激戦をくぐり抜け、あたし達は長沙城に帰還した。
賊軍は壊滅し、邑は守られたのだから目的は達している。
……けど、受けた損害も決して少なくはない。
無我夢中で戦っていたけど、冷静になってみると改めてそれに気づかされる。
「美綴殿。浮かぬ顔をなさっておいでですね」
戯志才が、あたしの顔を見ながら話しかけてきた。
「そりゃ、死んだ奴の事を思うと浮かれる気にはなれないよ」
「確かに払った犠牲も大きかったですが。それをいちいち気にしていては、身が持ちませんよ?」
「……かもな。けど、あたしの初陣でもあったからな。それなりにショックはあるさ」
「しょっく、とはどのような意味なのですかー?」
間から、ぬっと仲徳(程イク)が顔を出した。
何故か、竹簡と筆を手にしながら。
「衝撃、って意味だけど。って、何メモってるんだ?」
「むー、また聞き慣れない言葉が。めも、とは?」
「お前がそうやって書き留めてる事をメモって言うんだって。でも、そんな事してどうするんだ?」
「いえいえー。なかなか、お姉さんの言葉には興味深いものがあるのですよ」
変な奴だな。
軍師だから、知的好奇心が強いのかも知れないけどさ。
「ふむ。ですが、あまり気に病まれるのは良き事とは思えませぬぞ」
「そうは言うけどさ、子龍(趙雲)。実際に人が死ぬのを目の当たりにするのも初めてなんだぜ? まともな神経でいられる方がどうかしてるって」
「こればかりは、慣れる他ありますまい。さもなくば、貴殿がああなりますぞ?」
「わかってるよ」
あたしはふう、と溜息をついた。
「さて、お三方は申し訳ないが我が家にてお待ちいただきたい。先に主君に報告をせねばならんのでな」
祥(祖茂)さんがそう言って、兵に案内を命じた。
「祥さん。菖蒲(徐盛)と皐月(丁奉)はどうすればいいですか?」
「綾子に仕えるっても、香蓮(孫堅)様に目通りしない訳にもいかないだろ。一緒に来るがいい」
「はい!」
「わかったっス」
いや~、香蓮さんどんな顔するのかねぇ。
本来だったら、この二人は雪蓮に仕える筈なんだろうけど……。
「祥、綾子。ご苦労だった」
「はっ!」
「はい」
香蓮さんは、とても機嫌が良さそうだ。
「二人の働きで、他の邑からも感謝の言葉が上がっている。他の賊が、我が軍を恐れて長沙郡から逃げ去ったようだ」
「しかし、その為に多くの兵を失いました。どのような処分でも甘んじてお受けします」
神妙に頭を下げる祥さん。
あたしもそれに倣い、香蓮さんの言葉を待つ。
「いや、それには及ばん。邑も最小限の被害で済んだし、何よりもお前がこうして無事に帰ってきてくれたのだからな」
「ありがとうございます」
「そして、綾子。鬼神の如き働きだったと聞くが」
「いえ。あたしはただ無我夢中で。それに、祥さんの命令にも背いてしまいましたし」
黙っていればそれで済んだかも知れない。
けど、いくら祥さんの危機にいてもたってもいられないからと言っても、軍令違反は事実。
言い訳はしたくなかったし、それが処罰の対象になるなら受け入れるしかない。
あたしなりに、覚悟は決めていた。
「そうだな。しかし、随分と神妙だな?」
「保身に走る奴と思われたくありませんから。祥さんを救えた事で、あたしに悔いはありませんし」
「そうか。では、処分を申し渡すぞ」
「はい」
打ち首って事はないだろうけど、兵卒に降格ぐらいはあるかもな。
菖蒲や皐月には悪いけど、それならそれで仕方ないと思う。
「主将たる祥の命に背いた事は見逃せぬ。だが、戦功もまた大きい。よって、此度は戦功に報いる事は出来んが、その代わり軍令違反は咎めなしとする」
「……わかりました」
「それから、俸禄は三ヶ月の間減とする」
「……へ?」
思わず、間抜けな声を出しちまった。
「香蓮さん。俸禄って?」
「ああ。とりあえず、戦場がどんなものか身を以て知っただろう? よって、今日からお前は見習いではなく、正式な武官として扱う」
「いいんですか? あたし、まだまだわからない事だらけですよ?」
「構わんさ。純蓮(孫静)や祭について、学ぶ事は引き続き学ぶがいい」
要するに、そこは今までと同じって事か。
けど、今後は軍事行動に関してあたしが責任を負う事にもなる。
「それから、後ろの二人だが」
香蓮さんは、菖蒲と皐月を指さした。
「お前達。私ではなく、綾子の下で働きたいと言うのだな?」
「はい。綾子お姉様について行きたいです」
「アタシもっス」
「くっくっく、この私ではなく、見習いから昇格したばかりの綾子にか。面白い、好きにするがいい」
「ありがとうございます!」
「感謝っスよ、文台様」
「ああ。ただし、正式な武官と認める訳にはいかん。私から俸禄は出せないが、いいな?」
え、でもそれじゃこの二人はどうやって生活するんだ?
ただのボランティアでって訳にはいかねーんだし。
「綾子。当然、それはお前が出す事になる」
「え、マジっすか?」
「まじ? 何を言っているのかわからんが、当然そうなるぞ」
……なるほど、俸禄三ヶ月減ってのはなかなかキツい罰って事か。
それに、あたしが出世しなければ二人はいつまでも薄給で過ごす事になる。
あたし自身はそんな贅沢をするつもりはないけど、身分が出来れば相応に支出も増えるだろうし。
こりゃ、今まで以上に気合いを入れていかないとな。
「それから、正式に武官と認めたのだ。今遣っている部屋は明け渡すようにな」
「はい……」
「そんな顔をするな。城下の屋敷を手配してやろう」
「いいんですか?」
「無論だ。祥を救ってくれた事への、私個人からの礼だ」
香蓮さん、祥さんの無事が余程嬉しいみたいだ。
「綾子、やったな。これからは同じ武官同士、改めて頼むぞ」
「はい、先輩!」
処分は出たけど、やっぱり異例の軽さなんだろう。
あたしはそれだけ期待されているって事、そう考えるべきかな。
なら、それに応えてみせないとな。
「綾子お姉様、此所ではありませんか?」
「どうやら、間違いないっスね」
とりあえず、香蓮さんが用意してくれた屋敷を見に行く事にした。
菖蒲と皐月は当然のようについてきた。
まぁ、拒む理由もないんだけどさ。
……で。
「随分、でかい屋敷だなこれ」
衛宮の武家屋敷もどきを思い出す規模だな、これ。
当然、あたし一人じゃ広すぎる。
「ホントにここか?」
「はい。少々古いですが、手入れはしっかりしているようですね」
「アネキならおかしくないっスよ。さ、入るっス」
「あ、ああ……」
なんか、敷居が高いな。
あたしが戸惑っていると、二人に背中を押された。
門を潜ると、中華風のややクラシカルな建物が見える。
そして、広い庭も。
「ふえ~。マジかよ」
建物の中も、確かにメンテされている。
元々土豪の屋敷で持ち主が死んでしまい、跡継ぎもいなくてそのまま断絶。
とは言ってもまだまだ使えるので壊すには勿体ないという事で、香蓮さんが直接管理していたらしい。
けど、まともに買おうとすれば結構な値段がする事ぐらいはわかる。
「此所は寝室ですね」
「なんか、楊貴妃でも出てきそうな部屋だなこりゃ」
「楊貴妃? 誰っスかそれ?」
「あ……。いや、あたしの国に昔いた人さ」
適当にでまかせを言ったけど、二人は疑う様子もない。
あたしが別世界からやって来た事は、まだ二人に話していない。
つーか、知ってるのは香蓮さんと主立った人達だけだ。
真名を預けてくれたとはいえ、心から信頼できるようになるまでは話すべきじゃない……そう、香蓮さんと純蓮さんから釘を刺されていた。
あたしの知識を悪用しようとする輩が出ないとも限らないし、用心に越した事はないだろうって。
ただ、横文字だけはどうにもならないし、それについては仕方ないと言ってくれた。
実際、いちいち言い直すのがめんどいし。
「では綾子お姉様。私は此方の部屋で宜しいでしょうか?」
「なら、アタシはこっちがいいっス」
「……へ? ちょっと待て、お前らもここに住むのかよ?」
「勿論、そのつもりです」
「アネキに仕えるのにいちいち邑から通う訳にはいかないっスよ。それに、仮にもアネキは将扱いなんスよ?」
「けどさ。あたしは別に……」
と、菖蒲が目を潤ませた。
「私達と一つ屋根の下が、そんなにお嫌なんですか?」
「え、いやそうじゃなくって」
「ですが、お姉様はそう仰せではありませんか。私、一生懸命お姉様の為に頑張ろうと……」
「あ~あ。アネキ、菖蒲は涙もろいんスよ?」
これじゃ、まるっきりあたしが悪人じゃねーか。
それに、ここに住む事を許可しなかったらどうにもならないんじゃね?
二人の俸給はあたしが払うって事だけど、蒼(魯粛)に聞いたらとても別々に生活できるだけの額を出せそうにもないし。
二人の仕官を認めるってのは、こんなトコまで考えなきゃいけなかったのか。
……今更ながら、あたしは自分の軽率さに溜息が出る思いだ。
「わかった。二人とも、此所にいろよ」
「……え? 宜しいのですか?」
腕で目元をゴシゴシやってから、菖蒲が顔を上げた。
「しょうがねーだろ。それが、あたしの責任でもあるんだしさ」
「あ、ありがとうございますお姉様!」
「わ、バカ! 抱き付くな!」
「あ、いいな。じゃ、アタシも」
「コラ、皐月まで何考えてるんだ!」
二人に抱き付かれてしまい、かと言って振り解く訳にもいかず。
結局、二人が気が済むまでそのままだった。
……妙な事にならなきゃいいがね、あたしゃそっちの気はないからさ。
私物を取りに一旦邑へと二人は帰って行った。
その間に、あたしは城から引っ越す事にした。
……っても、薙刀と和弓一式ぐらいしかないんだけどさ。
あとは、純蓮さんが貸してくれた着替えぐらいかな。
これ、洗濯して返さないとな。
「綾子。ちょっといい?」
お、噂をすれば何とやら。
「純蓮さん。これ、後でお返ししますね」
「あら、それなら綾子にあげるわよ」
「ですけど、それじゃ……」
「いいの。似合ってるんだし、そのまま綾子が着た方がいいわよ。ね?」
う~ん、笑顔でそう言われると断り切れないな。
純蓮さん、意外と押しが強いからなぁ。
「でも、ホントにいいんですか?」
「同じ事を何度も言わせないの。もし、綾子が気に入らないなら捨てちゃってもいいわよ」
「いえ、そうじゃないんですって。……わかりました、ありがたく頂戴します」
「うふふ、それでいいのよ」
嬉しそうだなぁ。
「で、純蓮さん。何か御用ですか?」
「あ、そうそう。綾子の私物ってそれだけよね?」
「ええ、まあ。もともと、大した物持ってませんでしたし」
第一、これからはともかく今までは文無しだったから買い物もしてないしな。
「なら、今から買いに行かない?」
「え?」
「調理器具とか、最低限の家具ぐらいは必要でしょう?」
「そりゃそうですけど……。あたし、まだ俸禄貰ってませんよ?」
「ああ、そういう事ね。なら、これを渡しておくわ」
そう言いながら、純蓮さんは懐から革袋を取り出す。
そして、それをあたしに手渡してきた。
ずしりとした手応えがするけど、これって……。
「報奨よ、賊討伐のね」
「え? けど、それは確か軍令違反と相殺だって言われましたよ?」
「あら、そうなの? それなら、これは私からのご褒美よ」
「いや、貰う理由がないですって。第一、これ結構な額じゃないんですか?」
「細かい事は気にしないの。とにかく、これでお金は問題ないでしょうし。早速買いに出かけましょ」
「へ? いや純蓮さん、仕事があるでしょうに」
「いいの。ちゃんと、姉さんの許可も貰ってあるから平気よ。さ、行きましょ」
抵抗空しく、あたしは純蓮さんに引っ張られてしまう。
これ、どう見ても香蓮さんが……だよな?
あたしは心の中で、香蓮さんに頭を下げた。
「へい、らっしゃい!」
「さあ、見てってくれ。安くしとくよ!」
商店街とでも言うべき一角は、今日も大賑わい。
この城の規模からすれば、明らかに人が多かった。
呼び込みをする商人達も元気がいいし、みんなの表情が明るい。
それだけ、香蓮さんの治政が上手く行っているって事なんだろうなぁ。
「……で。どうして明命がここにいるんだ?」
いつの間にか現れた明命が、あたし達に同行していた。
「純蓮さまと、綾子お姉さまをお守りします。何かあるといけませんから」
「いや、あたしそこまで弱くないぜ?」
「ですが、これは私の役目です。……それとも、ご迷惑でしょうか?」
う……。
そんな捨てられた子犬みたいな眼をすんな。
「あ~、綾子酷いわよ? 明命みたいな素直な娘いじめるだなんて」
「わかりました、わかりましたよ。好きにしてくれ、明命」
途端に、明命の顔がパッと明るくなる。
「はいっ! では、好きにさせていただきますね」
いや、好きにしていいとは言ったけど……空いた手を握ってこられてもさ。
かと言って邪険にも出来ないし。
「ふふ、慕われているわね綾子って」
純蓮さんは何故か楽しそうだし。
何だかなぁ……。
タンスとか机、ベッドは元々あった物を使う事にした。
前の持ち主がなかなか裕福な人だったらしくて、買えばかなり根の張る物ばかりらしい。
その辺、純蓮さんはしっかり事前に確認していたとか。
ホント、抜け目のない人だよなぁ。
「こんなものかしらね。明命、どうかしら?」
「はい。後は追々、買い足せば宜しいかと」
「うん。じゃ、運びましょ」
結局、荷車一台分ぐらいの量を買い込む羽目になった。
そして、それは兵士達が動かしてくれた。
勿論最初から一緒だった訳じゃなく、たまたま最後の店の前であたしらと出会ったんだけど。
「スマン、こんな事頼んじまって」
「いえ、お気遣いなく!」
自分で運ぶと言ったんだけど、
「美綴様が大栄(祖茂)様を救っていただいたとの事。このぐらいの事はさせていただきます」
と、どうしてもと言って聞かない始末。
どうやら、祥さんが率いる兵達だったらしい。
「では運びますので、指示願います」
「あ、ああ。じゃあ、それは……」
気がつくと、他の兵達も集まってきていた。
お陰で、搬入や設置はあっという間に終わってしまった。
「ではこれで失礼します!」
「サンキュ、助かったぜ」
「さんきゅ、とは?」
「ああ、悪い。ありがとう、って事だよ」
「いえ、とんでもありません。では!」
見事に生活感の出てきた家の中を、純蓮さんは満足げに眺めている。
「どう、明命。なかなか素敵な家になったと思わない?」
「はいっ!」
「後は、あの娘達が戻ってくれば終わりね。そうしたら、お祝いの宴でも開きましょう」
「え? いいですって、そんな。ここまでして貰っただけでも悪いんですから」
「遠慮しないの。きっと、雪蓮や祭も喜ぶわよ?」
いや、あの連中は酒が飲めればいいってクチのような。
「じゃ、早速戻って準備しなくっちゃ。それじゃ、ごゆっくりね?」
あたしが止める間もなく、純蓮さんは戻って行った。
思い込むと一直線っつーか、ああなると暴走特急だよな。
「綾子お姉さま、お茶を入れましょうか?」
「明命もいいって。お茶ならあたしが入れるよ」
「ですが、それでは申し訳ないです」
「いいから座れって。ここはあたしん家だぜ?」
「は、はぁ……」
不承不承でも、とにかく明命を座らせる。
とりあえず、お湯を沸かすか。
……って、ヤカンもなけりゃガスコンロもないんだったっけ。
ま、キャンプの要領でやるか。
「ニャー」
あれ、猫の鳴き声が。
見ると、戸口に灰色の子猫がいた。
「お、お猫様?」
あ、明命が硬直している。
「チチチチ」
「にゃ~ん」
子猫は、するりとあたしの腕に収まってくる。
「お姉さま、どうしてそのようにお猫様に好かれるのでしょう?」
「……わからん。あたしが聞きたいよ」
と、庭が何やら騒がしい。
子猫を抱いたまま出てみると。
「はぅぁっ? お、お猫様がたくさんいらっしゃいます!」
「……つか、多すぎじゃね?」
何十匹という猫が、そこに大集結していた。
模様も様々、でも一様ににゃあにゃあ鳴いている。
あたしの足下に寄ってきては、すりすりと身体を擦りつけていく。
「はわぁ……。お姉さま、羨ましいです」
恐る恐る、明命が一匹に手を伸ばした。
「フーッ!」
途端に、その猫は毛を逆立てる。
「おいおい、止せって」
そう言いながらあたしが手を出すと……猫は途端に甘えた声を出す。
「うう、お猫様に嫌われてしまったのでしょうか……」
「いや、そんな事ないって」
けど、なんでこんなにあたしにばかり懐くんだろ?
う~ん、いくら考えても身に覚えがないんだけどなぁ。
あたしの家が、『猫屋敷』と呼ばれるようになったのはそれからすぐの事だった。
まぁ、化け猫屋敷とかじゃないからいいんだけど。
菖蒲も皐月も、幸い猫を苦手にしていなかったから良かったが……。