瓦解都市   作:匿名

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落とし文

 真っ白な紙に、赤いインク。

 

 垂らした一粒の雫は、灯りの下で滲みゆき。血痕のように燃え広がっては、純白の世界に、鮮明な色の影を浮かび上がらせて。

 何の意味も持たない、赤い染み。迷わせた筆。その先から零れ落ちた、一滴。机代わりの木箱の上に広げた安い紙に、指先に乗せた安いペン。良質な筆記具なんてもの、この街の学生が……自ら学ぶ姿勢を持つものさえ、ほんの僅かであるのだが……買うわけも無い。買えるわけもない。需要も無いのだ、供給などは存在し得ない。目先の金のために動くこの街で、よりよい未来を作るための勉学などは、存在せず。唯々、生きるため。金を得るため。中には趣味道楽で筆を握るような変わり者もいるだろうが、それは、金持ちの遊びか、知識を得る悦びに魅せられてしまった、僅かな人々のみで。

 

 彼女のように。彼女もまた。知識欲に呑まれ……解き明かす事に命を捧げ。結果。

 残されたのは、割れた無数の窓の下。廃ビルの群れに見下ろされたように転がった、冷たくなった彼女の身体。抱き抱えた、冊子。筆記具。彼女の纏めた資料。知識。命を失くし、生から投げ出され。残した知識などが、落としたその文などが、何になるのか、と。

 死者に対して吐きつける言葉ではない。そう、分かってはいても。言葉は、胸の奥を掻き乱し。そんな思いを塗りつぶすように。

 

 伝える筈だった思いを。紙の上に綴る、綴る。止め処なく溢れる言葉は、文法など既に。壊れ。筆圧は、上がり続け。紙の奥、木箱に食い込み。

 

 インクを滲ませた紙の上に、文字を綴る、綴る。もう、届く事などあり得ない。もし、届くとするならば、土の下。纏めて焼かれた灰の中で。燃やされて、焦がされて、舞い上がって、混ざり合って。身寄りの無いものの行き着く先は、皆、其処。薄暗い巨大な焼却炉の中で、誰とも知れぬ骸と乱雑に交わり、混ざり、唯。一つの、灰の塊となるだけ。

 

 紡げる限り。言葉足らずな、しかし、精一杯の言葉を筆に乗せる。真っ赤な文字だ。生きた文字だ。迷い、惑い、また迷わせた筆から落ちたインク、それ等が描き出す背景と重なって、読みづらい部分も、多く。この文を読む人など、最早、存在しないので構いはしない、と。この思いが伝わることなど無いと分かっていながらも、綴る事を辞めはしない。彼が書き、彼が読み返し。汚い文字が叫ぶ愛を。滅茶苦茶な文章が宣う恋慕を。

 

 隣にいながらも、止められなかった。彼女の、輝く瞳に、釘を打ち付けることなど出来はしなかった。ならば。

 今更。止まることなど、と。

 

 決意を。彼女の思いを継ぐ、決意を。自身の文才の無さに頭を抱えながらも、書き出し、読み解き。書きあがったこの手紙を持って、目的の場所へと、走り、走り。

 

 件の焼却炉。この街の火葬場へと辿りつき、忍び込み。杜撰な警備を掻い潜った彼は。継ぎ接ぎだらけの衣服、そのポケットから、皺だらけになってしまった、一通の手紙を。文を、取り出して。そして。

 

 燃え盛る炎へと。猛る炎、舞い起きる風に煽られぬようにと、手紙と共に、重り代りの小石を包んだ便箋を。

 

 彼女を焼く炎へと。灰へと。その、恋文を投げ込んだ。

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