病室に拘束されること一週間ほど。
アザゼルに眠らされてからというもの、毎日検査、検査、検査と、研究員や医者以外とはほとんど会うことなく過ぎていった。
毎日同じことの繰り返しに飽き始めたころ、
「さて、と。ここには戻ってきたくねぇな……」
ワイシャツの上からフード付きの黒いコートを羽織り、薄茶色のズボンを履いた状態で、思い切り体を伸ばしながら独り言を漏らしていた。
そんなこんなで、俺━━ロイは、検査も一段落ということでめでたく解放もいうことになった。
ようやく患者服からまともな服に着替えることが出来たのだ。謎の達成感と安堵感がある。
……腕輪が引っ掛かって左腕の袖が伸びまくって大変なことになったが、それを見越してのゴム袖だったのだろつ。じゃなきゃ着られないしな。
まあ、もとから服装に関してはこだわりはまったくないし、さっさと帰りたい。その後の説教が長くなりそうだからな……。
待ち望んだ退院なのに、テンションが下がりまくっていくなか、不意に病室の扉が開く。
「よう、いつかぶりだな」
気安く右手をあげながら挨拶してきたアザゼルを軽く睨み、思ったことを素直に口にする。
「……なんだ、おまえだけか」
セラとか誰かが来てくれるのかなとか思っていたが、こいつだけとはね。まあ、あいつにも仕事があるし、大変なんだろう。
露骨に嫌そうな顔をしていると、アザゼルが額に青筋を浮かび上がらせながら言う。
「俺だけで悪かったな!まあ、おまえがそうなると思ってな、暇そうにしてたこいつを連れてきてやったぞ」
「私にゃ」
「黒歌じゃねぇか!なんだ、いるなら最初に言えよ!」
アザゼルに呼ばれ、開きっぱなしの扉の隙間から顔を覗かせた恋人に、思わずテンションが上がる。
黒歌は驚きながらも嬉しそうに笑い、病室に入ってきた。
「家でのんびりしてたら、いきなり呼ばれたからびっくりしたにゃ。他の三人は仕事でこれないから、今のうちに甘えさせてもらおうかにゃってね?」
そう言いながら、真正面から抱きついてくる。
そう言えば、前はセラに迎撃されて未遂で終わったんだったな。
俺の胸に顔を埋める彼女の髪をとかすように優しく撫でると、黒歌は顔を上げてニコッと笑う。
彼女の笑顔に見惚れつつ、俺も笑みを返した。
「アザゼルだけよりは何倍もマシだ。ありがとうな」
俺は本心をぶつけただけなのだが、
「………♪~」
言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったのか、一拍開けてから照れ始めた。
真っ赤になった顔を隠すように、再び胸に顔を埋めてきた。
あー、駄目だ……、なんか、胸がもやもやする……。
自分を落ち着かせるように遠い目をしていると、アザゼルがジト目で睨んできていることに気づく。
俺は目を細くしながら睨み返す。
「なんだ」
「いや、見せつけやがってこの野郎なんて思ってねぇよ?」
不機嫌そうに言うアザゼル。
周りが身を固めていくなか、孤立し始めている独身男には辛いものなんだろう。
そこで、俺はアザゼルに気づかれないように小声で呟く。
「そうか……」
━━なら、もっと見せつけてやろう。
俺はフッと鼻で笑い、ご機嫌そうにぴこぴこ動いている黒歌の猫耳を撫で、そのままマッサージのように優しく揉み始める。
「っ!……ん……ふっ……にゃ……」
一瞬驚く黒歌だったが、全身の力が抜け始めたのか、どんどん俺のほうに体重を預けてくる。
最初こそ踏ん張ろうとしていたが、意志に反して体はリラックスをし始めたのか、最後は開き直って俺に甘えるように頬擦りしてきた。
俺は黒歌を支えながらベットに腰掛け、彼女を膝の上に乗っけて耳マッサージを続けようとするが━━、
「おまえらなぁぁぁぁぁぁっ!」
唐突にアザゼルがぶちギレ、怒鳴り声をあげたことで中断させられた。
睨む俺をよそに、アザゼルは続ける。
「この野郎、見せつけやがって!なにか!恋人のいない俺への当てつけか!?」
「ああ」
「即答!?おまえ、こんなことする奴だったか!?」
どんどんボリュームが大きくなっていくなか、黒歌は俺に寄りかかりながら、うるさいと言わんばかりに背中越しにアザゼルを睨む。
まあ、目がトロンとしているし、耳を垂れているし、力が抜けているからか尻尾も垂れ下がっているしで、迫力に欠ける。
いつもと違う恋人の姿に、俺の中の何かが悲鳴をあげ始める。あー、胸がもやもやする。なんだ、この気持ちは……。
意識をそらすため、俺はちょっとした心境の変化を説明することにした。
「今までは『教師』とか『同僚』とか、立場を気にする必要があったけどさ、今の俺は『放浪者』で『テロリスト』で『監視対象』だろ?」
「な、何が言いたい……」
アザゼルの答えを急かすような問いかけに、俺は満面の笑みを浮かべながら言う。
「━━吹っ切れた」
「ただ開き直っただけじゃねえか!」
アザゼルの指摘に「そうかもな~」と軽く返し、黒歌への耳マッサージを続行する。
さらに続ける。
「あと、こいつを含めた恋人と、リリスを前にするとな、何でかはわからねぇけど━━」
一度手を止めると黒歌に笑みを向け、優しく抱擁した。
「━━なんか、他の奴のことがどうでも良く思えてくる」
俺の発言に、アザゼルは目を見開いて驚愕をあらわにした。
「……おまえ、本当に、そんな奴だったか……?」
「……さあな。表に出ないだけで、根っこの部分はこんな感じだったのかもしれねぇ」
自分の火傷痕だらけの右手を見つめ、苦笑が漏れる。
こんなこと言っちまって、こいつらに怒られるかもな……。
「にゃ~、ロイ~」
「ん?」
黒歌に呼ばれて視線を下げると、蕩けた瞳で俺のことを見つめてくる彼女の顔が、鼻が触れあいそうなほどの距離にあった。
思いの外近かったので驚いたが、不意に彼女の唇が俺の唇に触れる。
誰かさんの驚愕の声が聞こえた気がしたが、気のせいかと聞き流し、彼女の口に舌を入れ、彼女のものと絡める。
「ん……ふ……ちゅ……」
「ふっ……ん……にゅふ……」
隙間から息が漏れるなか、誰かさんが叫びながら病室の外に飛び出していったを
別に追いかける理由も、呼び止める理由もないので、無視を決め込む。
お互いの味を堪能したところで顔を離し、目を合わせる。
黒歌の蕩けた金色の双眸は次を求めてきているし、俺も答えてやりたいが、ここはぐっと抑えて息を吐いた。
「期待に応えてやりたいけど、また後でな。今は帰らねぇと」
「……ずるいにゃ、これじゃ、生殺しにゃ……」
俺に寄りかかり、息を荒くしながら耳元で囁いてくる。
背筋がぞくぞくする感覚に耐えながら、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どこぞのいたずら猫がしつこいんでね、たまには仕返しをしたくなるんだよ」
「うぅ……」
黒歌は頬を膨らませると、俺の首筋に噛みついてきた。
ちょっとした痛みを感じたが、そこまで気にする必要はなさそうなので止めることはせず、彼女の髪を撫でる。
「また今度、な?」
「……うん」
俺が言い聞かせるように伝え、黒歌が渋々と言った様子でうなづくと、再び病室の扉が開いた。
「……お゛わ゛った゛か゛、お゛ま゛え゛ら゛!」
誰かに喉でも潰されたのか、それともやられるほど叫んだのか、声をがらがらに枯らせたアザゼルが戻ってきた。
奴の手には缶コーヒーのブラックが握られており、既に空っぽになっている様子だった。
俺は黒歌をお姫様抱っこで持ち上げると、彼女に気をかけながらゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫だ。こいつは満足してないけどな」
「むぅ……」
可愛く頬を膨らませる黒歌をよそに、アザゼルが何度か咳払いをしてから言う。
「なら、戻るぞ。グレモリー家の屋敷に向かって、しばらくの間は自室で待機してもらうことになる」
「ここに比べりゃ、天国だな。その前に地獄が待っているけどよ……」
視線を横にそらしながら呟く。本当、何を言われることかね。
俺の心配をよそに、アザゼルはなぜか得意気に笑う。
「はっ!どうにでもなりやがれ!」
アザゼルの笑顔を思わずぶん殴りたくなったが、ここは我慢する。てか、黒歌を抱えているから殴れねぇ。
……後でぶん殴ろう。殺さない程度に加減して。
その思いを顔に出さないように必死に抑えていると、アザゼルがカードを投げ渡してくる。
受け取りたいのは山々なのだが、黒歌をお姫様抱っこしているので俺の両手は塞がっているわけだ。
俺の首筋に心配をよそに、黒歌が気をきかせてキャッチしてくれた。
「それがおまえの許可証だ。それがないとここから出られないから、胸ポケットにでも突っ込んどけ」
「なるほどね。黒歌、頼めるか?」
「はいはいっと」
黒歌はテキトーに返事をしながら、カードをしっかりと胸ポケットに突っ込む。
それを確認したアザゼルは病室の扉のほうに歩き出し、俺に告げてくる。
「いちおう退院ってことだが、週に一回の定期検診ってことで、毎週土曜に施設に来てくれ」
「……面倒だな」
思わず本音を漏らしながら、アザゼルに先導される形で病室を出ると、そのまま廊下を歩いていく。
前を歩くアザゼルの背中を眺め、俺に抱えられている黒歌に目を向ける。
目があった彼女は嬉しそうに笑い、俺も釣られるように笑う。
「あんた、ちょっと変わったにゃ。なんか、前に比べてずいぶんと柔らかくなったと思うにゃ」
「そうか?たぶん、心境の変化ってやつ、なのかね……?」
質問されたはずのこっちが歯切れ悪く答え、申し訳なく首を傾げると、黒歌は可笑しそうに笑う。
「自分でもよくわかってないのかにゃ?まあ、そういうところがあんたらしいけどにゃ」
黒歌はそんなことを言いながら腕を俺の首に回し、器用に抱きついてきた。
辛くないように俺も腕の位置を彼女に合わせて支えてやると、俺の頬に口付けをしてきた。
その時、ふと気づく。
心境の変化。先ほどの質問の答えは本当にそれなのだ。
あんなに煙たがっていたこいつが、こんなにいとおしいと思うなんて、俺の中の何かが変わったからに決まっている。
……まあ、遺伝子が変わりに変わりまくってんのは百も承知だけどな。
ふと、アザゼルが背中越しに俺たちのことを見てきていることに気づく。
どうせ、『また見せつけやがって』とか何とか思っているんだろう。離れるつもりはないから無視するがな。
なんてことがありつつ、ようやく転移室にたどり着いた。
アザゼルがどこかに連絡を入れると、部屋のちゅうおうに描かれた魔方陣が輝き始める。
ようやく帰宅、か。前に戻ったのは、アガリアレプトを追いかけた時だ。
あれから約二週間、半壊した屋敷は直っているとは思うが、大丈夫だろうか。
……まあ、他の屋敷に一時的に引っ越している可能性もあるのか。
俺が苦笑していると、アザゼルが言う。
「……いい加減離れたらどうだ?」
「「え~」」
転移の準備が完了しても、俺は黒歌を降ろしていなかった。別に抱えたままでも転移には問題ないだろう。
アザゼルは諦めたかのように大きめのため息を吐き、転移魔方陣にオーラを送る。
強くなっていく光が俺たち三人を包み込み、一気に弾ける。
光が止み、視界が回復すると、そこは見慣れた転移室だった。
懐かしく、落ち着く雰囲気を感じる。
本当に、帰ってこれたんだな……。
染々と思いながら、部屋を見渡していると、
「お待ちしておりました。ロイ様、アザゼル様、黒歌様」
部屋の入口の脇にいたメイドが一礼してきた。
義姉さんじゃないとは珍しい。なんか、急な仕事でも入ったのかね?
メイドは俺に目を向け、冷静に告げてきた。
「旦那様と奥様が執務室でお待ちです」
だ、だよな……、うん、わかってたよ……。
間違いなく説教コースが待ち構える執務室に行く前に、黒歌を降ろす。
まだ足腰がしっかりしていないようだが、こいつを巻き込むわけにはいかない。
ふらつく黒歌の耳元に顔を寄せ、小声で告げる。
「部屋にいてくれ。しばらくしたら戻るはずだから」
「……わかった」
彼女の返事をきき、俺は微笑しながらメイドに声をかける。
「ちょっとこいつを頼めるか?俺の部屋まで連れていってくれりゃいいから」
「かしこまりました」
メイドが優雅に一礼し、黒歌に肩を貸しながら部屋を後にすると、アザゼルが二人について部屋を出ようとしていた。
「おまえはどうするんだ?施設に戻るのか?」
「どうするかな。リアスたちと合流するにしても、まだ学校だろうしな……」
「学校だろうしなって、おまえ教師だろうが……」
俺が嘆息しながら言うと、アザゼルは肩をすくめた。
「誰かさんのせいで施設から出るに出られなくてな。おかげさまで、教師業は休みだよ」
「それはすまねぇな」
いちおう謝ると、「今さら気にするなよ」と返ってくる。
アザゼルの返答に思わず苦笑するが、今度は邪悪な笑みが返ってくる。
「じゃ、久しぶりの親子面談を楽しんでこいよ~」
右手をひらひらと振りながら退室していく。
今度なにか奢るか。テキトーに酒かなんかでいいだろう。
俺は息を吐き、執務室を目指して歩き出す。ああ、解放されるのはいつになるんだろうな……。
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