「う、うにゃ……」
ロイに誘拐された黒歌は、目を覚ますと共に異常に重い瞼を開ける。それと同時に、彼女の目に飛び込んできたのは━━、
「目が覚めたみたいだな。良かった」
彼女に覆い被さる形で顔を覗き込むロイの顔だった。言葉の通り、安心したように表情を緩めているが、問題があるとすれば、二人の顔が鼻が触れ合いそうなほど近いことと、ロイが上半身裸なことだろうか。
「な、なんて格好してるのにゃあああああ!」
「ぐぼは!?」
顔の距離はともかく、彼の格好を見た黒歌は顔を真っ赤にさせながら拳を握り、思いっきり彼の頬を撃ち抜く!いきなり過ぎたからか、それとも黒歌を相手に油断していたのか、それをもろにくらったロイは吹き飛び、壁に顔から叩きつけられた。
黒歌は興奮した様子で肩で息をしながら、周りを確認する。
捨てられた屋敷なのだろうか、ヒトの気配は目の前の彼ともうひとつしか感じられない。
彼女は天蓋つきのベッドに寝かされ、壁に顔から突っ込んだロイは頭がめり込み、どうにか引っこ抜こうとじたばたと暴れていた。
黒歌は落ち着きを取り戻すと共に、ロイは頭を壁から引き抜いて身体の汚れをはたく。
「せっかく水浴びしてきたってのに、いきなり汚れるとは思わなかったぞ……」
彼の言うとおり水浴びをしていたのだろう、髪が湿っており、運悪くそこに汚れがついてしまったのか、いつもの鮮やかな紅が少し濁って見える。
ロイは髪を気にしながらも、黒歌に言う。
「てか、『なんて格好』とかなんとか言ったが、おまえに言われたくないわ。着物を大胆に着崩しやがって」
「しっかり着るとキツいのにゃ!てか、あんた服は!?」
「乾かしてる。洗ったのはいいが、あんまり着る服の持ち合わせがないことにさっき気づいてな」
ロイは部屋の出入口を指差しながら言うと、一度ため息を吐く。
「ったく、どこかもわからねぇ場所に来たと思ったら、今度は女にぶん殴られるとはな」
「目が覚めていきなりあれじゃ、殴られて当然にゃ」
明らかな怒気を込められた黒歌の言葉を受けたロイだが、苦笑して受け流す。
「まあ、なんだ。飯の用意は出来ているが、どうする?あの子はもう食い始めているがな」
彼の言葉を受け、鼻を引くつかせて匂いを確認する黒歌。確かに何かしらの匂いを感じとることが出来た。
「別に寝ててくれても構わねぇよ。予定が少し先伸ばしになるだけだ」
そう言って部屋を後にしようとするロイを追うため、黒歌は素早く立ち上がって数歩踏み出すが、いきなり身体を動かしてしまったためか足がもつれて転びかける。
「にゃ…!」
「ッ!」
神速で動き出したロイは黒歌を抱き止めてやり、そのままベッドに座らせる。間近で彼の身体を見た黒歌は、あることに気づいて少しの驚愕と悲哀をあらわにする。
(こいつの身体、ボロボロね……)
無駄な筋肉のない引き締まったロイの身体の至るところには、大小様々な切り傷や刺し傷の痕があり、特に目立つのは右胸にある一際大きい切り傷の痕だろう。
ロイは心配そうに彼女の顔を覗き込みながら言う。
「あんまり無理すんな。睡眠系の術は得意じゃねぇんだ、ちょっと加減を間違えたのかもしれねぇ」
「大丈夫にゃ。あと、私も何か貰っていい?」
「了解。運んできてやろうか?」
ロイの親切心からの発言だが、黒歌は首を横に振った。
「だから大丈夫にゃ。そっちまで行くわよ」
そう言って立ち上がる黒歌を見て、ロイは苦笑する。
「じゃ、こっちだ」
ロイに先導され、部屋を出る黒歌。そのまま屋敷の廊下をすすんでいく。
捨てられてから余り時間は経っていないようで、廊下や天井はまだ綺麗であり、生活するには苦はなさそうだ。絵画などの調度品は前の主が持っていったのか、盗賊に持ち去られたのか、目立つものはない。
進むこと一分ほど。屋敷自体はそこまで広いわけではないようで、あっさりと料理が並べられた部屋に到着した。
部屋に入って早々に、黒歌は再び驚愕の表情を浮かべた。
部屋の中央には大きめのテーブルが置かれ、それを囲むように椅子が配置され、そこのひとつに女の子━━リリスが座っているのだ。テーブルには小さめの鍋が三つ。
「ロイ、おかえり」
「ただいまっと。俺たちの分まで食べてないよな?」
「うん」
口元に食べかすをつけたリリスが、空になった鍋とにらめっこをしていた。行方不明だったリリスが死んだはずの男と共に目の前にいて、食事を済ませている。
出されている料理は、簡単に言うと肉鍋だ。肉メインで野菜もちらほらと入っている。
席についた黒歌は、肉鍋を見ながらロイに問いかける。
「これ、何の肉にゃ……?」
「近くの山で獲った鹿のような何かの肉だ。空も紫色で、ここがどこなのかもわからねぇんだよな……」
席について肉鍋に箸を入れながら言うロイ。彼の発言を受けた黒歌はとりあえず冥界にいることを理解する。
黙々と箸を進めるロイを横目に、黒歌も恐る恐る肉鍋を一口。
「…お、美味しい」
「初めての食材だったが、存外美味くできたな」
黒歌に続いて味をそう断ずるロイ。意外と拘りがあるのかもしれない。
それから数分、食事に集中して黙りこむロイと食事を終わらせて手持ちぶさたのリリス、その二人を気にしながらも食事を進める黒歌という形は変わることはなく、そのまま食事は終了となった。
食事の後片付けをするため、空になった三つの鍋を回収して部屋を後にしようとするロイ。黒歌は彼の後に続こうとするが、ロイがそれを制する。
「ちょっとリリスを見ていてくれ。ざっとで片付けちまうから」
「え……」
ロイはそう告げると足早に部屋を後にしてしまう。部屋に残された黒歌とリリスとお互いに見つめ合うと、黒歌は小さくため息を吐いて懐からハンカチを取り出す。
「べたべたじゃないの。ほら、こっち来なさい」
「ん」
とたとたと駆け寄って来たリリスの口元を少し乱暴ながらも拭いてやりながら、黒歌は考える。
(あいつら、絶対心配してるわよね……)
何だかんだで結束が強い自身の仲間たちのことと、
(白音、大丈夫かにゃ……)
彼女の唯一の肉親である妹━━白音のことだ。
ゆっくりしてしまっているが、彼女は仲間たちの目の前で誘拐されたのだ。取り残された彼らには、相当の心配をさせているはずだった。
不意に、リリスが黒歌の手を取って自分の頭の上に乗っけた。黒歌は一瞬困惑するが、そう言えばと思い出す。
(あいつ、よくこの子のこと撫でてたわね)
トライヘキサの
そうと決まればやるだけなので、黒歌はできるだけ優しくリリスの頭を撫でてやる。くすぐったそうだが嬉しそうに笑うリリスの表情に、黒歌の表情も思わず緩む。
「さっそく懐かれたか。まあ、前に会ったことがあるのかもしれないがな」
黒いシャツを着て、黒い外套を脇に抱えるロイが戻ってくる。黒歌に甘えるリリスの姿を見て、優しい笑みを浮かべていた。
ロイが戻って来たことに気づいたリリスは黒歌から離れ、そのままロイに抱きつこうと駆け寄って行った。腰を落として彼女を抱き止めたロイは、腰に抱えた外套を椅子の背もたれにかけるとそのまま席につく。
「さて、おまえを連れ去ったのにはちょっとした理由があるんだが、説明していいか?」
「まあ、聞くだけ聞くにゃ」
ロイの対面の席に座りながら言う黒歌。彼女の反応にロイは頷くと、神妙な面持ちで言う。
「おまえは『ロイ・グレモリー』を知っているな?」
「……ええ。まあ、死んじゃ━━」
「そいつ、俺かもしれない」
真剣な顔で突拍子のないことを言い出したロイと、間の抜けた表情になる黒歌。
ロイは続ける。
「ロセ、ああ、ロスヴァイセのことな。あいつから色々と話を聞いて、なんとなく思い出したんだよ。この子に会う前の記憶は一切なかったが、俺はロセと割りと長い時間一緒にいることがあったんだなってな。だから、おまえを連れ去った。ロセと同じように、あいつらの中でおまえだけは『傷つけなくない』って思ったんだよ」
ロイの言葉に黙りこむ黒歌。今の話で彼が記憶喪失だということはわかったが、本当に『ロイ・グレモリー』なのかどうか、それはわからない。
黒歌が言葉を発しようとすると、ロイは鋭い視線をあらぬ方向に向けた。疑問符を浮かべるしかない黒歌だが、ロイは立ち上がるとリリスを彼女の膝に乗せた。
リリスは愚図り、黒歌は困惑するしかないが、ロイは外套を纏うと部屋から出ようとする。
「リリスを頼む。客が来たみたいだ」
「客って、何が来たのよ」
問いかける黒歌に、ロイは首だけで小さく振り抜くと絶対零度の殺気を放ちながらぼそりと呟く。
「よくわからん骸骨どもだよ」
その呟きを最後に部屋を出ていくロイ。『骸骨』という言葉で黒歌は死神の想像するが、ロイを追いかけようとするリリスに気づいて思考を切り上げる。
「ストップにゃ。あいつなら大丈夫だろうから、私と一緒にいるにゃ」
「ロイ、だいじょうぶ?」
「大丈夫よ。あいつが本当にあいつなら、こんくらい問題ないにゃ」
━━━━━
ロイたちが滞在する廃屋敷、そこに黒いローブを身に纏う者たち━━大量の
一際大きく不気味なオーラを纏うリーダー格の死神が大鎌で扉を切り裂いて開くと部下の死神が一斉に雪崩れ込む。
広い玄関ホールに雪崩れ込んだ死神たちの視界に、一人の男が入り込む。
玄関ホールのちょうど中央を陣取り、余裕を見せているのかタバコを吸っている男━━ロイは次々と入り込み、自分を取り囲む死神たちを睨み付けた。
彼を取り囲む死神たちの群れが左右に別れると、そこを通ってリーダー格の死神が廃屋敷に入ってくる。
リーダー格の死神が言う。
《あの娘を差し出せ》
「断る」
ロイは即答するとタバコを握りつぶすと黒い靄を身に纏い、両腕に深紅の籠手を生成、脱力して自然体で構える。
《ッ!》
『何度言われようと、あいつは渡さん。諦めろ』
リーダー格の死神は眼球のない双眸を光らせ、ロイの姿をはっきりと見ようとする。だが、見えない。魂を刈り取ることを生業とする彼らはある程度魂を見ることが出来るのだが、目の前の何かは不気味なものだった。
男に見えれば女に変わり、時には子供に老人に変わり、正確な姿を見ることが出来ないのだ。
《貴様、魂を
『何のことだかさっぱりだが、俺は降りかかる火の粉を払っただけだ』
ロイがそう言った矢先、リーダー格の死神が指示を飛ばす。
《なんであろうと構わん、
『はっ!』
リーダー格の指示を受け、一斉に飛び出していく死神たち。目の前の何かの強さは
だが、彼らの計算違いがあるとすれば、ロイは現在進行形で強くなっていること。昨日までなら通じたかもしれないが、今のロイに物量は━━、
『雑魚が』
無意味だった。ロイに向かって突貫していった死神たちは、一瞬で全員の頭が殴り砕かれて全滅した。
《な、なんだと!》
《怯むな。多少の犠牲は致し方ない》
一瞬で十人近い仲間が殺されたことに驚愕を露にする部下に、リーダー格の死神は冷静に告げると、自身の影から鎌を取り出す。
《私が押さえよう。リリスを探せ!》
リーダー格の指示に部下たちは頷くと一斉に散り、廃屋敷の奥へと消えていく。彼らを追いかけようとするロイだが、リーダー格の死神が前を陣取って行かせまいとする。
『邪魔だ!』
《行かせん!》
放たれたロイの拳とリーダー格の死神と鎌がぶつかり合い、衝撃で屋敷の柱が軋み始める。二人は残像を残しながら高速で動き出し、ぶつかり合う。
ぶつかり合うごとに発生する衝撃波に、屋敷は悲鳴をあげ始め、天井からは埃だけでなく板の一部も落下してくる。
『やるもんだな……!』
《貴様には同胞を殺され過ぎたのでな、その時に送られてきた情報は十分にあるのだよ》
リーダー格の死神がそう言うと、ロイは不敵に笑みながら籠手を消して刀身が身の丈以上に長い太刀を作り出すと、黒い靄を右目に集め、黒い炎に変える。
「それじゃあ、こいつを見たことはあるか?」
ロイはそう言うと太刀を両手で握ると床と水平に構え、リーダー格の死神に背中を向けると、瞑目した。
素人から見ても隙だらけのロイに対し、リーダー格の死神は高速で動き出し、幾重にも残像を残しながら接近していく。
ロイを間合いに入れた瞬間、リーダー格の死神は鎌を振り上げるが、それよりも早くロイが動き出す!
身体を捻って死神を正面に捉えると、太刀を振るう。脇腹と左肩、頭部を狙った三つの斬撃が、
《ッ!》
リーダー格の死神は刹那の反応で頭と左肩を狙った斬撃を防ぎ、脇腹を深く切り裂かれる。だが、それでも止まらずにロイの身体を鎌で切り裂きにいくが、
「フッ!」
間髪いれずに放たれた四撃目で首を飛ばされ、呆気なく絶命した。
ロイは太刀を消して気配を探る。と同時にその場を駆け出した。
リリスを預けた女性が、リリスを連れて屋敷を離れていくのだ。おそらく、死神に追われている。
考えている余裕はない。今の彼にとって、リリスを守ることが使命だ。理由はよくわからないが、あの子を守らなければと自分の内の何かが訴えているのだ。
それに、とロイは半日ほど前に誘拐してきた彼女のことを思い浮かべる。
「誰も死なせねぇ……、死なせてたまるかよ!」
なにがなんでも守らなければ。
━━━━━
「はぁ……はぁ……!」
「だいじょうぶ?」
「な、なんとかにゃ」
息を切らしながら、リリスを抱っこしている黒歌は息を潜める。おとなしくロイを待っていれば、代わりに死神がドアをぶち抜いてくるとは、思いもしなかっただろう。急いでリリスを連れて脱出したが、追いかけ回されていた。
《さて、その抱えている子供をいただこうか》
「ッ!」
不意に背後から声が聞こえた。他の死神と比べ、少し高めの声だ。
黒歌は驚きながらその場を飛び退くと、いつの間にか一人の死神が佇んでいたのだ。
オーラからして上級か、下手をすれば最上級クラスの死神、屋敷に来た死神とは別に森に潜伏していたのだろう。
《二度は言わんぞ?》
死神はそう言うと、自身の影から大鎌を取り出す。黒歌は抱きかかえるリリスを守るように庇いながら、ジリジリと後ろに下がっていく。
《そうか。ならば━━》
死神は消えると黒歌背後を取り、大鎌を振り上げる。それに気づいた黒歌は回避を諦めてリリスを庇うために背中を向け、衝撃に備えてきつく目を閉じた━━。
━━━━━
森の中を駆け抜けるロイの視線の先で、まさに切られようとしている女性の姿があった。それを視認したと同時に、彼を頭痛が襲う。それと同時に、走馬灯のように何かが駆け抜けた。
どこか見知らぬ場所で、彼女を助けるために駆け抜けたことがあったのだ。彼女と共に笑いあったことがあったのだ。彼女を守るために戦ったことがあったのだ。
━━間違いない、彼女は俺の大切なヒトだ。なぜ忘れていたんだ、彼女の名前は……!
━━━━━
「━━黒歌!」
《ッ!奴ら、もう少し粘って欲しいがな……!》
黒歌はゆっくりと目を開くと、後ろに振り抜く。そこには自分に背中を向けて槍を構えるロイと、彼と対峙する死神の姿があった。
死神は肩をすくめると闇の中に消えていく。
《貴公との勝負は次の機会だな。また会おう》
闇の中から響く死神の声。ロイはしばらく周りを警戒するが、死神の気配がなくなったことを確認して二人に訊く。
「黒歌、リリス、無事か」
「だ、大丈夫にゃ」
「へいき」
黒歌はリリスを降ろして答え、疲れた様子で座り込み、リリスは元気よく手を挙げた。
二人の無事を確認し、ロイはホッと息を吐くと手にしていた槍を消し、優しく笑みながら腰を降ろして片膝をつくと黒歌の頬を撫でる。
「ありがとうな、リリスを守ってくれて」
「なんてことないにゃ」
黒歌は強がるように笑うが、その手は震えていた。それに気づいたロイは優しくその手を握ってやり、励ますように言う。
「おまえはいつもふざけるのに、ここぞって時はやってくれるからな。たまには怖がって欲しいんだが、まあ、助かったよ」
「………」
ロイの言葉を受け、間の抜けた表情になる黒歌。そのままロイに訊く。
「あんた、私のことわかるの……?」
「ああ、黒歌だろ。何で忘れてたんだろうな、おまえは俺の━━」
ロイが言葉を続けようとすると、不意に伸びてきた小さな手が彼の頬を引っ張る。
「むぅ~」
「あにょ~、りりしゅしゃん?ひたいんらけろ」
不機嫌そうなリリスに、若干涙目になりながら抗議するロイ。
黒歌は二人なやり取りを見ながら可笑しそうに笑うと、立ち上がる。
「それで、どうするにゃ?あいつらのところに戻る?」
リリスの手を離してもらい、ロイは赤くなった頬を擦りながら言う。
「いや、駄目だな。戻ったら、あいつらに余計な負担をかけちまう。俺たち色々な奴に追われているからな……」
「戻った方が安全じゃない?」
「そうかもしれないが、相手が相手だ。冥界政府の誰かが繋がっている可能性もある」
「あら、恋人の魔王様とセラフ様を頼ればいいじゃないの」
黒歌が何となく言った言葉に、ロイは懐疑の視線を彼女に送る。
「恋人って、ロセとおまえだけじゃなかったか……?」
「完全には戻ってないのね……」
何もなかった男が、戦いの中で何かを取り戻し始めていた。だが、全てを取り戻せるのは、もう少し先の話になりそうだった━━━。
誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。