会稽の太守、王朗。
一応、降伏を求める使者を出してみたらしい。
が、劉ヨウの残党やら周辺の豪族やらが彼につき、抵抗の姿勢を見せた。
という事で、戦う事が決まった。
揚州に残る最後の有力な勢力らしいから、これが終わればしばらくは平穏な日々になる筈。
……らしい、ってのは、あたしの出番がないから。
雪蓮が、私も戦いた~い、と……要は駄々をこねた結果だったりするんだが。
「止めたら止めたで勝手に抜け出すだろうから、それぐらいなら行かせるか」
と、冥琳がしぶしぶ許可を出した。
まぁ、何というか……雪蓮らしいな。
もっとも、太史慈クラスの将はいない、って話だし。
祭さんと穏が同行しているから、恐らく何も問題なく片付くだろうけどさ。
そんな訳で、あたしは居残り。
……なんだが、冥琳に呼び出された。
はて、何だろう。
「呼んだか?」
「あ、すまんな。休んでいたところだろう?」
「別に構わないさ」
「そうか。まぁ、かけてくれ」
勧められた椅子に腰掛けると、冥琳は改まった顔で、
「まず、改めて礼を言わせて欲しい。この揚州が、あと一歩でまとまる。その立役者は、間違いなく綾子だ」
頭を下げられてしまった。
「よ、よせよ。あたしは太史慈と戦ったぐらいだぞ?」
「だが、それが大きかった。そして、劉ヨウが降服したのもある」
「いや、あれは千花(魯粛)の功だし」
「ふ、相変わらず謙遜するのだな。ま、それが良いところでもあるのだが」
と、眼鏡を直す冥琳。
「そこで、綾子に二つほど頼みがある。聞いてくれるか?」
「……事と次第による。書類仕事なら、全力で願い下げだ」
「ふふ、安心しろ。それなら、まだ今のところはない」
今のところ、って事はそのうちにあるのかよ。
頼むから、それは振らないでくれ。
「……ならいいけど。で、何をしろって言うんだ?」
「まず一つ目だが、領内の巡検を頼みたい。城下はどうにでもなるが、ここを離れればそうもいかん。まだ手に入れたばかりの地で、勝手もわからん。だから村々を回って、様子を見てきて欲しいのだ。もちろん、不逞な輩の退治もな」
「そりゃいいが、あたしが行けばいろいろと聞かれると思うぜ? 正直、政治向きの話になったら、あたしじゃ無理だ」
「だろうな。想定される問答については、書簡に認めておく。文字は、だいぶ読めるようになったのであろう?」
そりゃ、字が読めなきゃ何も出来ないからな。
言葉は通じるけど、文字だけは古代中国のままだから、厄介だった。
漢字だから何とかなるだろう、ってのは甘かったし……そもそもあたしは漢文が得意でもなかった。
教科書みたいにレ点付きならともかく、白文だぜ?
字も微妙に違っている上に、パソコンとか印刷なんて気の利いた技術はある訳もないから、全て手書き。
とにかく、地図を見るのと文字を覚えるのだけは必死にならざるを得ない。
おかげで、どうにか日常の読み書きは支障のないレベルにはなった、と思う。
それでも時々、読めない字が出てきて頭を抱えてるけどな。
「ま、とにかくわかった。で、もう一つは?」
「人材発掘だ」
「人材発掘?」
「ああ。劉ヨウもどうやら、人材を求める事にあまり熱心ではなかったようでな。何人か面談をしてみたが、将たる器の人材がいなかった。だが、揚州を束ねていくとなれば、今のままではあまりにも手不足だ」
「それはわかる。でも、何故にあたしなんだ?」
「人を惹きつけるものを備え、人を見る目もある。そしてかつ、比較的自由に動ける人物。……綾子以外に、適任はいないと思ってな」
「……あのなぁ。過大評価し過ぎなんだよ、あたしを」
「では、無理だと言うのか?」
「無理って言うか、そこまで期待されても応えられるだけの自信なんてないって」
「ふむ。……では、この書類の処理を、やはり手伝って貰おうか」
冥琳の机に、山のように積まれた書簡。
実際、これぐらいでもこなせるからこそこうなっているんだろうけど。
「く、謀ったな、冥琳!」
「人聞きの悪い事を言わないで欲しいものだ。私は、選択肢を与えているのだぞ?」
だったら、ニヤニヤと笑うな。
「何も最終的な判断まで下せ、とは言わんよ。それは、私の方でやる。ただ、最初の目利きは任せたいのだ」
「わかったよ。あたしだって、別に怠けたい訳じゃないからな」
「頼んだぞ、綾子」
全く、あたしは便利屋かよ。
人を遊ばせておく余裕が無い現状、冥琳なりに考えているんだろうけど……ハァ。
「綾子お姉ちゃん!」
いきなり、小蓮乱入。
「どうしたのです、小蓮様」
「ねーねー、シャオも連れてって、巡検に」
「は?」
唐突に何を言い出すんだ、この娘は。
「だってシャオも、お仕事したいんだもん」
「いや、それはわかるが……。どうして、巡検なんだ?」
「もちろん、綾子お姉ちゃんと一緒だからよ」
う~む、何という直球勝負。
イラブクラゲも真っ青だな。
「小蓮様。これは遊びではありませんぞ?」
「む~、また冥琳ったら、シャオの事子供扱いするんだから」
いや、そこでムキになるところがお子様なんだけど。
「しかしな、小蓮。まだこの地は、治安も不安定だ。黄巾党の残党を見たって話もあるんだし」
「大丈夫よ。シャオだって戦えるもん」
「そうじゃなくってな……」
あたしと冥琳は、互いに肩を竦めた。
「どうする?」
「……仕方ないだろう。小蓮様は、言い出したら聞かないからな」
冥琳は大きくため息を一つ。
「小蓮様。では、綾子に同行を認めます。ただし、綾子の指示に従う事と決して無理はしない事、これが条件です。宜しいですか?」
「わかった。よろしくね、綾子お姉ちゃん!」
……不安だ。
とは言え、この天真爛漫さ、何も言えないあたしだった。
「では、困り事があれば城へ伝えるようにな」
「見廻り、ご苦労様です」
この村も問題なし、と。
小蓮は言いつけ通り、大人しくしている。
……つーか、むしろ歓迎されてすらいる。
これだけ愛らしく天真爛漫な子供なんだ、大抵の大人は弱い。
……本人はそう言われると、嫌がりそうだけどな。
勿論良からぬ企みを持って近付く不届き者もいたが、とりあえずボコっておいた。
一応、保護者として。
この時代にもロ○コンはいるんだな、と妙なところで感心してしまったが。
そういう輩はさておき、あの娘が歓迎されたのは事実。
本人がカミングアウトしてしまい、孫家の末娘って知られた時は、思わず頭を抱えたが。
……少しは、人を疑う事も覚えるべきだぞ、小蓮。
「あれ~?」
「どうした?」
四つ目の村を出て、五つ目の村が見えてきた頃。
小蓮が、不意に声を上げた。
「綾子お姉ちゃん、あそこに誰か倒れてるよ?」
「何処だ?」
「ほら、あそこだって。見えない?」
この時代の人は、エラく眼がいい。
あたしもそこまで視力は悪くないけど、現代人の生活はとにかく眼を酷使する。
……ってのが、こっちに来てから痛感した事。
パソコンもテレビもない、ケータイはあるけどメールもウェブも使えないので、画面を見続けるという事が皆無。
眼は疲れないし、以前よりも遠目が効くようになった気がするし。
……でも、まだまだ追いつかないようだけどな。
「小蓮、あたしの馬に」
「え? う、うん」
小蓮を前に載せた。
「おい、二名ほど先に行け。人が倒れているらしいから、確かめてくれ」
「ハッ!」
命を受けた兵士は、即座に駆けていく。
「綾子お姉ちゃん、どうしたの?」
「万が一、という事もあるからな。小蓮に何かあったら大変だ」
「でもシャオだって戦えるよ?」
「わかってるさ。それでも、あたしは小蓮を守る」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
何だかんだで、嬉しいらしい。
「美綴様、どうやら行き倒れのようです!」
お前、もう行って来たのかよ。
いくら馬でも、結構な距離があるんだが……。
「お姉ちゃん、行ってみようよ!」
「よし」
馬を駆けさせ、その場所へ。
流石に、馬は速い。
ほどなく、到着。
「この者です」
「怪我は?」
「はい、調べましたが目だったものは特に」
そんなやり取りを始めた時、小蓮が馬から降りた。
馬上からは結構な高さがあるんだが、器用なものだ。
「ねぇ、大丈夫?」
倒れていた少年は、あたしと同年代ぐらいかな?
身なりはややみすぼらしいが、傍らに落ちているさすまたみたいな格好の槍からして、武人なのだろう。
身体つきも細身だけど、逆に無駄がない印象だし。
どうやら、誰かに襲われたとか、そっちの線はなさそうだ。
「お姉ちゃん、どうしよう」
「とりあえず、村まで運ぼう。誰かこの先の村で、医者がいないかどうか聞いてきてくれ!」
「ハッ、ただちに!」
兵士に指示を出した後、胸に手を当ててみる。
鼓動が聞こえる……どうやら、心臓は動いているな。
息もしているから、至急の手当てが必要、という訳ではなさそう。
「う……」
「あ、お姉ちゃん」
「ああ、気がついたらしいな」
小蓮が、顔を覗き込む。
「……は……」
「は?」
「腹が……減って。な、何か食わせて……」
小蓮と顔を見合わせる。
やれやれ、空腹で倒れていただけか。
とにかく、命に別状はなさそうだな。
「しょうがないなぁ。ほら、お饅頭あげる」
小蓮が腰に下げた巾着から、やや小振りの饅頭を取り出した。
「よく持ってたな、そんなもの」
「武人のたしなみよ。こうしておけば、いつお腹が空いても平気でしょ?」
そりゃそうだが、武人のたしなみって……吹き込んだ奴は、後でシメておかないとな。
「う……」
饅頭を見て、彼は即座に反応。
「ガツガツ……う、み、水!」
「慌てないの、はい」
「んくっ、んくっ、んくっ……。プハッ!」
まさにツーカーだな、小蓮。
面倒見の良さは意外だったけど、物怖じしないってのは流石だね。
「ねぇねぇ、あなた。名前は?」
「凌統……。あ、アンタは?」
「シャオは孫尚香。よろしくね」
「あ、ああ……」
出番がないな、あたしは。
凌統、か。
やっぱり、歴史にも登場する、呉の武将。
もう驚きはしないけど、まさかこんな形で出会うとは、ね。
目の前に並べられた皿が、みるみるうちに空になっていく。
「よく食べるね……」
「ひゃって、いつひゃもなにもちゃべていにゃい」
「ああ、もう! 口に物を入れて話さないの!」
小蓮、まるで姉気取りだな。
……どう見ても、逆だけどな。
二人に聞こえないように、あたしは食堂のオヤジと話をする。
「なぁ。支払いは、寿春城にツケといてくれるかな?」
「は、はぁ……」
「頼む。流石にこれを建て替える自信がない」
頭でも何でも下げちゃう。
つーか、マジでシャレにならんぞ、これ。
「ほら、口の周りがベトベト。拭いてあげる」
「すまにゃい。おれは」
「だーかーらー、お行儀悪すぎだって!」
……とりあえず、見ている方が気持ち悪くなってくるな、この食べっぷりは。
「ふう……。人心地ついた」
「全く、いくら何でも食べすぎよ?」
「仕方ないだろ。路銀が尽きて、何も食べてなかっただから」
それにしたって、魚を捕るなり出来ただろうに、と内心でツッコミを入れておく。
「あんなところで行き倒れになって、どうする気だったんだ?」
「あ、そうそう。俺の親父が病気で倒れちまったって便りが来たんで、余杭から急いで来る途中だったんだけど……。途中で、財布を無くしちまって」
「ドジね。それで、あんなにお腹を空かせていたんだ」
「う、うっせ!」
「でも、それなら親父さんのところに、急がないといけないんじゃないか?」
「あ、そ、そうだった! いけね!」
凌統は急に立ち上がると、持ち物の大剣を手に取った。
「世話になった。この恩は、必ず返す!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「な、何だよ?」
小蓮の声に、凌統は振り向く。
「バカねぇ、アンタ。路銀もないのに、この先旅をする気?」
「……けど、俺は行かなきゃならないんだ。路銀は……ないけど」
「しょうがないわね。これ、持って行きなさい」
と、懐の袋を手渡した。
「これは……金?」
「そうよ。シャオのお小遣いだけど、持って行きなさいよ」
「そ、そんな。メシを食わせて貰った上に、こんな」
「いいのよ。だって、恩は返してくれるんでしょ?」
「……ああ。この槍に誓って」
「なら、さっさと行きなさい」
「わかった。必ず、戻るからな。孫尚香と……誰だっけ?」
某喜劇のノリで、ずっこけそうになるあたし。
「……美綴綾子だ」
「美綴か、よしわかった。じゃあな、いろいろとありがとうよ!」
そして、砂埃を上げて去っていく。
……マンガのキャラみたいな奴だな、ありゃ。
にしても。
「小蓮」
「うん?」
あたしは、小蓮の頭に手を載せ、撫でた。
「綾子お姉ちゃん?」
「……こう言っちゃ悪いけど、あたし、小蓮の事見直した。あたしの出番がなかったからな」
「だって、見てられなかったんだもん。あの子、危なっかしくて」
「ま、そうだけどさ。……やっぱ、小蓮も、立派な孫家の娘、って訳だ」
「ありがとう、お姉ちゃん。シャオ、嬉しいよ」
いい笑顔が見られた。
……凌統は、戻ってくるだろう。
小蓮の恩、借りたままにするにはちょっとでかいぜ?