瓦解都市   作:匿名

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門の音

 

 婆の声が、頭を(よぎ)る。夜が来たなら手遅れだ。逃げた所で如何にもならぬ、腹を括って目を瞑れ、と。楽しかったことだけを思い出して、父母の顔を、兄弟姉妹の顔を、爺婆の顔を思い描いて、楽しい生世に別れを告げよ、と。

 

 ――それが嫌なら。

 

 走りに走る。家路は何処だ。帰路には付いてるのか。家は何方だ。ここは何処だ。

 遠い遺跡の私的な調査。この街の外れ、木造の宗教施設。この街の……否、国の過去を探ろうと。新たな知識を得んと。手を伸ばした結果が、これだ。夢中になって、時間を忘れ。それは、道を失くした子どもと同じ。辿る運命も、また。

 迫り来る夜の影が街に巣食い足を掬う。伸びた廃ビルの影は私の影を喰い私は悔い。色付き始めた月の光に、今までは綺麗だと思い込み続けてきたその妖しい輝きに恐れ、震え、それでも。

 足は、止めず。上がる息など知らぬと、痛む胸など知らぬと。ただ、この小さな命を。生き長らえんと逃げに、逃げる。

 

 ――日が暮れる前に、帰っておいで。

 

 震え上がらせるだけ、震え上がらせておいて。最後に見せた、婆の優しい笑顔は――

 もう。死の間際に思い描く、楽しかった思い出の、一つとなって。

 零れる涙は、しかし、後悔の念、過去への執着までは乗せ行くことも無く。溢れる度に積もる哀しみは、胸の内、荒く吸い込んだ息の渦巻き、責め立てるように暴れ回る心臓の鼓動と共に。私の胸を内から圧迫し、私は、私は……

 

 足が、何かに引っかかる。止まることも叶わず、半ば、アスファルトに飛び込むように転んだ私は、月下。起き上がることさえも、出来なくて。

 見たくない。右足に何かを感じる。見たくない。そこにあるのは、きっと、私の……

 

 ――人じゃあ無理だ。逃げられぬ。

 

 まるで、首が、錆び付いたよう。

 

 ――会ったら最後。皆、皆。

 

 右の、後方。地についた、足元。視線を、向ければ、そこには。

 

 ――一人残さず、食われちまったげな(私の足を掴む、白い腕)

 

 動ける筈なんて、無い。闇は蠢き、私に迫り。ふと、見上げた空には。

 廃ビルの、窓という窓。割れ落ちた硝子の隙間から伸びる、無数の、白い腕。

 

 ずっと、ずっと。私は。文字通り、その腕の中で逃げ回っていたのか。生き残れるかもしれないなんて、そんな。ありもしない希望を抱きながら。この、白い、腕の中を。蠢き、広がり、そして、収縮する闇の中を。逃げてる、つもりで――

 

 ――これで話は、終い、終い。さあさ、皆お家にお帰り――

 

 帰りたかった、なぁ。なんて。

 

 迫り来る、白い、無数の腕。酷く冷たい。これが、最後の感覚なのか、なんて。

 最後に一粒。乾いた地面に、雫を落として、私は。

 

 唯。懐かしい顔を、思い描きながら。

 

 

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