瓦解都市 作:匿名
月を見上げる。形は、雲に隠れて朧、灰だか、青だか、紫だか、分からぬ色が、海原の上、重ねて滲んだ水絵具のように浮かんでいる。
待ち人は、今日も来ない。応えの一つさえ、無い。遠く遠く、蜃気楼の街から何れ、迎えに来ると言った人は。人が乗った、船は。今日も、この、最早国とも言えぬこの街、傷んだ油絵具の街の、汚れた地面を踏むことは無く。
七日の夢を思い返して、思い返す度に、その色が滲みぼやけていく事を憂いて泣く。一夜、一夜と夜を重ね、朝日の下で言葉を重ねた。確かにあった光景、色が、日に焼けた写真のように色を失い消えていく。
夢のような日々。夢に見る日々。顔も思い出せぬ彼はきっと、遠く海の向こうで死んだのだろう。人を追ってこの街を訪れ、人を殺めて故郷へと去った。何れ足を洗って、街の外れ、夜になれば霧が満ち、朝になれば鳥が囀る、澄んだ空気の丘の上で、菜園を作り暮らそうと語り合った――夢の中で見た夢が、未だに記憶に残っている。
もう。夜になれば霧が満ち、朝になれば鳥が囀る。そんな丘さえ、無くなった。大気の汚染は霧に毒を溶かし、小鳥達は何処か、私たちの知らぬ場所へと、居を移したか死に尽くした。夢は夢のまま、果たされぬ約束と共に水泡に帰して戻って来ない。
第一。この手に、顔に。刻まれた皺は。例えその人が戻ってきたところで、互い。夢に見た人であるなどと、気付くことさえ出来ぬ程。来る日も来る日も岬の上、岩の上、腰掛けては海を見、大陸から来る一艘の小舟を探し続けた年月は、結局、人一人分の生の全てを棒に振ることに終始した。
終始する。
僅かに、雲から顔を見せた月の色は、陳腐と思うまでに白く。光を受けて輝いた波が、こちらへと向けて漕ぎ進む舟のように水面に揺れ、故意に閉じた目蓋の下で闇に沈んだ。
構わないのだ。そんな景色は、もう見えず。只、夢を見ている。夢だけを、見ている。
色褪せてしまった記憶を見つめ、思い描いた色を以て貴方を見ている。幼子の描いた風景画のように、只、自身の欲を映し出した出鱈目の色を塗った景色を、貴方を見ている。
海は黄金色に輝き。青く眩い月の下、瑞々しい緑の丘で、白木の小舟を櫂一つで操る貴方が、皺一つ無い肌と、透けた血色、澄んだ瞳で私を見つめて。
あの日の私を呼んでくれる。あの日の声で。今では無い、あの日の世界で。そんな、景色を。
見ることに、終始した。腰の曲がった、皺に満ちた。最早、満足に歩くことも出来ぬ私は。その景色の中に、居ない私は。灰色の岩の上、立ち上がりもせず、腰掛けたまま。
二人の逢瀬を照らす、月を。濁った瞳で、見つめ続けて。