「いい天気ですねぇ」
「うむ。これは絶好の月見酒日和だな」
「……祭さん。終わってからにして下さいね、酒は。冥琳に小言喰らうのは願い下げですから」
「わかっておる。儂を何だと思っておる」
……いや、雪蓮と貴女に関しては、酒にまつわる逸話だらけですし。
今日も、あたしは巡検に出ている。
小蓮はまた同行したがったが、賊が出没している……という情報があったので、置いてきた。
……雪蓮が折よく戻ってきて、助かった。
雪蓮と蓮華のステレオ説得(と言う事にしておいてくれ)が効いたな。
勿論、戦闘に備えて兵も多めに連れてきている。
あまり多いと無意味に民を威圧する格好にもなるので、バランスが難しいところだけど。
それもあり、祭さんが一緒に来てくれている。
「やれやれ、冥琳も人使いが荒いの。年寄りはもっと労るものじゃ」
祭さん、貴女そこまでトシでもないでしょ。
「そう言わずにお願いしますよ。昔、祭さんはこのあたりも行き来したって聞いていますし」
「昔の話じゃがな。まだ、堅殿が若かりし時分でな」
「それでも、土地勘があるとないとでは大違いですよ」
「ま、お前程の者に頼られるのは、悪い気はせぬが、な」
祭さんに評価されるのは、素直に嬉しい。
……母さんみたいな人だからかも知れないな、いろんな意味で。
「綾子。今、何やらよからぬ事を考えておらなんだか?」
「え~と。何の事ですか、一体?」
「惚けおって。まぁよい」
危ない危ない、鋭いお人だ。
今日は、長江付近の村を廻るコース。
「この辺りは、昔から洪水が多くてな。土地は肥沃なんじゃが」
「でしょうね」
家は皆、頑丈な石垣の上に立てられている。
洪水対策の知恵だろう。
「……けど、田畑はそのままですね」
「気付いたか。家はあれで良いが、作物は土の上でなければ無理じゃからな」
じゃあ、洪水の度に流されてしまう訳か。
何せ川と言っても、あたしが知っている奴とはスケールがダンチ。
大げさに言えば、向こう岸が霞んでみえるぐらい。
鎧をつけて泳げ、とか言われたら相当にしんどいだろうな。
これが氾濫したら……と思うと、ゾッとする。
「民も困っておるのだが。綾子、何か良い策はないか?」
と、祭さんはあたしの顔を覗き込む。
こうして、祭さんはよく人を試す。
一生懸命考えたりいいアイディアを出せば褒めて貰える。
逆にいい加減な事や頓珍漢な事を言うと、容赦なく拳骨が飛んで来る。
雪蓮も何度となく洗礼を浴びているらしく、祭さんの前では上手く立ち回っている印象がある。
あたしも今のところは無事だけど……どんだけ恐れられているんだ、この人は。
「いや、治水をすればいいってのはわかるんですが……」
コンクリートで護岸工事をすればいいんだろうけど、そもそもコンクリートってどう作るんだ?
石灰と砂を水で混ぜればいいんだろうけど、分量とか知らないし。
それに測量技術だって、まだまだ原始的だろうし。
やるとしても伊能忠敬みたいに、歩幅とロープみたいにとかその程度だろう。
後は……思いつくのは信玄堤、とか?
でもあれですら何十年もかかったって記憶があるし、そもそも川幅が違いすぎる。
根気よく川底をさらうとか、そんな水深でもないし……無理だな。
「そうですね。思いつくのは、放水路とか、そんな程度ですかね」
「放水路?」
「ええ。川は一本だと、水量が増えれば水位が上がって、そのうちに溢れますよね」
「当たり前ではないか。そのぐらい、儂とて承知しておる」
祭さんはムッとする。
いや、バカにした訳じゃないんですけど……。
「でも、一本の川が、数本に枝分かれしていたら、どうなると思います?」
「それは、水もその分、分散して……成程、そういう事か」
「はい。ただ、新たに川を作るような真似をする事になるので、労力がハンパじゃありませんけど」
「……確かにな。権殿の代ですら完成しそうにはない話だ」
「ブルトーザーとか、ショベルカーもないしな……」
「ぶるとうざあ? しょべるかあ?」
祭さんの頭に、クエスチョンマークが見える。
……わかる訳ないか、てかあたしの独り言に反応しないで下さい。
「あたしの国にある道具です」
「ふむ。それは、職人たちに作らせる事は出来るのか?」
「無理ですね。それだけの技術は、どこにもないでしょう」
「ますます興味深いな、綾子の国は。儂も元気なうちに一度見てみたいものじゃ」
見せてあげたいけど、それは無理です。
……祭さんを連れて行ったら、豊富な酒の種類の方に関心が行きそうだけどさ。
「もしくは、浮稲みたいなのがあればいいんですけどね」
「浮稲? 稲が浮くのか?」
「あ、そうじゃなく。稲の背丈がとんでもなく高い種類で、水嵩が増しても穂が水没しないんです」
「それも、綾子の国にあるのか?」
「いえ。確か……ベトナムとかラオスあたりに行けば」
「……聞かぬ名じゃが。南越あたりか?」
南越とは、南にいる異民族の国……って、地図にあった。
いわゆる中国から見て南東側は全部南越と記されているから、間違いではないかな。
……でも、この時代にあるのか、あれ?
「あたしも見た事はないんですが。聞いた話ですよ」
「それがあれば、田を作らずとも湿地で米が取れる、か」
ブツブツ言ってる。
あたしのいた時代の知識と技術が全て揃っていたら、どれだけ豊かになるんだろうな。
ただ、それが正しい事なのかどうかは微妙な気もする。
「よし。呉が安泰となったら、南越に出向いてみようぞ」
「……へ?」
「何じゃ、その顔は。綾子も聞いただけの話と言うが、お主の伝聞はかなりアテになるではないか」
「い、いや……。それはですね、結果論で」
「つべこべ言うでない! その時は頼むぞ」
……もしかして、またやっちゃったか、あたし?
思わず、天を仰いでしまう。
「ふふ。まだまだ底を見せぬとは。全く、お主が味方で良かったと思うぞ、つくづくな」
まぁ、褒められるのは嬉しいけどさ。
今度、胃薬でも処方して貰うかな……胃に穴が空きそう。
「申し上げます!」
と、そこに兵士が一人、慌ただしくやって来た。
「何事か!」
「ハッ! この先で、煙が上がっております」
「煙? 綾子、参るぞ」
「え? あ、はい!」
何やら、雲行きが怪しくなってきたな。
祭さんに続いて、近くの高台に登ると。
「煙が……いや、火も見える。火事か?」
「ただの火事ではあるまい。火の勢いが強すぎるし、範囲も広い」
付近には人家もないし、山火事としては不自然だ。
「誰ぞある!」
「ははっ!」
「斥候を放て! それから、周囲を警戒せよ! 手の空いているものは、水を探して消火の準備をせい!」
祭さんが、テキパキと指示を出す。
「綾子。どう考える?」
「山火事や野火の可能性もあります。ここしばらく、晴天が続いて乾燥していますから」
「確かにそうじゃ。……が、何やら嫌な予感がしての。杞憂で済めばよいのじゃが……」
勘、か。
雪蓮もそうけど、ここの人達の勘が、バカに出来ない事を最近、改めて感じている。
ましてや、百戦錬磨の祭さんが言う事だ。
……当たらないといいな、ホント。
火はかなり燃え盛っているらしい。
空気が乾燥しているだけに、余計に始末が悪い。
「黄蓋様! 泉がありました!」
待ちに待った、消火用水源は確保したな。
「よし、直ぐに取りかかれ!」
「はいっ!」
あ、そうだ。
これなら、使っても問題ない未来知識だろう。
そんなものを、あたしは思いついた。
「祭さん!」
「何じゃ?」
「バケツリレーをやれば、少しは早く消せるかも知れません」
「ばけつりれえ?」
「はい。兵士達の冑に水を汲んで、自分で運ぶのではなく、大勢で協力するんです。おい、何人か来てくれ」
「ハッ」
あたしは兵士を一列に並べ、手本を見せる事にした。
「そうだな、桶はないだろうから兜で代用しよう。まず一人が水を汲み、それを次の人に手渡す。で、火元に近い人間が水をかける。こうして数珠繋ぎになって、順々に水を手渡しで運ぶんだ」
「ですが、火の勢いは盛んです。これでは、追いつかないのでは?」
兵士の一人が、疑問を示す。
「確かにそうだが、なら皆が一人ずつ泉に行き、火元まで走るのを繰り返せばどうなる?」
「……
「そうさ。それだけじゃない、泉自体はさほど大きいものじゃない。一斉に殺到すれば、水を汲むのに順番待ちになる。その時間も無駄になるだろ?」
「成程。一見非効率に見えますが、これならむしろ効率が良くなります」
うん、どうやら理解して貰えたようだな。
「さあ、皆並べ! それから、水汲み担当と火消し担当は適宜交代するんだ、運動量が多くなるからな」
「了解であります!」
そこまで指示を出してから、あたしは祭さんの所に戻った。
「後は皆で頑張るしかありません。あたしも、兵を手伝います」
「待たんか、阿呆が」
ゴツンと拳骨を喰らってしまった。
うう、手加減なしかよ……。
「な、何をするんですか!」
涙目のあたしを、祭さんは厳しい顔で睨み付ける。
「お主の策、これは妙案じゃ。しかしな綾子、将たる者、すべき事を見誤ってはならぬ」
「…………」
「さっきも言っておったが、役割は適宜入れ替えるのであろう? その指示は誰が出すのじゃ? 消火に懸命になっている兵に、それを考えろと申すのか?」
「そ、それは……」
「それだけではない。火は一カ所ではないのだ、消火する地点もその都度変えねばならぬし、そうなればこの並びの長さも調整となる。それはどうするのじゃ」
ビシビシと指摘され、あたしは何も言えない。
……そうだ。
それを動かす人間がいなければ、折角のアイディアも企画倒れになってしまう。
「……どうやら、わかったようじゃな。綾子、将とは何だ? 先頭に立ち、敵を殺す事か? 武を磨き、自己陶酔していれば良い存在なのか?」
「違います……。それならば、将である必要はありません」
「その通り。前者はただの猪、一兵卒ならばまだ存在価値があろうが、将としては最悪じゃ。後者は、武芸者であって将ではない。わかるな?」
「……はい」
「もっと視野を広く持て。人の上に立つという事は、従う者全てに責任を持つ事でもある。肝に銘じておくのじゃ、良いな?」
「わかりました。……ありがとうございます、祭さん」
「わかったら、さっさと動かんか。火の手は、待ってはくれぬぞ!」
「は、はい!」
弾かれたように、あたしは動き出した。
あたしも戸惑いながらも兵の動きを、火の手を見ながら指示を出す。
兵たちも初めてのバケツリレーながら、懸命に指示通りに動こうとしてくれた。
お陰で、一部だけだが消し止める事が出来た。
その間に、手空きの兵が斧で木を切り倒していた。
祭さんが、延焼を食い止めるために指示を出していたらしい。
そこまでは気が回らなかったが、適切な処置だと思う。
……まだまだ、祭さんには敵わない、いろいろと。
「後は、雨が降るのを待つ他あるまい」
「そうですね」
兵達は皆、疲労困憊で座り込んでいる。
合戦とは違うが、あれだけ必死で動き回ったんだから当然だろう。
「綾子。さっきはあのような事を言ったが……。その後の指揮、なかなかのものじゃ」
「……いえ。あたしはわかってなかったんです、自分の思いつきに夢中になり過ぎて。その先まで考えなくて」
「それがわかったら、二度と同じ過ちを繰り返すでないぞ? さもなくば、いつでもコレじゃ」
と、殴る仕草を見せる祭さん。
「兵はの、率いる兵の用い方一つで、無敵の槍とも有象無象の集団ともなり得る。無論、普段の調練は欠かせぬが、それだけでは戦場で勝利を得る事は適わぬ」
経験と実績に裏打ちされた、祭さんの言葉。
まさしく、千金に値すると思う。
「も、申し上げます!」
息も絶え絶えの兵士が、他の兵士に抱えられてやって来た。
「おお、お主は斥候に出した者ではないか」
「は、はっ!……お、遅くなりまして……ゼェ、ゼェ」
「良い。して、どうであった?」
「そ、それが……」
息を整えつつも、兵は言葉を選ぼうとしているように見えた。
「ええぃ、有り体に申せ!」
「は、はっ! では」
祭さんの一喝に、意を決したようだ。
「こ、この先に、小さな村がございます」
「え? そんな村、あったかな……」
あたしは地図を広げ、首を傾げる。
「儂も覚えがないな。まぁよいわ、して?」
「……村人が……全滅しているようでした」
「ぜ、全滅?」
「皆殺しという事か?」
あたしも祭さんも、二の句が継げない。
信じたくないが、目の前でうなだれる兵士が、嘘を告げる訳もない。
「……綾子。参るぞ」
「祭さん?」
祭さんが、ブルブルと身体を震わせている。
……本気だ、祭さんが本気で怒っている。
「このような真似をする輩、相応の報いを与えねばなるまい?」
「で、ですが。犯人が誰だかもまだ」
「だから、探すのじゃ。手がかりを持ってな」
「……では、その村に行くのですね」
「そうじゃ。……ただ、まさに地獄の様相であろう。もし見るに堪えぬのであれば、無理強いはせぬ」
「……いえ、行きます。これも、将たる務めでしょうから」
「……そうか」
それ以上、祭さんは何も言わなかった。
そう、あたしはもう決めたんだ、今更逃げるつもりもないし、それはあたし自身が許さない。
「皆の者! よう聞けい!」
祭さんの言葉に、兵達が顔を上げる。
「消火で奔走し、皆が疲れている事はよく存じておる! だが、悪逆非道な賊どもが、すぐ近くにいるようじゃ! 正体を突き止め次第、そ奴らに天罰を下す! もう一踏ん張り、皆の力を貸して貰いたい!」
「応!」
「応!」
声も出せないかと思った兵達が、祭さんの檄に気勢を上げている。
……凄い、やっぱり祭さんは。
「では、儂と綾子は村を見て参る。それまで、この場にて全員待機して備えよ。それから、ご苦労だがこの事を寿春城へ伝えるのじゃ」
「ハッ!」
確かに、小さな村だった。
……動く者は、皆無。
家という家は全て焼け落ち、道には人……だった物体が横たわっている。
ある人は喉を切られ、ある人は腹を切られて、腸がはみ出ていた。
ハリウッドのホラー映画なんて、これを見たら怖くも何ともなくなるだろう。
こみ上げる吐き気を抑えるのに、あたしはそんな事を思っていた。
「酷い……。ここまでするか……」
殺されているのは、男だけじゃない。
あたしの目の前には、子供の小さな腕が転がっている。
派手な音を立てて、また一軒、焼け落ちた。
「惨いな……。本当に、全滅させられたようじゃ」
「こんなの……。こんなのって……」
「綾子。……これは現実。受け入れるしかあるまい」
「……わかってます! わかってますけど……クッ!」
視界がぼやける。
……あたし、泣いている……の?
「ム? 誰じゃ!」
祭さんが、素早く弓を構え、何かを射た。
「ぐわっ!」
茂みの向こうで、人が転がるのが見える。
見ると、黄色の布を頭に巻いた、小男だった。
……黄巾党の残党か……。
「い、痛ぇよ!」
「痛いじゃと? 屑の分際で何を言うか!」
グッと鏃を押し込む祭さん。
「ぎゃああああっ!」
「貴様。この村を、何故襲った?」
「そ、そりゃ、村を襲えば食い物も女も手に入るから……ウギャーッ!」
男は、ギリギリと首を締め上げられる。
「おい。仲間はどうした?」
「し、知らねぇな」
「そうか。なら、貴様に用はない」
祭さんは剣を抜くと、
「ぎゃああああ!」
男の片耳を切り落とした。
「最後の機会をやろう。仲間はどうした?」
「……あ、い、言う! 言うから、殺さないでくれ!」
「いいだろう。それで?」
「こ、ここから十五里ほど山奥に入ると、山塞がある。そ、そこが俺達のねぐらだ」
「で、人数は?」
「たた、た、確か、二百人ぐらいだ」
「他にはいないんだな?」
「い、いない。本当だ、信じてくれ!」
殺気を緩めない祭さんに、男は失禁していた。
「そうか」
男は、もう片方の耳も、切り落とされた。
「あ、ああああ……」
傷みと恐怖で、気絶……したらしい。
「直ちに、兵達を連れて参れ!」
「ははっ!」
連れてきた兵が、馬に乗って駆けていく。
「綾子。儂を、酷だと思うか?」
「……いえ」
「……そうか。だが、無理はするな」
「は、はい……。うぷっ!」
吐いた。
初めて人を、この手で直に斬った、あの日以来。
胃液しか出なくなっても、まだ吐いた。
……そして、やり切れなかった。
黄巾党の残党は、結果として皆殺し。
そのアジトに連れられていた女性達は、一部を救えた。
……だが、全員、身も心も傷を負った状態で。
あたしにとってはこの先忘れられない、だが忘れちゃいけない、そんな一日となった。