烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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40.岡豊からの使い

届けられたお手紙をその場で開く。なるほど、ほむ……解せぬ……。

 

「へっ!へぇー!ふむふむ、おー!?」

 

《1553年》天文22年─土佐・深淵郷大谷城

 

長宗我部小昼

 

おはよう御座いましたー!皆様働き過ぎてませんか?小昼です。

深淵郷を好き勝手やっていいと言われて、大谷城はすっかり小昼の棲みかになりつつあります。そのせいで、香宗我部に向かった岡豊の使者が小昼の後ろでぶーたれていたり。

 

岡豊からやって来たのは一度香宗我部から帰って貰った菊さん、それとその後ろに十人くらいの思いを同じにする同胞。姫武将とか女武士とかようは娘さん達。

 

「ひめせんせー、酷いですね!」

 

菊さんが口火を切ると一斉に集中砲火が始まった。

ポニーテールや三つ編みの少女たち、白で揃えたくくり袴の集団が口々に言いたいことをいい始めちゃったのですよ。

 

「そうですそうです!」

 

「香宗我部だって遠いのに……」

 

「二度手間」

 

「物部川を越えて、物部川に戻る身になってくださいよ」

 

「御座る御座る」

 

聞けば金剛山をぐるっと北裾から香宗我部に着いて、そこから金剛山の南裾を大谷の村村を通って、大谷城に着いたのかって想像出来て、二度手間は正にその通りだなって思ってしまう。

 

茶くらいはだそうじゃないか。左馬之介のものだけどさ?

大谷城も好き勝手に使っていいと言われてますし。

 

「……あー菊さん、それに皆も言いたい事は判ったよ。それはごめん!──で、何なの?ね、この娘さん達は」

 

大谷城の縁側で少女たちを引き連れた菊さんを出迎えた小昼は、軽く頭を下げてごめんする。

見知った顔が並ぶ、その顔触れにいつか読み書きを習いに来ていた生徒さんたちだって気づいて、それぞれに視線を合わせるとその度に意味ありげにふふっと微笑みで返された。

 

「好きにしろと言われたので。こちらでひめせんせーの側近衆を作らせて戴きました。こちらご覧ください。七つ酢漿草(かたばみ)を半分にして、……半分に天に輝く陽を。つまり昼の中天に登る太陽をひめせんせーのお名前から取って拵えて見ました。どう、ですか?」

 

半分が黄色いナルトのとぐろでその回りを九曜紋よろしく七つの星紋が彩る。なんだ、この……見た事ないデザインの意匠は。

菊さんがにまーっと妖しく微笑み返し、握っていた紺地の布をぶわさぁと広げて掲げるとそれは目の前に現れたのです。

 

いつの間にか何人かで掴み、サイドをきっちりと広げると、まるで応援旗のような大きさがありました。長宗我部家の旗じゃダメだったんですかね……大きく目立つ。

それになんですか。側近衆って。小昼、聞いてませんよ。

 

「父上には……」

 

「まだです。陣旗ではなく普段使いですから」

 

そこ、菊さん。どーだと言わんばかりに胸張っても、サラシくるくる巻いてるからぶるんともぼよんとも弾まないじゃまいか!

 

「……頭痛ぁ。なお悪いわ、ふぅ。でも見事ですよ!小昼の昼から連想して中天の太陽をって──厨二ぽくていいです!このデザイ……ごほん!凝った意匠が!ほんと素敵ですよ。菊さん」

 

「ふふふ。でしょう……?実は前立ても政常として立つ時用に注文を済ませました」

 

政常というのは菊さんの元服名だ。福留隊に入るものだと思ってたんですけど、隊が出来てたんですね?小昼が率いるんですか?突っ込み処が多すぎます。

ニコニコ笑ってたり、意味深な笑いで後ろの子たちに見詰められてたのはここで解けたのです。

 

 

えー?それは無謀な気が、凝った意匠はそれだけ前立て──兜の中央や脇で存在感を見せつける付属品。

ここで各将の個性が光るとこ。

鹿の角を象ったり、エビだったり家紋が光ってたり。

小昼は何かで見て可愛いーと思ってた下がり栗鼠を採用。

上部は栗鼠の尻尾で下部は栗鼠の本体。

別の職人が作ったとは思えない再現度だったりする。まあ、それは置いといて。

 

「これを前立てに使うんですか……」

 

「ひめせんせー、あの可愛らしい栗鼠よりは立派でしょう?」

 

「可愛らしいは正義。イエス、可愛らしい、正義!」

 

とゆうやりとりもあったんですけど、実にそんなことはわちゃわちゃやってる分には良かったんですけど、菊さんが持ってきた伝文の中身が危急を報せていたのですよ。

 

ここで冒頭に戻します。

 

まず──本山と池が。戦をしてました。

時系列的には細川救援に池が発った後です。香宗我部と長宗我部が戦い、細川が天満宮を向かった頃だと思われる頃。

池の後詰めが天満宮に来なかった、訳じゃなくて来れなかったということだったのね、ほむほむ。

 

その池と本山の戦場は浦戸湾ないし、浦戸。(うらど。土佐郡と長岡郡とを分ける海でもあります。西岸一帯は本山の領地、東岸は大津など一部を除いては細川若しくは池の領地)

さらに拡大して北上した潮江(うしおえ)。

 

どっちが先に手を出したのかは判ったものじゃないですけど、浦戸湾上で舟と舟をぶつけ合っての海上戦をした程度しか文面には書いてません。

 

これに天竺も引き返して大津から舟で兵を出した。

天竺は城代・津野の救援は受けれず、花氏は津野説得と細川を天満宮から大津に戦場を変えて貰うために駆けずり助かりましたが、花氏を欠く天竺の援軍は本山の各地からわらわらと浦戸に集まってきた援軍によって散々に打ち負かされて武家の面目を保つのも難しいようとの事。

大津から兵を出していたのです──大津は一条の伯父様の、房基の手の内も同然。

本山は、この天竺及び一条への報復に。

 

一条で近いトコに攻め込んだという事です。鴨部南城と大津。

大津は、花氏の要請に答えて天満宮から引いた軍がそのまま連戦をして難を逃れたようです……問題なのはもうひとつの方。

 

鴨部南城……本山のお膝元・朝倉城の南に鴨部はあり、鴨部南城はその南、土佐郡と吾川郡の境に両方を警戒出来る位置に立っています。

周囲の勢力はとっくに朝倉に降伏して恭順し、本山の勢力になっているようですが。

それでも鴨部南城は、土佐国司でありこの地の武家の盟主に仰ぐ一条への思いもあって降伏してなかったんでしょうね。

 

しかし……まだ、本山に落ちて無かったんですね、言うなれば一条房冬が死力を決して元の勢力から奪い取った城。

 

一条家は飛び地が土佐郡のあちこちにあったそうです、飛び地……って問題にしか思えないですよね。

泰平の世ならまだしもなんせ戦国の世。

 

飛び地とは言え自分の領地、そこを突かれたら見捨てるわけに行きませんから軍を派遣……後詰めを援軍に出さないとダメでした。

 

後詰めを出すということはいざとなれば助けてくれる、そういうことからこんな殺伐とした世界でも信頼が保たれるからです。

 

後詰めを送らず、見捨てると信頼を一挙に失い、言うことを聞いてくれない処か謀反、寝返りの切っ掛けにもなることも無いとは限りません。

わざわざ敵を作りたいというなら見捨てて、謀反させるように仕向けるということもあるでしょうけど、まず、そんなことはないでしょう?

コツコツ積み上げてきた信頼を捨てるとか、バカしかしません。信頼を捨てるような真似をするのは桑名吉成だけでいいのです。

 

ま、何にしても一条は鴨部南城に救援を出すでしょう。房基の父が死力を尽くしてまで奪った地、むざむざ捨てるようなことは無い筈ですよね。一条房冬が死力を決して元の勢力から奪い取った城。

 

そう言う風に父上から聞いてます。

史実でどうだとかは知ったこっちゃねーですよ。

 

房冬は房基の父で、忙しく生きて、病に倒れてあっさり死んだそうです。

病だったのでしょうか。風邪なのかな?

 

実はタタリでは無かったかとも言われてます。

無実の重臣を斬ったから、祟られたと。

重臣・敷地さんの無実を知った房冬は嘆き悲しんだといいますから心の病から弱っていった、とも伝わっていたりするですが敷地さんの死から、それほど日が経たない内に亡くなったのだとか。

 

房冬って公卿やりながら、片手間に武家やってるイメージなんですけど、1537年に京から下向(げこう。京から地方に転勤と言えば分かりやすい)の形で中村に帰ってからそんな僅か三年での死でした。

 

房冬ってそんな感じで奥さんの玉姫を引き連れてやれ越中やれ京やれ中村みたいな生活。(玉姫は時の親王の娘で皇族。房基の母親です)

 

房冬は大内にもよく行ってたらしいから瀬戸内航路で帰路は使ってたんでしょうか。

 

堺商人は太平洋航路を使って臼杵と回船を繋ぐ中継点に中村や与津を使ってるの、知ってるんですよ。

 

堺商人とは回船のお陰で浦戸に寄った序でに小昼も岡豊に品を入れて貰ってます。……やっぱり大津が敵性勢力地なのはどうしても邪魔なんですよね、天竺ぅぅうウ!

閑話休題。

 

用はですよ、何より……その鴨部南城で今この時も交戦してるってことが問題なんです。

一条の鳩尾ですよ、鴨部なんて、本山の勢力圏内なんですから。……で、我が家も腹を決める時期になったようなのです。

 

本山か、一条か。

一条に着くなら支援として本山の後ろを突いて一宮か、それとも大津を通過して潮江を攻めると。

反対に。

 

本山に付くなら……一も二も無く、大津の津野を蹴散らし、鴨部南に軍を派遣といったトコでしょうか。

 

おのれ!天竺花氏ぃぃいイ!

 

めんどっちぃことしてくれて、……ん?全て、我が家と香宗我部の戦いがこれの原泉じゃないですか?うわ、父上!何やってんですか、これ。

 

とんでもないことになりますよ!本山に付くにしろ、一条に恩を返すとしても。

 

まるで、鴨部南を一条の飛び地をダシにした踏み絵じゃないですか。

……一条と本山、どちらが盟主に相応しいかとでも言うんですか?

 

「ダメだ、ダメだ、これ!どっちにしても、めんどっちぃことこの上ない未来が待ってますよー!」

 

房基は、国友から種子島を享受する職人を招いてる、雑賀や根来からも。

側には常に伊賀や甲賀の手練れがいる。

本山は土佐最強軍団で最大動員は五千、でもそれは室町の古くさい軍団で……父上、この戦、一条に着くべきですよ!

 

もう間に合わない!実はとっくに腹を決めて城を出て大津を焼いてるかも知れない!

 

「ま、政常どの……父上はどのような顔で居ました、か?笑ってはいました、か?」

 

この時、小昼は真っ青な顔をしていたかも知れないです。手紙を持つ手は自然とわなわなと震える。

だって、我が家の運命を決めるかも?知れない戦いが吉良と本山の勢力の境目である鴨部南城で行われている。

治国谷と呼ばれていて周囲の山に比べると乗り越えられなくはない高さで、土佐郡の鴨部からも吾川郡の吉良側からも容易に踏み込もうとすれば可能な場所で。

 

「政常……。戦になるんですね!ひめせんせー!あ……殿の顔、見てないかなー。これは父上、親政から預けられたものなので、すいません……」

 

菊さんの返事は、苦笑いをしながら申し訳なさそうに返ってきました。

 

「笑ってなければいいんですけど……花氏を殺すチャンスが回って来てしまったのです、大津を攻めて一条と我が家が、戦になりますよ……小昼が育てた、房基が敵に回るんです。悪夢でしかないですよ……そうなったら、小昼は……」

 

気が気でないのですよ。

父上が抱える復讐心はそれほどまでに国親という存在を形どっているもので、恐ろしい熱を放ってきます。

 

そんな復讐心だけでは無いです、父上は秦氏という王族だという意識が高い。土佐で燻っている今が許せないでいます。

王族という意識が一条への恩、さらにはその後ろに控える公家や朝廷への謂れのない反骨として発露しないか、心配でたまらないのですよ。

父上の心の底は澱(よどみ)でポジティブなとこが何一つなくでですね。

 

秦氏は王族。土佐の片隅で燻っている、さらには滅亡などもっての他と事ある毎に話して聞かされた。

お祖父さんにあたる兼序(かねつぐ。元秀という名もある、しかし系図は兼序を使う)が滅亡させられた事に秦氏の流れであるからこそ執心し、祖先への申し訳なさがあると父上は語りました。

 

小昼は秦の始皇帝が王族なのはもちろん判りますが、秦氏が王国を持っていたと知るのは国親に聞かされてからでした。秦河勝(はたかわかつ。秦氏の始祖)のことです。秦河勝自体が神話に足をつっこんでるくらいの人物という思いだったので初めて聞かされた時はビックリでしたよ。

 

食事の後、評定の最中、廊下でたまたま父上と会った時、事ある毎に秦王国の事を話して聞かせるので耳にタコが出来て、今でははいはい、またその話ですか、と耐性がついちゃいましたけどね。きっと、にーさまが出てこないのはこんな父上の腹の底のめんどくささ、にも嫌気がさしているとこもあると思います。

 

自分が強くならなきゃって思いがにーさまにはあるのかも知れませんけどね。

部屋に入っても、まだまだ内気でモゴモゴ言うだけなので、にーさまのその本心はまだ誰にも伝わりません。

 

父上は語ってくれる家祖や父上の伝え聞いている限りの秦氏の話は祖先の自慢話ではなく、『連綿と続いてきた血なのだから決して此のような片隅で終わってはならない、祖先に申し訳が立たない』とまるで自らの『戒め』のように話したのが印象的で、その度に小昼も秦氏の血が流れているからでしょう、胸に刺さるものがあったという思いは忘れられません。

 

 

 

ようは──めんどくさい家系だったのですよ長宗我部というのは。

 

家格は高くもなく片田舎の某所で血を繋いでいただけだというのに、父上は今の身分が気に食わないのです。そう思えます。

 

政治の根幹に携わる、もしくは公家のようにして戦に脅えずに滅亡など考えずに暮らしたいと言ってるように理解した。できてしまえるのです。ネガティブですね。

くどくどと繰り返さなくても言うべき時に言えば伝わりますよ。人間だもの。

 

こんな父上の思いから四国統一──秦氏に相応しい存在という形も出来ていったのでしょうか。とにかく、土佐の片隅で終わってはならないという執心が父上を突き動かすガソリンだったのです、本山や山田、吉良などはもちろん祖先への詫びとして差し出す旨が会った上での話ですよ?

 

ちなみにビックリだったんですが土佐にやって来たエピソードも都落ちの平家と似たようなもので、保元の乱の敗けた側・上皇方で戦った事から本貫地であった信濃から逃げ出して隠れ住んだのが答えだというのですよ。

甲斐武田の家臣だったくらいの知識しか小昼は無かったんですけど、真実は都落ちの体でここまで逃げて来たって事でした。

 

父上は幼少で両親と死に別れてますから、話を全部丸ごと真実とは出来なくなってますけど、ここまでの話は分家として残っていた中島や広井に国沢さん、久礼田さんからも同じ話を聞いてるので、そういう風に伝わっているんでしょう。

 

決して房家からざれ言として父上が聞かされて育った大嘘なんかでは無いと思うんです。信頼できる内容なんだと。秦氏の事も、秦氏の興亡も。

 

「あー姫様。大津は燃えてはいませんでしたよ。物部川からでも大津が燃えるくらいの大火が上がれば見えるで御座る」

 

「鷲羽、ホントに?」

 

旗指物を杖代わりに体重を預けた格好で答えたのは、吉田鷲羽。彼女は全体が爆発したようなくせっ毛なのもありその上ざんばらな、およそ女の子らしくない髪型をして性格も父親に似て豪快。

 

母の腹に男のシンボルを置き忘れた女の子と噂にも上がる男女(おとこおんな)と周囲に囃し立てられている。小さな頃から御座る御座ろと言うのが彼女の口癖でキャラ付けているとこが大きい。

 

元服名も自分で作って鷲言(わしこと)と言うらしい。嫡男でなく、次男三男ですらないから許された自由な元服名。

 

小昼だって自作みたいなものだよね、数代前の祖先の名だけど実は。元親って名は。

 

「この城は山だし、大津のある西の空を見れば判ります。燃えてませんよ」

 

菊さんたちは大谷城の屋敷部分の庭先にわらわらと立っている。視線で指示をして後ろの子の反応を見る。首を左右に振っていた。

大津のある西の空に煙は上がってないと言うことを表していた。

 

「……良かったよ。房基と戦うなんて今のままじゃ勝負にならないって……」

 

「房基、って一条の房基さまをなんて言い草。告げ口されちゃいますよー。ここ、ほんの少し前まで山田の配下ですよね?あーしは信用出来ません」

 

つかつかと一団から離れて前に進み出て来たのは鷲羽さんの姉で美濃さん。

天満宮では返り血にまみれながら何でもない顔で挨拶してきたっけ。

 

下ろしたストレートに鉢金鉢巻。お雛様カットで胸にまで艶のある髪が垂れてくる様は黙っていればお雛様がそのまま等身大フィギュアで顕れたような印象を受けた。

美濃さんは普段から豪快な鷲羽さんと少し違ってて、スイッチがオンになるとヤバい人だったりする。

熱しづらいけどそこ臨界点を越えると手が付けられないのよ。ヒステリックともいう。

 

山田に、我が家・長宗我部が舐めた真似されてたのは岡豊に住んでたら誰でも知ってる。

美濃さんが言いたいのは一度でも山田方に居たんだからいつ裏切るか解らないって指摘してるんだと思う。

そんなの、左馬之介に会えば誤解は溶けると思うよ?

あれ、今じゃただの小昼のシンパだし。いいように頭の中で作り上げた理想の小昼ってのが棲んでそうだけどさ。

土佐の人たちの一条家への敬意って凄い。呼び捨てひとつもちゃーんと拾ってくるんだもん、抜け目無い。

 

「美濃さん、ここの人たちは信用出来る人よ?小昼の事は裏切らないはず。それより、そうね。皆!一度帰りましょう。岡豊へ!」

 

本山、こんなに早く牙剥くなんて。情報を持ってなかったか、それを驚異と思ってないかなのかな?国友から人が来た、雑賀から人が来た、根来から人が来た、それくらいは気付いてていいはずでしょ?

 

そこから何を思うか、それともまだ火縄銃を知らない可能性も本山にはあるのかもね。房基だって、武器としての価値を最初は見てなかった。鳥撃ちだって言ってたもん。だから、本山には知らない可能性もまだある。

 

陸伝いに休憩を挟みながら船って動く物だし。だって一条の船って特別製の本願寺謹製・大型外洋船。

 

史実にあるように、対明貿易に使われてたあれを、房基が調子に乗ってもうひとつ作らせよう!って本願寺に依頼して、上京下向─通勤用に使用してるんだよね。目立つ。隠そうとして、隠せない証如作。

 

あれ、頻繁に長浜か浦戸、じゃなくても池の種崎には停泊してたと思うのよ。

 

誰が乗ってたかなんて、水夫に話を聞いただけでべらべら喋ったでしょう。

 

気付いてないわけないのに。そこが、本山の時勢に乗りきれない、気付いてないとこだったのかも。

だからもう、……何年も火縄銃の自作をやってるはず。

 

少なくても五年……でも、房基はまだその種子島の戦列を使ってない、一度も。

小昼が教えた使い方をすれば、その異常さから噂が触れ回るはず、それが聞こえてきてないから大量の火縄銃を一度に使ったことはまだ無いんだね。きっと。

 

「本山を邪魔に思ってるのは、父上……あなただけでは無いのです、チャンスが無くなったかも知れませんよ」

 

南蛮船もどきを房基は持ってる。小昼との約束で、中村より東にそれを持って来ないって決めてる。でも、戦となったら?

あの船、天岳を大津に差し向けないとは言えない。

 

浦戸で房基が怒りのままに暴れたら……長宗我部にとって良いことは何一つ!無いと言い切れるんですよ!

 




秦河勝はたかわかつ……聖徳太子と組んで蘇我氏と戦ったイメージの人。秦氏の始祖とされる。

ここまで読んでくれてありがとうございます!

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