同級生は喫茶店店員
この町は穏やかだなぁ、だとか、昼は活気があるなぁ、だとか。
公園のベンチに座って読書をしていると、既にこの町に住んで13年過ぎる人間としてはあまりにも相応しくない感想を抱いてしまう。
でもそれも仕方のないことなのかもしれない、何せこの町には仮初の平穏と言うのが存在しないからだ。例え夜遅くに10歳くらいの女の子が歩いても安全だろう、そのくらい町は平和で安穏としている。その空気が僕はとても好きだった。
まだ春間もない、うすら寒い風がふわりと読んでる本のページを捲ってしまう。この風だって柔らかく、暖かく感じてしまうのは何故だろうか。もしかすると脳が既にこの町に関連するものを柔軟に、温厚にする錯覚に囚われているのかもしれない。
ふと膝の上に暖かい、モフモフとした不思議な感覚が存在するのに気が付く。見てみると、白いウサギがまるで自分のテリトリーとばかりに体を丸め、目を閉じていた。どうにもこの町は野良ウサギが多いような気がしてならない、でもそんな事は些事だろう。ウサギは可愛い、それだけで存在価値の証明としては充分だ。
今日はウサギにあげるおやつを持ってきていないことを後悔しつつ、流石に春先とは言え身体が寒くなってきたので家に帰ろうと思いウサギを丁寧に膝から降ろす。ウサギはそれに気付くと耳をぴょこぴょこと仄かに動かして公園の草むらの中へ入ってしまった。今の動きはお礼のつもりだろうか、いやお礼として捉えておこう。そっちの方が僕も後味が良い、それにその気持ちを勝手に推し量るくらいあのウサギだって許してくれるだろう。
開いていた本を、辞書一冊くらいしか入らなそうなハンドバックに仕舞い込むと立ち上がって尻を叩く。まだ時間帯的には夕方より浅いくらいで、太陽も傾いているもののその姿ははっきりと視認できる。
……ちょっとどこかに寄っても良いかもしれない。
そう思って真っ先に心に浮かんだのは町に一つしかない本屋だ。そこはお世辞にも大きい、とは言えないけれども僕の欲しい本はどういう訳か大体置いてある所だ。まあ置いてなくても注文して後日取りに行けば良いってのもあるけど、ともかく間違いなくお気に入りの場所の一つである。
そうして財布の残額を考えながらまだ昼下がりながら人の少ない石畳の道を転ばないように歩いていると、軒並みに立っている中の一つの建物に自然と視線が釣られてしまった。
その建物はどうやら喫茶店のようで、店先にV字型の看板があってそこにおすすめのメニューが書かれている。改めて店の外見を見てみるともう一つ、ウサギの描かれた看板がドアに据え付けられていて、店名なのかRabbit Houseと書かれている。
……何だか先程もウサギに初めて膝に乗られたし、奇妙な縁を感じざるを得ない。
僕はその縁を取って本屋に行く予定を捨て去り、意を決してその喫茶店のドアを開けた。カランカランと渋いチャイムの音が鳴り響く。
店内はどこかクラシカルな雰囲気で、とても落ち着いていた。スピーカーからは優雅なヴァイオリンとピアノの旋律が流れ、少ないながらいる客も静かにコーヒーを飲みながら本を読んだり物思いに耽ったりしていた。
それにカウンター席は幾つか、そしてテーブル席がそれなりにある。店の見た目より席数は多いようだ。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
カウンターの奥から店員と思われる女の子が出てきた。その女の子は何だか丸っこいウサギを頭に乗せて、能面を被ったようなこの喫茶店にはとても似合った落ち着いた表情をしている。ウサギを飲食店に入れるのはどうかと思うけど……可愛いからいいか。
店員は青い髪の毛を長く伸ばして、ぷっくりと膨らんだ頬を軽く赤く染めていた。案外人見知りなのかもしれない。そして可愛らしい制服を纏った丁度背丈も同じくらいのその姿はまるで知っているクラスメイトの面影すらあって……。
「もしかして、香風さんだったりする?」
その香風(仮)さんは僕の顔をチラリと見ると、驚いたように口を丸く開けて、その後焦ったようにあわあわとすると。
「い、いえ……人違いです」
その取り繕ったような声音は間違いなくクラスメイトのものだった。
結局、観念した香風さんに案内されてカウンター席に座ると、コーヒーが出された。
「あの香風さん、僕はまだ何も注文してないと思うんだけど」
「……これは口止め料です。私が喫茶店で働いている事を学校のクラスメイトに話さない取引の、当然の対価です」
「でも、多分香風さんが喫茶店で働いていること自体は割とクラスで知られてると思うけど」
「……えっ」
「だって香風さん、散々友達とその事で話したりしているから皆耳に入っちゃうんだよ」
「じゃあこの取引は無効です、このコーヒーも没収します」
「えっ」
そう言うと本当にコーヒーをカウンター裏に戻そうとする。余計な事を云うんじゃなかった。
「待って待って、ちゃんとお金は払うから戻して」
「……分かりました、それなら仕方がありません」
「何でそんな渋々なのさ……」
受け取ったコーヒーを口にすると、口内に苦みと酸味が広がる。しかしそれは強いものではなく、程良く感じて更にその後の後味はすっきりとしたものだった。うん、僕の好みに合致した、とても美味しいコーヒーだ。
そう思いながら顔を上げると、香風さんが何かを期待するような、不安そうな、そんな感情が混ざった瞳でこちらを見ているのに気づいた。気のせいか香風さんの上に乗ったウサギもどこか測るような視線を向けているような気がするが、それは本当に気のせいだろう。
……何だか感想に期待されると、余計に上手い言葉が出てこない。
僕は諦めて率直に言うことにした。
「えっと……とても美味しいよ。僕は大好きだ」
思ったまま言葉を口にすると、香風さんは照れた様に頬を赤く染め、それを隠すようにカウンター下を見るように顔を隠した。後何故か頭に乗ったウサギがこちらを警戒するような目で毛を逆立てている、それ猫の習性だよね。
「それは良かったです……ところで、付け合わせに何かどうですか?おすすめは苺のショートケーキです」
香風さんは何時もよりも幾許か早口で、何か誤魔化すようにメニュー表を取り出した。受け取って開いてみる。
……やはり喫茶店ということもあって、ケーキやクッキー等の甘味が多いなぁ。
「甘いのは苦手なんだよね、別のは何か無い?味噌ラーメンとか」
「ここは喫茶店です」
「じゃあハンバーガー、ピクルス抜きで」
「だからここは喫茶店です!」
どうやら無いらしい、まあ分かってはいたけども。
メニュー表を流し読んで適当に目についたのを頼むことにした。
「このおすすめって書かれた苺のショートケーキ、生クリーム抜きで」
「結局そこに帰着するんですね……分かりました、少々お待ちください」
そう言うと、香風さんは喫茶店の奥に引っ込んでしまった。その間に店内を改めて見回してみる。
僕以外にもお客は三人ほどいて、それぞれが新聞を読んだり物思いに耽ったりと自由に過ごしている。共通しているのはどの客も静かな時の流れを共有しているということだ。それは店内の雰囲気や流れるクラッシックがイニシアチブを握っている訳ではないだろう、きっとその空気を作りあげているのは他でもない香風さんだ。その声音、立ち振る舞い、表情、どれを取っても穏やかな香風さんだからこそ訪れるお客の心を沈め、世間の喧騒から遠ざかった、まるでシェルターのような無風空間を作れるのだろう。あくまで店内の良く作られた装飾もそれを引き立てる舞台装置の役割しか背負ってないのだ。
「お待たせしました、苺のショートケーキになります」
店内を漂う空気に触発されてか、物思いに耽っているといつの間にか香風さんがお皿に乗った苺のショートケーキを僕の前に置いていた。どのくらい時間が経っていたのだろう、それすら不覚になるほど深層にまで入り込んでいた。
「えっと……ありがとう」
「お礼は要りません、仕事なので」
「でも生クリーム抜きになってないようなんだけど」
「そのくらい自分でやってください」
スポンジケーキの上にはたっぷりと、ふわふわとした純白の生クリームが乗っていて思わずじっと見つめてしまう。僕は甘いのが苦手だ、その信念にも近い確信を持って今度は香風さんの顔を窺う。うん、さっき見た顔と同じ。期待した顔だ。あとやっぱり頭上のウサギもこちらを観察するように目を細めている。お金を払っているはずなのに、店員のプレッシャーによって食べずらいとは如何なものだろう。
……まあ、今回ばかりは生クリームを避けても許されるかな。
安易な気持ちで生クリームの除去作業を開始する、初めに上に乗った苺を皿の片隅に退け、フォークでスポンジを傷付けないように生クリームを削っては皿の端に盛る。その次に側面のクリームを削り、端に寄せる。最後にスポンジの間に挟まったクリームをこれまたフォークで掬って同様の場所に安置。これで生クリーム一斉検挙が終了、残るは苺とスポンジになった。
やりきった気分で香風さんの方を見ると愕然とした表情で皿の片隅に寄せられたクリームを凝視していた。その表情は例えるなら「本当にやりやがったあいつ……!」とでも言いたげな、悲しさを包括した表情だった。ついでに案の定と言うべきかその頭の上に居座るウサギはこちらを殺さんとばかりの目力で睨んできていた。しかもまた毛は逆立っている。本当にネコなの?
「あれ、チノがお客さんと長話なんて珍しいじゃないか」
唐突に、香風さんの背後からそんな気兼ねの無い声が聞こえてきた。見てみると、同じく店員だろうか、香風さんと同じく可愛らしい制服を着ている。それに背丈からしても年上のようだ……高校生くらいだろうか?
香風さんは口を開いた。
「リぜさん、違います。この人は私の学校のクラスメイトです」
「へえ~、そっか~チノの」
……初対面の僕でも分かる。リゼさんと呼ばれたこの女性、何だか悪い顔をしてる……!
香風さんが何かを察して言う前にリゼさんが先手を取った。
「なあなあ、学校でのチノはどんな感じなんだ?友達とかちゃんといるか?」
「香風さんですか、とても楽しそうですよ。特に仲の良い友達とはよく休み時間に話してたり登下校を一緒にしてたりしててこちらも微笑ましくなるくらいで」
「三者面談の時みたいな話をするのは止めてください……!」
あ、ぷるぷる震えてる。これ以上続けたら本気で怒りそうだ、僕とてそこまで懇意じゃない相手を怒らせるのは本意じゃない。リゼさんもどうやらこの話で弄るのは止めるようだ。
「あ、そういえば。勝手に心中でリゼさんとお呼びしてるんですけど今後もそれでよろしいでしょうか?いえ、初対面の目上の方を名前で呼ぶのはとても礼を欠いた行為とは分かってるのですが既に定着してしまっていて何と言うか」
「そんな堅苦しくならなくて良いって!寧ろそっちの方がこっちもやりやすいし、それで頼む」
「はい、リゼさん。宜しくお願いします」
「うん、よろしくな」
ふと香風さんの方を見てみると何だか、若干引いたような面持ちでこちらをじんわりと見ていた。
「……何だか敬語だと気持ち悪いですね」
「ねえちょっと酷くない?僕はこれでも一般的な男子中学生という世間体を意識して常に云為しているのに」
「全然一般的には思えません」
「その発言がまず一般的と言う表現から乖離しているな」
そんな馬鹿な。一応僕なりにその概念については思考に施行を重ねて辿り着いた振る舞いなのに。
「じゃあ逆に訊きますけど香風さんとリゼさんが思う一般的男子中学生像はどんな感じなんですか?」
その質問にいち早く答えたのは、渦中の人間たちと同じ教室で学ぶ身である香風さんだった。
「何と言うか、まず騒がしいですね。授業中に良く注意されますし……」
なるほど。確かに僕の周りにも五月蠅い同級生はそれなりにいる。それを考えるとその結論に達するのも納得は行く話だ。
リゼさんは少し過去を思い返すように視線を宙に向けていると、数瞬して口を開いた。
「……そうだな、馬鹿みたいに騒がしくて混ざったら楽しそう……かな?」
「流石リゼさん、あの空間を羨ましく思っている……!」
最初から薄々感じてたけど、リゼさんは男勝りなところがあるようだ。
しかし、これだと一般的な男子中学生がただ五月蠅いだけの集団と言う結論になってしまう。それだと僕も困る、何故ならいつも教室の隅で読書をしているような人間がワイワイと騒げるはずも無いからだ。
そんな葛藤に頭を悩ましていると、リゼさんが言う。
「それにしても何でそんな一般的って単語を意識しているんだ?別に人の性格は十人十色だろ、そう気負うこともないんじゃないか?私はお前みたいに変わった個性も好きだぞ」
……あれ?告白された?
「リゼさんがそんな……」
「……あ!い、いや!これは違うぞ!別に他意とか無いからな、勘違いするんじゃないぞ!」
「は、はい!僕で良ければ!喜んで!」
「お前分かってて言ってるだろ!何となく面白そうだからって乗っただろ今!」
流石現役女子高校生、恋愛ごとには機敏らしく僕の拙い演技もバレてしまった。折角真に受けた一般的草食系男子のフリをしたのに……。
「まあともかく、お前にはその一般的な男子中学生のフリは無理だ、諦めて楽になれ」
「そうです、そもそも元から普通じゃありませんし」
……うーん。まあ実際はそんなに性格を意識したことないしなぁ。適当に話が盛り上がりそうだから話題にしただけだし。まあいいか。
「……リゼさん、香風さん、ありがとうございます。不肖この宇治松、これからは自然体で行こうと思います!」
「おう!そうだ!それで行け!」
「はい!時間も時間なので僕はこの辺で失礼しようと思います!さようなら、また来ますね!」
「ああ、勿論だ!いつでも来い!」
そのやり取りをして僕は喫茶店、ラビットハウスを後にした。
……今日は何だか疲れたな、すぐ寝ようかな。
「いつの間にお金をカウンターの上に置いたんだあいつ……」
「学校と変わらず良く分からない人です……」
「ところでチノ」
「何でしょうリゼさん」
「あの宇治松……だっけ、あの男の子とはどのくらいの面識だったんだ?」
「いえ、喋ったことが少しあるくらいです」
(それであの塩対応か……。)
主人公は一体何者なんだ……
それはそうとごちうさ劇場版スペシャルエピソード、楽しみですね。取り敢えず前売り券でも買おうかな。