烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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18.めんどうな訪問者

さて、岡豊が大フィーバーな中。

一方こちらは最近は話題にも上がらなくなった本山。

 

領地の接してない勢力だから今しばらくは当然な気もしないでもない。

 

かといって、決して長宗我部家からすれば無視してよい、無視できる存在では無かったことを書き加えることとしよう。

 

 

 

(1553年)天文22年─土佐本山─本山居館

 

本山茂辰

 

「ほう、……ほう……ううぬ、何?……そう、……そうか……なるほど。ん……御前も読むか?」

 

若い青年が先程届けられたばかりの書状を黙読し、目を通している。

 

この青年、名を本山茂辰といい、小昼や三兄弟の姉、長宗我部国親の長女を嫁に貰っていた。

 

黙読はしていたが、近くに座って我が子をあやしている女性にもなんとなーく、判るだけの興奮を隠せていない。

 

普段より早い、なかなかな勢いで書状を次へ次へと目を通し、知らずに唸り声さえ時々洩らしている。

 

だんだん、背中越しの、後ろからの、じぃぃと、ねっとり絡み付くような視線に耐えられなくなって、本山茂辰が女性に御前と呼び掛けながら、書状を差し出す。

あわてて畳んだのか書状はくしゃと潰れて。

書状を包んでいた包み紙に納まりきれていない。

 

御前こと長宗我部国親の娘は書状を受け取り、広げようとして気付いた。

我が子の重み。

 

これでは書状を読めそうもない、と差し出された書状を突き返して、抱いていた我が子を本山茂辰に両手で抱えて手渡す。

 

「んっ、はい。これ」

 

本山茂辰は受け取った我が子を抱き上げ、その重みを生を確かめる様に見詰める。

赤子はこの時期、すぐ死ぬのだ。

目を常に掛けていても死ぬ時は死んでしまう。

 

長男、次男の時は戦続きでゆっくり抱いてやる暇もなかった、まだ首も座ったばかりの赤子。

 

茂辰は、まだ若さの残る顔で赤子を笑わせようと奮闘しているようだった。

 

口角を吊り上げたり、目を中心に集めてみたり、鋭いその目を、片方の手でたれ目のようにしてみたり、と四苦八苦。

 

それはこの戦国の世でも先の世の平成でも変わらない、父親が我が子に向き合う微笑ましい姿だった。

 

「長宗我部からの使者の文に何か、面白いことでも書いてあったのですか、下衆のような笑みを浮かべて」

 

「いや、なに、そうか……?

下衆とはこれまた酷い言われようだ。俺はただ……」

 

今、この居館のこの部屋には二人と小さな赤子しかいない。

 

何かとうるさい側近も、厳しく監視するような本山家一門の目もない、プライベートな空間だった。

 

だからだろうか、御前も普段より砕けたしゃべり方である。

 

人質同然の嫁入りではあったが、虎の子はやはり虎ですよ、という持論を持ったこの娘はことある毎にそれを唱えるように、諭すように夫である本山茂辰に言い聞かせてマウントポジションを取っていたりする。

 

まあ、その話はどうでもいい。

 

「まあっ。そうなんだ。初陣を勝ち戦で飾ったと書かれてますね……これを見て笑うとは、旦那様のその笑みの裏に何があるんです?」

 

書状には、先の撃退戦のことを伝える文が書いてあった。

 

御前も知らぬことだが、この書状……西内今景の主従、清水川在景の書いたもので、あの朗読文さながらに西内の負けっぷりが伝えられていた。

 

もちろん、清水川にそれを小昼が強要したのは言うまでもない。

 

領地の接してない本山に対しても、山田がこんな風に負けたぞ。と伝える意味でも効果抜群なのであった。

それは長宗我部の武勇を誇る上でも。

長宗我部の復権を報せる上でも。

 

「その……なんだ……。岡豊へ行くぞ!昨年は色々立て込んで春に訪れたきりだったゆえな」

 

「ふふ、では何かお土産をつつまないとね」

 

本山茂辰はまだ知らない、小昼の元服を。

小昼が書状の中に登場した元親であることを。この時点では。

 

それは御前も含めてのことで、姉である御前も弥三郎の初陣であろうと思っていたのである。

 

長宗我部との緩い友好関係はまだ続いており、一条という壁が両家の間に取り持っている内はまだ決定的な決裂は起きようがない。

 

一条に城も領地をも差し出して従属した、天竺花氏(二代目。花氏の父から名を継いだ)が居る大津がどちらかの勢力に零れ落ちるまでは。

 

この大津が長宗我部、細川などに封を成している状況だったため、大津以西以南は勢いついた本山の圧力に屈して、本山寄りの勢力が多くなっていた。

 

本山茂辰ではなく、皆が恐れたのはその父で本山梅渓茂宗だったのだが、勝っている内は傘下も茂宗だから、茂辰だからと口にするものも居なかったため朝倉城を中心に大高坂城、潮江城、長浜城、横浜城などが本山家の勢力下にある。

 

茂辰が昨年色々とあったというのも、朝倉城から西の勢力である、波川氏や吉良氏とよくない状態になっており、一触即発な、何かを切っ掛けに一気に火があがって戦が始まる、そんなきな臭い機運が波川吉良両家に漂っていたという訳だったのだ。

 

という先の文を踏まえても、嫡男本山茂辰の岡豊行きの旅行は家臣一門の目から見ても『このような時に不用心な……』と冷ややかな目で見られるなどしたのだが当の茂辰の方は、

 

「波川や吉良と違ってむしろ安全に決まってんだろ」

と、側近や家臣を言い含めての出立となった。

本山城を出た茂辰の一行は一路岡豊とは行かず、一度朝倉城に寄り、大沢城に入ってそれからの岡豊入りとなる、それが意味するところは各要所への威力偵察を含んでの岡豊旅行だったためであった。

 

里帰りするにも、表向きは威力偵察としなければ家中が納得しない、現在の本山の危うさが浮き出ているといえる。

 

本山茂宗のカリスマとワンマンが支えるこの本山家に措いて、茂辰はその後継として相応しい振る舞いを要求されたと言っておこう。

一路、岡豊。ならば一日掛からないところを5日要する里帰り旅行となるのは、御前としても少し悩ましいところであった。

 

国を跨いでの里帰りでもないのに、大勢を引き連れての行軍。

 

勿論のこと先触れもゆくゆく先に出されており、物々しい警戒が続くなかでの旅行となった。

 

このことを何時も里帰りの度に強要されるので、御前は近くて遠い里帰り。

といつも憂鬱になるところも無くはなかった程だ。

 

先触れはもちろんのこと長宗我部家にももたらされ、小昼も知るところとなると。

 

「ねーさまのお帰りだ。やった!」

 

と小躍りするほど喜ぶ小昼の姿も窺えるほどにある。

「ねーさまが帰ってくるぞー!」

 

「ねーさま、お土産はなにを包んでくれたかにゃー?」

 

親貞こと弥五良、親恭こと弥七郎もそれに追随する姿も見れたとか。

 

「……めんどくさいにゃあ」

 

ただ一人、弥三郎を除いて兄弟姉妹が姉のたまにある里帰りを喜ぶ、その一方この男は、

 

「娘め、年始めにも挨拶に来ないくせに急に腰を上げおってにゃ。

天竺の大津が素通りさせた以上断るわけに行かぬがにゃ、……本山の手勢を岡豊に入れるのだけは毎回先祖るいるいの方々に申し訳なくなるにゃ。

仕方のないことだ、とは、思うのだが!」

 

拳に握った先触れを報せる書状はグシャグシャに潰されている。

 

力任せにこれでもかと力を込める。

 

それだけ長宗我部家の当主、国親は本山を憎み、恐れていた。

 

目を閉じなくても浮かぶのは、今も座るこの岡豊城に本山が討ち行って来た幼き日の凶事。

 

そこで、父を母を共に失い数名の家臣の手で中村に届けられて雌伏の時を過ごしたのだから。

 

嬉しく思う娘の里帰りよりも、憎みひとしおの本山の手勢が岡豊を踏むことに憤慨し、腹が煮えくり返るこの男こそ長宗我部家の当主たる長宗我部国親。

 

またの名を野の虎、と言った。

 

土佐全体を巻き込む、巨大な嵐の中心人物のひとりでもあった。

 

本山茂辰到着の報が届けられると、一声吠えて部屋を後にする。

 

その背には金色に輝く虎が棲んでいるようにも見えた程だった。

 

一方、その頃の茂辰。国親に憎悪の錐をつきつけられていることも気にかける素振りもなく国分川を渡り、岡豊が見える丘の上で変わりゆくある岡豊の姿を目にしていた。

 

「ふおーなんという、……これはなんという事だ。岡豊は国府たる役目も果たせず、廃れていたと思ったが……暫くぶりに目にすればまた違う。なんという事だ!あちらも、こっちも、城か砦でも立てているのか?それも、こんなに沢山」

 

「まあっ。我が生家は今ぞこの世の春を謳歌しているといったとこでしょうか、旦那さま。本山はおろか、朝倉もこれには霞む……」

 

「うう、言うな。戦ばかりで土地はあっても復興に手間のかかることだ。見ておれ、あと100日。いや、一年後には朝倉にこれと同じ、いや!これに勝る光景を仕上げてやるさ」

 

茂辰の、感嘆からの言葉に御前も続くとちくりと一刺し。

 

それに茂辰はたまらず落ち込みそうになるところを持ち返す。

 

そんな、自身にも言い聞かせるような、暗示のような強がりで、茂辰は一定のプライドを保つのであった。

 

今、二人は共のものを大津を抜けさえすれば、危険は無しとして国分川を渡りきると置き去りにして、単独一騎にて馬上で前に御前を斜に座らせ、茂辰がそれを支えながら馬を止めて、一息つかせて休ませながら丘の上の木陰から岡豊を望んでいるところ。

 

今、まさに眼下の岡豊は建築フィーバーで、この丘から見る岡豊では、なにやら大きなものを各所に建て始めているのか見てとれた。

 

それからの先の茂辰の言葉である。

 

それは見事に、城か砦でも建てているように御前の目からも見えたのだった。

 

こうして、本山茂辰の手勢が岡豊へと無事に入ることとなった。

 

「国分川に流されて、露と消えりゃよかったのににゃあ!」

 

とは怒れる男の言葉が、その報告を聞いてついつい口走った失言であり、心からの本音であった。

 

それはそれで、孫の顔をを見れば虎も大人しくなるあたり、赤子はもっとも怒りを沈めるための兵器だったのかも知れない。

 

 




※この作品はフィクションで、歴史IF作品です。
本山がここまで長宗我部に譲歩した動きをしてはいません、実際は。
茂辰と長女やることはやりましたが、仲はよくなかった様子。まあ……国親の遺言の強烈さもありますが……。





清水川存景──完全な、ベースもないオリキャラ。
この先登場あるのかも怪しい……。


ここまで読んでくれてありがとう!

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