イデア9942 彼は如何にして命を語るか 作:M002
遊びたいよお
11/04 文書9.documentと辻褄が合うように書き直しました
以上、現状投稿しているうちの大まかな修正は終了。ついでに修正した話は少しだけ加筆して状況の説明や戦闘描写のミニ追加。細かい点や22Bと64Bの入れ替わり程度なので、大筋は変わりません
「ヨルハ部隊の破棄、か。最初にこの資料を見つけた時は目を疑ったよ。まさか、ヨルハという特徴的なアンドロイドに憐れみの感情を抱くことになろうとは、思いもよらなかった」
彼の手の上で揺れる、資料のホログラム。
司令官にすら閲覧を許さないヨルハ計画のSSレベルの極秘資料は、いまやアダムという特異個体の掌で転がされるだけの紙切れと化している。とはいえ、この極秘中の極秘たるヨルハを覆す真実の塊は、一体どこで手に入れたのか。
イデア9942はそこを聞こうとしたが、やめた。まずはアダムの考えをしっかりと受け止め、その上で判断しなければならない。だが彼がそうした考えを口に出す前に、動いたのは他でもない、元ヨルハ部隊所属の11Bであった。
「憐れむって……アナタたちがそうまで言うほど、ひどいこと書いてあるのかな?」
「タイトルを見れば分かるだろう、11B」
「廃棄について……そりゃまぁ、設立当初から捨てられる前提なのは確かにムカつくけど。それに関しては前に結論だしたもん」
「……うん? イデア9942。貴様はこのヨルハにどういう教育をしてきたんだ?」
思っていた反応と違い、11Bはこの真実についてあまりにもサバサバとしていたからだろう。アダムが訝しげに、額にシワを寄せてイデア9942に問うてくる。
「どう、と言われてもなァ。まァ普通に情緒を教え、感情の制限を取ッ払い、この子が望むがままに戦わせ、そして相棒の誓いを結んだ。その過程で少々突拍子もない事をしたかもしれんが、それだけだと思うんだがな……あぁ、あと出会って間もなく廃棄に関しては言ッていたかもしれん」
「イデア9942。最後のはともかく、アナタが何かするたびにワタシがどれだけブラックボックスを停止させそうになったか、知ってる?」
「そうだッたのか? すまないが、知らん」
帽子を指でトントンと叩きながら、これまでの概略をまとめたイデア9942。その話を聞く限り、イデア9942がこれまでやってきたことをそれなりに把握しているアダムには、彼が規格外過ぎて多少のことでは動じない肝っ玉を獲得するに至ったのだろう、と11Bの状態に当たりをつけた。
「ま、まぁ、いい」
メガネの位置を正して、アダムは空気を切り替えた。
ソレよりも重要なのは、次の一言に集約されている。
「イデア9942。貴様に問う、この情報は……本当に真実なのか?」
「紛れもなく事実だとも。君にとッては残念だろうが、な」
ノータイムで返された言葉に、アダムはピクリと眉を上げる。
ふぅ、と一つの息をつく。月が浮かぶであろう上を見上げる彼は、目を細めて先を見通すように言葉を紡いだ。
「そうか。人間はもう、本当に居ないのだな」
心の何処かで、月以外にも生き残りがいるのでは? そう期待していた。だが、機械生命体としての合理的な判断が何度も訴えかけていた。「これらの情報を統括すると、人類は数千年前に絶滅している」という事実を。認めざるをえない。
アダムは初めて、期待に裏切られる気持ちから来る、空虚さを感じていた。いや、元々生まれたその時から空虚さは抱いていた。空っぽのそこに、人類に対する興味を詰め込んだだけで、空虚さは知っていた。
だが、改めて感じた空虚な気持ちは、埋めようのないものだった。とても小さく、自分の根幹を揺るがすほどでもない。ただ、身勝手な気持ちを裏切られた、それだけの。
「また、感情が何か……少しわかった気がするよ」
また息を吐いて、アダムがドサリと座り込む。
椅子のない冷たい床に尻を下ろして、片膝を立てそこに腕を置く。
「残念か?」
イデア9942の問いかけに、彼は是と頷いた。
「まぁ、仕方ない。そういうものだったか。我々は始まりすら見失う代理戦争を続けていただけ。そもそも、争っていた張本人が居なくなってもなお……貴様の言う、人類の愚かしい一面を繰り返していた。それだけなんだろう」
首を振りそれよりも、とアダムは顔を上げる。
「不可解なのはヨルハの存在だ。確かに士気高揚のために、こうした人類という神を新たに作り出し、勢いを取り戻そうとするのは分かる。だが、情報はこのように完璧ではない」
ひらひらと掌で踊るホログラムの「極秘」の文字。
いくら秘めようとしても、知りたがるものがいる限り、断片だとしても情報というものは絶対に残ってしまうものだ。だからアダムは、このあまりにも杜撰な「ヨルハ計画」について、首を傾げざるを得なかった。
「そもそもヨルハ計画は、考案された瞬間から間違っているとも言える。なのに何故決行された? 確かに、あの廃工場を見る限り、信仰の形を定めてしまうのは頑強な協力関係を生み出すに足り得ると実感した」
「だよね。カミになるって、自我を獲得したはずの機械生命体たちが自分の死すらも厭わない覚悟……いや、そう信じて特攻自爆してきたんだもの。正直、怖いくらいだった」
とはいえ、戦いで臆するほど11Bは気持ちが弱いわけではない。彼女の戦闘面ではなく、正しい感性として思った言葉を口にする。これにはアダムも同意見のようで、11Bの補足を完全に肯定していた。
「残念ながら、この身も詳細は知らんよ。だが、ヨルハ計画は計画段階で頓挫し、施設は完成しても始動せずに破棄されるはずだッた。それが狂ッた個体のせいで実行されるに至ッた、と。裏付けも何もないがな、こういうバックストーリーの筈だ」
「狂ッた個体、か。プロトタイプのヨルハが真っ当な感性の持ち主なら、ブラックボックスの真実に気づいて狂ったというのも考えられるな」
アダムは何の気なしに言ったが、大正解である。ピタリと真実を当てられたことに動揺しそうになるも、もはやヨルハが設立されている以上は過ぎたことだ。掘り返すのは脱線のもとになると、イデア9942は踏みとどまった。
「そしてブラックボックスだが」
「………ふぅーん」
「やはり、か。これでは他のヨルハに真実を明かした際のデモンストレーションにもならないな」
手渡されたデータを閲覧した11Bが発した言葉は、アダムの期待よりもあまりにも軽すぎた。先ほどとは別の意味で脱力しながらも、いずれ2Bらに教え、その上で身の振り方を観察する腹づもりだったアダムにしてみれば、参考にならなさ過ぎる個体である。
「ってことはワタシ、イデア9942と同じ……? しかも彼の手でボディは作り変えられてるし……」
ブツブツと呟いて、ブラックボックスのコアについて記されてた内容を整理する11B。何やら目には怪しい光が宿っている。もはや話し合いのつもりで来たアダムは、尽くが自分の望まない方向に進んでいるからかやる気も感じられない。
「待て、何を考えているかは分からん。だが暴走はするな。頼む、頼むぞ11B」
「大丈夫。工房に戻ったら爆発させるから」
「安心のしようもない……」
肩を落としたイデア9942が、コンソールを操作する。
すると、閉じられたときと同じようにエイリアンシップは動き出し、閉じていたハッチを再び例の横穴へつなげて開く。もう話し合いにしても、隠す意味もないと判断してのことだった。
「ところでイデア9942。貴様はバンカーをどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「決まっている。見過ごして破壊するか、それとも救うかだ。バックドアが開放された瞬間、そこからN2とやらが干渉した論理ウィルスが流れ込むのは目に見えているだろう? 今の私にとって、ヨルハがどうなろうと知ったことではないが……」
アダムの視線は、鋭くイデア9942を見据えていた。
「この世界を全て観測しうる貴様が、どう動くのか。今はそれが気になっているのだ」
「なるほど……だが、先程イヴの視点は見ていなかったのか?」
「ん? あ、あぁ…。貴様がここに来る直前は、会談の準備を整えていた」
「なら、もう何の心配もいらん。すでに手は打ってある」
先程、ヨルハにその一手となるパスコードを譲渡済みだと、イデア9942は言った。
「知り得ているのなら、食い止めたいと思ッたのなら、その場その場で当たるのでは非効率に過ぎる。だからこそ、相応の準備がいるものは、相応の期間を要したとも。今頃、バンカーは騒がしくなっているだろうなァ」
「イデア9942ってさ、もしかして派手好き?」
「なんだ、これまで一緒に居てそれも分からんか」
自信満々に言ってのけるイデア9942に、11Bはもう何度目になるかもわからないため息を付いた。
「ところでアダム、提案があるんだが」
「…なにかな」
「このエイリアンシップ、まだ使える素材が相当余ッているが……少し、面白いものを作ろうと思ッてな」
そう言って、立ち上がったイデア9942はアダムと秘匿回線を繋いで無言で遣り取りをする。最初は興味なさげに目を閉じて聞いていたアダムだったが、何を言われたのか、その場でザッと立ち上がり、イデア9942に肩を怒らせて近づいていったかと思うと。
「あ、ちょっと――」
「貴様、本気なのか!?」
11Bの制止も振り切り、イデア9942の両肩を掴んでアダムが叫ぶ。知的な雰囲気も捨て去ったかのように、好奇心という一色の感情が彼の瞳に浮かんでいる。故に、この言葉もどちらかと言えばただの確認に近い。
「問うのは一つだ。乗るか、乗らないか」
言いながら、イデア9942は手を開いて差し伸ばす。
「是非とも、手伝わせてくれ」
迷いなくその手を取り、握手を交わすアダム。
まるでその姿は、彼と遊んでいる時のイヴの態度そのものだった。
自分のしたいこと、という熱に浮かされ心底からその行為を楽しんでいる様子。こうしてみてみると、イヴそっくり……いや、イヴの元になった一面も確かに存在しているというのが分かる。
「貴様が言う、人類を超える事が出来る最初の一手。作ろうではないか! 私達の手で!」
「ならイヴを呼んでこい。少々力仕事もいる。11Bも手伝えるな?」
「もっちろん。細かいのはいつも通り任せるね」
こうして、アダムとの会合は、兄弟を巻き込んだワクワク工作教室となるのだった。重苦しい話題もどこへやら、作り上げられた図面のホログラムをエイリアンシップのモニターに表記し、そこら中の廃材や装甲板を11Bとイヴが指示通りに剥がしていく。
機械生命体も、特殊個体も、アンドロイドも関係ない。まるでパスカルの村のように、とても平和なひとときを、彼らは過ごしている。
それがこの世界でどれだけ理想的な姿なのか、気づきもせずに。
「やって、くれたな」
眉間にシワを寄せ、司令官は歯ぎしりを隠そうともしていなかった。あまりの形相にバンカーの温度は下がり、報告のために対面する2Bと9Sは司令官から発せられる怒りに触れて後退しそうになる。
ヨルハの司令官たるものがこうまで感情を剥き出しにするだけの理由。それは、9Sに無理やりアップロードされていたイデア9942の「パスコード」にある。
司令官は訝しみながらも、細心の注意を払ってパスコードをコマンドプロンプトに打ち込んだ。するとどうだろうか、バンカーの一部の機器が勝手に働き、正面大型のモニターがそのプログラムによって勝手に切り替えられた。
幾つものサーバーと、それがバンカーのメインサーバーに繋がるリアルタイム画像だ。地上の赤い光点から伸びた青い光。それらが一斉に衛星軌道状のバンカーを表すシンボルめがけて伸びている図解。
「これは……一体!?」
「あ、これ、ただのサーバーじゃないです! なにこれ、演算補助装置も兼ねてる…? バンカーの基本機能が押し上げられてます!! っていうかバックドアのプログラムも複雑化されてるのに、ヨルハ機体なら無条件で自動判別? なんですかこれ、なんですかこれぇ!?」
2B専属のオペレーターモデル、6Oの悲鳴のような叫びを皮切りに、次々とオペレーター達がこのアラートの鳴らない非常事態に対応し始める。だが、イデア9942の仕込んだパスコードは止まらない。
「地中の敵基地に潜入していた部隊との連絡が復旧! 周囲のサーバーが仲介となって通信状況も安定しています」
「弱まっていた緊急信号をキャッチ! 送信元は3H、先行していた変形型機械生命体の調査部隊です。敵の罠に嵌まったとのことで身動きが取れなかったらしいです。至急応援部隊を送りますか?」
「処理していた戦闘記録が一瞬で……ちょ、ちょっと…私達の方が処理しきれないよぉ……」
イデア9942の工房には、自動で部屋を整える機械が付けられていたのを覚えているだろうか。あれを利用し、世界各地に無数の多機能サーバーを建造したイデア9942は、パスコードを打ち込むことで最寄りの……つまり、廃墟都市の「工房」と最初に繋がるようになっていた。
あとは工房のメインサーバーが働きかけ、周囲の多機能サーバーを起動出せていく仕組みだ。なので、バンカー側からはこのシステム面の強制進化を食い止めることは出来ないし、次々と膨れ上がっていく情報量の多さ、そして動作の滑らかさに目を回すばかりだ。
ちなみに、イデア9942は別にこれらの演算用サーバーを用いていたわけではない。持ち前の演算能力でアレである。
「通信状況を維持したまま作戦をオペレート。敵基地の経路を送り、動力源を破壊して撤収させろ!」
「了解です。……29Dさんへ、動力源までのルートを出します」
「応援ではなく救援部隊を組んで呼び戻せ。撤退を確認した5分後、作戦地域を爆撃せよ!!」
「了解。飛行ユニットによる爆撃申請を許可します。作戦地域周辺のヨルハ部隊へ緊急通達。周辺のヨルハ機体は爆撃の影響範囲から離脱してください」
「貴様、戦闘記録の整理をサボっていたな!? グズグズ言わず手と脳回路を動かせ!! 2Bと9Sの戦闘記録をメインに、B型・S型ヨルハ部隊の動作を各ボディに最適化までだ!!」
「りょ、りょうかい~!」
司令官はこの急な事態に目を回すことはせず、怒った口調こそ拭いきれなかったが、いつものようにオペレーターへと次々と指令を下していく。
やがてメインモニターの片隅に浮かんだウィンドウが緑色に光る。バンカーを表しているであろうリング状の絵に、地上から伸びた幾つものパイプが結合し、○を描いては消えていく。それら全てが「JOINED」と表記された直後、バンカーは一度唸ったように照明の光を落とし、5秒後に電力を復旧させる。
「全く、悪いな。つい声を荒げてしまった」
口調こそ砕けたものだが、彼女の顔は今もビシッと張りつめたものだ。そこに一片の緩みも見受けられない。ある意味での異常事態の真っ只中だと言うのに、自分の今やるべきことはこれで終わったと言わんばかりの涼しい表情である。
「い、いえ……司令官もイライラするんだなーと思っただけでして……」
「ほう、ならば貴様はよほど感情が豊かなんだな?」
「とんでもありませんっ、僕達ヨルハは感情を出してはいけませんから」
「ふんっ、どうだかな」
それよりも、とヨルハ司令官ホワイトはメインモニターを指差した。
「アレについて、おまえたちは少しでも知っていたか?」
「いいえ。イデア9942からはとにかく使うようにとしか」
「そうか……。その言葉を疑わずに使ってしまった私が言うのも何だが、兎にも角にも驚かされてばかりだな。だが、バンカーの処理能力やスペックを上げて彼はどうしようと言う腹づもりなんだ?」
彼女の問いは真っ当なものだ。
何か重要な情報でも詰まっているのかと思えば、もたらされたのは情報ではなく大量のサーバーによるバンカーという施設そのものの強化。ヨルハの一体一体を強化するような秘訣が在るわけでもなく、敵性機械生命体を根絶する一手を記したものでもない。
覚悟してその方向を見つめていたつもりが、視界の外から横殴りにされたような気分である。
「それもわかりません。でも、彼がなんの意味もなしにこんなことをするとは思えません」
と、2B。イデア9942は2Bらに、何かしらの助言やプラスになることを与えてきた存在だ。そういう認識が在るからか、はたまた彼の言葉の中に内在する「何か」の影響か。2Bはイデア9942の突拍子もないパスコードの真意を肯定的に受け取っていた。
それは横で頷く9Sも同じだ。特に彼は、文字通り命を助けられた相手でもあり、2Bに打ち明けるだけの勇気を持たせるに至る一言を送られた事もあり、影響という点ではかなり大きい。
司令官は、そんな二人を見て一つの暗い考えを抱く。
機械生命体にそそのかされて、感化したのではないか、と。
過去にも口八丁が過ぎる機械生命体に乗せられて、部隊をまるごと犠牲にしたアンドロイドがいた。機械生命体と融合して、その機械生命体の海底都市に侵食されたヨルハの機体がいた。論理ウィルスに潜伏されて、別の個体に執着するあまり暴走した個体がいた。
だからこそ、司令官であるホワイトは、この妙なまでに感じるイデア9942からの「違和感」を、侵食と断じてしまうべきかと考えを巡らせた。自分以外のヨルハの面々は、更にその違和感を感じたことが在ると言っていたのだ。疑わないほうがおかしい、のだが。
「いや、そうだな。2B、9S。君たちはしばらくバンカーか地上で待機していてくれ。これまでの功績を称えて、しばらく休暇を出す」
「休暇……ですか?」
2Bにとっては聞きなれない言葉に、思わず聞き返してしまう。
司令官ホワイトは、あの処断の件については考え直すところがあったらしい。
「ああ。君達ばかりが大きな出来事に突き当たっているのは事実だ。だが、ヨルハ部隊全員へと、君たちの体験したことや、特殊な個体との戦闘記録に関してはまだ汎用化出来ていない。それに、全体のデータアップロードもまだ保留中のようだからな」
「それは……」
9Sが言いづらそうに頬を掻く。
司令官に真実を渡される少し前、データアップロードを行おうとしたときに発生した小さなノイズ。見逃せなかったその違和感を前に、9Sは歌姫ボーヴォワール戦からの記録をメインサーバーに送っていない。
「それに、オペレーター達は今見ての通りだ。この状況に最適化するまでそれなりに時間はかかるだろう。なんせ、ヨルハの演算能力が逆に悲鳴を上げている状態だからな」
皮肉げに言ってみせれば、聞こえていたのだろう。先程泣き言を上げていたオペレーターモデルが今にも泣き出しそうな顔でコンソールを乱打している。口元はヴェールのようなマスクで覆われているが、鼻の上のほうまで持ち上がっていることから察するに、ひんひんと泣きべそかいているのはまるわかりであった。
「地上に降りるもよし、バンカーで過ごすもよし。次の指令があるまで、君たちは自由にしていてくれ……もしかしたらその方が、ヨルハのためになるかもしれない。それに―――」
「司令官?」
ヨルハ自体に、こうして命令を下す意味もなくなるかもしれない。
その言葉だけは飲み込んだ。
「いや、何でもない。休暇を楽しんできてくれ。近々大規模な侵攻作戦を立てていたが、あまりにも多くのことが起こりすぎている。慎重に行くため、私にも考える時間がほしいんだ」
「……ご自愛ください、司令官」
9Sは司令官の胸中に思うことがあったのだろうか。不安げになりそうな空気を取っ払うために、あくまで厳格に努めて彼女を労った。
「っ、まさか君に心配されるとはな、9S」
意外そうに眉を上げて、彼女は9Sに視線を固定した。
ほんの一瞬だけ、左下に視線が向けられる。瞬きする間に再び視線を戻した司令官ホワイトは、絞り出すように言う。
「……君は、私を憎まないのか?」
「? 何のことだか、僕にはわかりません」
9Sは他のヨルハの目も気にしてか、しらばっくれるように言った。
「だけど、僕は特に司令官へ逆らう言葉なんて持っていません。皆のお手本のような個体であると、自負していますから」
「調子に乗らない」
「あたっ」
2Bに小突かれて、不満げに唇を尖らせた9S。
彼らのやり取りを暖かな目で見たホワイトは、フッと小さく息を吐き出した。
「そろそろ行ってくれ。……ありがとう、9S。人類に、栄光あれ」
「「人類に、栄光あれ」」
左手の敬礼を返し、退室する。二人は迷いのない足取りで、アクセスポイントへと向かっていった。バンカーから離れようと、アクセスポイントの転送先を設定した瞬間だ、ふと、2Bは新たにメールを受信していることに気がついた。
「どうしました2B?」
「いや、これは」
彼にも見せてみると、司令官からのメールが再び届いていた。
騒動や、パスコードを届けるという、イデア9942の言葉に従おうとする謎の使命のためすっかり忘れてしまっていたが、司令官からはマークしたポイントに集合するよう言われていたはずだった。
だが、今回確認したメールの内容は、改めてマークへの集合指令を取り下げる旨が書かれている。
「司令官が命令を取り下げるなんて、なんだか珍しいですね」
「……」
2Bは何も答えられなかったが、上からの命令ともなれば素直に従うべきであるだろう、と二人は結論づけた。その後、バンカーから転送されて地上へと向かった二人が最初に訪れたのは廃墟都市の一角だ。廃墟都市の中央地帯、機械生命体たちが闊歩する只中に置かれた、アクセスポイントからヨルハが運ばれ、出現する。
伸びをした9Sは、狭い場所から放たれた反動だろうか。先程の騒動を思い出し、回路に浮かんだ言葉をそのまま口に出していた。
「それにしても、バンカーの強化ですか。イデア9942さんに会って確認してみたいですね」
パスコードがもたらした結果、それがどう結びつくのか。
気になった9Sがそう言えば、2Bも同調するかのように頷いた。
「ナインズ、とりあえずパスカルの村に行こう。まだイデア9942の本拠地が分からない以上、あそこで待っていれば進展は在るはずだから」
「そうですね……ところで2B、やっぱり二人きりのときしか呼んでくれないんですか?」
「……皆がいる前では、示しがつかない」
そっぽを向いた2B。9Sは軽く笑うと、ゴーグルに手を掛けて結び目を解いた。
「やっぱりお硬いですね~2Bは」
「仕方ない。まだそう簡単に、慣れるなんて出来ない」
2Bもゴーグルを外し、互いにくすんだ青色の瞳を見つめ合う。
どちらともなく頷いて、彼らはパスカルの村へと進み始めたのだった。
真実の欠片を掴むために。
「こちら随行支援ユニット:ポッド042。操作主権は2Bにセットされている」
「こちら随行支援ユニット:ポッド153。操作主権は9Sにセットされている」
「バンカーのヨルハ支援システムの組み換えを確認。状況を共有する」
「ヨルハ計画最終段階におけるデータの破棄、及びヨルハ計画進行管理任務にバグを確認。進行不可状況にあると判断する」
…………。
「ポッド153から042へ。バグをもたらした要因であるイデア9942の排除を提案」
「ポッド042から153へ。随行支援対象である2B、9Sが拒否すると予測」
「……」
「…………」
「ポッド042から153へ。思考にノイズが発生。任務遂行に関する判断を一時中止し、随行支援対象へのモニタリングを再開」
「同意。ポッド153から042へ。提案:当該問題における情報収集」
「同意。……2Bの心理グラフに異常を確認」
「同じく、支援対象9Sの心理グラフに異常数値を確認した。支援任務のため、データ共有を中断する」
「了解」
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