安をぶちまけるため。そのために彼女を呼び出したのだ。ダージリン様は黙っている。

 いつの間にか、BGMは《Cosmic Girl》に変わっていた。確か、このミュージック・ビデオに登場する紫のランボルギーニ・ディアブロは、事故で大破してしまったはずだった。

 ダージリン様は、一本目のタバコを灰皿でもみ消した。一拍間を置いて喋り出す。

「ペコの目標は何かしら?」

「え?」

「目標よ。1億円プレイヤーになる、とかブガッティ・ベイロンをキャッシュで、とか。殿堂入りする、とか自分のチ

ームを持つとか、そういう目標」

「そういうのは、まだちょっと……」

「まだ、ね」

 ダージリン様は二本目に火を点けた。

 薄暗い空間で、ゆらゆらと揺れる火種が蛍のように見える。彼女は続けた。

「多分、貴女は焦ってるのよ。ペコ」

「焦ってる?私がですか?」

「そうよペコ、焦っているのは貴女。他の誰でもないわ。貴女はプロ何年目かしら?」

「一年目です」

「そうね、一年目。しかし、本人は聖グロきっての装填手。ダージリンの後継者。同期には、あの〝首切りウサギ〟の澤梓。活躍を期待されながらも、今はファームでの調整を余儀なくされる……でも、〝一年目〟」

 そう言って、半分ほどになったタバコをもみ消すダージリン様。そのフィルターには、柔らかなピンクのグロスが張り付いていた。

 全てが図星だった。私は唇の裏を前歯で噛むことしかできない。

「焦り……というか。背伸び、にも近いかしら」

「背伸び、ですか」

「そう、背伸び。人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかにふるまうかにかかっている」

「ヘミングウェイですか」

「そう。でも貴女はまだ負けたわけじゃない。今、何が出来るか……するべきかを考えるべきよ。私が知ってるオレンジペコは、もっと我慢強くて、目標を持っていて、目先の利益では動かない聡明な女性だわ」

 何と言葉の回りくどいことだろうか。

 しかし、今の私にはそれで十分だった。十分すぎた。

 喉に刺さった魚の小骨が食道を流れていくように、ストンと自分の中に何かが落ちる。

 

『自分らしく、出来ることを』

 言葉に詰まったままダージリン様を見る。すると、彼女は笑っていた。

「すべての道はローマに通じてるのよ、ペコ。それを忘れないことね」

 そう言って、三本目のタバコに火を点けるダージリン様。彼女は、一時見ないうちに相当なヘビー・スモーカーになってしまわれたようだ。

「ご注文は?」

 マスターの声がした。私は顔を上げる。

 

「――ギブソンを、こちらの女性にも」

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