スズメの囀りで目が覚めた。
今、何時だ一体?
随分早朝みたいだけど、朝練の時間まではもう一眠り……って。
ガバッと起き上がり、現実に戻った。
そういや、あたし異世界に飛ばされてたんだっけか。
部屋は純蓮(孫静)さんに案内して貰った場所だし、部屋の隅には薙刀と弓が立てかけてある。
……一晩寝たら夢でした、って事にはならなかったか。
ともかく、顔でも洗うか。
本当は熱いシャワーでも浴びたいけど、この時代にそんなモノはないだろうし。
ベッドを出ようとして、手を突いた場所が妙に柔らかいのに気づいた。
一体何が……え?
「スーッ、スーッ」
あたしの隣で、それは安らかな寝息を立てている。
……って。
「おい! 何やってんだ明命!」
「んん……?」
薄目を開けた明命、次の瞬間に跳ね起きた。
「はうあっ? あ、綾子お姉さま?」
「びっくりしたのはこっちだ!」
「……あ」
状況を理解出来たのか、明命の顔がみるみる赤くなっていく。
真名を預かったとは言っても、あたしはまだ信用されていないって事か。
いや、明命とはまだ出会ったばかりだけど、この娘はそんなに猜疑心の塊じゃない。
寧ろ、それとなく警護していてくれるつもりだったんだろう。
間諜としては一流なんだろうけど、素のこの娘はとても純真だ。
「お猫様が……」
「猫がどうしたんだ?」
「は、はい。お姉さまがお休みになった後で窓から入ってこられまして。そのまま寝台でお眠りになったんです」
「……で、猫につられてあたしの隣に来てしまい、気づいたら寝ていた、と」
「……はい」
猫好きなのはわかるが、危なっかしいような気もする。
あたしがそれに気づかなかったのはともかくとして、逆は拙いだろ。
「明命。まだまだ修行が足りないぜ?」
「うう……。反論の余地もありません」
あたしは思わず苦笑し、明命の頭に手を置いた。
「綾子お姉さま……?」
「あたしだって偉そうに言える立場じゃないけど……ま、頑張ろう」
そのまま、わしわしと撫でてやる。
「はふぅ……」
なんか、艶っぽい溜息出さなかったか?
目は虚ろになっているし、口元は緩んできてるし。
これはやばいと思ったあたしは、慌てて手を引っ込めた。
「なんか、悪かった」
「い、いえっ!……もう少し、あのままでも」
不穏当な発言は気のせいだろう、うん。
つーか、残念そうな表情すな。
朝食後、部屋に雪蓮が尋ねてきた。
見覚えのない、何人かの女性が一緒だ。
ちなみに明命は、別命を受けたらしくだいぶ前に出て行った。
「やっほー」
「相変わらずノリが軽いな」
「ノリ?」
首を傾げる雪蓮。
「それよりも、一緒にいる人達を紹介してくれないか?」
「ええ、そうね。なら、各々で名乗って貰いましょう」
「周公瑾だ。香蓮様の下で軍師を務めている」
「儂は黄公覆じゃ。見ての通り、武官じゃの」
「我が名は程徳謀。祭殿同様、武官を任されている者だ」
周瑜に黄蓋、それに程普。
見事に呉の大物ばっかだな。
「美綴綾子です。姓が美綴で、名が綾子です」
黄蓋さんと程普さんは明らかに年上なので、タメ口は控えた。
いくら何でも、あたしもそこまで礼儀知らずじゃないし。
「策殿から聞いたが、お主なかなかの腕を持っているそうじゃの」
「いえ、そんな事は。現に、雪蓮に負けてしまいましたし」
あれ、三人が驚いているような。
「美綴とやら。貴様、雪蓮殿より真名を預かったのか?」
程普さんが、凄むように言った。
「ちょっと唯(ゆい)。綾子を脅すような言い方しなくてもいいじゃない」
「しかし、真名は神聖なものですぞ。それを」
「もう、わたしが許したに決まってるじゃない。ごめんね綾子、唯はちょっと堅苦しいところがあってね」
「雪蓮殿こそ、今少し世子としての自覚をですな」
「よせ、徳謀。今に始まった事ではあるまい」
黄蓋さんに諭され、程普さんはしぶしぶ黙り込んだ。
「美綴。見ればこの辺りの人間ではないようだが、何処から来た?」
周瑜が、あたしの全身を見回しながらそう聞いてきた。
さて、どう話すべきだろうか。
正直に、未来からタイムスリップして来たって言うべきか?
いや、そもそもこの時代、どう見てもあたしの知っている歴史の過去じゃない。
こうなる直前に見ていたアニメの世界、その方がまだ説明がつく。
けど、目の前にいる周瑜や黄蓋さん達が偽者とは思えない。
周瑜は眼鏡のせいもあるけど知的な顔立ちだし、黄蓋さんと程普さんは幾多の修羅場をくぐり抜けてきたというオーラが出まくりだし。
「ねぇ、綾子。なるべくなら、本当の事を話して欲しいの」
あたしの迷いを見透かしたように、雪蓮が言った。
「あなたにも事情があるとは思うの。でもね、あなたとは何故か不思議な縁を感じるの」
「縁?」
「そう。若しくは、わたしの勘って奴かな?」
あはは、と雪蓮は笑う。
あれ、他の三人……随分真剣な顔つきになったような。
「雪蓮、確かか?」
「勿論よ」
「策殿がそう思われるのなら、こやつはただ者ではないという事になるの」
「……だな。雪蓮殿の勘は、香蓮殿並の鋭さがあるからな」
え?
なんか、向こうで勝手に納得してるけど。
「とにかく、お主の素性を話してみよ。そうでなくては始まらん」
ずい、と黄蓋さんが身を乗り出してくる。
近くで見ても、綺麗だわこの人。
……とと、そうじゃなくって。
とりあえず、正直に話してみよう。
たぶん、信じて貰えないだろうけど。
で、三十分ほど話した……と思う。
時計があった訳じゃないから、実際はもっと短かったかも知れないけどさ。
その間、四人とも身じろぎもせずに聞いていた。
「……と、こんなところです」
「……話はそれだけか?」
程普さんの声、なんかドスが効いているような。
「え? ま、まぁ……」
その途端、程普さんがツカツカと詰め寄ってきた。
「貴様! 我らを愚弄するにも程があるぞ!」
そう言いながら、あたしの胸ぐらを掴もうとした。
思わず、その腕を掴んで……投げ飛ばしちまった。
「ああっ!」
「唯!」
慌てて、その身体を黄蓋さんが受け止める。
名の知れた武将、あれぐらいで怪我をする事はないだろうけど……やっちまったな。
「な、何をする!」
「そりゃ、あたしの台詞です!」
「何を!」
いきり立った程普さん、剣に手をかけた。
「止さんか、唯!」
「そうよ。あなたらしくもないわよ」
「祭、雪蓮殿、そこをどいてくれ! 人が真剣に聞こうとしているのに、このような滑稽無糖な作り話を聞かせよって!」
まぁ、無理もないわな。
「……唯殿。本当に、そう思われますか?」
程普さんに向かって、周瑜は静かに言った。
「では冥琳。貴様はこの者の話、信ずるに値すると申すか!」
「信じる信じないかではなく、証拠もないのにでっち上げと決めつけるのはどうか、と」
「証拠だと? おい美綴とやら、ならば証拠を見せてみろ!」
証拠ねぇ。
薙刀はともかく、和弓はこの世界にはないだろうけど……あれが未来から来た証拠です、なんてのは通じないよな。
スマホとか、携帯ゲーム機とかでもありゃ、それを見せて信じて貰えたんだろうけどさ。
……待てよ。
あたしの知識が正しければ、こいつらの事を当ててみるってのはどうだろ?
全員が野郎じゃなくて女性だってのは気になるけど、多分辿る歴史そのものはだいたい同じだろうしな。
……よし、一か八かだ。
「えっと、公瑾?」
「ふむ、私か?」
不敵に笑う周瑜。
ったく、あたしが何を言い出すか、完全に愉しんでるな。
「アンタさ、身体の具合悪かったりしないか? 例えば、時々血を吐くとか」
「今度は口から出任せか!」
「だから落ち着けというのじゃ、唯」
「しかしだな、冥琳がそのような……冥琳?」
周瑜の様子がおかしい事に気づいたのか、程普さんが固まってしまったようだ。
「公瑾。まさか、事実だと言うのではないじゃろうな?」
「…………」
黄蓋さんは当惑していて、雪蓮は何を思うのかジッと冥琳を見つめている。
「……美綴。何故、そのように思うのだ?」
呻くように言う周瑜。
「だって、あたしの知っている周公瑾は……早逝するからさ」
そう言った途端、程普さんがまた剣に手をかけようとした。
「クッ、放せ祭!」
「ええい、黙って聞けぬのかお主は!」
黄蓋さんに羽交い締めにされながら、めっちゃあたしを睨んでるよ。
う~ん、程普ってもっと冷静だった印象があるんだけどなぁ。
「唯殿。少し、黙っていていただけないでしょうか?」
「……ふん」
不満そうに鼻を鳴らす程普さん。
「全く、唯は仕方ないわね。それで綾子、続きは?」
「ああ。……呉はこの後、大きな勢力を誇るようになるんだ。そして、魏とぶつかる事になる」
「魏じゃと? 大昔にあった国の名ではないか」
そうだったっけ?
あたしは蒔寺みたいに、歴史オタクって訳じゃない。
この時代の事を知っているのは、全部ゲームの設定から得た知識があるだけの事だし。
ま、いいや。
「えっと、そうじゃなくって。その魏とは、曹孟徳がトップ……主君なんです」
「曹孟徳? めーりん、知ってる?」
「ああ。確か、宦官であった曹季興殿の孫にあたる御仁だ。なかなか才気に溢れているという噂だ」
「ふむ、全くでたらめの名を申した訳ではないのじゃな」
あたしはウソなんかついてないってば。
でも、まだ程普さんは疑いの目で見てるしなぁ。
「多分、その曹孟徳で間違いないと思う。孟徳はその前に河北を制圧して、強大な戦力を持っていたんだ。そして、天下統一を目指して呉に決戦を挑んだんだ」
「その呉とやらだが、王は誰が務めているのだ?」
「……孫仲謀です」
「れ、蓮華様だと?」
またあたしに詰め寄ろうとして、程普さんは黄蓋さんに押し止められた。
「母様じゃなく、蓮華がねぇ。でも、あの娘なら王に相応しいかもね」
「何を言うのだ、雪蓮!」
「だってそーじゃない? それより、続き続き」
随分楽しそうだな、雪蓮。
その前に、お前さんも死ぬんだけど……。
「数の上では圧倒的だったけど、呉は劉玄徳って奴と同盟を組んでこれを打ち破ったんだ。その後、暫くしてから公瑾は病に倒れる」
「…………」
周瑜は、腕組みをして難しい顔つきになる。
「じゃあ、その後はどうなるの?」
「えっと、天下は三分されるんだ。魏、呉、それから蜀に」
「三分だと?」
今度は、周瑜が血相を変えてあたしに迫ってきた。
「二分ではなく、三分なのだな!」
「あ、ああ。さっき言った、玄徳って奴のところに諸葛孔明って軍師がいて、そいつがそうなるように戦略を立てたんだ」
「……そうか」
頭を振りながら、周瑜は腰を下ろした。
「じゃあ、天下はそのまま三分されてずっと続くって事?」
「いや。蜀は玄徳が死んでから、何度か孔明が魏に戦争を仕掛けたんだ。けど、結局勝てなくて最後には孔明も死ぬ。そして、蜀は攻め込まれて滅んだ」
「……呉は、どうなったのじゃ?」
「仲謀が皇帝に即位して、存命の間は国を保っていました。ただ、その死後に滅びへの道を歩む事になりましたが」
「……では、その魏とやらが天下を統一する事になったと?」
程普さん、今度は冷静に尋ねてきた。
「すいません、あたしもそこまではうろ覚えなんです。ただ、魏も結局は滅んだと記憶してます」
「つまり、全員退場って訳ね」
「……そうなるな、雪蓮」
「そっか。……綾子、もう一つ聞かせて」
「ああ」
「冥琳、いえ周公瑾が早逝しちゃうのはわかったわ。じゃあ、孫伯符はどうなったの?」
勿論、孫策の最後は知ってる。
しかし、それを当の本人にそのまま言っていいのか?
迷っていると、雪蓮があたしの顔を覗き込んできた。
「いいから話して。あなたの知っている結末が、必ずしもわたしの運命とは限らないんだし」
「それは……そうかも知れないけどさ」
「どんな末路でも驚かないし、あなたを咎めたりしない。この真名に誓ってね」
そこまで言うのなら、もうあたしは頷くしかないじゃないか。
また、程普さんがキレなきゃいいけど。
「……祭、冥琳」
黄蓋さんと周瑜が頷き、程普さんの両腕を押さえる。
「何をする?」
「言わなければわかりませんか、唯殿?」
「心配するな。この者の話、出鱈目ではないと思えてきたところだ」
フッと程普さんは笑みを浮かべる。
「なら問題ないわね。綾子」
「……わかった」
気は進まないけど、仕方ないな。
「孫伯符は……毒矢を受けて、それが原因で死んでしまうんだ」
「毒矢だと……?」
周瑜が、呻くように言った。
「余程、策殿を恨んでいる者の仕業という事じゃな」
「うむ……」
その場の空気が、更に重くなった気がする。
だから話したくなかったんだけどなぁ。
翌朝。
「おはようございます、美綴様」
「ああ、おはよう」
兵士が、あたしの部屋を訪ねてきた。
勿論、いきなり乙女の部屋に入ってくるようなデリカシーのない男じゃなかったけど。
まぁ、そんな真似をしていたら蹴り倒してたけどな。
「朝食の支度が整っています。食堂へお越し下さい」
「わかった。すぐに行く」
「はい。それから、太守様がお呼びです。食事がお済みになりましたら、ご案内します」
文台さんが?
直接来ないのは忙しいからだろうけど、それにしても何だろ?
「では、また後ほど」
「あ、ああ。宜しく頼むよ」
「はっ。では」
兵はそれだけを言うと、去って行った。
……わからんけど、行くしかないだろ。
今のあたしには、選択肢なんて存在しないんだし。
◇程(普)徳謀
真名は唯(ゆい)。
祭らと並び、香蓮の信任厚い武将。
普段は知勇兼備の優れた人物だが、仲間を大切に思うあまり暴走する事もあり。