烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど! 作:ぴんぽんだっしゅ
《1553年》天文22年─立田・立田天満宮
長宗我部国親
立田天満宮は祀る祭神は菅原公嫡男の乳母であるといい、潮江天満宮の祭神となっている菅原公嫡男・高視に道真公遺愛の八重の白梅の株を太宰府より届ける際、ここ立田で息を引き取ったという謂れがあります。
アクセスは土佐くろしお鉄道立田(たてだ)駅徒歩1分
そんな立田天満宮には今、血気盛る長宗我部国親を中心とした、長宗我部の軍勢が拠していた。
その天満宮のすぐ裏手にひとつ、立派な城が建っていた。
この城は徳弘城といい、菅原公嫡男・高視が土佐に流されて来たので付き従った支族の後裔で、菅原姓を名乗る由緒ある家系である、徳弘氏の拠点である。
余談になりますが、この徳弘氏の末裔にあの徳弘正也氏がいます。余談終り。
細川氏の勢力下にあったこの徳弘氏。弱体化した細川氏からの寄進が天満宮にされなくなると、寄進をしてくれて厚遇してくれた山田氏に依る。
そして、やがては山田家が滅亡すると他の国人と同じようにして、長宗我部に降る。
言ってみれば金払いの悪い細川から山田に乗り換えてみれば、その山田もあっさり無くなってしまって、仕方無く長宗我部に付くと言った所な、この時期そこら辺にありふれていた、弱小勢力だったのでしょう。
それでも天満宮への寄進により、城だけは立派な家柄だったのです。
そんな徳弘氏も弱小とはいえ国人の一人。大挙してやってきた長宗我部を見て、一言を言わねば気が休まらぬ。
と国親の前まで戦装束に身を包み、やって来たのでした。
が、戦の空気に猛りあがる悪鬼の様相の国親を一目見て、しまった!と思ったが既に遅い。
「徳弘の城主かにゃあ。今夜はここ天満宮を借り受けるがええよにゃあ?」
「……う、構いませぬ。あ、しかし、殿に一言あっての事ですか……な?」
「知らぬ。徳弘と言うと、主は山田元義かにゃ……西内には、香宗我部を攻めるとは伝えておるわ」
青い顔をして、声を必死に絞り出す男に対して、国親は威圧的な返答で返した。
国親も徳弘は山田に依っているのを知ってはいたが、目に映っていたのは目の前に迫る、敵である香宗我部の姿だけだった。
用は徳弘なぞ相手にすらしていない。見逃せ、と暗に言っていたのだ。
徳弘の主である山田家の実権を握る一角・西内常陸とは、この密かに準備を進めていた香宗我部との合戦のために手打ちとして、人質に取っていた三男を返している。
山田氏は弱体化していく香宗我部とは敵対して、領地を思い通りに切り取ったとはいえ、縁り深しい山田は香宗我部と親戚に当たるため、味方されるのを嫌ったために岡豊に人質を残しておくと、留守にして空けた岡豊城を西内が攻めない、とは言いきれないからだ。
攻めて来ても、人質を盾に退かせる手もあったがそこは小昼の、
「平時で人質を盾に攻めさせないなら判るよ。でも、城を城番の兵だけにして撃って出るなら、あえてそこは人質を返した方がいい。それに──」
ちゃあんとトラウマを植え付けて、調教して、洗脳してるから大丈夫。
と続けるけけけ、ともののけ染みた笑いを浮かべて自信満々な少女に諭された吉田孝頼が折れて、晴れて人質二人は西内常陸の元へ送り届けられたという一件があった。
「この戦、勝てば良し。負けた時はみておれよ、国親め。名門、菅家の流れを汲む我が徳弘を霞でも見るように言いおって!」
すごすごと帰っていきながらも男は恨みがましく振り返って、松明の灯りで明々と照らし出される天満宮を睨み付けてそう零すと、頭を抱えながら拠点である徳弘城へと来た道を肩を落として帰っていく姿がしばらく見られた。
負け犬の遠吠え。
正に、そんなワンシーンである。
男は知らない。この後、天満宮を殺戮の舞台として長い長い夜が始まる事を。
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