イデア9942 彼は如何にして命を語るか   作:M002

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原作主人公たちをクローズアップ
ひとまずの区切りです

※これから3~4日に一回の不定期更新になりますが、完結も間近です。
 あと少しだけ、おつきあいください


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 9Sにとって、2Bの秘密は知りたいとは思うが、ソレだけのものだった。これまで多くの経験をともにしてきた2B。愛しいと思える相手。知的好奇心を刺激しつつも、彼女が隣りにいるだけで満足できるような、もどかしいような。

 人間のような感情を持つことができて、胸に暖かな気持ちを抱くことが出来る。だからこそ、9Sは彼女の秘密を暴こうと、もうそんな気は起きなくなってしまっていた。

 

 バンカーで彼女が見せた、あの弱々しい姿を見たときから。

 

「……本当に、今言わないといけないことなんですか?」

「きっと今を逃したら、ずっと逃げたままだと思うから」

 

 バンカーに似て非なる純白の空間。そして誰にも邪魔されない空間だ。機械生命体は襲ってこない、ただただ静かな道だけが彼女らの目の前に続いている。カツ、カツ、と。2Bのヒールだけが耳を強く打つ。

 監視もない、本当に二人だけの世界だった。

 

 2Bは、もしかしたら待ち望んでいたのかもしれない。

 いつの間にか惹かれていた、(9S)と二人っきりになれる、隔離された世界に訪れることを。

 

「わかったよ、2B。僕に、聞かせてくれませんか?」

 

 だけど、彼が受け入れてくれるとは思わなくて、彼女は足を止める。

 ゴーグルが無いことでよく見える、彼女のくすんだ青い瞳が、キュッと絞られて瞳を小さくした。ああ、結局、今の今まで一方通行の思い出しか無かったのだと思い知らされる。

 

 2Bは、9Sを受け入れる覚悟をしていた。

 9Sは、2Bを受け入れる覚悟をしていた。

 たったソレだけのことなのに、彼女たちはその意志を交差させることはできていなかったのだ。

 

「2B?」

「……うん、歩きながら、行こう」

「…はいっ」

 

 頷いた9Sは、2Bと同じ方向に足の先を向ける。

 宙に浮いているかのような細長く、真っ白な通路。

 彼女は機械らしく、迷いもない真っ直ぐな足取りで、先を進む。

 9Sの方へと視線を向ける。目元は、柔らかく下げられていた。

 

 慈愛に満ちた表情、とでも言ったら良いのだろうか。

 9Sは困惑していた。ゴーグルを取った彼女の素顔もそうだが、これほど感情を表に出している姿を見たことがなかったからだ。いつも、自分のことを「感情を出してはいけない」と窘めているのに。

 

「不思議かな」

「いえ……その、2Bの表情。僕は……いいと、うん。そう、思います」

「いつもの9Sらしくないね」

「仕方ないですよ! どうしたんですか2B」

「うん、だから、こうでもしないと言えないと思ったんだ」

 

 いつもの任務のときよりも、ずっと女性らしい柔らかな口調だった。

 公私を分けるというより、公が私のようなイメージも崩れる柔らかな素顔。いや、素顔というよりも、2Bが9Sの前で見せておきたい姿と言ったほうが正確だろうか。現に2Bはこんな表情をしたことはないし、見せたこともない。

 全ては9Sのため。彼を驚かせてあげたい、というささやかな思いつきだ。

 

「……わかった、わかりました! 十分に驚いたので、もう何を言われても驚きませんよ。2B」

「……そう、か」

 

 機械生命体がいつ襲ってくるかもしれないというのに、呑気だと言うのは場違いだろう。現にポッドたちは黙っているし、これから2Bが言おうとしていることに対し、ポッド042は口を挟まない。

 それはつまり、バンカーから正式に「そういう」通達がされているということだ。

 

 あえてこの状況に陥った理由を言うならば、そう。イデア9942と関わってしまったのが、「ヨルハ計画の」運の尽きだったことか。

 

「私は、アンドロイドのために戦っていた。2Bというモデル名は偽りのもの」

「……」

 

 2B、というモデル。

 それすらも偽りだと、彼女は己を否定するかのように言ってみせた。

 9Sは歯を噛み締めて「悔しさ」を感じるばかりで、何も言わない。

 

「製造当初のモデルは、2E」

「……ヨルハにとって不都合な真実に近づいたもの、裏切り者を処分するための機体。あの赤髪のアンドロイドと別れた後、あなたが言っていた事はつまり」

「そう、あの時は知られたくなかった。9Sにそういうモデルがあることを知らせると、疑問を持つ可能性が上がるから」

 

 そうだ。9Sは、彼女を真に愛しく思うその前までは、2Bの動きや下される指令に対して疑問を抱いたこともある。もしかしたら、自分が覚えていない中で「そうした任務」が自分を破壊していたのかもしれない。

 今2Bが明かした2Eという真のモデル名、そして9Sに対する情報隠匿。この二つの要素だけで、9Sの中では一つの結論が導き出されていた。

 

「2B、ごめんなさい。僕を何度も、殺しているってことですよね」

「……9Sはすごいね。そうやって、すぐにたどり着いてしまう」

「そんなことありませんよ。僕はただ知りたがって突っ込んで……殺される。きっと、旧時代の物語に多く居た、その程度の存在だったんでしょう」

 

 くっ、と自嘲するように吐き捨てた9S。

 2Bは首を振った。

 

「そんなこと―――」

「でも」

 

 彼女の言葉を手と口で遮って、彼は伝えたかったのだ。

 それだけではないのだと。自分はもっと、

 

「僕はきっと、その輪から抜け出せたんですね」

「……うん」

「だったら、安心だ。2Bは僕を殺して悲しんでいたんだとしたら、もう悲しまずに済むんだから。2B、僕はあなたの側にいるだけで、どれほど楽しい気持ちになっているのかって、考えたことあります?」

 

 答えられない2Bに、9Sは微笑を浮かべて続けた。

 

「きっと、そんなことばかり考えて、できなかったんですよね。でも、僕は殺されるためだけだとしても、あなたと再会できるなら……次の処刑のためだとしても、きっと喜んで会うんですよ。あなたが再会するたびに、傷つくことも知らないで」

 

 打ち明けられたことが原因なんかじゃない。

 どんどん強くなっていく感情。

 アダムに暴かれ、イデア9942に諭されて。

 その感情の正体を、この瞬間にようやく整理することが出来た。

 

「それでも2B。僕はあなたが幸せであることを願いたいんだ。機械生命体の話を聞き入れるほどの優しさを持っているあなたと、一緒に世界を見て回りたいんだ」

 

 まるでプロポーズのようだと頬を赤く染めながら、彼はゴーグルを外した。

 2Bと同じ、くすんだ青色の瞳。

 自然と立ち止まった二人は、目を合わせて向かい合う。

 

「なんて、僕なんかに言われても嬉しくないかもしれないけど……」

 

 頬を指で掻きながら、前言を撤回しようとする彼を2Bは否定した。

 必死に首を振って、彼の右手を両手で包む。

 一瞬、その視線を宙に彷徨わせて、すぐに視線を交わし合う。

 冬場の吐息のように、彼を包む優しい声色が9Sの耳を打った。

 

「そんなこと無いっ。だって私は、9Sを……君と、一緒に過ごす日々は……私にとって、光そのものなんだ。………もう、この気持ちに気づいた以上……私は。……わたし、は」

 

 声が震えていく。9Sは静かに、彼女の言葉に耳を傾ける。

 一度目を閉じて、呼吸を一つ。

 それでも震えが収まらない。だけど、伝えておきたい最後の一言が、ある。

 

「君と、一緒にいたい」

「2B」

「…えっ」

 

 ぐっと手を引かれて、おもわず姿勢が崩れる。

 9Sが抱き寄せたのだ。そう気づいたときには、彼の小さな腕が背中に周り、優しく抱きしめられていた。柔らかな人工皮膚が、服越しでも感触を伝えてくる。まるで心臓のように脈動する動力炉の音色が、直に伝わってくる。

 

「2B、僕はあなたに殺されることも……良いと思ってます」

「だって、そんな」

「いいんです。僕はあなたに殺されるなら、本望です。それに、僕もあなたのことが好きなんだ。この気持ちに嘘偽りなんて、どこにもない」

 

 好きだ、と言われる。胸の内を締め付けるような謎の痛みに、2Bは苛まれる。9Sの口は2Bの耳の真横にあって、表情は見えずとも、9Sの頬は分かりやすいほどに真っ赤になっていた。

 

「でも、そう思うと同時にあなたのことを……めちゃくちゃになるまで殺したいとも思ってるんです」

「……」

 

 2Bは、ハッと冷水を浴びせられるような気持ちにさせられた。

 それは9Sが物騒な事を口走ったからなんかじゃない。2Bがいつも9Sを殺すときに感じていた、悲壮感、絶望、後悔……そして快楽。心の何処かで、また愛しい9Sを殺したいと思っている自分と、全く同じ考えを9Sも持っていたのだ。

 こんな醜い感情が知られてしまったのかと、2Bは恐れた。だが、現実は彼女が思っているよりもずっと――

 

「おかしい、ですよね。人間はこんな、愛に殺意を乗せることなんてしません。でも僕は、あなたを愛したいと思うほどに、あなたを殺したいと、同じく想ってしまうんです。何よりも大切なあなたを、傷つけてしまうことを望んでいるんです」

「……私、も。同じ、だから」

 

 絞り出された彼女の言葉に、9Sは目を見開いて、納得したように目を伏せた。彼の表情は憎々しげに歪められて、しかし彼女に知られないようにすぐに戻される。

 

「……2B……ハハ、そっか。そういうことだったんだ」

「9S?」

「いえ、なんでもありません2B。ヨルハがどういうものか、ちょっと知ってしまっただけです」

 

 2Bを抱いていた手を離して、9Sは身を引いた。9Sの言葉に一瞬疑問を抱いた彼女も、しばらくしてその言葉の意味に気付く。ああ、そういうことだったのか、と。

 

「ねぇ2B。司令官から、秘密のメールでなんて言われたの?」

「……人類の不在が、地上のアンドロイドたちに知られ始めている。だけど、懸念していた士気の低下は収まり、それどころか機械生命体との友好を結ぼうとする動きになった。ヨルハ計画によるアンドロイドの士気向上のための、人類生存の偽装情報は意味をなさない。秘密を知りやすい9Sモデルの抹殺は……」

 

 どこか喜色を含みながらも、震える声で彼女が続ける。

 

「取り消す、と」

「そっか……」

 

 9Sはそれっきり、何も言わなくなった。

 薄々予想していた、司令官直々の命令だったのだ。そこから開放された2Bは、真の2Eとしての意味を失い、こうして不安定に揺れているということか。9Sが疑問として抱いた、唐突な2Bのカミングアウトの理由に、ようやく納得がいった。

 

「それなら、僕が知る2Bとして…一緒にいましょう」

「2Bとして……?」

「ええ、なんたって僕の知る2Bはあなただけだから。2Eなんて前の僕が見ていた顔なんて知りません。きっと、2Bにとってこの言葉が新しい傷になったとしても、今のうちに言っておきます」

 

 だって。

 9Sは心から、笑みを浮かべる。

 もう咎めるものは誰もいない。気持ちを抑える必要も、ない。

 邪魔な機械生命体も、自分たちを縛る規律も今は関係がない。

 

 特大の気持ちを込めて、言うんだ。

 

「今の僕は、今のあなたが好きだから」

「ああ……9S……」

 

 彼の予想通り、2Bの心を大きく抉った一言は、彼女の涙腺を破壊した。

 止められない涙を何度も何度も拭いながら、水気を吸ってよれた袖の奥から、彼女は何度もしゃくりあげる。両手で顔を覆っても、発露した感情までは隠せない。

 

 2号モデルの人格は、冷静沈着なんかじゃない。

 ずっと平凡で、特徴もない……それこそ、人のような感情が礎だ。幾度となく9Sを殺し、9Sと共に過ごしてきたことで成長してきただけ。成長が素を覆い隠す殻を作っていた。

 その殻が、他でもない成長の助けとなった彼の手で剥がされた。そうなってしまえば2Bの閉じ込めてきた感情は、奔流となって流れ出るだけだった。

 

「ありがとう……ナインズ」

「……やっと、呼んでくれましたね」

 







バンカーが存続する以上、きっと彼らの望みは叶うでしょうね。
命令で殺し殺されることはなくなっても、彼ら自身が願う限り。




連載当初から少し遅いけど注意書きです

この小説は理想(イデア)で出来ています。
お読みの際はご都合主義な内容もあると思いますので、ご注意ください。
この注意を見て嫌悪感を感じた方は、ブラウザバックをお願いします

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