烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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17.ある兵の日記

(1553年)天文22年─久礼田村─初夏

 

境の村の者が陳情。その出で立ちはものものしく。

 

村は貧しいが隣の植田は青々と実っている、これは此方の村の水源が少ないからだ。植田を取って我らの水源を確保してほしいとの言い分。

 

ものものしく武装した一団は山田も西内も攻め取れないようだから、自分らで植田に攻めて二、三人殺した上で略奪をしてきたと報告。すぐに殿にこの事を伝える。

 

殿は長宗我部からそのような報告はないとしながらも、村の者の訴えもその通りであるとし、この土地を切り取れば村の者は文句がないであろうと笑う。

 

殿自らの出撃。見事な奇襲となり、抵抗少なく成功。自身も従軍してこの田畑を焼いて帰る。陳情のあった村の者らも従軍。彼らも自ずと略奪をしてまいったようである。

 

次の出撃は、失敗となる。

久礼田城主の久礼田国祐以下、久礼田を領地とする兵らが反応。こちらは殿の嫡子元友、三男今景らが参加。陳情のあった村から集めた村衆と手勢にて、境を越え久礼田領久礼田村に侵入。

待ち構えていた久礼田兵と妙典寺にて会戦、遇い対す。

山田元友、囲んで凪ぎ払えと命令。我らその通りに陣形を形成して久礼田に当たる。

互いに弓を打ち合い。これに効力無しと判断した元友は、足軽に構わず鎧を纏う将に当たれと命ず。黙視にてこの時点で確認できず。

乱戦の様相。見上げると空は曇天。雨がちらつく。暫くして、久礼田側から騎馬ひとつで駆け込む者あり。この者、長宗我部元親と名乗れば。元友、この者と打ち合う。それより暫し、鴇の声上がれり。

 

声のする方、丸に七つ酢漿草の旗が立ち並び、それを見たお味方浮き足立つ。矢羽飛び、我らの後方逃げ場無し。見る間にお味方討ち取られ。その際、元友騎乗する馬が主を振り落とし。元友落馬。それを見た我ら駆け寄りて元友救出に走る。元友逃がす為に今景の隊残り、追いすがる久礼田兵相手に奮闘するも虚しく。我ら捕縛となり。こうして文を書いてこの地ににて報告するものである──

 

「よしよし。まーそれなりに書けているじゃない──これ、読んで貰うために書かせたんだからね♪」

 

岡豊からこんにちは。

西内相手に初陣を済ませ、やり遂げた感いっぱいの小昼なのです。

 

今、捕まえた西内今景と、この文を書かせた今景の主従を引き連れて岡豊に帰って来ています。

何をさせたいかってゆーと、西内がやっつけられて惨めに負けましたとゆー、朗読をさせようとしてるわけでしてね。

 

岡豊の城下町で、舞踊を普段は誰かがやっている城下町で一番目立つ場所に引き連れてきてたり。

ここで、この朗読。

これは岡豊の兵の士気もあがるのではないですかね?

 

「誰が一回で終わるって言ったのよ。はい、もう一回」

 

「おい、まだやらせるのかよ!」

 

なんて、強がる今景くんのよこでまた自分で書いた日記を読み上げ始める主従。

それを見て、苦々しい苦悶の表情でまた今景くんが観念したように朗読を始めるのを見て、小昼はにっこにこ。ご満悦なのですよ。

 

こうして、声が枯れるまで二人の朗読が野次馬でごった返す岡豊の大通りのど真ん中で続くことになったわけなのです。

負けた方に、よもや人質に何をさせて楽しむかなんて勝った方の気分次第で。

 

それが判っているから般若の顔をしながらも今景くんは朗読を続けるしかなかった。そーゆーことですね。

朗読をするとゆーことで、

「声がちいせえぞ」

 

「聞こえなかったから、もう一回な!」

 

野次馬もそれなりに楽しんでいるようです。今景くんがものっ凄い怖い顔で野次馬を睨みながらもオーダー通りにそこをまた読み上げます。

 

「──我らの後方逃げ場無し。見る間にお味方討ち取られ。その際、元友騎乗する馬が主を振り落とし。元友落馬。それを見た我ら駆け寄りて元友救出に走る。元友逃がす為に今景の隊残り、追いすがる久礼田兵相手に奮闘するも虚しく。我ら捕縛となり。こうして──」

 

いやー、楽しんでいる。

小昼も楽しかったです。

恨まれる?知りませんよ、いざとなったらヒャッハーでザク、シュッ!なのです♪

 

 

 

 

 

 

 

 

勢力の弱まり、そこから回復しきれていない香宗我部を攻めるとなっての準備が進んでいます。西内撃退のように少数で戦うんでなくて、威力制圧の面もあるので全力出撃となるようなのです。

岡豊の城下を中心に勢力下の領地全域に陣触れいわゆる所の徴兵命令、お前んとこからこれだけの兵を差し出せってゆーわけでして、爺は千以上が集まると。

 

ん?知ってる歴史上だと大津攻めで八百出したのが全力出撃だったんでなかった?しかも、細川攻めの後だったのが記憶にある。で、納得いかずに爺に違うんじゃないの?って尋ねれば、千を出せる種明かしがされる。

 

「姫様の使った川原者を数の上では計上するので、千以上……二千には届かず、と言った戦力が用意できるのですよ」

 

なるほど、それなら納得だ。練度は無いに等しいけど、数だけならこの階級の人たちが多数岡豊に流れてきている。遠くは海を越えて豊前から、近いとこだと安芸や細川からもやってきてるんだとか。彼らをこれらの国や地域が冷遇した結果、人づてに岡豊にいけば、岡豊にさえいけば食い扶持に困らない。なんて、流出を他国は許してしまっているどころか、岡豊が川原者を集めているなら。とこれら川原者を含む厄介者扱いされている人々を国外追放する国もあるんだそうで。

岡豊、川原者の人たちで溢れてます。雇う手前、這うぼうの体で、まさに藁にすがってきてくれているこの人たちを川原者のまま、字面のまま家無しにしておくなんて不義理なので。小昼も一肌脱ぐことにしたのですよ。「一条のオジサマぁ〜、銭出して♪」それを受けて岡豊から国府にかけて大建築ラッシュとなっているわけなのです。

 

カーン、カーンッ!

トンテンカンテン、あっちもこっちも長屋と呼ばれる集合住宅か仮設住宅か、そんなものが立ち並ぶ事で急増した岡豊の人口でもなんとか、どうにか家無しのままにしない。義理を通せそうなのです。……全てを今すぐとは約束出来ないのでしばらくは……あの、地獄の腐敗臭のする、肥料工房に蓙(ござ)敷きで床にそのまま寝てもらうことになるのは申し訳ない限り。でも、「雨をしのげるだけでいいです」なんて笑ってあの臭いのなか衛生上とても人間が寝ていいわけない場所でねおきしてもらってるとゆー状況が100日以上は続くことになるのですよ。実に申し訳ない。これには非常に当然すぎる訳なのですが、圧倒的に大工がいないんですよ、岡豊には。

頼りたくないらしいんですがやむをえず本山や細川や香宗我部や山田からも大工がやって来てトンテンカンテンしてるんですぐ状況は変わると思ってたんですが、そうでもないようです。何故か?

三階建てアパートの建築を進めていたからという小昼のせい?なようなのですね。解せぬ……。人口激増なんだから、住居に回せる土地だって限られるんだから。アパートは譲れなかったのですよ。大工からは、城か砦を町中に新たに作るんで?しかもこんなに大量に?目的はなんなんです?なんて、疑心をもたれたり。




お、やれば出来る!一時間と30分でぶっつけ本番プロットなし書き上げれました♪

普段は3000文字くらいだと4時間くらい悩んでるですが……


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