ほっぺたを誰かが突いている。
誰だよ、一体?
「もう少し、寝かせてくれ」
回らない頭でそれだけを言うと、あたしは寝返りを打つ。
また、ツンツンと突かれた。
ったく、しつこいなぁ。
「おい、誰だか知らねーがいたずらすな。……あれ?」
「にゃあ」
眼を開けると、そこには一匹の猫が。
可愛く小首を傾げながら、ジッとあたしを見ていた。
「なんだ? エサでも欲しいのか?」
「にゃ」
コイツも、勝手に入り込んだのか?
少なくとも、あたしは飼った覚えはないんだけどなぁ。
そりゃ、可愛いものは大歓迎だけどさ。
「よくわからんが、起きればいいんだろ?」
こないだみたいにわらわらと集まっているのかと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。
猫はあたしが起き上がったのを見て、スタスタと出て行った。
エサねだってた訳じゃないのか。
となると……あたしを起こしに来た。
……はは、んな訳あるかバカバカしい。
ま、とりあえず着替えるとしよう。
「おはようございます、お姉様」
「アネキ、おはようっス」
顔を洗ってから台所に行くと、菖蒲(徐盛)と皐月(丁奉)が顔を揃えていた。
「ああ、おはよう」
「朝食の支度、すぐに出来ますからお座り下さい」
あれ、皐月が支度をしているようだけど。
「今日の当番は皐月なのか?」
「え? ああ、違うっスよ。菖蒲に料理なんて怖くてさせられないだけっス」
苦笑する皐月。
一方、菖蒲は……あら、何か落ち込んでるぞ?
「菖蒲。料理は不得手なのか?」
「……はい。私の作った物を食べると、記憶が飛んだり三日三晩下痢で悩まされるみたいでして」
毒キノコでも使ってるんじゃねーのか、それ?
あたしも大量生産しないと味は今ひとつになるけど、それでもそこまではなぁ。
氷室が、一年の時に調理実習で伝説作ったのは知ってるけど……あのレベルかねぇ。
まぁ、誰しも完璧超人にはなれないって事だわな。
「はい、お待たせっス。菖蒲、皿を並べて欲しいっスよ」
「あ、うん」
皐月が用意したのは、お粥に冬瓜のスープ、春巻き。
これがまた美味い。
遠坂の中華といい勝負じゃねーか、これ?
「驚いたな。皐月にこんな特技があったとは」
「その代わり、アタシは菖蒲みたいに頭良くないっスから」
「う~」
恨めしげに皐月を見る菖蒲。
「そんなに気にするなって。あたしだってそんなに料理は得意じゃねーし」
「え。そうなんですか?」
「そう言われると逆に気になるっスね。今度、是非作ってみて欲しいっス」
期待に満ちた眼で、二人はあたしを見る。
「別にいいけど……。あたしの料理は、量を作らないと美味くないんだぜ?」
「それなら、城の方々にも召し上がっていただいたらどうでしょうか?」
「賛成っスね。アネキ、お願いするっス」
「え? いきなりそりゃハードル高くね?」
「お姉さん。はーどる、とはどのような意味でしょうかー?」
ぬっと、テーブルの下から程イクが姿を現した。
「うわっ! ど、どっから湧いた!」
「むー。人を蛆虫みたいに言わないで欲しいのです」
全く気配を感じなかったのは、二人も同じらしく固まっている。
明命じゃあるまいし、何なんだよコイツは?
「また、お姉さんが興味深い言葉をお使いとの電波を感じましてー」
……毒電波だろ、それ。
頭の上にある、妙な人形がアンテナか?
「おうおう、姉ちゃん。俺に惚れちゃいけないぜ?」
「は?」
えっと、人形が喋ってる?
……いや、腹話術か。
「器用な事するな、仲徳(程イク)」
「姉ちゃん、俺の名は宝慧だ。覚えておきな」
「宝慧ねぇ。ところで仲徳、さっきの質問に答えてねーよな?」
「……ぐぅ」
狸寝入りかよ。
「まぁ、ちょっと待ってろ。あと、ハードルは障害って意味だ」
関わると疲れるだけなので、とりあえず食事を済ませてしまおう。
そして、寝ていた筈の仲徳は……メモを取っている。
やっぱ、変な奴だよな。
あたしは家を出て、城へと向かう。
見習いじゃない以上、貰う給料の分は仕事しなきゃいけないからな。
菖蒲と皐月は当然のようについてくる。
……そして、程イクも。
あたしなんか観察して、何が楽しいのかわからんけど。
「おや、美綴殿」
その途中、子龍(趙雲)に出会った。
「これから登城ですかな?」
「ああ」
「ふむ。もし願わくば、一手お相手願えませぬかな?」
一手って。
……将棋じゃないよな、まさか。
「あたしとか?」
「左様にござる。なかなかの腕とお見受けしましたのでな」
う~ん、どうなんだろ?
あの趙雲って事は生半可な腕前じゃないだろう。
そりゃ、強い奴と遣り合うのは悪くないけど……。
「仕事が片付いてからでいいか?」
「無論でござる。では、私は大栄殿の屋敷にてお待ち申し上げておりますぞ?」
「ではでは、風も星ちゃんと一緒に去りますねー」
……やっぱ、あいつは理解出来そうにないわ。
「アネキ。行かないと遅れるっスよ?」
「あ、ああ」
「個性的な方々ですね、本当に」
「……だな」
まぁ、ここの人達も個性が強いのだらけだけどな。
菖蒲は唯(程普)さんが、皐月は末莉(韓当)さんが自身の鍛錬と、兵の調練についてレクチャーしてくれる事になった。
まぁ、あたしは個人の武芸ならともかく調練なんて教えられる訳もねーし。
ゲームなら調練コマンド実行するだけだけど、現実じゃ無理。
いずれは、あたし自身も教わらないとダメだろうなきっと。
「ほら綾子。手が止まっているわよ?」
「あ、すいません」
……その前に、あたしに課せられたのは読み書きの修得。
純蓮(孫静)さんは、中途半端が嫌いな性格らしい。
漢文はそこまで不得手なつもりはないんだけど、レベルが上がってくるとなかなかにキツい。
「けど、いいんですか?」
「何が?」
「あたしの事ですよ。純蓮さんも忙しい身なのに」
そう、あたしの読み書きを見ながらも自身も書類の決裁に追われている。
それも一巻や二巻じゃない、積み上げた山がよく崩れないなと思うレベル。
香蓮(孫堅)さんは決してサボり癖のある方じゃないみたいだけど、内政は純蓮さんが責任者みたいなモンだ。
だから、領民の数が増えれば増えただけ、純蓮さんの仕事も増える一方らしい。
「いいのよ。綾子が気にする事じゃないわ」
「でも、あたしのせいで効率が落ちるような事があったら申し訳ないですし」
「あら。綾子、それは私を甘く見過ぎよ?」
いたずらっぽく笑う純蓮さん。
こういう表情を見ると、マジで年齢を感じさせない可愛らしさが出る。
「私には、どっちも大事な事なの。だから、手抜きなんてしたくないのよ」
「まだあたしの事、文官向きだって思ってるんですか?」
「勿論よ。文武両道、素敵じゃない?」
う~ん、柳洞みたいな奴ならそうとも言えるけどなぁ。
純蓮さんが、そこまであたしを買ってくれるのは嬉しいんだけどさ。
「失礼します」
あれ、郭嘉だ。
ちなみに戯志才、ってのは偽名だった。
趙雲と程イクが心を許しているのを見て、打ち明ける気になったとか。
謝罪されたけど、事情は人それぞれだしあたしも別に腹が立った訳でもないのであっさり許した。
「幼台殿。宜しいでしょうか?」
「あら、奉孝(郭嘉)さん。どうぞ」
郭嘉はチラ、とあたしを一瞥した。
「お邪魔でしたか?」
「いや、あたしはいいけど。純蓮さんに用事か?」
「ええ。これをお持ちしました」
そう言って、郭嘉は巻物を取り出した。
「揚州の地図です。ご所望との事でしたので、描いてみました」
「あら、助かるわ。ありがとう」
嬉しそうに、地図を広げる純蓮さん。
「あたしも見せて貰っていいですか?」
「構わないわよ」
「じゃ、失礼します」
GPSとかグー○ルマップみたいな便利な物がない以上、当然全てが手書きだ。
だから、必然的に地図は重要でなかなか手に入らないらしい。
けど、どうして揚州なんだろ?
「凄いわねぇ。これだけ詳細な地図は初めて見るわ」
「ありがとうございます。お世話になった、せめてものお礼です」
どこに川が流れていて、どこに山があるか。
主要な城とか、そんなのまで書き込まれている。
純蓮さんの喜びようから見ても、これがどんだけ貴重なモノかはあたしにだって想像がつく。
……ただ、なぁ。
「あの。ちょっといいですか?」
「何かしら?」
「はい。何となく、形とか違う気がして」
「形?」
「ええ。……えっと、何かメモ用紙みたいなのあります?」
「めも?」
二人が怪訝な顔をする。
「あ、いいです。あたしのを使いますよ」
内ポケットから生徒手帳を取り出して、メモ欄のあるページを開く。
え~と、ボールペンは……あ、あった。
「美綴殿。それは?」
「え? ああ、ボールペンの事か?」
「それもありますが……」
チラ、と純蓮さんを見る郭嘉。
「綾子。手元の帳面も見せて貰える?」
「どうぞ」
あたしが差し出した生徒手帳とボールペンを、二人はまじまじと眺めている。
「美綴殿。紙と言えば貴重品、それもこれは天子様ですら使っているかどうかという高級品のようですね」
「それにこれ、筆記具なの?」
あたしの事をある程度把握している筈の純蓮さんまで、すっかり目を丸くしているな。
「そうですけど。ちょっとそれ、返して貰えます?」
適当に開いたページに、文字を書いてみた。
「な、なんと。これは、どういう絡繰なのですか?」
「からくりって程の事はないけど……。ほら、ここにインク、墨汁みたいなモンが入ってるだろ? これが、この細い管を通って」
詳しいメカニズムを説明しろったって無理だけど、とりあえずわかる範囲で説明してみた。
そんなあたしの話に、真剣に耳を傾ける郭嘉。
「ふむ。では美綴殿の国では、このような道具がごく当たり前にあると?」
「まぁ、珍しくはないかな」
「……なるほど。風から聞かされた以上に、進んだ文化や技術をお持ちのようだ」
「でしょ? だから綾子は見所があると思うのよ。それだけ、高度な教育を受けている訳だしね」
郭嘉、しきりに頷いてるけど……。
「そうでした。話の腰を折ってしまいましたが、先ほど何か違うと仰せでしたね?」
「ああ、そうそう。あたしも、うろ覚えだけど」
郭嘉の絵図、細かいんだけど全体的に何かいびつなんだよな。
郭嘉が悪いんじゃなく、たぶんベースになっている図がそうなんだろうと思う。
地図帳でもありゃ、ある程度正確に位置関係とか地形を再現できるんだけどさ。
「確か、日本がこうで台湾があって……」
黄河とか長江は流れが随分変わったらしいけど、それ以外は同じだろう……多分だけど。
「この辺がベトナムで、あとモンゴルとかロシア……あれ?」
郭嘉が妙な顔をしているけど、あたし何か変な事言ったか?
「美綴殿。あなたは軍師や高官だったのではないですか?」
「違うって。あたしはどこにでもいる、ごく平凡な庶民だよ」
「しかし、こうして私の地図に不備がある事を即座に見抜かれましたね? 僭越ながら、私も質には自信を持っていたのですが」
「そりゃしゃーないって。それに、これぐらいならあたしよりも子供ですら知ってる事だしさ」
「……教育の水準が余程高いという事なのでしょうね。まだまだ、私も勉強不足のようです」
くいくい、とメガネを直す郭嘉。
「だから言ってるじゃない。綾子は凄いってね」
いや、凄いのあたしじゃないんだけど。
変にケータイとか持ってなくて良かったよ、これじゃ神扱いされちまうよ。
そんな事を思っているうちに、あたしの地図は一応完成。
……適当もいいところだけどさ、記憶で再現したモンだし。
あたしはそのページを破いて、郭嘉に手渡した。
「はい。これ、やるよ」
「よ、宜しいのですか?」
「いいよ。落書きみたいなモンで悪いけどさ」
「いえ、とんでもありません。……では、ありがたくいただきます」
押し頂くように受け取った。
そんな大層なモンじゃないんだけどねぇ。
純蓮さんのマンツーマン授業が終わり、あたしは調練の様子でも見に行く事にした。
菖蒲と皐月は頑張っているだろうな、二人とも俄然張り切っていたし。
……と思ったけど、調練場には人気がなかった。
通りがかった兵士に尋ねると、今日は城外に出ているらしい。
なら、そっちに行ってみるか。
「美綴殿」
おや、趙雲だ。
「お手空きになられましたかな?」
「まぁ、そう……なるかな?」
「では、今朝のお約束通り、お相手いただきたいのですが」
ああ、確かにそんな約束をさせられたな。
別に嫌な訳じゃねーし、いっか。
「今からか?」
「美綴殿さえ宜しければ、私は構いませぬぞ」
「おし。あたし相手じゃ物足りないかも知れねーけど、いいぜ?」
「ははは、ご謙遜ですかな?」
う~ん、楽しそうだな趙雲。
あたしも、吹っ切れてきた気はする。
この先、戦場で趙雲みたいな猛者と遣り合う事もあるだろうしな。
「では、この調練用の槍を拝借仕る。美綴殿は如何なさる?」
「そうだな……」
あたしの得物は薙刀だけど、よく考えたら槍遣いを相手にした事ないな。
勿論突くのが基本だけど、槍は槍で結構応用が利いた筈だし。
お、そうだ。
「なぁ、子龍」
「なんでござる?」
「仕合もいいんだけど、出来れば槍を教えてくれないか?」
「む。どういう事でござるか?」
「あたしさ、まだ本格的に槍を遣った事がないんだ。教えるのが無理なら、型を見せてくれるだけでもいいんだ」
「美綴殿。貴殿は薙刀、それに弓を遣うのでしたな?」
「ああ」
「ならば、まずはそちらを極めるべきにござろう? 槍術は生半可に扱える代物ではござらぬ」
趙雲の顔が厳しくなる。
あたしが興味本位で言っている、そう思ってるんだろう。
「そんなつもりはないさ。槍も極めたい、それは嘘じゃない」
「ならば、証明していただきましょうかな」
そう言って、趙雲は調練用薙刀を手に取る。
そして、あたしに突き出してきた。
「薙刀は極めたと仰せでござるな? ならば、それを私に見せていただきたい」
「つまりは、それで仕合って事か」
「如何にも。貴殿の言葉が真ならば、槍術をお教えする事に致しまする」
「……わかった」
もともと仕合が嫌だった訳じゃないし、武人としてあたしにもプライドがある。
例え実力差があるとしても、これは受けるしかない。
よし、いっちょやったるか。
趙雲は柄の半ばに手を置いた。
扱いに慣れてないと、あの位置は難しい……そう、前に何かで読んだな。
「いざ!」
「おう!」
気合い一閃、趙雲が飛びかかってきた。
流石に速い。
「はいはいはいっ!」
怒濤の突きラッシュ。
普通なら見切るのがやっとだけど、どうにかあたしの眼はそれを追えている。
躱しながら、反撃の機会を待つ事にした。
と、槍の軌道が変わった。
咄嗟にあたしは後ろへとジャンプ。
着地と共に、薙刀を構えた。
「はっ!」
「おっと」
繰り出された槍を払う。
「やりますな」
「いやいや、流石だぜ? 神速の突きって奴だな」
「お褒めに預かり光栄にござる。では!」
今度は叩き付ける気か。
柄で受け止めたけど、手がジンジンする。
なら、蹴りだ!
「な、なんと!」
「今度はあたしから行くぜ!」
ほんの僅かだけど、隙が生まれた。
槍が刺突最強の武器なら、薙刀は斬撃に適した武器。
リーチは同じように長くても、文字通り薙ぎ払うならコイツに勝つのは至難の業だ。
「クッ! やりますな!」
「まだまだぁ!」
足払いは受けられたけど、そっちは本命じゃない。
そのまま、地面を蹴る。
趙雲は慌てて槍を握り直すが、もう遅い。
「貰った!」
「グッ?」
そのまま、趙雲を押し倒した。
左手で、懐に入れていた短剣を突き付けながら。
「ははは、どうやら私の負けにござるな」
「そいつはどーも。……起きられるか?」
「かたじけない」
あたしが差し出した手に掴まり、趙雲は立ち上がる。
「お見事にござる。槍術はお約束通り……それから」
「ん?」
「私の真名、星にござる。貴殿にお預け致しましょう」
「……わかった。あたしは綾子でいい」
ふと、あたしの脳裏にある光景がフラッシュバックした。
まさか……な。