お酒にまつわる、エトセトラ   作:駄犬@

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ナオアリです。
エアハワイを満喫して書き上げました。
pixivにも掲載中です。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8646055


ホノルル・ウインド・バドワイザー

水しぶきが上がった。

 跳ね上げられた水滴が、シャワーのようにプール・サイドに降り注ぐ。

 どうやら、遊んでいた若い観光客のグループの内一人がプールに突き落とされたらしい。水面にざばりと顔を出した若者は何事かを抗議しているが、落とした側はお構いなしに笑っている。

 どこかの国の大学生だろうか。冬休みに入り、ハメを外しに来ているのだろう。リッチな学生もいたものだ。

 私は、頬にまで飛んで来た飛沫を親指で拭う。読んでいた日本語の雑誌を閉じると、傍らの白い丸机に置いた。布張りのデッキ・チェアから身体を起こす。

 サングラス越しに見えるホノルルの太陽。それは、もうしばらくするとクリスマスが来るというのに、日本とは比べ物にならないほど強烈だった。

「ハイ」

 丁度目の前を通った青い目のウェイターに声を掛けた。

 こちらもまだ若く、20歳を超えているようには見えない。アルバイトだろうか。

「何か、カクテルを」

「でしたら、おススメが」

「じゃあ、それで」

 そう言って、ホテルの中に消えていくウェイター。

 しばらくして彼は銀の盆の上に一杯のカクテルを乗せて戻って来た。

「お待たせしました」

 私はカクテルを受け取る。

「これは?」

「ブルー・ハワイです」

 そのロング・カクテルはハワイの抜けるような空の青をしていた。バターみたいに切り取って、溶かし込んだのでは

ないかと疑うほど。

「〈マハロ〉」

 現地語で【ありがとう】を言う。それから私は、財布から1ドル札を抜き出してウェイターに渡した。

「ごゆっくり」

 ウェイターは受け取った1ドル札をポケットにねじ込むと、軽く頭を下げて再び仕事に戻っていった。

 私は、その背中を見ながらグラスをまじまじと見つめる。デコレーションのパイナップルとレモン、それに現地のモノだろう一輪の花が、なんともトロピカルな一杯だ。

 さて、味見だ。

 グラスに刺さるストローに口を付けようとしたその時、声がした。

「随分楽しんでるようじゃないか、アリサ」

 ナオミだった。彼女が着ているラッシュ・ガードの水着は、プールには必要ないように思えるが、それしか持っていないのだというから仕方ない。対して私は、黄色のフレア・ビキニ。

「いいじゃない別に。カクテル位ゆっくり飲ませなさいよ。もしかして、アンタも飲みたかった?」

 私は、わざと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。ナオミは首を横に振る。

「また、お前がチップに10ドルも払おうとしてないか心配になっただけだよ」

 ナオミが私よりも更に凶悪な笑みを浮かべて言った。それは、私たちがここに到着した初日の、思い出したくもないダークな過去だった。

「性格わる」

「お互い様」

 

 

 夕暮れの中、海岸線を二人並んで走る。遅い午後の陽光を反射して、海は茜色だ。

 宿泊先であるアストン・ワイキキビーチ・ホテルを出て、カラカウア・アヴェニューを抜ける。途中のクイーンズ・ビーチには、まだ大勢海水浴を楽しんでいる観光客が見受けられた。

 水族館を右手に見ながら、ダイアモンド・ヘッドを回る。

 ベンチャーズでも聞きたい気分だったが、ミュージック・プレイヤーは生憎日本に忘れて来ていた。今は波の音とカモメの鳴き声がBGMの代わり。

 私たちはそのままアロヘア・アヴェニューを走り、ハワイ1号線と並走するように一気にアラ・モアナへ。

 ハワイでも随一のショッピング・センターへ着いた頃には、二人とも肩が激しく上下していた。これが、ここに来てからのロード・ワークのルートだ。

 日本の街並みとは、空気も何もかも違う街を走るのは新鮮だった。お陰で、ツラい筈のトレーニングもそれなりに楽しめていた。これだけ大勢の人がアロハ・シャツを着ているのも、日本ではなかなかお目にかかれないだろう。

「そういえばさ……」

 駐車場の脇道で屈伸をしているとナオミが呟いた。アキレス腱を伸ばしながら振り返る。

「どうしたのよ」

「なんで、ホノルルに?」

「ああ、場所ってこと?」

「そう。グアムとかでも良かったなって」

「バカね。グアムは取っておくのよ。虎の子よ」

「なんのために?」

「ハネムーン」

「ウェディングフォト・ドリーマー」

「うるさいわね」

「うるさいついでに今日はどうする?」

「そりゃあ勿論練習の後はアレでしょ」

「ん。乗った」

 そう言って、私たちは再び走り出す。今日はとびきり熱いシャワーを浴びてやろう。

 ホテルまではちょうど折り返しだ。

 

 

「エド。マイタイを頂戴。こないだ見たくラムを強くするのはナシね。そしたらその立派なお尻に17ポンド砲突っ込むわよ」

 私は言った。

 エドは、海岸線に店を構えるバーの店主だ。染めていない頭には随分白いモノが混じっている。もう60歳近いのだろう。

「私も同じやつを。果物はいらないから」

 と、ナオミ。

 私たちが座っているのはカウンター席。この店は、初日にふらりと立ち寄った店だ。ビーチにも直結で、グラスを持ったまま浜辺に出られる。その絶好のロケーションを痛く気に入った私たちは、ほぼ毎日のように晩酌をしに来ているという訳だ。

 シャワーを浴びて直ぐの火照った体に、海風が心地いい。

「アイ・アイ・サー」

 エドは、笑顔で頷いた。材料のジュースを取りに行く間、彼はお尻を抑えていた。

「……ったく」

 笑いながら悪態をつく。ロケーションだけでなく、彼の気さくな人柄も私たちを入り浸らせる理由の一つだ。

「いつ見てもエドは面白いな」

「否定なしないけどね。こないだのは冗談が過ぎるわ。やりすぎよ」

「まあね。お前、一杯で千鳥足になってたもんなァ」

 ナオミが取り出したタバコに火を点ける。銘柄はラッキー・ストライク。古いステレオから流れるのはリック・アストリーの《Together Forever》。確かに、この店の雰囲気には《グッバイ・ホノルル》は似合わないだろう。

 流れる軽快な音楽に乗せて、ナオミが吐き出した煙も踊っているように見えた。

 しばらく煙の行く末に目を泳がせていると、ドリンクが運ばれて来た。

「サンキュー。エド。注文通りかしら?」

「オフ・コース。毒見はしといた」

「なら、ちょっとまけなさい」

「マイタイの〝エド特製ジョーク添え〟だぞ。本当なら割り増しにするとこだ」

 そういうエドも自分用のグラスを手にしていた。それには、琥珀色の液体がなみなみと注がれている。どうやら、一杯あやかろうということらしい。

 そうして、私たちは三人で乾杯をした。

 

 何杯か飲んでいると、夜も更けてくる。

 店内にいる客も皆一様に赤ら顔だ。すると、突然大きな声が上がった。

「もういっぺん言ってみろ!」

 今度は学生ではない。いかにもアメリカの大男、といった風貌のイカつい男たちだ。全員頭を剃ってしまえば、ダーティ・ハリーに見えないことも――無い。

 どうやら、春先に開催される戦車戦の世界大会の話でエキサイトしているらしかった。

 隣のナオミを見る。彼女は目を閉じたまま4杯目のマイタイで喉を潤していた。ほんのりと頬に朱が射している。

「ねぇ」

「なんだよ」

「あれ」

「ああ……アレが?」

「気にならない?」

「酒の肴にはいいんじゃないか。丁度ジャーキーもなくなったことだし」

 ナオミが空の皿を指ではじく。

 冷静なナオミとは対照的に、男たちは更にヒート・アップしてきたようだった。周りのお客も距離を取り出している。

「ヘイ、エド?」

「あー……。ありゃあ、ほっとくに限るよ。普段は気のいい奴らなんだがね……酔っぱらうといつもああさ」

 耳打ちするように言う彼の口ぶりからすると、彼らは厄介な常連客らしい。エドの言う通り、ほおっとくのが一番なのだろう。

 だが、内容が内容であるだけに私の心はざわついていた。

 何も起こらないのを祈りながら、私はナオミに習ってマイタイを口に運んだ。

 

 それから、小一時間経っても彼らは怒鳴り合いを続けていた。

 よくもまあ飽きずに、と感心してばかりもいられない。掴み合いが始まったからだ。

 見かねたエドが重い腰を上げる。

「おい。二人とも、やめてくれよ。こないだは椅子を一つとガラスを2枚割ったばかりだろう?また、アンタら宛てに請求書を書くのはごめんだよ」

 心なしか、エドも及び腰だ。無理もないだろう。酔っぱらって激昂している男が何人もいるのだ。そこに、割って入っただけで拍手してもいい位だ。

 だが、一人の男がエドの前に立ちはだかる。

「すっこんでてくれ。これは俺らの問題なんだ。請求書なんざ、何枚だって書いてやるよ」

 エドの襟首を掴んで凄む男。私は、とっさに立ち上がっていた。

 だが、誰かに肩を押さえられる。ナオミだった。

「離しなさいよ」

「〈スロー・ユア・ロール〉アリサ。あれは〝エドの仕事〟だ、そうだろ?」

 右手で私の肩を掴んだまま、グラスに口を付けるナオミ。その姿に、私は余計に頭に血が昇った。

「離せってんだろ!このバカ!クールぶるのもいいけどね。アンタのそれはクールなんかじゃない。ただの腰抜けさ。私は助太刀に入るよ」

 私はナオミの手を振り払って叫んだ。素早くエドに駆け寄る。

「大丈夫?エド」

「あ、ああ。大丈夫さ。いいから、あっち行ってな」

 つま先を浮かせたまま、エドがそう言う。私は、男を睨む。

「アンタ。その手、離しなさいよ。迷惑してんのさ、ここにいる誰もかれもね。そんで、喧嘩は外でやりな」

 男は、仲間と顔を見合わせて下品な笑い声を上げた。

「なんだお前。どうやら日本人らしいが、今すぐ消えな。さもないと、頬っぺたにジューモンジの傷がついても知らねぇぞ」

「〈ファック・ユー〉」

 中指を立てて見せた私に、男は激昂したようだった。

 掴んでいたエドを投げ飛ばし、私の胸倉を掴む。予想はしていたが、かなりの力だ。私の身体は簡単に持ち上げられそうになる。

「殴るか?クソ野郎。やってみろ。それとも〝オンナは殴らない主義〟か?」

「この……!」

 男が拳を振り上げた瞬間、私はアザを一つ覚悟した。他の客からも悲鳴が上がる。きっと、私が殴り飛ばされるのを想像したのだろう。

 目を閉じて歯を食いしばる。大丈夫。親父の張り手よりは、幾分かマシなはずだ。

 しかし、いくら待っても私の顔が弾け飛ぶ気配はなかった。おそるおそる目を開ける。

「ナオ……ミ?」

 拳が飛んでこなかった理由――それは、ナオミが男の腕を捻り上げていたのである。

「バカアリサ。頭ン中火薬でも詰まってんのか?それかニトロだ」

 男の腕を更に強く捻りながら、ナオミは新しく火がつけられたタバコの煙を吐いた。

「こっからが、アタシの仕事だ」

 

 

 朝の風にヤシの葉が揺れている。

 水平線には、すでに沖に出ているらしいヨットのマストが見えた。

 海は少し波立っている。ウインド・サーフィンのセイルも数本立っていた。

 ホテルの玄関の前で伸びをすると、背中が小気味いい音を立てた。背後で自動ドアが開く。

「早いね、アリサ」

「バカ言いなさい。鶏よりも早起きだったわ。アンタこそ、寝ぼけ眼で大丈夫なの?」

 そう言って、隣に並んだナオミの脇腹を小突く。私の手を払いながら、ナオミはポケットからタバコを取り出した。無造作に火を付ける。

「オーライ。気付けに〝冷たいヤツ〟を一発キメてきたから」

「……冗談よね?」

「ああ、冗談だ」

「じゃあ」

「行くか」

 ナオミがタバコを指先で弾く。それは完璧な放物線を描いて、灰皿に落ちた。

 

 結論から言おう。昨日の出来事は、乱闘になる寸での所で駆けつけた警察のお陰で、事なきを得た。エドが呼んだのだ。見ていた他の客の証言もあり、私たちは無罪放免されることになった。

 今日が、ここホノルルでの自主トレ最終日。明日の早朝にはタクシーに詰め込まれて空港行きの予定。

 私たち二人は、どちらともなく朝から走ろうと言い出した。私としては、あのプールサイドも名残惜しかったけれども。

 早朝の海岸線に足跡が二人分響く。着ているTシャツの裾が、風にはためいた。

 私は言った。

「ナオミ」

 私の方をちらりともせず、ナオミが答える。

「『昨日は、悪かった』とでも?」

「う……そうよ、その通り。腰抜け、なんて言って悪かったわ」

「オーライ。謝ることじゃあない。アンタが、切り傷作ってハネ・ムーンに行けなくなったら後味悪かったしね。それに謝るなら、エドに」

「そうするわ。でも、もうマイタイは懲り懲りね」

「違いない」

 日本に帰れば、すぐにシーズンに入る。WTCが始まれば、あの男たちの揉め事の答えも出るだろう。

 私が、私たち二人が選手として召集されるかは分からない。だけど、それなりのことはやってきたはず。後は、神のみぞ知る、だ。

 今にして思うと、昨日のあの騒ぎ。そのまま警察沙汰になっていれば、私たちは日本の連盟から大きなペナルティーを科せられていたかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。もしかすると、エドが駆け付けた警官にワイロを渡したのかも知れない。私は、恨めしい顔をしながら札を懐から取り出すエドの顔を思い浮かべた。首を横に振る。

「お礼もしないとね。ナオミにも」

「そうしてもらうとありがたいな。でも何を?」

「私のサイン?」

「バカ」

 二人を一台の車が追い抜く。77年型、シボレー・K10だ。そのクラシック・カーの筋肉質なボディは、朝日に似たオレンジ色をしていた。

「アンタには、ステーキを一ポンド」

 ナオミが口笛を鳴らした。

「エドには?」

 私は、カーブを曲がって消えていくシボレーを見ながら続ける。

「バドワイザーを浴びるほど」

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