Missing link01 次元の狭間
「…や……やれ…!ロセ……!」
彼━━ロイは、トライヘキサの
「━━ッ」
ロスヴァイセが拘束用魔方陣を展開しようとした瞬間、トライヘキサの腕が変形し、触手となってロイの体の内側を這い回る。
現在進行形で全身を食い散らかされていくロイは、全身に激痛を感じながら、意識を飛ばさないために歯を食い縛り、トライヘキサを睨み付けた。
それがトライヘキサの何かに触れたのか、腹を貫いた腕が引き抜かれ、流れのまま踵落としを決められる。
凄まじい速度で海面に叩きつけられたロイは、水しぶきと共にそのまま沈んでいく。
トライヘキサが彼を一瞥した隙に、ロスヴァイセの魔方陣が輝き、動きを止める。
ここから連合軍の反撃が始まるのだが、ただ一人それどころではない人物がいた。
「ごぼ………っ!」
ロイだ。
風穴の空いた腹から内臓がこぼれ、口からは酸素も漏れていく。
常人ならそれで死を悟ることだろうが、ロイは違うことを考えていた。
━━この瞬間にも、体が治り始めていやがる……!
海底に沈んでいく彼の身体中の血管が浮かび上がり、左目に不気味な白い光が灯る。
自分が別の『何か』に上書きされていく。
その不気味な感覚に襲われながら、ロイは内側がボロボロになった右腕でアロンダイトを握り直し、海面に目を向ける。
視界が点滅を繰り返し、意識が消えていくなかで、彼は籠手に包まれた右腕を通し、ありったけの魔力と、ドラゴンのオーラをアロンダイトに込めていく。
チャンスは一度だけ。それを放った後、自分がどうなるのか、わかったものじゃない。
いや、間違いなくその『何か』へと変異してしまうだろう。
━━だが、迷っている場合じゃねぇ……!
何もせずに終わるのなら、せめて一撃。
アロンダイトの刀身を深紅と深緑のオーラが包み込み、漏れでたオーラが海水を震わせる。
薄れる意識を懸命に繋ぎ止め、海面のさらに向こうにいるはずのトライヘキサを睨み付け、そして━━━。
『━━━!』
残された力の限り、一閃した。
海を斬り、トライヘキサを斬り、雲を斬り、空さえも斬ったその一撃は、まさにロイの人生における最大の一撃。
それと同時に、最後の一撃でもあった。
中身がほとんど空洞になっていた右腕は千切れ、大量の血液がぶちまけられる。
ロイはそれを気にする素振りを見せず、切り裂いた海面に目を向けた。
そこには、トライヘキサにとどめを刺そうとオーラを溜める、なんとも頼もしい二天龍の姿が一瞬見えた。
ロイは笑みを浮かべ、口だけで『撃て』と呟く。
それと同時に海は元の姿に戻り、押し寄せてきた海水がロイを包み込む。
本来なら浮き上がるはずの彼の体は、逆に沈む速度を上げた。
今の一撃の余波は海底をも切り裂き、そこに開いた次元の狭間が海水を吸い込み、ロイを引きずりこもうとしているのだ。
意識が喪失と覚醒を繰り返し、その度に蟲に喰われたように『彼』は欠落していく。
━━俺は…どうして……こんなことに……?
傷だらけの体を眺め、ぼんやりとそんな事を思う。
欠落した隙間に、別の何かが入り込もうとするが、『黒い炎』がそれをさせまいと彼の内側で激しく燃え、防波堤となり始めていた。
━━大切なヒトが……いたはず、なのに……。
そうは思っても、そのヒトたちの顔すらも朧気で、消えてしまいそうだ。
━━死ぬ…のは……久しぶり……だ……。
彼は自嘲的に笑む。
だが━━━、
━━ひさし……ぶり……だと……?
彼はそれすらも、覚えてはいなかった。
別の何かによって身も心も食い散らかされた彼には、もはやぼろくず同様の肉体と『黒い炎』以外に、何も残っていない。
だが、それでも、彼と黒い炎が守ったものがあった。
それ以外のものを全て除外し、それでようやく守られたそれは黒い炎に守られ、奥底に眠る『彼』のさらに奥、もはや自分でも自覚出来ないほどの場所へと仕舞いこまれた。
万華鏡のような風景が広がる次元の狭間。
そこにこぼれ落ちた彼の体は、すぐさま次元の狭間の力に晒され、その肉体を崩していく。
だが、その肉体が崩壊するよりも早く、白い靄が修復していくのだ。
肉体が治っていったところで、彼の意識は戻らない。
次元の狭間を落ちていく彼の体は、偶然にも通りかかった真紅の鱗を持つ巨大なドラゴン━━グレートレッドの背中で受け止められた。
崩壊と修復。そのふたつを休みなく続ける彼の体に、小さな手が触れた。
「ロイ……?」
海水でずぶ濡れになったリリスだ。
彼の帰りを待っていた彼女は、何かしらの直感が働き、彼が落ちていった次元の狭間に飛び込んでいたのだ。
リリスは体の至るところから白い靄を吹き出す彼の体を揺すってみるが、反応はない。
むしろ、彼女でも悪寒を感じるほどの何かを放っているのだ。
リリスは何かを考えると彼の背中に手を置き、そこからオーラを流し込んでいく。
濡羽色のオーラが彼を優しく包み、白い靄を無理やり抑え込むように、体の内側に押し返していく。
それを行うリリスの額に脂汗が垂れるが、彼女は気にする素振りを見せずに更にオーラを込めていく。
リリスのありったけのオーラをロイに流し込み、白い靄を抑え込むと、その代わりに血が吹き出し始める。
リリスは肩で息をしながら、無表情でオロオロし始めた。
周囲を見渡していくなか、ふと、真っ赤な大地に突如として穿たれたへこみのようなものを見つける。
突き破られた繭のようなそれは、大人の一人や二人放り込めそうである。
破られてからだいぶ時間が経っているのか、塞がりかけている。
リリスはほんの少し━━瞬き一度程度の時間━━悩み、躊躇いなくロイのそこに放り込む。
彼の体が綺麗にそこにおさまると、肉が蠢き始め、ついには彼の体を覆い隠した。
リリスは心配そうにしながらも繭に手を触れ、何度も軽く叩く。
繭は叩かれる度にブニブニと形を歪め、すぐさま元の形に戻る。
リリスは眠そうに目を擦り、繭に身を寄せる。
彼女が寝息をたて始めたのはそのすぐ後であり、繭はゆっくりと脈動を繰り返す。
そして、そんな二人を背中に感じながら次元の狭間を進むグレートレッドは、
『………』
無言の圧力を放ちながら、背中の繭にオーラを集中させていく。
下手をすれば自分まで食われかねないものを、唐突に体に放りこまれたのだ、彼の機嫌は最高に悪かった。
いつかに赤龍帝を助けたものを、思い出のひとつ感覚で残しておいたことが、ここに来て仇となるとは……。
過去の自分の浅はかさに憤り、さらに機嫌は悪くなる。
そんな事露知らず、背中の二人は深い眠りにつく。
━━片や、一日でも早い復活のため。
━━片や、一日でも早い目覚めのため。
━━━━━
一週間後。
次元の狭間。
「むぅ……」
一度もリリスは何か不穏な気配を感じとり、目を覚ます。
あれから一度も目を覚ますことなく、文字通り寝続けていた彼女だったが、流石に何かが来れば目を覚ます。
なりより、今は守らねばならないものが近くにある。
その事を自覚しているからか、余計に敏感になっているのだろう。
《ようやく捉えたぞ……》
そんな呟きと共に、数十人の死神がグレートレッドの背中に舞い降りる。
彼らがここを見つけられたのは、死神の『死にゆく魂』を感じ取れる特性のようなものによるためか。
だが、そんな事を考えられる余裕は、リリスにはない。
たっぷり寝たはずなのにオーラはまったく回復している様子がなく、まだまだ眠い。
寝ぼけ眼で死神たちを見つめ、拳を構えるが、そんな彼女を死神たちが嘲笑う。
《オーフィスの半身。ずいぶん疲れているようだな》
《紛い物とはいえ、龍神を相手できると思ったのだが》
死神たちは鎌を構えたと同時に、リリスが動く。
瞬時に飛び出し、手頃な死神を殴り付けたのだ。
小さな拳は十分な速度で死神の鳩尾を捉え、吹き飛ばす。
だが、次の瞬間に倒れたのはリリスであり、殴られた死神はむせながらもすぐさま立ち上がった。
リリスは自分の手を見つめ、僅かに目を見開く。
力が出ないとは思っていたが、ここまでとは……。
そう思ったところで、もう遅い。
死神たちは倒れたリリスを包囲し、一斉に鎌を振り上げる。
死神数人がかりで、リリスが気を失うまで魂を削り続ける。
いかなる存在も、魂を斬られてしまえばそれまでだ。
死神たちだけが出来る戦術に、彼らは絶対的な自信があった。
敵も何故か消耗しきっている子供一人だけ。数も十分。負けるなぞ、万が一にもない。
この場にいる死神全員が、勝利を確信していた。
━━だからだろうか、『それ』に気づくことが出来なかった。
繭から音もなく、這うように出てきた『黒い靄』。
それは四つん這いで身構えると、その場から消え、
《ぎゃあ!?》
《な、なん━━!?》
死神二人の首を捻り斬った。
二人の断末魔を聞き、死神たちは一斉に散る。
首の無くなった死体と倒れるリリスの脇に、『それ』はいた。
四つん這いだったそれは不気味に蠢き、死神たちを睨む。
頭部と思われる場所にある、死神たちを睨む一対の紅の輝きは、ヒトでいうところの瞳だろうか。
死神たちは正体不明の『それ』を睨むが、『それ』は気にした様子もなく、リリスを守るように構え、手元に槍を生成する。
それを合図に死神たちが動き出すが、『それ』は槍を逆手持ちに切り替え、力の限り放った。
槍は音を置き去りにし、掠めた死神の右腕を千切り、とある死神の腹を貫き、命を奪って次元の狭間に消えていく。
《ぬぅ!》
間合いを詰めた死神が鎌を振り下ろすが、『それ』は片手で刃を受け止め、そのまま半ばから片手でへし折ると、手元に残った切っ先で死神の首をはねる。
《はっ!》
《こいつ!》
左右から同時に迫り、すれ違い様に真一文字に一閃するが、『それ』は高く飛び上がることで避け、空振りの勢いで隙を生み出した死神二人に、落下の勢いを乗せた拳を叩き込む。
押し倒された二人の胸は『それ』により貫かれ、反撃をする暇もなくその命を絶たれた。
その魂は腕を通して『それ』へと流れ込んでいき、力へと変えられる。
『それ』は再び蠢くと、ゆっくりと立ち上がり始めた。
しっかりと両足を地面につけ、体を起こす。
膝が笑っていたが、それはすぐに収まる。
だが、全身が不気味に蠢いていることに変わりはなく、余計な気味の悪さを感じさせる。
同時に放たれる重圧は先程の比ではなく、死神たちは鎌を握る手に無意識に力を込めた。
構える死神たちとは対象的に、『それ』は全身を痙攣させながら、片手に直剣を生成する。
死神たちは一斉に動きだし、『それ』に殺到していく。
すれ違い様に『それ』を切り裂いていくが、怯む様子も、倒れる様子もない。
魂を削っているはずなのに手応えがないのは、どういうことなのか。
死神たちは先程の余裕が嘘のように消え、少しずつ焦りと恐怖を募らせ始めた。
だからこそ、その動きは精細を欠いていく。
《がぁっ!》
《━━ッ!》
一人の体が真一文字に斬り裂かれ、もう一人は首を掴まれ、そのまま握り潰された。
断末魔もなく倒れたその死神は、とどめの蹴りで体が快音と共に弾けとんだ。
その死神の破片に襲われ、何人かの死神が怯むことになったが、『それ』はその隙を見逃さない。
斬りかかってくる死神たちの攻撃を掻い潜り、怯んだ死神に飛びかかった。
袈裟、逆袈裟、刺突、と足を止めることなく流れるように放ち、放った数だけ敵を屠っていく。
討ち取った死神が二桁に突入した頃、『それ』に異変が起きた。
痙攣が激しくなり始め、直剣を取りこぼす。
地面に落ちる乾いた音と共に直剣は消えるが、『それ』は頭を押さえ、膝をついた。
死神たちは内心で笑みを浮かべた。
ようやくこちらの攻撃が効いてきたようだと。
ダメージが通るのなら、勝てるだろうと。
だが、『それ』は彼らを嘲笑う。
先ほどまでそこにいた『それ』が、死神たちの視界から消えた。
その事に驚愕の声をあげる前に、数人の死神の体がバラバラに切り刻まれる。
《な、なんだ!?》
《奴は、どこに!》
お互いに背中を預けるように構えた二人の死神だったが、その体は一本の槍によって貫かれ、深紅の輝きに呑み込まれて消えた。
『はぁぁ………』
『それ』はゆっくりと息を吐き、生き残った僅かな死神たちに目を向けた。
ここから始まったのは、戦闘ではなかった。
━━ただ一方的な虐殺が、開始されたのだ。
誤字脱字、アドバイス、感想など、よろしくお願いします。