イデア9942 彼は如何にして命を語るか 作:M002
※10・07に微妙に文章校正
「あの……はじめまして、ですよね。私はパスカルと申します」
「平和主義の反復者か。噂には聞いている。私はアダムだ」
廃工場の入り口前。
特に何の妨害もなく辿り着けた彼らは、戦闘中のイヴたちと違って暇を持て余しているということもあって、積極的にコミュニケーションを取るタイプのパスカルから話が切り出された。
「おまえは知識を得ることを第一としているようだな」
「ええ、知識を得て、村の皆を守るのが私の役目ですから。誰に言われるまでもなく、私がそうしたいと思って始めたこと」
「なるほど、それなら、私一人の意見ではどうしても行き詰まったことが幾つかある。そこの……教祖にも、少し聞いてもらいたい」
「アダム殿だったか、我のような新参者で良ければ、いくらでも知恵を貸そう。それよりもだ、我はキェルケゴールと言う」
「キェルケゴールか、確かに覚えたぞ」
それから、教団の信者たちに辺りを警戒させ(もちろんアダムも話しながら周囲に注意を向ける思考を分割している)、3体の機械生命体はあらゆる意見の交換を始めた。
アダムはパスカルの叡智に瞠目し、パスカルはアダムの貪欲さに目を輝かせる。キェルケゴールはアダムの個人を主体とする思想に興味を示し、アダムはキェルケゴールの心をまとめ上げる手腕に感心する。
三者三様、見る角度が違えば、その感じる世界すら違う。同じ機械生命体でも、ここまで大きく道を違え、道を交わらせたものは、機械生命体の歴史4000年を遡ってもそうは居ないだろう。
「……ほう、そうか。いい子だ、すぐに戻ってこい」
「ああ、2Bさんたちが」
「今しがた戦闘が終わったらしい。だが珍しいな、イヴが私以外のことで喜びらしきものを見せているなんて」
やつも変わってきている、ということか。
アダムは話を切り上げながらも、あのネットワーク上の仮想空間での出会いを思い出していた。イデア9942、あの個体と出会ってからと言うもの、悩みが絶えない。だがその悩みこそがアダムを今の形に落ち着かせ、その行動一つで「死」を望んでいたあの戦闘を生き延びてしまった。
「……イデア9942、か」
イデア9942が迷いを与え、彼に影響された2Bが迷いを振り切るきっかけになった。抱く気持ちと、それが齎す未来に問いを投げかけてくる存在、とアダムは認識している。
思わず出てきたそれの個体名に、まるで恋い焦がれる乙女のようだと、直近に呼んでいた恋愛小説の一文を思い出す。
口に曲げた人差し指を当て、ふぅとアダムは息を吐き出す。
不可思議さでは、到底やつに叶うものもいるまい、と。
「ふふふ、彼のことが気になりますか?」
そこで話しかけてきたのはパスカルだ。
パスカルにしてみれば、イデア9942は語るに語り尽くせない長い知り合いである。そして彼に知らされた幾つかの衝撃の事実。それらは確かにパスカルの行動方針や、村の方向性に別の可能性を与えられてきた。例えば、8Bたち脱走ヨルハ機体の定住許可、村の拡張計画、そして今回のような、別の思想を持った集団の受け入れ体制。
きっと平和主義しか居ない村という、ある意味で排他的な選択肢も取っていたかもしれない。だが、現状はそうではない。今は前よりもずっと個性的なものたちに囲まれ、和気藹々とした暮らしを送ることが出来ているのだから。
「知り合いか」
「ええ、それなりのおつきあいです」
だからこそ、アダムの問いにもそう答えた。
声に喜色を乗せながら、パスカルは自慢を滲ませた調子で言うのである。彼のことを知りたいのか。私の誇らしい友人である、イデア9942のことを、と。本人が聞けば辞めてくれと頭を抱えそうな事を、自信満々に。
「パスカル殿がソレほどまでに言う相手か。我も、気になるな、その人物が」
「…ふむ、まぁ丁度いい機会でもある。パスカル、聞かせてもらえないか。イデア9942という個体が一体なにをしてきたのかを」
二人の新たなる友人に尋ねられ、パスカルは一つ頷いた。
「ええ、彼はですね―――」
「わからんな」
入り口の扉を開いた彼は、そう呟いた。
時は少しばかり遡る。
噂の人物、イデア9942。彼が何をしていたかというと、何の事はない。機能停止した16Dを追いかける命令を受けていた二体のヨルハ機体、11Sと7Eの介抱である。
傷口には回復薬を浸らせ、ショートを起こしている運動回路にはイデア9942が直接手間を加えて正常な動作をするように組み直している。最初の頃の11Bと内部構造は同じなのだ。彼が傷ついたヨルハ機体を直すのに、さほど労力は必要としなかった。
「……論理ウィルスの除去を確認。攻撃時に物理汚染されていたか……この身も後でオーバーホールくらいはやッておかねばなァ」
11Sを横抱きにしながら、その口の中に回復薬を流し込む。
内部構造に関しては背中を開いての処置になるが、11Bと違ってイデア9942はまだこの二人とそう親密なわけではない。内側の損傷については軽いということもあって、仰向けに寝かせて重力に任せて飲み込ませる。こういう時、アンドロイドは便利だ。専門の知識がなくとも気道に液体が詰まって死亡、ということはない。
面倒だ、面倒だ、と繰り返しながらもイデア9942はテキパキと治療作業を進めていく。
未だ機械的な部分を多く残す「機械生命体」が絶対に吐かないような言葉を繰り返す。ここまでのことは自分の命を賭けるに値する行動だからやってきたが、彼の本質などこんなものだ。所詮は人間の性格の一つ。少し探せばどこにでもいるような本質だ。
しかしそんな彼も、自身の危機ともなれば決断は結構早い。
たとえば、今のように。
「うん? 論理ウィルスの検知だ…!?」
言い切る前に、彼は手に持った斧の柄で不意の一撃をふせいだ。
ガキィン、と荒い金属音が彼の意識を切り替えさせる。
更に踏み込み、手が沈みかけている事に気づいた彼は、そのまま横に衝撃を受け流しながらバックステップ。左手で帽子を押さえながら、ゆらめき幽鬼のように立ち上がった二人を見る。
「アハハ! みつけたミツけタよー!」
「みつけた、みつけた」
「貴様ら……まさか」
見るからに操られたと分かる11Sと7Eの異変。
刃先を向けながら、彼は憶測を口にする。
「機械生命体……その概念人格か」
「うふふ、せいか~い!」
言いながら、7Eが切りかかってくる。
E型は、B型に比べて対アンドロイド戦を想定している。堅牢な装甲こそ破壊できる膂力はないが、卓越した技術と確実に攻撃を当てようとしてくる嫌らしさは、実に暗殺向きだ。機械の意識の外という、我々の想像の範疇にないような隙を狙ってくるのだから。
「このタイミングで……何故」
イデア9942にできることと言えば、初速や人工筋肉の動き、踏み込みの位置や空気の淀み、それらの他多種多様な要素を全て観測対象とし、高速演算して攻撃先を0.5秒前に算出する事しか出来ない。
そのうち参戦してきた11Sの単調な攻撃も加えて、イデア9942は更に疲弊を覚えることになる。機械に体力はなくとも、耐久力はある。打ち込まれ続ければ、モノが砕けるのは必定なのだから。
「みつけた、みつけた」
「よこせ」
「よこせ、みつけた」
「おまえのみつけた」
「みつけたおまえの」
「中に」
「見つけたのだ」
「魂だ」
「それを」
「ようやく」
繋がっているようで、別々のようで、論理ウィルスに思考を支配され、痛んだ体を酷使されるヨルハ機体たち。だが、侵食率は16Dの比ではない。まだ間に合う。手に汗握る感覚を思い出しながら、イデア9942は斧を近くに突き立てる。
「良いだろう、君たちの挑発に乗ッてやる。逆に食い尽くされても文句は受け付けんが、構わんな」
「愚かな」
「愚かだ」
「どちらかが愚かなものか」
彼は両手を翳し、同時に操られたヨルハの二機にハッキングを仕掛けた。言葉にして、やっていることは簡単そうに見えるが、人間の難易度でいうなら両手で同時にプラモデル作成と数学の問題を解いているようなものだ。
そして彼の、彼だけの戦いが此処に始まった。
決して語られることもない、彼の戦いが。
「にぃちゃん!」
工場廃墟から外に出る通路。そこから、アダムの顔を確認した途端に笑顔いっぱいになったイヴが飛びついた。地面にクレーターを作りながらも受け止めるアダム。おれ、やったよ・ちゃんとできたよと両手を掴んで跳ねるイヴに苦笑しながらも、よくやったな、と彼は褒めた。
「うん、にぃちゃんが言ってくれたからな! おかげで誰も死ななかったんだ」
「アダムさんだっけ、アナタの弟さん強いね。何回も落ちそうになったの助けてもらっちゃった」
「構わんさ、だが、こうしてお前たちの全員無事の脱出が達成されたわけだ。私たちはこのあたりで、お暇させて頂くとしよう」
「ってことは……」
イヴが期待したような瞳でアダムを見つめる。
彼は今度こそ、ふっと小さな笑みを浮かべた。
「ああ、お前と遊ぶ時間だ。さて、まずはどこに行きたいんだ?」
「前の昼寝したとこにいこうぜ。俺、あそこでにぃちゃんとチェスってのがやりたいんだ」
「ほう、チェス。面白そうだ」
そう言いながら、体を金の粒子に変えてく兄弟。
彼らの体はコアを中心に、ケイ素のようなもので編まれた特殊な体だ。人間に質感や外観は似ていようとも、その本質は変わらない。
その最中だ、風に溶けて森へと飛びそうになったその二人に、2Bがつかつかとヒールの音を響かせながら近づいていく。
「なんだ、2B」
素直に思った疑問を口にしたアダムに対し、2Bは俯く。
そして少し首を横に降ったあと、聞こえるか聞こえないか位の声で言った。
「助力に、感謝する」
「……ふっ、意外と素直なのだな」
いつしかのアネモネと同じことを言われ、彼女が面食らっている間にアダム達は完全に風と共に消え去った。解けた金の風が向かう先を感慨深げに見つめていた2Bは、その肩にポンと、手を置かれた。
「へぇ、良いもの聞いちゃったかも」
もちろんこんな気安い真似をするのは11Bだけだ。
良くも悪くもイデア9942の影響を受けた彼女は、当初よりもずっと天然の入った天真爛漫な性格になっている。イデア9942とその居場所については狂気的な面も垣間見えるが、そこ以外は至って理性的であり、本能的だった。
顔が明らかに楽しんでいる11Bに、ゴーグルの下から見えそうで見えない程度に頬を赤らめる2Bは、絞り出すような声で反論することしかできなかった。
「いまのは忘れて」
「んー…まぁいっか。じゃあ貸し一つってことで」
「貸し?」
「黙っててあげるから、今度何か協力とかお願いを聞いてほしいってことだよ」
「……それなら、一つ借りる」
「オッケー」
ヨルハ流女子会をしているところに、ガションガションと特徴的な足跡の人物が近づいてくる。そう、これまでキェルケゴールと話し合っていたパスカルだ。
「2Bさん、11Bさん、この度は誠にありがとうございました」
「私達も脱出する必要があったから」
「ご謙遜なさらないでください。何度も敵を前にして、私達に攻撃が届かないようにしていた配慮は伝わってますから」
「………」
パスカルにまで言葉で言い負かされ、今度こそ閉口する2B。
彼女はそのまま背を向けると、恥ずかしさを隠すようにして走り去っていってしまった。
「あらら…少し言い過ぎちゃいましたか」
「パスカルってそんな事言う感じだっけ?」
「……あ、わ、私は皮肉を言ったわけでは」
「分かってるって」
そこから話は本題に戻っていった。
どうやら、キェルケゴールはパスカルの申し出を受け、あの村の近くに教会を立ててそこで信者たちと過ごすことにしたらしい。そしてパスカルは彼らの流入を機に、村を発展・拡大させ、子どもたちがのびのびと遊べる広場を作ろうとしているのだとか。
「そういうことですので、やることが山積みです。私たちもこの辺りで村に向かいます」
「うむ、我らも建築した新たな教会で汝らを待っているぞ。今度、イデア9942殿を連れてきてもらえばなお助かるが」
「わかった。それじゃあ必ず連れて行くよ。きっとアナタ達みたいな機械生命体、彼は好きだからさ」
「そうか…故にこそ、期待が膨らむというものよ」
それから二言、三言と。
言葉をかわした11Bは別れを告げて、その足を工房に向けた。
ようやくイデア9942に会える。
帰ったら抱きつこうかな、飛び込もうかな、それとも。楽しい空想が11Bの中で溢れ始め、その期待は工房を隠している廃ビルが近づいてくるに連れて高まっていった。
さほど時間も掛けずに辿り着いた彼女は、ふと異様なまでのオイル臭さに気がつく。ずっと嗅覚を刺激するこの香りも、ぶちまけられてしまえばタダの燃料ということだろうか。不快感が背中を駆け巡る。
「ただいまー」
悩んでいても仕方がない、今の悪寒はきっとただの悪夢だと。
イデア9942のことを探しながら、彼女は視線を下げて入ってくる。
「ねぇイデア9942、いつになったら、海、の……」
がらん、と転がるパイプが挨拶代わりに鳴った。そしていつも拠点に戻る頃には、感じていた確かな温かさ。それが今、ここにはない。
11Bの言葉が凍りついた。
ぴちょん、ぴちょん、赤い液体が滴り落ちる。
これは見たことがある。血だ。アンドロイド(や人型機械生命体)の血のようなものだ。そして、寝台に転がっている16Dだったものの残骸。忘れるはずもない、あの顔のパーツを。
だが、そんなことよりも。
「い、イデア9942…? どこ!?」
16Dの事も気になったが。今の彼女を揺さぶるだけの効力は無い。バッ、と乱暴に扉を開け放って地上に戻る11B。入口近くの違和感を感じ、彼女は目を凝らして周囲を見る。
小さな足が踏み込んだ汚れ、割れていなかった瓦礫の欠片。嵌め込まれていた窓が荒らされているかと思えば、必要最小限の大事な物……イデア9942だけがどこにも見つからない。
呼吸は落ち着かなく、顔色は最悪だ。
「いか、なきゃ……」
それでも使命感に突き動かされるマリオネットのように体が動く。ぎこちない動きで三式戦術刀を右手に、彼からの贈り物である銃を左手に構えた11Bは、イデア9942の情報を探すため、孤独な戦いに身を投じはじめた。
最近11Bがはっちゃけすぎて辛い
そしてようやく出てきた主人公&囚われ?のヨルハ。
今回ばかりは投稿し直すかもしれません。
何より眠気がやばい今日も最後まで半分寝ながら書いちゃってたので、ラストあたりロクに打ち込めてないです
そうなった時は別の世界線だったんだな!的な感じで進行します