烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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53.城下、変わりゆく

《1553年》天文22年七月─土佐・岡豊城

 

長宗我部小昼

 

 

ダメなにーさまのことで頭を一杯にしてると、小昼の視界の隅に入り込んできたのは彼女。

御座るちゃんこと、金鶴ちゃん。彼女もへたっているにーさまのその横で淡々と体操メニューをこなしている。

にーさまもあれくらいスムーズに、体が動くくらいになんないと困るよー?

 

姫衆には出仕してすぐの任務として体操を義務付けた。

体作りはラジオ体操から、一日の基本はラジオ体操から。

 

「体操は体を起こす為の一日の最初の運動なのです!」

 

やらないよりやった方が絶対いいのですよ。判子?小昼はつけないタイプです、皆勤賞も出す用意はないのですよ。

 

だからと言って、小昼とにーさまのとこでやらなくてもいいようにマニュアルを渡したので別で集まって体操出来ると思うの。

 

「ひめせんせーと一緒じゃないと出来ません!」

 

そう頼って貰うと何となく悪い気はしないのは、小昼が甘ちゃんなのでしょうか。

 

今日の姫衆のお仕事は確か、警ら。パトロールですよね。彼女らが戦力の乏しくなった今の岡豊を守っているわけです。

 

美濃さんみたいに、賭場でサイコロ振ってたりする目付け役なんかも大事な仕事です。趣味と実が結んだ例かもしれません。

 

そんな姫衆の中でも御座るちゃんと言えば、棒合戦の時から思えば前に出ないで、最後まで陣営の守りに徹するような子だったかな。

年は鷲羽さんと同じというから十六。功を急ぐより周りを見れる子なのです。

でも、攻め手に欠く裏返しになっている。体はむちっと肉付きがよく背も高い。顔はどことなく阿弥陀顔かな。きりっとしている。長宗我部一族の中島の娘でも、特に物静か系のおっとりさんだ。

 

そのせいか無表情の朔さんや暴れん坊の鷲羽さんによくからかわれてたっけ。諱は一族の中島親吉から貰って吉鶴(よしつる)だと聞いてます。

 

「──あー御座るちゃんも行きたいならいいよ。弥三郎くんを取り合えず、同行させるけどさ」

 

そんな御座るちゃんが小昼と同行したいと行ってきたのは、戦での立ち振る舞いが御座るちゃんには向いていないのがなんとなく気付いてしまったんじゃないかな。おっとりさんでは、ね?

 

戦の場では冷静に空気を読んで刻々と変わる戦況に対処することも大事だけど、鷲羽さんや親家のような時に大胆な働きが出来ないと戦功をあげるのは難しい。

あの兄にしてこの妹という、重俊の背中を見て育ったんだなってわかる子たちだよ。

ま、それは置いといて御座るちゃん。

 

迫ってくる敵を待ち受ける、御座るちゃんが悪いとは言わないけどさ。積極性には欠けるかなぁ。

 

そんな御座るちゃんが今、興味を示したのは彫り師だとかで、小昼も戦火が遠退いた今のうちに城下で花開きそうな、小昼の持ち込んだ設計図の今!を視察しようと思っていた所だったのです。

 

「この辺りも変わりましたねー、石がころがってる荒れ地だったで御座るが。今じゃ、大きな高い家が建ってるで御座る」

 

弥三郎くんことにーさまを伴い、てくてく歩く三人が城下に降りてきた所で御座るちゃんが最初に口にしたのは、そんな何気ない言葉だった。

 

高い建物はアパートの事だろう。桑名の屋敷兼出城の隣に広がってたのは春まで荒れ地だったね、確かに。

でも今じゃもう、そこは道が引かれ土地が均されて家が建つ、立派な宅地に変わっていた。

 

この辺りは城下の外れになる、何れは商家もずらりと城の参道沿いにも立ち並ぶかもね。

 

まだ、それには早いようだけど。荒れ地のあった頃はこんな開けた空き地は小昼たちの棒合戦の舞台にもなった。絶好の遊び場だったんですよ。

 

御座るちゃんがそれを思って寂しがっているんじゃない?

町が発展していくと言うことは、それだけ何もかもが早い速度で変わっていくことだから、思い出のつまった地もどんどん姿を変えていく。

 

ここだけじゃない。労働力が賄えるようになったから、荒れ地に限らず手付かずの湿地や渇れ地にまで、手を入れて畑や田んぼにする為の地均しが国康叔父の指揮の下、されてるらしい。

 

堤の一件以来、国康叔父は建築士の才能でもあったのか、平時は現場指揮官として岡豊各所の荒れ地や枯れ地を開拓するのに飛び回っていたのです。小昼が推挙したわけではなく、父上からのトップダウンで働かされていたんだとか。ご苦労様です。

 

『姫、いや今は元親どのか。堤を作れといくらも言われるが、寺子屋堤ほどの堤では国分川や的ヶ池の氾濫は抑えられそうにない。困ったことだ。それについて意見があれば教授していただけぬかな?』

 

なんて国康叔父から相談受けるくらいには陳情で最も多いのはやはり、堤の製造だとか。

 

高い割に壊れやすいからそう簡単には着手できないとこなんですが、それだけ野分けもとい台風に土佐が苦しめられているという事が見えてきますよね。

 

的ヶ池なんて、大津の溜め池で大津の用水路直撃になる。長雨か、野分けさえなければ、静かな水面の池なのに。

国分川の氾濫が連座して流れ込むから、大津の田畑に大打撃という事らしい。

小昼、的ヶ池の氾濫は知りませんでしたしね。天竺の領地だったし。

国分川が氾濫したら、辺り一面泥まみれの水が膝下くらいまで川の流域を襲うので、岡豊城から出られませんでしたし。

 

「池では、フナや鯉が釣れます。ドジョウやナマズも。冬になると、これを食べることもあるのです。非常食かわりなんですよ、これ」

 

国分川は、周囲の山々から流れ出した川が全てこの川に行き着くことになるわけで、一日降り続くような雨があると川は濁流に変わるくらいに降った雨をそのまま流してる。なんで、そんな事になるかってゆーと。

 

「土佐国最大の財源だったからですよ」

 

材木の切り出しと材木を売ることがこの頃の一番の財源だったから、去年までそれだけ木を切るばかりで裸になった山が増えてるってことだよね。

小昼も去年まで知らなかったんだけど、切るだけなんだ、この人たち。

 

植樹は江戸になんないと始まらないから、そりゃそーだ。ってことなんだけど、ものの見事に父上やら山田なんかは切り出した木を材木問屋の宍喰屋に売り払ってた。

植樹、しないんだ……。

いつか無くなるとか、考えないの?

 

それについて父上から有り難い、ありがたーい言葉戴きました『無くなったら、植えればまた生えてくるにゃ』……はい。生えてくる期間とか考えないわけ?侍はほんとに、国人てやつはほんとに、脳筋どもばっかだよ!

 

川が暴れて当然だったんですよ。江戸中頃には、川が治まるのも。伐って丸裸にした山を、植樹して復活させてたんだから当たり前だったのですよ!

 

TVで知った知識では無理な宅地造成と酸性雨ではげ山になって、結果の山崩れだったような事がありましたけど、それに近いものを感じたのです。富めば無理な材木の切り出しは無くなるでしょうか。

ただね、材木問屋の宍喰屋が取引してるのは土佐全体だから、木材用に同じようにあちこちの山で岡豊や山田の山のように着々と裸に近づけてた訳ですよ。

 

岡豊だけを富ませても川の氾濫は無くならないってわけ。本山、山田、その奥の豊永、鏡王。そのメカニズムが見えてきた。

さあ、だからといって小昼はその内側に入りこんで宍喰屋を敵に回すのか。うーん、無理。

 

「宍喰屋のやってる事は必要悪というやつ!」

 

宍喰屋は材木を一手に仕切って、その儲けは莫大なものでしょう。

 

土佐の緑を周辺国に切り売りしてるようなものなので……だけどね、宍喰屋が材木を売って稼ぐことによって宍喰屋から銭が出てその銭が米や足りない分の食材を買うための、いわば生きるためにすがった藁なんだと。小昼は小さい頃からの経験則で判っているのです。

このメカニズムは、一朝一夕に切れるものじゃないということを。

 

だからこそ、小昼が裏に表に農地改革をやって材木に頼っているだけの生きるため財源をどうにかしないと行けないと思うのです。

 

「植樹をするにも銭。なので、小金持ちになるまでは出来なかった植樹も依頼しようと思ってます」

 

ダムを作れれば一番いいかもで、二番は別ける水の流れを作ってもう一つ二つ川を作ることで、三番目にようやく堤。だって、堤は壊れやすいから……生活のために必要といっても大河に流域全てをカバーする堤なんて、あの石田三成も失敗したのに。

小昼がノウハウ解ってたところで人足が岡豊や香宗我部だけじゃ全く全然足りませーん!

山田、本山、ううん……土佐全体だから出来る事業って感じなのですよ。うーん。十万人を数年動員出来れば、……あ。

 

コンクリ作った方が絶対速いですよ!

 

和コンクリは火山灰と石灰と粘土でしたっけ。

小金持ちになったから買えなくは、ないよね……うーん。

だけど、それでも今度は銭が足りませーん!

大河になる、合流するまえに水をどうにかすれば良いだけなので、人造湖を山腹や麓ぐらいで作れば足りると思ってます。妄想だけなら、そうなんだよね。

 

だけど、やれないこともあるというわけでやれることから国康叔父は着手していく。

 

そんな状況だから、石がゴロゴロの荒れ地と言っても城の参道に近いような立地なんて早い段階から兵舎にしてしまおうって考えて当然だった。それだけのことなのよ。

 

平成だって一年経てば風景ががらりと変わったし、発展とはそう言うことなんだ。

と、まあ思い出はそれくらいにして巻いてこう!

 

──まずはここ。鍛治屋。南部の出で一斎と言う。

ここはお爺さんの構える工場だ。

工場と言っても釜戸がひとつに、金叩きが三つ。一斎さんの家族経営で出きる範囲の工場。

依頼通りの品を手に取って受けとる。

 

「注文通りなのです!」

 

「小昼ぅ、なにそれ?」

 

「刀に見えないで御座る」

 

先端の尖った、綺麗にアールを描いていて申し分無い。立派なシャベルだった。

 

「刀ではないので、見えなくて当然です。これは鍬の発展系。明の鍛冶が作った」

 

「小昼……どの本にもその様な鍬など──」

 

「はっははは!弥三郎くん、さ・い・し・んの作なのよ。中村に着いた船で見せて貰ったの」

 

「鍬で御座るか?……家の鍬の方が土を掘れるで御座ったよ?」

 

そう、南部一斎さんに依頼したのはシャベル。このアールをつけるのに苦労したらしい。

 

「弥三郎くん、貴方の読んだ本より新しい作品だってこと!これは事実だよ」

 

「そうか……僕はまた役に、立たぬ本に、注力して……」

 

「家のざっくりと土に刺さって掘り起こすので御座る」

 

それでも先月には出来上がっていたとか。小昼がおーけーを出さなかったのは、量産を目処付けたかったから。

 

「御座るちゃん、このシャベルは土を掬いあげ、そのまま乗せたまま横に寄せる事ができるのですよ。ふふふのふ」

 

「この膨らみは、この形状は土をざる籠に入れる手間が省けるで御座ったか!」

 

「小昼、この《しゃべる》とは……穴を掘る作業が、一手間省けるということにゃ!明の者は思い付きも……出来ぬことを思い付けるのだにゃ!」

 

にーさまの興奮はともかく、うんうんとにこやかにその後ろで頷く一斎さんの糸目からやりきった感が漂ってくる。

一斎さん、腕は信頼に足る人なんだけど凝り性でね。

失敗作には目もくれないから、これで十分なのに!ってものでも、失敗作だと言って聞かない。

やっと満足できるものが出来た。と言うんです。勿論のこと、失敗作も買い取りしました。

野鍛治レベルより上等な品を失敗作って言われても……ねぇ。

──次は彫り師。活版印刷が実用の目通りの運びとなりましたー!なんて言われてきたんだ、うん。

 

活版印刷なんて紙に書いたものを木の板に貼り付けてその上から切り彫りすればいいんじゃ!?

小昼、平成で活版印刷をした時はそうやったんですけどね。

何を今まで苦労してたんですか……え?彫りが浅いと印刷出来ない。それがどうしたって言うんです?

 

姫様の書かれた書を試し刷りしてみたのですが……。刷り上がったものを見て見る。

 

そこには紙に『命』の文字が。小昼の書、命です。

書道の選択科目で最初に書いたのもこの字面でした。

教師曰く、生きた字面なので活かすも殺すもあなた次第とか。芸人の決まり文句みたいな言葉を言われたような気がします。

そんな字面が印刷されてました。何枚も、何枚も。

 

見事じゃないですか。いえいえ、良く見てください濃紺が出てしまいますよ。こちらは濃い。こちらは薄い。あとは、作業は大変で、活版印刷だけでは食べれない。家業の彫り物の大口が舞い込んで、ここまで遅くなったと。

確かに喜八さんには欄間作りなんかもありますもんね。

でも、活版印刷の目通りはついた。

いつでも新聞が作れる。週一くらい?になりそうだけど。

彫り師が二人ならそれも可能ではないとのこと。瓦版一枚にな、七日は言い過ぎだよ。

瓦版専門の彫り師を育てないとだね、もの凄いスキルで彫りあげる欄間とは違うんだから、やる気さえあれば瓦版専門となれば手さえ器用なら出来なくないと思うのよ。

 

喜八さんには彫り絵の印刷を依頼することにしようか、と思い、手始めに小昼はさらりとその場で富士山を書き上げて手渡した。

 

「ほい。出来た。名画とは言わないけど、味わいがある絵になったよ」

 

御座るちゃんが目を輝かせて凄いよで御座るって褒めてくれた。その一方、にーさまは真剣に彫刻作業を見てるみたいだった。

 

「小昼ぅ、これは何だろう?」

 

「富士の山の頭に陽の光が射しているのです。弥三郎くん、何か不思議なことでも?」

 

そんなにーさまが欄間作りの観察を切り上げて、小昼の絵を見て指差す先は富士山の雪冠。ん?もしかして、この時代に雪冠はメジャーでなかったのかな?それはてきとーに誤魔化した。

 

喜八さんの店を後にして、次の店を目指してテクテク歩いていると刀弥夜叉丸の出している店が見えたので寄っていく。

 

「夜叉丸、店なんてあったんだ。──なるほどね、屋敷兼用ってわけ」

 

「夜叉丸?……」

 

「姫様の行き付けに御座るか?」

 

小さな軒先から店に入ると、壁の棚に陶器の瓶が沢山並んでいるのが目につく。

土間と膝上くらいの高さに座敷が有って、座敷には机に向かう番頭さんが居た。

軽く番頭さんと夜叉丸とこの話をすると小昼が誰だか解ったっぽく、話が噛み合う。

番頭さんは洲崎のお隣、安和の出で九一と言うんですって。お爺さんです。

こういった地の商人も新しく岡豊に入ってくれてるんですね。

 

サイダーはちなみに《仁王命水(におうめいすい)》なんて大仰な名前が付けられてましたよ。小昼と意見を出し合った名前と違うなあと思ったら、味が。

 

「やってくれやがったですよ、夜叉丸ぅ」

 

サイダーと違うよ。これは某エールです。ショウガ入れてくれやがりましたよ、夜叉丸の奴。

 

夜叉丸をほっとくと山葵やネギ味のサイダーを作り兼ねないかも知れません。

 

ま、炭酸水は夜叉丸の独占ですから、ジュース産業は先を行くものも居ないので色んな試作していくことでしょう。

 

あと、失敗作も売り兼ねませんよね。

 

そーゆーのは今期限定とかってレアリティをつけると多少酷くて奇をてらっていても売れます。

それとなく、いまの思い付きをさらさらとその場の台帳に書き付け、その部分だけぴりっと切り取って九一さんに手渡した。

 

小昼がそんなお仕事してる横で御座るちゃんが、

 

「きー!で御座る。かー!で御座る」

 

とか変な感想を言っててにーさまの方はぱちぱちが僕の口で弾けるぅ!

と、どこかのCMの科白にも似たことを口走っていた。

……これ、50文もするんですよ?夜叉丸売れますか?ホントに。

この思いきりのいい値段はやっぱり輸送費が大元なんでしょうけど、店には小昼たちしかいないみたいでしたよ?

ジュースは薄利多売がモットーだよ。それも九一さんにさらりと書いて渡した。

 

さて、次の目的である製紙場に着くまでににーさまはバテました。

 

「お腹、空いた。……小昼ぅ」

 

「御座る御座る」

 

「お腹、そうだね。空いたような気がしなくはない」

 

選択としては、食堂か、軽食か。んむー米を腹に入れさせたいので食堂かな。

まだ、昼前ですよ。それでも食堂の暖簾を潜るとぽつぽつと客が居ます。

 

目についた。お品書きが壁に木の札が掛かっているタイプの食堂みたいですね。

活版印刷が軌道に乗ってないんですから、メニューは望めないですもんね。

 

焼き魚は時価ですか、にぎり飯は五文。庶民が白飯を食べるのはまだまだ厳しいって訳なようですよ。

 

この辺りの農民一日の稼ぎ額が良くて15文くらいですからね。これに関してはもっと野菜を奨励して増やしていかないと、頭打ちな気がするよ。

 

だから、戦で岡豊の農民は稼ぎたくて半農半士の一領具足が挙って流行るわけなんだろーね。小昼は早く玉ねぎやさつまいも、ジャガイモを食べたいの。

 

更にお品書きを見る。穀米交ぜで2文か。味噌汁で1文。何食べようか。

中村で食べられているとしてこの《飯虎》にも広めた蕎麦きりが1文。蕎麦麺の方が2文。

 

「麺でいーよね。そうだ、そうしよう」

 

麺を食べましょうか。にーさまはまだ食べたことないでしょうから。

 

「では、蕎麦麺を三つ。味噌汁と穀米も三つ。魚で安いのを三つ焼いて」

 

「へいへい。お嬢様、今日は鯖などどうです?朝に浜で焼いたもので腐り魚ではないですよ。火入れしてだしましょうか」

 

「では鯖で。腐りものは店には出してはダメよ、人死にが出ちゃうよ」

 

主人は小昼が腐り魚をいくらも買い漁っている事を知ってか皮肉をいってくれたのですよ。

皮肉には付き合うつもりもないので、素直には乗らなかった。

 

「へへっ違えねえ。じゃあ、火入れして持ってきますよ」

 

店の主人は虎吉というそうで。潮江の出だそうだ。つまり、漁師。岡豊を稼げると見込んで食堂をやってるわけ。料理は女将さんがやっているらしく、虎吉さんは台帳とウェイターを店ではやっている。

 

そうそう。池が本山に襲われた戦いでは大津側に船を出して、大損をしたと言っていたっけ。

そんな風に浦戸の漁師も一枚岩じゃない。本山に支配されててもこっち側で仕事をしてる分、大津側に立って船を出してくれる漁師も少なくなかった。

船は海の藻屑になっちゃったけどね。可哀想に。

 

本山は大元の浦戸や潮江を押さえてるから、浦戸では全部が味方すると思ってたようで使者が叱りつけの文を持ってきたとも言ってたなあ。

 

生まれがそっちで本貫もそっちでも、暮らしはこっちなら暮らしが大事でしょ。

 

「はい、お待ち!」

 

まずは蕎麦が来た。と言ってももりそばみたいに盛り盛りの麺じゃーない。

あれの一玉とすると半分くらいだ。岡豊で腹にいれるものは、土佐以外から買ったものと思っていい。特に盛夏の頃は顕著になる。

秋が近いので、もうほとんど土佐で採れたものは食いつくしてるの。魚はいくらでも取れる。これが取れなくなる平成は、温暖化がどー影響してとかいうけど、実は違う。中国が食べる分とか関係なく取れるだけ根こそぎとったり南国のヒャッハーが爆弾を海に投げ込んで手荒な漁法で結局、魚が激減したのが大きいらしい。口にするのは輸入する日本て話だから闇は深い。

魚はいくらでも取れるけど、結局土佐湾に出てかないと漁は出来ないので土佐湾は黒潮で黒潮をさかのぼると。南国のヒャッハーに近い。なにより、同じ太平洋だし。この漁場が荒らされたから、魚は居なくなった。荒らされていない今は小舟一杯に獲れば満足して帰る。船が百あったとしてもきっと大型船ほど獲ってないから、毎年、いつでも大漁だ。この海がずっとこのままあるといいんだけど、太平洋が買えるわけじゃないからそうもいえないのですよね。

 

「ちゅるんと口に飛び込むで御座る。おいしいで御座る」

 

「小昼ぅ、これも……ちゅるるっ!明の者の作か?ちゅるっ」

 

何時の間にか麺が出来上がって食堂のテーブルの上に載っていた。どこか、思考の海に浸ってたみたいですよ。

 

「美味しいねっ」

 

ちゅるるるっ!

味は素朴で、出汁は魚のアラかな?魚は捨てるとこないと教えたから、そのことを都合よく解釈してるんだと思う。磯の香り。魚醤の香り。かすかにニンニクの香り。ニンニク、栽培はされてたけど、貴重じゃなかったっけ。薬、になるとかって。

 

たまに使うくらいなのかな。市に出てても、薬師が買っちゃうでしょーに。

 

「虎吉さん、ニンニク。高かったでしょう!?」

 

「妻の家は森郷で。あちらでは売らずに自分等のために畑で植えてんです」

 

「森、ですか。納得しました」

 

森は山奥で天然の要害で、本山に攻め殺されるまでどの勢力も落とせなかった。

本山が森領を落とせたのも、家臣を引き抜いて裏切らせて欺いて森をようやく倒したんですよ。その森が頼ってきたのは我が長宗我部。

小昼が何かをしてあげれた時期でもないのですけど、森の生まれと聞くだけで胸がちくりと痛むくらいには悪いって思うのですよ。

 

平成だと、早明浦ダムがある辺りですね。冬になると豪雪地帯になるとか。岡豊に居ても降るには降りますけど、雪国ほどは降らないですねぇ。

魚は二度焼きでもぱりぱりの鯖で香ばしく焼き上がってて美味しかったです。

 

 


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