「純蓮(孫静)さん、こっちは片付きました」
「あら、ご苦労様。そこに置いてくれる?」
「了解です」
純蓮さんと、剛(張昭)のじーさんは今日も書簡の山と格闘している。
あたしは一応武官扱いだけど、郡太守でしかない香蓮(孫堅)さんがそもそも武官を雇える立場にはない。
この長沙郡に元々住んでいる豪族が協力するか、若しくは自費で香蓮さんが雇う他にない。
だったら朝廷がそれを出せばいいようなモンだが、今の朝廷に期待するだけ無駄ってのが皆の見解。
でも、文官であれば必要な手続きさえ踏めば大手を振って雇える。
てな訳で、あたしも書類上は文官としてこの長沙にいる事になる。
あたし自身、完全な体育会系なのは自覚しているけど……それ以上に香蓮さんのトコにいる人はそっち系ばかりなんだよな。
だから文字の読み書きが出来て、計算が出来る人物はそれだけで立派な文官扱いてな訳で。
「純蓮さん、まだあれば手伝いますよ?」
「そうね、ううん大丈夫よ。これは眼を通すだけだし」
微笑みながら言ってるが、まだ山が二つもあるんだぜ?
「なあに、ワシと純蓮殿でかかれば半刻もかからんろうじゃて。それより綾子、昼餉の仕度などしてくれぬかの」
「あらあら、剛ったら。すっかり綾子の料理に夢中ね」
「美味い物は美味い、それで宜しいではありませぬか。そうだな、綾子?」
「あははは……。ま、そうですね」
全く、食い意地の張ったじーさんだぜ。
「失礼します」
お、冥琳が入ってきた。
「あら。何かしら?」
「はい。綾子をお借りしたいのですが」
「綾子を?」
「ええ。宜しいでしょうか?」
「構わないわよ。綾子さえ良ければだけれど」
「ありがとうございます」
冥琳はそう言ってあたしを見た。
「いいか?」
「あ、ああ。そりゃ構わないけどさ」
別に接点がない訳じゃないが、冥琳が改まって来るのなんて初めてだな。
「済まないな」
何だろ?
雪蓮みたいに、説教食らうような覚えは……うん、ないな。
「最近はすっかり純蓮様の力になれているようだな」
「まあ、何とかな。っても、まだまだあの人みたいな超人にはなれないけどな」
「ふふ、そうだな。香蓮様のような鬼神の働きは望めないが、その代わりにあの御方なしではこの長沙は回らない」
「それは冥琳もだろ? 軍略を一手に引き受けてるんだ、並大抵の苦労じゃない筈だし」
「……わかるか?」
冥琳の奴、遠い目をしているようだけど。
「何、香蓮様には不満などないさ。今少し、政務に励んでいただければなお良いが」
「少し、ね」
「ああ、少しだ。そういう事にしておけ」
苦労性だなぁ、これじゃ雪蓮の代になったらもっと苦労すんじゃね?
冥琳っつーか周瑜が早死にした理由、実は過労死とかだったらシャレにならんぞ。
「なあ、少し仕事の量を減らすとか分担するとか出来ないのか?」
「ふむ。それが出来れば苦労はせんよ」
「けど、蒼(魯粛)とかもいるんだしさ」
「……そこなのだ」
ふう、と冥琳は溜息をついた。
「綾子。少し外に出ないか?」
「外? 別にいいけど」
街にでも出るつもりか?
そして、あたしと冥琳は馬上の人となっていた。
「外って城外の事かよ」
「そのつもりだったが、何か問題があるか?」
「……いや、別にないけどさ」
ちょっとそこまで、って感じで言ってくれるなぁ。
「いいのかよ、警護の兵も連れずに?」
「ああ、構わんさ。夜までには戻れる」
「そういう問題かよ……」
と、冥琳はニヤリと笑った。
「私も、自分の身ぐらい守れるさ。それに加えて、我が軍でも指折りの猛者が一緒だからな」
「そりゃ、あたしの事か?」
「さて、どうかな。身に覚えがあるのであれば、そうなのではないか?」
あーはいはい。
そりゃ先だっての湖賊討伐では無双しちゃいましたよ、そりゃね。
それに関してはこってり絞られもしたけど、おかげで武官と兵の大半があたしを見る眼が変わっちゃったようだ。
一人だけで暴れたところで、ただの匹夫の勇なんだがね。
「ここのところ根を詰めていたようだからな。気分転換に外に出るのも悪くないだろう?」
「じゃあ、あたしなんかよりもずっと忙しい軍師様があたしに気を遣ってくれたって事か」
「それもある」
「それも?」
「ああ、それもだ」
他にも何か目的があるって事か。
どうやら、単なる思いつきや気まぐれじゃなさそうだな。
「そういや、蒼じゃ仕事を任せられないみたいな事言ってたけどさ」
「……ああ。いや、勿論才能はある事は否定しない。あれでいて、弓の腕もなかなかのものだしな」
雪蓮が言ってたな、そういや。
祭さんとは比較にならないだろうけど、今度一度腕前見せて貰うかな。
「算術にも優れているし、大らかな性格もいい。……だがな」
と、冥琳は視線を落とした。
「あ奴の性格が、素直過ぎる事が欠点だ。軍師は時には非情になる事も必要だが、蒼にそれを求めるのは無理だろうな」
「だから、任せられないってのか」
「正確には、軍師としての任はな」
つまり、そっち方面は必然的に冥琳一人でやらなきゃいけないって事になる。
ただでさえオーバーワークなのに、そのままじゃ身体壊すぜ。
「他にはいないのか? 候補者っつーかさ」
「……いる事はいるな」
「なら、そいつをスカウトしちゃえばいいじゃん」
「すかうと?」
「勧誘って意味だよ。即戦力じゃなくても、鍛えりゃ一人前になる奴とかでもいいからさ」
「ふむ……」
と、あたしをジッと見る冥琳。
「な、何だよ?」
「それは、例えば綾子か?」
「は? おいおい、あたしのドコが軍師の素質ありっつーんだよ」
「読み書きも満足に出来ない者が多い中で、私や純蓮様から見ても十分な教養を身につけているではないか。それに、未来の知識もある」
「だからって、あたしが軍師向きってのは強引過ぎね?」
「いや、綾子にその気があれば決しておかしな話ではないぞ? 個人の武勇と知謀を兼ね備えるなど、理想の軍師と言えるな」
「冗談は止してくれ。だいたい、あたしはそんな柄じゃないさ」
氷室とか遠坂、あるいは柳洞みたいな連中ならともかく、あたしは完全に体育会系だしな。
「そうか、それは残念だな」
「悪いが他当たってくれ。探せばいると思うぜ?」
「……そうだな」
軍師っていや、禀とか風はそのままズバリだよな。
あいつら、香蓮さんに仕官するつもりとかないのかね?
何てったってあの郭嘉と程イクなんだし、実際頭は回る。
あたし専属のアドバイザーみたいな格好になってるけど、まさかあのままずーっと居るつもりじゃないだろうし。
けど、本当なら二人とも曹操に仕官する筈だし……う~ん。
まぁ、それを言い出したら星だって公孫賛とか劉備のトコになるしなぁ。
「あたしの事は置いといてさ。冥琳の心当たりって誰なんだよ?」
「この長沙郡の者ではないが、呉郡では知られた名家の一族にいる」
と言われても、この世界の地理は大雑把にしかわからないあたしにはピンと来ない。
「その呉郡ってドコにあるんだ?」
「揚州だ。長江の下流付近にある、文台様がいずれはと願っている地さ」
「とりあえず、ここから近くはなさそうだな」
「確かに近いとは言えん。だが、縁戚の者がこの長沙郡にいてな」
「……まさか、今その本人が来ているって事じゃないだろうな」
「その通りだが? ああ、面会の約束ならば既に取り付けてあるぞ」
「全部手筈通りかよ!」
思わず吉○ばりのツッコミをしてしまった。
「おや、何か問題でもあるか?」
ニヤニヤ笑ってるし。
「いや、そうじゃねーって」
「それとも、やはりお前が軍師になるか? それならば行かずとも良いが」
「それはもっと却下だ!」
ったく、最初から選択肢なんかないくせに。
この調子だと、純蓮さん達にも根回しがしてあるんだろうしな。
何か思惑があるんだろうし、かと言って冥琳一人にさせて何かあったらそれこそ一大事だし。
結局、黙ってついて行くしかないって訳だ。
……しかし、本気なのかねあたしに軍師やれとか。
二時間ほどで、大きめの邑が見えてきた。
「此所だ」
「へえ、この邑は初めて来るな」
調練とか見回りとかで長沙の城から出る機会はあるけど、まだまだ行ってない場所の方が多い。
道も一応は覚えたつもりだけど、一人で帰れとか言われたら結局迷いそうだ。
頑丈そうな柵で囲われ、門は兵が固めている。
ちょっとやちょっとの賊ならば、確実に撃退されるレベルだろうな。
冥琳はそのまま門の方に進んでいく。
「止まれ!」
「長沙郡太守、孫文台麾下の周公瑾だ。陸伯言殿にお取り次ぎ願いたい」
誰何する兵に、冥琳は毅然と答えた。
「暫しお待ちを」
あたしと大して歳も違わないだろうに、オーラが違うねやっぱ。
兵は慌ててすっ飛んでったし。
これから会う相手、『陸伯言』って言ったな……確か。
伯言って名は覚えてないけど、呉で陸姓と言えば。
「冥琳」
「何だ?」
「これから会う相手って……陸遜か?」
字をいきなり呼ぶのは失礼だから、周りに聞かれたらまずいと思ってあたしは小声で尋ねた。
「そうだ。やはり、知っていたか」
「まあな。あたしが考えていた中の一人だったし」
「ふふ、未来の知識と言うのは便利なものだな。他にもまだ人材がいるのか?」
「たぶんな。ただし、あたしの知ってる奴がこの時代にもいるかどうかはわからんけどさ」
「その時になればわかるさ。お、来たようだな」
さっきの兵が駆け戻ってきた。
「お会いになるそうです。どうぞ此方へ」
「わかった」
「開門!」
ギギギと音がして、門が開かれた。
「へえ」
思わず、あたしは感嘆の声を上げた。
邑っても立派なモンで、長沙の街程じゃないにしても割と賑わっていた。
数は少ないが店もあるし、実力者が治めてるってのは見て納得。
短いメインストリートの向こうに、一際でかい屋敷が見えてきた。
その門のところに、人が立っているな。
「あれがこれから尋ねる豪族の屋敷だな?」
「そうだ」
「じゃあ、門のところにいる髭面のおっさんが?」
あれ、冥琳が妙な顔をしているんだけど。
「どうかしたか?」
「いや、この距離で相手の顔まで見えるものなのか?」
「ああ。あたし、視力は昔からいいからな」
「そ、そうか……。てっきり、私の眼鏡が合わなくなったのかと思った」
やっぱ伊達じゃないのか、その眼鏡。
この時代に眼鏡なんてあんのかとツッコミたくもなるが、考えるだけ無駄っぽいからやめとこ。
そういや、こっちに来てから妙に視力が良くなった気はする。
動体視力なんか絶対に上がってる。
でなきゃ、人外だらけの中で怪我一つないのはいくらあたしの武力があっても無理ってモンだ。
今なら、飛んでる蠅を箸で捕まえるぐらいの芸当もできんじゃね?
今度、こっそりやってみるかね。
おっと、冥琳と会話の途中だったな。
「髭を蓄えた御仁は、恐らくこの屋敷の主。伯言殿は女性だ」
「って事は、隣にいる娘がそうかね」
「どのような容姿だ?」
「えっと……。髪は緑色、小さめの眼鏡をしていて。あとは……ブッ!」
「どうした?」
「い、いや……」
身体に視線を移した瞬間、思わず噴き出しちまった。
胸部装甲にメロンどころかスイカが装備されてるとか、人間なのかあれ?
冥琳のメロンも相当なモンだけど、それすら凌駕するとか何なんだよ。
「どうしたのだ? 私の胸などチラチラ見たりして?」
「……いや、何事にも規格外ってのは存在するんだなぁって再認識しただけだよ」
言っておくが、あたしだって決して自信がない訳じゃない。
つーか、同級生の中でも十分に立派な部類だと自負している。
遠坂とか蒔寺から時折、殺意の混じった視線を受ける事もあったしな。
……でかいばかりが正義じゃないさ、うんうん。
で。
結論から言うと、陸遜はあっさり仕官を承諾。
元々香蓮様には興味を覚えていたらしい上に、冥琳を軍師として尊敬しているとか何とか。
おまけに、
「美綴さんはいろいろな知識をお持ちとか~。是非、じ~っくりとお話を伺いたいですねぇ」
……だそうだ。
「じゃあ何か? あたしが香蓮さんのトコにいるのも仕官を決めた理由とか?」
「そうなりますねぇ。新たに知識欲が満たされるなんて、幸せですぅ」
何だろう、嫌な予感しかしないんだが……。
ともあれ、これで香蓮さん陣営はまたパワーアップだな。
……つか、チートさがパネェわ。
これで移転分は全て完了です。