瓦解都市   作:匿名

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その暗闇に逃げ込んで

 

 銀行から引き降ろしたのは、無数の紙幣。一の後に並ぶゼロ。この街において、最も信頼できる存在をこの手の上に乗せ、一枚一枚、大事な大事な、その紙切れを数え上げ。この銀行は、外の銀行なんぞよりも余程、信用に足る存在で。引き降ろした紙屑の数に誤りが合ったとしても、一枚そこら。そこに悪意は存在せず。それどころか、一枚余分に金を差し出すことさえある。目が悪いのか、指先の感覚が麻痺でもしているのか。何れも、この街では然程珍しくは無い。麻薬にやられた人間なんて、腐るほどいる。生活に支障をきたしているか、いないかだけの違いしか無いのだ。例え麻薬漬けの生活を送る銀行員がいたところで、そいつが自分の仕事をこなしているのであるならば、何の問題もありはしない。

 が。

 

 数えてみれば、余分な一枚。そろそろ、こいつも部下に仕事を譲らねばならないのではないか、と胸の内で独りごちながら、多すぎた紙幣を窓口に放り。謝罪の言葉を投げかけながら、宙に舞う金を慌てて掴むその姿に思わず笑みが零れ。誰もがこうして、誤りを訂正してくれるほどに優しくはあるまい。棚から落ちてきた餅は、そっと懐に忍び込ませるのがこの街の常識。それは、自治の行き届き、仲間意識の強いこのエリアにおいても……いや。もしかすると、そんなお人よしばかりだから、この男が銀行員でもやって行けるのかもしれない、なんて。

 心を暖めたというべきか、心底呆れたというべきか。どうだっていい迷いを渦巻かせたまま、立て付けの悪い扉を開く。

 

 今は、夜明け。徐々に明るくなりつつある空は、しかし、いつもどおりの汚い灰色で。この程度の明かりでは、この街の影は。陰は。照らし切ることなど、到底叶うことなどない。

 

 

 乾き切った札束を握る。褪せた色に、汚れ。破れ、切れ目の入った紙束は、分厚さだけならば、相当なもの。しかし、この街においては紙幣などに、大した価値もなく。十、二十と重なり、束となれども。この程度の金では、保って一週間。金が切れ、食糧が切れ。備蓄の減ったその頃には、次の仕事を探さねばなるまい。

 幸い、と。言うべきか。この街では、俺は仕事に困る事などなく。利害の一致は、見渡す限りのガラクタの山の上、ゴミの影、汚らしい顔をした案山子共の算盤の上に転がっている。個人的な恨みを、金に物を言わせて晴らそう、なんてものもあるだろう。狙う相手が邪魔な商売敵や、悪行に勘付いた自警団の幹部、なんて事も、珍しくはない。それらは外の街から舞い降りた依頼。金は何処からでも幾らでも転がり込み、金は、このガラクタの寄せ集めのような、積み重なった塵の城の中で廻る。無秩序な違法建築、最低な衛生。端から見ればこの空間は、とんだ無法地帯なのだろう。

 しかし。この空間の外、広がる街には、俺の……そして、俺を必要とするような商売人達の、行き場はない。人々には無法地帯と呼ばれる、この、乱雑に重なり合った積み木のような建物の群れ。入り組んだ迷宮、狭い、狭い空。そんな、劣悪にも思える環境であれど、人々の笑顔は、笑い声は。搾取を、略奪を恐れずに過ごせる場所は、此処しかなくて。腐り切った警察が徘徊する無法地帯の外などよりも、この街の方が余程。法が支配する世界よりも、この無法地帯の方が、余程、人間の住む世界らしい。

 自由な思想。芸術活動、文芸活動。声高らかな社会批判も、鬱を歌った暗い音色も。希望に溢れた御伽噺も、世界を悲観し切ったその言葉も。全て、全てが受け入れられる。

 なんて。今更、自身の身を落とした巣穴を正当化する必要なんて、微塵もなく。ただ、俺は。

 握りしめた札束を鞄に放り。その、暗闇に逃げ込んだ。

 

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