でも彼女は、貫井君のことが好きみたいだ。
一人称主人公はオリ主です。
僕は流行に疎い。
音楽が好きだが、基本的に聞いているのは古いロックばっかだ。
そもそものきっかけが、中学一年生の時の春にたまたまラジオで「光に目もくらみ」という曲を聴いたことだった。
「光に目もくらみ」は、マンフレッド・マンズ・アースバンドという奇妙な名前のバンドの1977年のヒット曲だ。
1977年2月11日付でチャートのトップに君臨している。
疾走感のあるロックンロールで、言葉がマシンガンのように垂れ流されていく。
けれども、サビはどことなく寂しげだ。
光に目をやられちまったから、だからなんだというのかわからないのだが、そのことを繰り返し唱えられると、妙にしんみりとした気分になる。
何か人生の過ちを犯してしまったような。
僕は子供心に感じた。
ロックってのは、疾走することだけど、すごいスピードで疾走するとどこかで事故ってしまうんだ。
その悲しさがロックなんだ。
「光に目もくらみ」でロックに目覚めた中学生の道なりは孤独だ。
この曲の作曲者であるブルース・スプリングスティーンに興味を持ち、ブルース・スプリングスティーンのライバルと目されたエリオット・マーフィーをチェックし、二人の師匠筋であるボブ・ディランにたどり着く。
クラスメイトと話題が合うはずがなかった。
僕はクラスの片隅で音楽雑誌を読みふけっている連中に声をかけてみた。
「ねぇ。どんなの聞いてるの?」
胡散臭げな眼をして彼らが開いたitunesには、ザ・フェニックス、マルーン5、ヴァンパイア・ウィーケンドなどの名前が。
「へ、へぇ……」
僕はたじろいでしまった。
やばい。
まったくわからん。
「お前はどんなの聴いてんだよ?」
グループのリーダー格っぽいツーブロックの少年が問いかける。
「あぁ~。こんなん」
僕が自分のitunesを開くと、彼は目を見開いた。
「古っ。親父のレコード棚みたいじゃん」
僕は頬が熱くなるのを感じた。
「ふ、古くてもいいロックはたくさんあるよ?」
何とかその言葉を絞り出す。
するとツーブロックが鼻で笑う表情をした。
「古いってだけでダサいんだよ。なんだよこのジャケ。髭面のおっさんが立ってるだけじゃん。ごついおっさん3人で並んでアップってさ、ホモかよこいつら」
ツーブロックの指摘に、周囲にいた取り巻きがどっと笑う。
「た、確かにジャケはダサいかも知れないけど。でも中身はスゲーいいんだよ。こう、グルーヴがあってさ。ギターがいい感じに絡んできて……」
「なんだよそれ。踊れんのかよ」
「え? 踊れはしないかもしれないけど」
「じゃ、いらねーよ。今流行ってるのはな、EDM的なやつなんだよ。重低音でパーティーできるような。お前の聴いてるのはやっぱ親父ロックだよ」
それ以上言い返すことができなかった。
不毛な気分になったからだ。
僕は唇をかみ、踵を返した。
クラスの奴らとは、金輪際音楽の話はしないぞ。
いらいらしながら、自分の席に戻ろうとすると、後ろの席の女子がつぶやいた。
「バカみたい」
「え?」
後ろの席の女子……鳥海桜花さんが、退屈そうに肩ひじを突きながら手をひらひらさせた。
「さ、さっきのやり取り、聞いてたの?」
「あんたら男子、声でかいからね。いやでも聞こえた」
鳥海さんがすべてを見透かしたような、達観したような瞳をこちらに向ける。
綺麗な瞳だが、そこには妙に大人びた冷たさがあった。
彼女はクラスでも少し浮いている生徒の一人だ。
艶めかしく着崩した制服、横柄な態度。
群れてるギャルとも違い、孤独な一匹狼の不良少女という風体。
ロックは好きでもどちらかというとうだつの上がらない雰囲気の僕とは正反対だ。
「ごめん……」
「別にあんたが悪いとは言ってないよ」
「へ?」
「あたしがバカみたいって言ったのは、あいつらのこと」
顎で、ツーブロックたちを指し示す。
「ね。あたしにも見せてよ。あんたのプレイリスト」
「う、うん……」
思わず、携帯を手渡す。
「へぇ……」
手慣れた様子で鳥海さんがそれをタップしていく。
「ドゥービーズに、スティーリー・ダンに、CSNYに、OMDD。いい感じじゃん。アメリカのが好きなんだね」
僕は驚いた。
「わかるの? こういうの」
「まぁまぁね。別に詳しくないけど。知り合いのおっさんがさ、ロック好きなんだ。その人はもっぱらブリティッシュだけどね」
鳥海さんは、僕に携帯を返す時に言ってくれた。
「全然ダサくないよ。むしろいい趣味」
その瞬間、僕は胸が熱くなるのを感じた。
心臓がバクバク早鐘のように打つ。
やばい。
こんなの初めてだぞ。
なんだよ、これ。
※
その日から、僕は鳥海さんが気になって仕方なくなった。
授業中……は、彼女のほうが後ろの席だから見ることはできないけれど。
休み時間とか登下校時に、ふと目で追ってしまう。
そんな僕に気が付いているのかいないのか、たまに目が合うと、微笑んでくれるようになった。
古いロックを聴いてるやつって感じで、なんか認めてくれているみたいだ。
そのことがすごくうれしい。
けれども、少し気になることがあった。
それは、鳥海さんのとある噂だ。
なんか、援交をしてるっていう。
まさか、鳥海さんに限ってそんなことはないと思うけど。
中年のおじさんと一緒にいるところを見かけたというクラスメイトがいるらしい。
その噂を聞いた時、僕の脳裏に、鳥海さんの言葉がよみがえった。
『知り合いのおっさんがさ、ロック好きなんだ』
知り合いのおっさんって誰だよ。
僕はそのことが気になって仕方がない。
まさか、その人が、本当に援交の相手とか?
そんなことを考えると、居ても立っても居られない気持ちになった。
ある日、ごみ当番にあたり、いつもよりも遅い時間に下校すると、少し前に見知った後姿を見かけた。
鳥海さんだった。
そういえば、登下校時は、校庭とかでは見かけても、通学路で見かけたことはなかったな……。
いつも、こんなに遅い時間に帰っているのだろうか。
僕は、声をかけようとした。
が、携帯をいじりながら歩く鳥海さんの後姿を見ていると、援交という文字が浮かんだ。
もしも今、あの携帯で、『おっさん』と連絡を取っているんだったら……。
あぁ!
だめだだめだ!
僕は何を考えているんだ!
と、首をぶんぶんと振っているうちに鳥海さんを見失ってしまった。
「あ、あれ? ついさっきまで前にいたのに」
「こぉら! 須藤!」
「ひゃいっ!」
唐突に後ろから名字を呼ばれて、飛び上がる。
振り向くと鳥海さんがいた。
けたけたと笑っている。
「あはは。びびりすぎぃ」
「いや。だって。驚かすから……」
「驚いたのはこっちだよ。どうしてあたしの後つけてんの?」
じろりと僕をにらむ。
眼光が鋭い。
僕はたじろぎながら、しどろもどろ説明する。
「いや、その。たまたま鳥海さんを見つけて。でも、いつも帰り道で見かけないから。な、何してんのかなって。なんか、声かけづらくって」
「なぁんだ、そんなことか。これよ、これ」
ぴらりと、一枚の紙を取り出す。
「プリント?」
「そっ。授業とか、行事のお知らせとか」
「それが、どうかしたの?」
「届けに来てるの。ずっと休んでる奴の家に」
「あ……」
『ずっと休んでいるクラスメイト』には覚えがあった。
確か、貫井君だ。
通称ポエム王子。
課題の作文ですごく情緒たっぷりの『ポエム』を提出して、ちょっとしたさらし者になってしまった生徒。
それ以来、学校に来なくなってしまったクラスメイト。
なんとなく、彼の気持ちはわかる。
僕も、人づきあいが上手いほうじゃないし、目立つことも苦手だ。
何かがきっかけであんな風に笑いものになってしまったら、家から出れなくなってしまうかもしれない。
「そっか。鳥海さん、プリントを届ける係だったんだ」
「係っていうか……まぁ、他に誰もやんないから」
「そ、そっか」
なんとなく、気まずい沈黙が下りる。
僕はそれを打開したくて口を開いた。
「や、休んでるのって、貫井君のことでしょ?」
「そうだけど……」
「えっと、その。僕さ、彼のあの作文、結構好きだったんだよね」
「え?」
「なんか、その、情緒たっぷりっていうか、雰囲気があるっていうか。ほら、僕も音楽とか好きだから、表現するってことに興味があって。彼のあれって、すごく素直に、気持ちを表現していて、読み上げられた時、いいなって思ったの覚えてる」
「ほ、本当!?」
がばっと音が聞こえそうな勢いで、鳥海さんが僕の手を握った。
うわっ。
あ、温かい。
ってか、手、細い。
やばい。
また心臓が早鐘になる。
「あたしもさ。貫井のあれ、すっごくいいと思ってたんだ」
鳥海さんがキラキラとした瞳を向ける。
「本当に詩的で、言葉に羽根がついてるように軽やかで。そっかぁ、須藤も、いいと思ってたんだ」
「う、うん……」
「えへへ。良かったぁ」
そういった鳥海さんの笑顔は、これまでに見たことがないものだった。
それはかっこいい鳥海さんではなく、優しくて柔らかい、年相応の中学生の女の子らしい鳥海さんの笑顔だった。
その時、僕は知った。
いつものあの、かっこよくて孤独な感じの鳥海さんは、ある種の作り上げられた像なのだということを。
僕がぼんやりと見とれていると、鳥海さんが大切そうに、そっとプリントを貫井君の家のポストに差し込んだ。
その動作はまるで、素敵なプレゼントを、心を込めて差し出すかのように見えた。
「さて、と。これで完了。帰りましょ?」
僕のほうを振り向いた時、もう鳥海さんは、いつものかっこいい鳥海さんに戻っていた。
僕は唐突に胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
それは悔しさに似ていた。
「どうしたの? 須藤?」
心配そうに僕の顔を鳥海さんがのぞき込む。
「大丈夫。なんでもないよ」
僕は無理をして笑顔を作った。
「そう? それならいいけど。須藤ってさ、家どっち? 途中まで一緒に帰る?」
「あ、うん……」
二人で歩く夕暮れの道すがら、僕はずっと、悔しさの理由を探していた。
その答えは、すぐに見つかった。
鳥海さんのあの表情だ。
年相応のやわらかい微笑。
それは僕ではなく、貫井君に向けられていた。
おそらくは、他の誰にも見せないであろう素の彼女。
それが、貫井君にだけ向けられている。
僕はそのことが悔しかったのだ。
けれども、なぜ、貫井君だけがその表情を向けられるのか。
それがわからなかった。
彼は、鳥海さんと知り合いなのか?
今は引きこもっているけれど、以前に何かあったのだろうか?
そのことが気にかかって仕方なかった。
「あ、あのさ、鳥海さん」
「なに?」
「その……貫井君とは、もともと知り合いなの?」
「別に。そういうわけでもないけど」
「あ……そうなんだ」
「どうして?」
「いや、その。プリント届けたりとか。親しげだから」
「親しげっていうか。一目置いてるって感じかな」
「一目?」
「そっ。最初に気になったのはさ。やっぱあの、作文を聞いてから。すごいなって思って。学校のクラスメイトってさ。みんな、他人に合わせて生きてるじゃん。クラスからはみ出ないように、他人からなじられないようにって。あたしらまだ中学生で、子供なのにさ、なんか大人の社会の縮図みたい」
「確かに、そうかも」
「でさ。貫井のあの作文って、そういう『みんなと同じように。はみ出ないように』って枠を軽々と飛び越えてたと思うわけ。それも、すっごく芸術的な方向で。枠からはみ出ようとして、暴れる奴とかもってのほかだけどさ。貫井って、『作品』で枠を飛び越えたわけじゃない。それがすごいなって。尊敬に値するなって」
そう思わない?
問いかけるように僕のほうを見た鳥海さんの表情は、あのキラキラした年相応の笑顔だった。
僕は、うなづいた。
そしてその時、僕は理解した。
僕と貫井君の違いをだ。
僕は、ただ音楽が好きでそれを享受しているだけ。
鳥海さんは聞いている音楽のセンスがいいとほめてくれたけど、僕は『受け手』でしかない。
一方で、貫井君は、『クリエイター』なんだ。
鳥海さんの心を打つ作文を書いて、彼女の特別な存在になった。
僕と彼の違いは、自ら紡いでいるかいないかだ。
「あたし、ここで別れるから」
Y字路で鳥海さんが手を振った。
僕は小さく手を振り消す。
彼女の姿が見えなくなると、一目散に駅裏の繁華街まで走った。
確か、そこに。
楽器店があったはずだ。
※
その日から、僕はバイトに明け暮れた。
基本的に中学生はバイトができない。
だから、バイトを許されている新聞配達を始めた。
新聞配達員にはいろんな人がいた。
耄碌しているのか、いつもわけのわからないことをぶつぶつ言ってるおじいさん。
何かの前科があるらしい太った中年。
まるで歌の題材になりそうな人たちだな、と僕は思った。
ブルース・スプリングスティーンなら、こういう街の吹き溜まりみたいな人々を歌詞に閉じ込めて描写するだろう。
新聞配達のバイトだけではお金が足りないので、年齢を偽って喫茶店でバイトを始めた。
駅裏の繁華街にある「オール・ショック・アップ」という店だ。
店の名前がイかしていた。
エルビスだ。
その店は夜にライブをやっている店で、70年代の洋楽のカバーバンドが時々出ていた。
それが聞きたくて何度か足を運んだことがあった。
楽器を買いたいのだという事情を話すと、店長は僕が子供だとわかった上で働かせてくれた。
「前には出るなよ。皿洗いしとけ」
僕は神妙な顔でうなづいた。
「よぉ。ロックンロール少年」
くわえ煙草の瀬川さんという中年のウェイターは、いつも通りがかりに僕のケツを叩いた。
彼は髪をドレッドロックにしていて、ピースマークのタトゥーを右腕に入れていた。
時々夜の時間帯に地元のロックバンドがやってきて演奏するとき、僕は皿洗いをしながら、その音楽に熱心に耳を傾けた。
ほとんどのバンドが、昔のアメリカのヒット曲か、有名なブルースか、日本のURCフォークをやっていた。
若手バンドは全くいなかった。
ほとんどが、40代以上のおじさんたちのバンドだ。
だがそのほうが僕には心地よかった。
はじめに述べたように、流行には疎いし、肌が合わないのだ。
ある雨の日の夜、たまたま来ていた客の一人が、アコギを持ってきていた。
彼は髪を無造作に伸ばし、髭ずらでやせっぽちで、いかにもうだつの上がらない風体の中年だった。
「ちょっと僕にもやらせてくれないかな」
と唐突に言った。
店長がうなづくと、彼はステージに上がった。
酒が回っていたのかえっちらおっちらという様子で、見ていて心配になった。
だが、ギターを手に取った瞬間、雰囲気が変わった。
ゆったりとした、味わい深い音が、店を満たしていく。
『レイニー・ナイト・イン・ジョージア』だ。
僕はぶっ飛んだ。
名曲だが、こんなにも情感を込めて弾くことができるなんて。
目を閉じると、雨にそぼ濡れた街明かりが浮かんできそうだ。
「皿洗い、ちょっと休んでいいぞ」
店長が僕に声をかけた。
僕は小走りにステージ裏手に行き、夢中になって演奏を見つめた。
そんな僕に、アコギの中年がウィンクをくれた。
「あ、あの人って、もしかしてプロなんですか?」
問いかける僕に店長は、「さぁな」と笑った。
※
そうこうしているうちに金をためた僕は、念願のギターを買った。
アンプで有名なvox社のものだ。
ややマイナーだが、店頭でいくつか音を試して、気に入ったのだ。
「なんか最近、輝いてるじゃん」
ある日、教室で目が合うと、鳥海さんが僕に言った。
「そ、そうかな」
「うん。前はおどおどしてたけど。ちょっと雰囲気が変わった」
僕は頬が熱くなるのを感じた。
ギターを手に入れてからは、猛烈に特訓をした。
教えてくれるような人は誰もいない。
教本と、ネットの動画をお手本に、毎日試行錯誤した。
早く音を紡ぎたかった。
貫井君と、並びたかった。
彼が、言葉の才能を持っているなら、僕は音だ。
彼にできないことをやってやる。
僕は、これまでたくさんの音楽を聴いてきた。
この分野だけは、負けないはずだ。
ある程度弾けるようになっても、ギターを始めたことはまだ鳥海さんには内緒にしていた。
貫井君の言葉は、鳥海さんの心を激しく感動させた。
それに勝つには、ずっと上手くなってからじゃなきゃダメだと思った。
そう思ううちに、どんどんと自分の中のハードルが上がっていき、タイミングを逃してしまった。
はじめは、一曲弾けるようになったらギターを弾けるんだって伝えようと思っていた。
それが、今では、せめてバンドでの演奏を見せるか、自作曲を聴かせるかぐらいはしないと、と思うようになっていた。
とは言え、バンドを結成するのはなかなか難しい。
クラスの音楽好きの連中とは、itunesのプレイリストを笑われて以来、付き合いがなかったし、どうせ音楽の趣味が合うような気はしなかった。
ネットで募集をかけてみることも考えたが、まったく見知らぬ人たちと唐突に出会うのにも抵抗があった。
あれこれと悩んだ末、楽器を買うためにバイトをした喫茶店の店長に訊いてみることにした。
「バンドねぇ」
店長が腕を組んでうなる。
「お前、70年代の音楽が好きだったな」
「は、はい」
僕はうなづいた。
「まぁ、それじゃ、うちに出演してるバンドを紹介してやるよ。武者修行だと思って手伝ってみな」
店長に連れられて、いくつかのバンドに一時的に加入させてくれないかと頭を下げに行った。
相手にもしてくれないバンドが4組あった後で、とあるバンドがやっと受け入れてくれた。
それは、社会人で構成されたロックバンドだった。
古い洋楽のカバーと、時折オリジナルをやる。
リーダーが、伊木幸一という50手前のおじさんで、その人の名字からとって「船酔いイギー」と名乗っていた。
伊木さんは熊のような体格で、髭が濃く、実際の年齢よりも歳を取って見えた。
普段は水道管の工事の会社に勤めているらしかった。
「精一杯頑張ります」
僕がそういうと、伊木さんは頭をはたいた。
「バカ野郎。ガキンチョ。テメェの能力なんかは期待してねぇ」
がはは、と豪快に笑った。
「ただ、ロックやりてぇってテメェの姿勢が気に入ったんだ。失望させるなよ」
僕は神妙にうなづいた。
それからは、今まで以上に忙しくなった。
僕はバイトを続けつつ、間を縫ってギターの練習をして、さらにはバンドとしてパブやクラブに出演した。
アンコールに必ず弾く曲があった。
その曲は、沼のような恋にはまってしまい、抜け出さないと嘆く歌だった。
僕はそれを弾きながら、「それだけ夢中になれるならいいことじゃないか」と思った。
それから、鳥海さんのことを考えた。
僕は、確かに鳥海さんに恋をしていた。
それが原動力になって、貫井君に負けたくない、という気持ちが生まれていた。
ステージに立つ僕は、この瞬間、貫井君に勝っているような気がした。
貫井君。
君は、たった一度だけ素晴らしい作文を書いたかもしれない。
けれども、それだけだ。
君はずっと、あの家に引きこもっている。
僕はその間、こうして世間に揉まれて。
大人たちに交じってバンドで活躍しているんだ。
やがて、大きな歓声。
今日の題目は終了だ。
汗だくになって控室に戻り、タオルで汗を拭くと、パブの飲食スペースに移動する。
ここからは、客との交流と物販の時間だ。
伊木さんたちは、ビールを注文し、煙草を吹かし、聴きに来ていたお客さんたちとおしゃべりを始める。
酒を飲めない僕は、物販スペースで、伊木さんの自主制作したCDの売り子を務める。
5曲入りのepで、伊木さん曰く「人生の記念に」作ったものらしい。
「あのぉ。すんません」
目の細い、中肉中背の男が声を掛けてきた。
「やっぱいいっすね。伊木さんのバンド」
「あ、はい。ありがとうございます」
僕は頭を下げた。
「でもね。なんでガキンチョが最近入ってるんでしょうねぇ。ツイン・ギターの片方の音。稚拙で邪魔でしょうがないんですよねぇ」
男は、細い目をさらに細める。
その目が僕をぬめりと睨んだ。
喧嘩を売っていることは明白だった。
僕が黙っていると、男がさらに口を開いた。
「なんかね。汚いんですよね。音の純度が下がるっていうか。汚れてるんすよね」
細い目の奥の瞳が黒めがちで、ひどく心地悪かった。
その目ににらまれると、この世の憎悪をひとまとめにぶつけられるような気がした。
だが、負けたくなかった。
「だから、なんなんですか?」
僕は声を振り絞った。
すると男は、すんなりと引き下がった。
「それだけですよ。他意はないですよ」
男は手をひらひらとさせて、パブスペースへと去って行った。
僕は唇をかんだ。
伊木さんのバンドに加入して以来、こういうことが時々あった。
中学生が大人に交じってやっているからだろう。
揶揄い易いし、気に食わない人々もいるのだ。
さっきみたいな露骨な言葉もあれば、もっと遠回しな嫌味もあった。
ちょっと前は、見知らぬ男にこんな風に声をかけられたものだ。
「君さ。子供だからみんな優しい目で見てるけどさ。結構間違えてたよ。人が言わないだろうから、僕が言ってあげるけどさ。みんな優しいから。でもさ、優しさに甘えてちゃだめでしょ」
この言葉は、深く僕の胸を刺した。
優しい指摘のふりをして、結局は僕をなじっているだけだからだ。
弾き間違いがあったことぐらいは分かっているし、それを直すよう努力している。
僕は僕なりに努力しているんだ。
ひどく腹が立った。
だが、バンドのことを考えると、言葉を返すことはできない。
ぐっとこらえるしかなかった。
客相手にやるロックは、意外にロックではいられないのだ。
僕は、パブスペースの伊木さんたちバンドメンバーをちらりと見た。
酒を飲み、煙草を吹かしているが、対バンのバンドと頭を下げあい、客たちに媚を売っている。
これからの活動につなげたいと、必死だ。
これが大人のロックなのだ……。
その日の深夜。
僕は伊木さんのバンドメンバーの田無という男に殴られた。
「いってぇ……」
僕は頬を撫でる。
「お前よぉ。ふざけんなよ。客に反抗的な態度すんじゃねぇよ」
「し、してないです……」
「してたんだよ!」
もう一発、今度は腹に蹴りをいれられた。
「おやっさん優しいからよぉ。なんも言わねぇけどよぉ。誰かが教てやらねぇとなんねぇんだよ!」
そう言いながら、もう一発蹴ってくる。
田無は顔を赤くしていた。
酒臭い。
ずいぶんと酔っていた。
僕は痛みとともに、馬鹿らしさが胸にこみあげていた。
また同じだ。
同じ言説だ。
お前は優しさにかまけてる。
何にもわかっちゃいない。
大人が教えてやる。
「あぁ~ぁ」
僕は天を仰いでつぶやいた。
「あほらし」
口にたまった唾を路上に吐き出す。
血が混じっていた。
「なんだよ、その態度はよぉ」
田無が叫ぶ。
「いいっすよ。僕、やめます」
僕は立ち上がった。
ふらつかずに立ち上がろうと努力したのは、僕のせめてものプライドだった。
僕はぺこりと頭を下げた。
田無はそれ以上何もいわなかった。
翌週のバンドの練習のとき、僕は伊木さんにバンドを辞める旨の手紙を手渡した。
バンドを辞めたことがなかったので、どうすればよいのか今一つ分からなかったのだ。
伊木さんは手紙を読んで、僕を一瞥した。
僕の頬はまだかすかにはれていた。
田無は素知らぬ顔をしていた。
伊木さんがつぶやいた。
「律儀だな。何も言わず来なくなるやつも多いのに」
「そうですか?」
「あぁ。お前は律儀だ」
「そうですか……」
しばらく、沈黙があたりを支配した。
「まぁ、これからも頑張れや。お前はまだ若い」
僕は、伊木さんのことはかなり好きだった。
だが、この言葉は妙にカチンときた。
何をどう頑張れというのだ。
適当なことを抜かすな。
僕は十分頑張ってきた。
唇をかみしめ、伊木さんを強く睨むと、一礼してその場を去った。
いつも練習に使っているスタジオは、街はずれのさびれた商店街にあった。
そこから家まで帰るのには、貫井君の家の前を通る。
貫井君はまだ、引きこもっていた。
僕は、彼の家の前で立ち止まり、二階の窓を見つめた。
そこには、分厚い遮光カーテンが敷かれていた。
「出てきなよ、貫井君」
不意にそんな独り言が、口を突いて出た。
言葉が自然にどんどん、僕の口から紡がれていく。
「外の世界はこんな感じだよ。僕は、ここで頑張ってる。君はいつまでそんなところに引っ込んでいるんだ?」
息を吸い込み、声を張り上げた。
「出て来いよ! こっちで勝負しろよ!」
静かな住宅街に、僕の声が響く。
「……何やってんだ、僕は」
気恥ずかしくなり、踵を返す。
貫井君の家を後にしようとした瞬間。
そのとき不意に、何か音楽が聞こえたような気がした。
何か、うなり声のような、ギターの音。
満たされない人間が、音に不満をぶつけているような。
僕は振り返った。
何の変哲もない、いつもの街の路地がそこにあるだけだった。
空を見上げる。
ふと、貫井君の家の二階の窓が目に付いた。
遮光カーテンで遮られたその部屋から、強い音の残滓のようなものが感じられた。
僕は、そこをじっと睨む。
なにも起きない。
「まさかね。はは……」
首を振り、その場を去った。
途中で、以前ギターを買った楽器店の前に来た。
ショウウィンドウ越しに店内を見つめた。
たまたまだと思う。
僕が買ったギターが置いてあったスペースが、ぽっかりと空いたままだった。
空白が、僕に訴えているような気がした。
『君は、もう音楽を辞めるのか?』
わかんないよ、そんなこと。
僕は首を振った。
※
翌日、学校に行くと、鳥海さんと目があった。
僕はなんだか気まずくなって目を伏せた。
「…………」
鳥海さんが、そんな僕をじっと見つめた。
「ねぇ。なんか、あったの」
「なんにもないよ」
「嘘」
「嘘じゃない」
鳥海さんがため息をついた。
「あっそ」
それで黙るかと思ったら、席に着こうとする僕の背中に向かって言葉を投げた。
「ちっとも輝いてないよ。今日のあんた」
僕は振り返ろうとした。
でも、振り返ることができなかった。
やがて授業が始まった。
僕は泣いていた。
音は立てなかった。
だが、とめどなく涙が頬を伝った。
僕は、教科書に顔を隠して、ハンカチで頬をぬぐい続けた。
やがて昼休みがやってきた。
僕は他人と群れるのが嫌いだ。
いつも、一人で校庭の隅で昼食をとっていた。
その日も、ベルが鳴ると同時にさっさと席を立つ。
校舎棟と裏門に囲まれたスペースに小さな中庭とベンチがある。
天気のいい日には、陽がさしてほど良い木漏れ日ができたりする。
そこが僕のいつもの居場所だった。
僕は、登校時にコンビニで購入しておいたパンを2つ食べた。
食べるのは結構速い方だ。
あまり時間をかけず、完食した。
そのままベンチでぼんやりしても良かったが、その日は少し曇っていた。
木漏れ日もささないので気持ち良くもない。
教室に戻ることにした。
ドアを開けると、僕の席のそばに鳥海さんがいた。
「やばっ」
小さくつぶやいて鳥海さんが僕の席から離れる。
なんなんだよ。
僕は席に座り、机の下から教科書を取り出そうとする。
そこに紙切れが入っていた。
そっけない感じのメモ帳を折りたたんだだけのものだ。
どう見てもラブレターの類ではない。
開くと、意外に丁寧な字体でこう書かれていた。
『らしくないぞ。』
単純な一言。
だが、胸にずしりときた。
僕らしさってなんだよ。
鳥海さんに何がわかるんだよ。
でも、妙に胸が暖かい。
僕は振り向いて、鳥海さんを睨む。
「なによ……」
逆にじと目でにらみ返された。
「いや……。ありがと」
僕がそう言うと、鳥海さんは照れたように顔をそむけた。
くそっ。
めっちゃ可愛い。
その表情は、いつものかっこいい鳥海さんよりは、ほんの少しだけ素の鳥海さんに近いように見えた。
あの、貫井君のことを語る時の鳥海さんに。
あの表情が、僕に向けられたのだ。
そう思うと、胸の中のわだかまりがすぅと溶けるようだった。
やがて午後の授業が始まった。
僕は教科書を広げながら、ずっと鳥海さんのことを考えていた。
今日も鳥海さんは、貫井君の家にプリントを届けに行くのだろうか。
みんなの下校よりも少し遅い時間に。
今日は、僕も一緒に行っていいか、聞いてみようか。
現金なものだ。
そんなことを考えていると、自然に笑みが漏れた。
「こりゃっ」
「あいたっ!」
唐突に頭を教科書でこつかれた。
見上げると、小柄な老数学教師のしかめ面があった。
「なにをにやにやしておる」
「す、すいません」
教室にどっと笑いが起こる。
以前僕をバカにしたツーブロック君も笑っていた。
だが、その笑い方は以前のような嫌味には見えなかった。
耳を澄ませば、鳥海さんの晴れやかな笑い声も聞こえた。
※
その日の放課後。
僕は校門で鳥海さんを待った。
みんなが下校し終わったぐらいの時刻に、彼女はやってきた。
「やっ」
できるだけ明るい感じで手を挙げる。
「あれ。須藤じゃん」
鳥海さんがそっけなく言った。
「なにしてんの?」
「待ってた。鳥海さんを」
「あたし?」
「うん。一緒に帰らない?」
「う~ん……」
鳥海さんが、僕の表情をじっと見つめる。
「いいよっ。朝よりもすっきりした表情に戻ってるし」
「なにそれ」
僕たちは夕暮れに赤く染められながら歩きだす。
「だってさ。須藤。最近なんか、いろいろ頑張ってたっぽいのに、今日はボロボロだったから」
「時にはさ。嫌になっちゃうときもあるよ」
「でもさ。それで落ち込み続けてちゃどうしようもないっしょ。やっぱ、らしくならなくちゃ」
「僕らしさって何さ」
「さぁ。あたしの理想の須藤?」
「あはは。なにそれ」
鳥海さんの中の僕の理想像ってどんなんだろう。
「僕がさ、最近頑張ってたのって、何か知ってる?」
「うぅん? たぶんだけど、音楽?」
「うわっ。わかってたの? なんで?」
「なんでって。最近ずっと須藤、休み時間とか授業中とかも、指でギターのコード抑えるような動きしてるし」
「な、なるほどね」
お見通しだったのか。
「それじゃさ」
僕は、ほんの少し、踏み込む。
「僕が、どうして頑張ろうとしていたのかは、知ってる?」
「んんぅ~?」
鳥海さんが、僕の問いかけに、何とも言えないような返事をした。
僕は、自然に足が速くなってしまう。
鳥海さんは、それに合わせてくれた。
一呼吸おいて。
「まぁ、なんとなくね」
鳥海さんが、そう言った。
「なんとなく、だよ?」
僕が顔を赤くして振り向くと、いじわるそうに、にししっと笑った。
はぐらかされているような、核心を突かれたようなその答え。
はっきりとこ答えないことが、回答であるような気がした。
「あのさ、鳥海さんは。今日も、貫井君の家に寄るの?」
「うん。もちろん」
そこにははっきりとした答えがある。
「かなわないなぁ」
僕は言い放った。
その言葉は、秋の夕焼け空にすぅっと吸い込まれる。
「ごめんね。須藤」
「いいよ。別に」
僕たちは、しばらく静かに歩く。
やがて繁華街を抜け、住宅街へと差し掛かる。
「鳥海さんさ、一つ訊いていい?」
「なに?」
「これ、たぶん。っていうか、勘みたいな感じなんだけど」
「うん」
「貫井君ってさ、音楽もやってたり、する?」
「……うん」
鳥海さんが、こくんと、うなづいた。
「これ。確信はないけど、ネットにあげてるの。たぶん、貫井だよ」
彼女が携帯をタップして、動画投稿サイトのある曲をクリック。
音楽が流れだす。
たぶん、オリジナル曲だ。
すごくセンスがいい。
「こんなのもあるよ。別名義だけど、これも多分、貫井。なんかさ。聴いたらわかるんだ」
そういって鳥海さんが携帯をいじくると。
激しい、感情のうねりのようなギターが聞こえてきた。
感情をそのままぶつけるような、ファズで歪んだ。
それは先日、僕が貫井君の家の前で聞いた音の残滓と同じだ。
「は、ははは」
僕は笑った。
笑ってから、なぜ笑ったのだろうと思った。
僕の完敗だった。
なのに、不思議なすがすがしさがある。
「鳥海さん」
僕は鳥海さんをじっと見据えた。
「ありがとう」
今までの自分の皮を脱ぐように、前向きな声を出した。
それは、皮肉でもなんでもなく。
僕の素直な気持ちだった。
うじうじと内向的だった僕に目標を与えてくれたのも。
こうして、僕をまた立ち直らせてくれたのも。
全部君だからだ。
僕は君と出会って、ほんの少し変わることができた。
「いい顔してるよ、須藤!」
鳥海さんが微笑んだ。
僕は、大きくうなづく。
「貫井君の家までは行かないことにするよ。帰ってやることができたんだ」
僕は走り出した。
早くその場を離れたかった。
すがすがしい気持であるはずなのに。
前向きな気持ちのはずなのに。
涙がまたこぼれてきたからだ。
家に帰って、ギターを弾きたくてたまらなかった。
いかがでしたでしょうか。
天使の3Pで何か書きたいなと思って、書き連ねていったら、こんなものになってしまいました。
これって天使の3Pか?と悩んだので、掲載するかどうか悩んだのですが、桜花に視点を当てたお話ということで、なんとか成立しているかなと思い、勇気を出して投稿させていただきました。
少しでも楽しんでいただけると幸いなのですが……。