烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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11.吉田孝頼のこの謀略

長宗我部国親が千雄丸と呼ばれていた頃から側に仕えた家臣。

千雄丸が国親になり、一条房家の威信を借りて岡豊城に入り滅亡していた長宗我部再興となると、当主国親に国親の妹を貰って準一門衆となる。

長宗我部の謀略担当。香宗我部家(親秀の子、秀義は1526年に死亡。秀道の長男は1541年に生まれる。秀義が生まれが1506年に生まれたとすれば、秀道は20で初婚と考えてこの、国親の長女が旦那とする人が判らない。国親は1504年産まれ。13〜15歳で中村で結婚したと考えても秀義が死ぬ周辺で長女は10歳くらいか。とすると、今度は元親や親泰の生まれと間が凄く空く。このへん凄く不思議。間が空き過ぎるので長女誕生は1535年頃じゃないかと思うな。……正室の祥陽に子が出来なかったとかじゃない限り、国親の長女の歳とか孝頼のこの謀略とか無理が生じてる)に嫁ぐはずの国親の長女を本山家に嫁がせた。

この謀略により香宗我部と本山に亀裂が入り、対立を生むと香宗我部は本山と戦力を削りあって国力が低下した。

こうして、小昼の爺こと吉田孝頼は本山と戦わずに長宗我部家の戦力を蓄えることに成功させたんだけど。

歴史の闇を覗いた気分だよ。香宗我部の何さんに姉上が嫁ぐ約束が行っていたのか判らないけど、それをバッサリ綺麗さっぱりキャンセルかまして、本山にすげ返る。なんというウルトラC。これは香宗我部も怒る、怒っていいと思う。

でも、領地繋がってない……香宗我部を本山がどうやって戦するのさ?

そこが、山しか無い国、土佐の不思議で山を越えて正確には久礼田の辺りで、我が家長宗我部と本山が香宗我部を相手に戦ったのです。娘を出すから、香宗我部の逆恨みをどうにかしてくれってことですね。ようは、香宗我部が親戚になるより、本山を親戚にして置いた方がいいと。

香宗我部は安芸にけちょんけちょんにやっつけられていましたから、香宗我部って実は頼りないな……そうだ、本山に娘を嫁がせた方が特じゃ無いか?的な、天秤の秤が傾いたわけでしょう。

そんなわけで、長宗我部に手のひらくるーりされたので、逆恨みをして攻め込んだは良いものの跳ね退けられてしまったからか、香宗我部は二つに割れます。

隠居した兄で親秀派と、当主で弟の秀通派。(このへんの年齢的にも兄弟は不思議で、実は1526年に死んだ秀義の弟ということを親秀の弟になってるんでないかと妄想したり。詳しく書いた資料残ってるんでしょうかね?)

見事に吉田孝頼はお隣の香宗我部を親長宗我部派と反長宗我部派に割って、戦力もがっつり削ってしまうという一石二鳥をやってのけるのでした。

で、待っているのは親泰の当主就任と親秀の弟・秀通の暗殺ですね、割りと有名な事件です。親秀が狩りに誘ってその最中に親秀に当主・秀通が暗殺されるって話です。

これを仕組んだのも吉田孝頼って説もあってですね。実は腹の中は真っ黒なんです、爺は。そうは言っても香宗我部を潰さずに乗っとるためには、反長宗我部派の当主・秀通は邪魔過ぎたのできっと必要だったんでしょうね。本来は、そんな歴史がこの後に待っているのですが、果たしてこの先にそんな未来があるのかどうか。

なにせ、小昼がすでに嫁に行ってないせいで香長が手に入れれてないですもんね……後悔はしてませんが!半分海賊半分武家みたいな池家に嫁ぐなんて、嫌ですよ。

 

 


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