瓦解都市 作:匿名
世界を見下ろす、瞳。
それは、この街を捉え、世界の秩序を守るために備えられた一つの監視。人々を抑え、法による支配を行わんとして置かれた、天網。巧言令色、嘘八百。人々に取り入った上辺だけの言葉は、その背に、自身らに取って都合の悪い者を捕らえ、奪い、絞り尽くすことだけを目的とした設置者……警察組織の思惑を隠して。
否。最早、隠すつもりも無いのだろう。自身らの利益を最大のものとするためだけに動く組織。楯突くものは、捕まえて。殺すなり、嬲るなり。犯すなり。場合によっては、取り込むなり、従わなければ消してしまうなりすればよい。恐れるものなど、ありはしないとでも言うように。彼らはこの、街を、世界を手のひらの上で、転がし。
瞳に映るは、汚れた世界。濁り切った大気、淀んだ水。そして、無法と化した下界の姿。
こんな汚らしい世界にも、公安はいるのだと。俄かには信じがたいが、己を作り出したのも又、彼ら。眼だけではなく口の一つ、表情筋の一つでも在るならば、この街を見て嗤ってみたいものである、などと、全く、機械らしくない感想を胸の内で呟きつつ、彼女は、世界を見つめ続ける。
本来ならば、その瞳に映った悪事は、全て公安にへと伝えられるシステムが備わっていて。しかし、それも今更。瞳に映る悪意の数々、法を犯す者等に、それを正すべき者、設置者達のそれが混じり込んでいる時点で、それも、無駄なことなのだろう、と。彼女の目的は、搾取や略奪の助けではない。あくまで、この街の秩序を。平和を守ること。それを為すことが出来ないのならば、一体、彼女の存在価値は、何処へ。
故に、巨大な無機質の瞳は。瞳に差し込む光を、その情報を、ケーブルの先には送らずに。汚れた世界の一場面は、その瞳の中を、彼女の、機能の限界を超えたコンピューターの中を周り続けて。
彼女は、瞳。脳でもなければ、心でもない。只、映り込んだ情報を、脳たる本部へ送るだけが彼女の仕事。だが。
いつしか、彼女は意思を持ち。魔性のそれによるものか、それとも、誰かがプログラムを書き換えたのか。意思の生まれるの瞬間のことなど、彼女が知る筈も、無くて。人間のそれとも、夜の闇に紛れて蠢く魔物の影とも、人の作り出した
悪を摘み取る腕が欲しい。その場へ駆けつける足が欲しい。考えるだけの脳が欲しい。全てを捕らえる力が欲しい。平和な世界を。幼子の笑顔を。若者の希望を。心豊かな大人たちを。次の世代を見て目を細める、老人達を。彼らが、彼らが、生きることの出来る世界を。悲しみの無い世界を。彼女の思いは、しかし、何をなすことも無く。求めた世界は、此処には、無い。生まれ得ない。それを知ってしまっているから、彼女は。徐々に、その瞼を閉じゆき。
狭くなり行く視界の中、夕日は、絵に描いたように鮮烈に。この歪んだ鉄塔から見える夕日は、この汚らしい世界とは対象的で。まるで、嘘なのではないかと思ってしまう程に、美しく。
今。この鉄塔の目的は、人々を監視するそれから、夕日を見つめるための高台へと、変わるのだ。この世に疲れた人々が、あの、燃え盛る夕日を見つめて心を癒す、そんな、そんな愛に溢れた鉄塔へと、この身を変質させるのだ、と。儚い理想を持って、この、歪な瞳を、そっと閉じよう。
明る過ぎる光を、瞼で覆って。一つの、世界を見下ろす瞳は、今。
その紅く、光放つ世界を。深い、闇に落した。