やはり俺たちの防衛生活はどこかおかしい。 作:ハタナシノオグナ
「ここですと人目に付きますが。」
その意味するところは相手方にも十分に伝わっていることだろう。
事実、険しい顔でこちらを見ていた平塚先生が息を吐く。
昨日の件だ。
それだけ言って背を向けた。昨日の時点で「こう」なることを予見していたふたりは、特に異議もなく後を追ってゆく。
特別棟の廊下、つまり生徒、教諭、用務員を問わず人の往来が途絶えた場所に差し掛かると、平塚先生はリノリウムの床をカッカッと鳴らし、暁法と八幡に向かいあった。
互いに互いを見つめ、しかし口は開かれず……いや、躊躇っている。
ある一方はどう来るのかと、もう一方は怖れから。
―踏み込むべきでないのでは―と、二叉路を前に立ち尽くす。
ひとつは真っ向勝負、ひとつは事なかれ。だが、平塚先生は前者を採るだろう。
「ひとつ…聞きたいことがある。」
「どうぞ」
先に声をあげたのは平塚先生だった。昨日とは違い戸惑いを見せて、訝しみながら、慎重に言葉を選んでいた。
「昨日、私を殴ったな?」
なんてことのない事実確認……なわけがない。
「…………………………それがなにか?」
「それ自体は構わない。甘んじよう。でも、私が聞きたいのはそこじゃない。」
暁法も八幡も、表情を変えず、ただただ聴き流す。聴き促す。
気がつけば、平塚先生の頬には冷や汗が一条這っていた。
「―――
そう訊ねる様子に余裕はなく、取り乱してすらいる。
「拳の感覚では無かった。掌底でも、まして暗器でもない。肝臓に貰ったはずなのに、衝撃は全身にきた。確かに痛みを感じたはずなのに、あざはおろか少しの腫れさえもない。そんなことがただ殴っただけで起こるはずもない。」
疑いは、言葉に連ねるうちに確信に至ったらしい。
「君は……君達は……」
まさか。という台詞ごと息を呑んだ先生は、遂にそれを吐き出そうとして。
「ボーダーなのか?とは言わないでくださいよ」
肯定とも、否定ともとれる、それでいて肯定のみを意味する言葉を以て、八幡がその先を遮った。
「許されるのは思うまでです、そっから先は…」
忠告も含め、敢えて言葉を濁す。
様々な思いが腹に落ちたためか、平塚先生は特別棟の天井を仰ぎ、溜息とともにこぼした。
「……四年前、という言葉の時点で察するべきだったのかもしれないな、私は」
「話はそれで終いですか」
暗に、帰っていいか、と問う暁法を、先生は苦笑しながら引き留めた。
場所を空き教室に改めると、先生は神妙な顔をして頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
「すまなかった。事情も知らずに強引な真似をしたな」
「…そんなもの。さっさと本題に入ってください」
一瞬、言葉に詰まったのはただ驚いていたからだ。
まさか謝罪されるとは思いもよらなかった。予想外にも程がある。
「では、本題だが君達に頼みがある。概ね昨日のままだが、奉仕部へ入ってくれないか」
切り替えの早い先生はもう立ち直っている。
この辺りは年齢による経験の差がものを言うらしい。と、素直に感心してしまう。
「昨日お伝えした通りですが、ならば契約書を作成してください」
同じ条件をそのまま伝える。ここは譲れない、譲らない。
が、先生が首を縦に振ることはなかった。苦い顔が否と代弁している。
「……すまない、それはできない。それでは駄目なんだ。他の事なら最大限譲歩する」
「その内容次第です。先生の保身以外で納得出来る理由を教えてください」
八幡が、そして当然暁法も、理由も聞かずに「はいそうですか」と応えることは無い。
その理由如何では、或いは理念が崇高であってさえ、切って捨てることは吝かでないのだから。むしろ吝かでしかない気もする。
「直感でいい。君達から見て、彼女…雪ノ下雪乃はどう映る?」
「またえらく急ですね」
「答えてくれ」
「……独り相撲」
そうか、と呟いて暁法へと視線を移し、無言の内に問うてくる。
「イカサマ天秤」
八幡よりも抽象的に過ぎる解答だったが、自らの考えに沿うところもあったのだろう。
錆びついた様に重苦しく首肯した。
しかし、ふたりは再度驚かされることとなる。他ならぬ、平塚先生の言によって。
「これは君たちに対しても思っていた事だが、質こそ違えど、まるで病気の様だと感じていた」
絶句。昨日のように冗談さえ挿む隙のない、本当の虚無。
その蛮勇を、無謀を褒め讃えよう。並ならぬ覚悟の上の舌と嘆息せざるを得まい。これまでの暁法らの用心深さを目の当たりにすれば、録音や録画に備えて然るべきであり、事実暁法と八幡はそれぞれが録音・録画をしていた。さらには、平塚先生もそれを悟り、備えていた節さえあった。その上で、つまりは不特定多数を前に、生徒を病気と中傷したのだ。
息つく暇さえ失ったふたりを前に、なおもその弁は続く。
「彼女は往々にして正しかった。ただし、それは社会的な、つまり普通の人の正しさではなかったんだ。……杜は、さきほど”イカサマ天秤”と言ったが、それはある一面では正しいのだろう。秤に掛けるものが人と違っただけだからな。」
同情には値しうる。それは、自ら優越の裏返しでもあるが。
「現実の倫理観が彼女の様な正しさを産んだ筈なのに、現実は正しくある必要が無かった。苦しんだ事だろう、苦しんでいる事だろう。そして、苦しむ事だろう。私は……そんな彼女を助けたいのだ。決して救うでなく、助けたい。」
「それで? 今の内容に俺らが関わる謂れが何処にあるんです」
心情の問題に会話がシフトしたところに、暁法が待ったをかける。
「先ほども言っただろう?私は、君達も病的と感じている。同じ様な君達に対しても彼女は有効な相手だと考えていたんだ。あっさりと流されてはしまったがね」
そう言って憂えた笑みを見せる姿からは、暴君じみた昨日の様子はとても窺えない。
遠い所で、それに、という声を聴いた気がして、再び意識を取り戻す。
「幸いな事に、私は職責という言葉でもってお節介をやくことができた。とは言え、今のところ上手くいっているとは言えないがね。我々教員がよく口にする『生徒の自主性』というお題目に反する事にはなるが、近頃の問題児は優秀なのが多いからな。せいぜい高校生の今、この時期から、社会に合わなかった。というだけで埋もれさせてしまうには惜しいじゃないか」
「昨日も言ったように、君達は本当に完成に近い人間だ。きっと私よりもずっと、な。矛盾だろうが何だろうが、自分で考えて腹の中へ収めてしまえる。だが、だからこそ生徒然としていない。そうあるべきだとは言わんが、そうあって欲しい。勝手な願いとは理解しているさ。」
「それに、君達の様に強い人間ばかりでもない。彼女自身は否定するだろうが、雪ノ下がその例だ。彼女は、君達のように隣に居る者に恵まれなかった。その結果が世間一般から捉えた偏執、偏重、偏屈の自縄自縛だ。そんな彼女に、救いなんてなくとも、助けがあって何が悪い。
決して大きくはならない声で、最後は嘆く様に言葉を吐き出す先生は本心から願っているのだろう。国語教師らしい饒舌さを何度も
あの女、雪ノ下雪乃の闘争への助太刀を。或いは、逃走への先立ちを。
それをしてくれと、彼女の『先』を知るものに託そうとした。
「……ひとまず、事情は伺いました。契約書類を拒む訳も、あくまでも学校生活の一環でないと助ける事にならないからという性質も把握しました」
慮外に驚かされた事が原因で、または昨晩の寝不足が祟ってか、八幡は未だに考えを纏めきれずにいた……いや、それでは多少の齟齬が生じよう。
転んでもタダでは起きない為に、対抗策は昨日のうちから練っていた。問題は、その帰結へのハシゴの架け方。コレばかりはアドリブだ。
しかし残念ながら、現状のコンディションでは最優の結果を弾き出すことは難しい。
八幡は、これまで頑なに沈黙を守っていた暁法と交代を申し出た。
「……わりぃ、ちょっと眠過ぎて朦朧としてきた。ノリ、パス」
そう言って適当な机に突っ伏して寝息を立て始めた。
「……はっ? ちょ、比企谷?」
余りの出来事にポカーンとしていた平塚先生だったが、もうひとりこの場にいたことを思い出し、壁にもたれて居たそいつに目を向ける。
「お、おい……杜?」
動きがないことに不安を覚え、顔を覗き込むと。
――果たして、彼は眠っていた。
「えっ」
スヤスヤと眠る生徒ふたりと、先ほどまで重い告白をしていたはずの女性教師。
「はは……私の覚悟はなんだったんだ……?」
途方に暮れた平塚静は、杜妹を呼び出す事にした。
感想を頂いて少し触れましたがここでも一言。
原作と違う物語である時点でアンチタグは避けられ得ぬものであると覚悟しております。
しかし、『原作とは別物である』からといってそこに必ずしもヘイトが伴うかと自らに問えば、また勝手ながら「それは違うのではないか」とも思うのです。
とはいえ、作者がいくら己の内で結論を打ち出そうともそれもまた仕方のないことでしょう。喋るのはキャラだけ……という事です。
そこで読者の皆様に力をお借りいたします。
どうぞこれからもお付き合いの上、『これは○○だ』と感じてくださいませ。
それをお楽しみいただけたら作者冥利に尽きるというものでございます。
それではまた