イデア9942 彼は如何にして命を語るか   作:M002

53 / 78
バンカー事変の終局回。
はたしてどうなることやら。


文書51.document

 赤い目、苦しげな様子。それらの要素が導き出すのは、9Sの論理ウィルス感染という事実。

 主に機械生命体が用いてくる、「論理ウィルス」そのものについては、その侵入方法と効果以外は判明していることは少ない。ただひとつ言えるのは、重度にウィルス汚染された場合、そのヨルハ機体はモデルごと廃棄しなければならないということ。

 

(ああ……そんな、ダメだ、消去できない)

 

 モデルの破棄、それはすなわち、ヨルハである9Sも新しい義体への復活が成されないということ。そして未だにアップデートをしていない彼がここで死ぬということは、2Bに伝えたあの想いも、約束も。

 決して忘れたくない、決して無駄にしたくない誓いが亡くなるということ。そんなの、耐えきれるはずがない。そのまま2Bを置いて死ぬことは、許されない。9Sは悔しげに歯を食いしばり、目の前の愛しい相手(こわしたいやつ)を破壊したい衝動を必死に押さえ込む。

 

「こらえて9S! いま修繕フロアに連れて行くから」

「だめだよ2B……もうダメだ」

「諦めるな!!」

 

 論理的ではない。あの2Bですら、もう我を忘れて必死に9Sを救おうと体を動かしている。9Sは抱き上げられた彼女の腕の中で揺れながら、それでも容赦なく己の自我データも何もかもを喰らい尽くしていく論理ウィルスの侵食に深い絶望を感じていた。

 

 接触の瞬間があるとすれば、あの時。

 あのAWACSとしての役割を持っていた機械生命体にアクセスした瞬間だろう。きっと、あからさまに用意されていたあの個体こそが罠だったのだ。接触する事が最大の間違い。それを、9Sはバンカーと繋がった状態でやってしまった。

 

「2B……逃げ、て」

「9S!?」

 

 9Sは分かってしまっていた。バンカーはもう、論理ウィルスの汚染が始まっているはずだ。司令部ではその異常に気づいているだろう。だから彼は、個人で素早く動けるうちに、2Bを逃しておきたかった。

 

「飛行ユニットは……まだ使用権限が、残っています。今のうちにバンカーを、脱出、してください」

「でも!」

 

 諦めきれない2Bが叫んだ瞬間、バンカーが赤い光で満たされた。

 

「!?」

『バンカーのメインサーバーに敵の侵入を検知しました。機密保持のため、全機能をシャットアウトし自爆準備に入ります』

 

 無機質な電子音声が告げる。最後の警告。

 あまりにも唐突に訪れた終わりは、確実に彼らの退路を削り取っている。

 

 ガシャン、と足元から音が聞こえた。

 

「……ポッド?」

 

 口数少なき助言者すらも、その身を地に伏せる。

 彼らヨルハの退路は、こうして一つ一つが断たれていた。

 

 

 

 

 

「…………」

「会合は終わった。だが、ヨルハは随分とやられてしまったようだな」

 

 無言で項垂れ、机にその長い金髪を垂らす女性アンドロイド。俯いた顔が髪で隠され、その表情をうかがい知ることは出来ない。深い絶望だろうか、はたまた後悔だろうか。

 こうなったのは己が指揮していたバンカーの最期が訪れたことを、震えた声の6Oに伝えられてからだ。話し合うことも全てまとまり、これから友好を強化していこうと思った矢先の出来事である。

 

 大丈夫だと、信じていたホームが壊滅した。

 啖呵を切った手前、その面目もまるごと潰され、己が守らなければならないと決めた愛し子だちがもう、幾ばくもしないうちにバラバラにされてしまう。守ると決めて、それに答えるために子ども(ヨルハ部隊)たちは司令官ホワイトの出立を見送ったのだ。

 

(……なんと、言葉をかければいいのでしょうか)

 

 ヨルハの脱走兵の受け入れ先にもなったパスカルだからこそ、ヨルハというアンドロイドが如何に無垢な存在であるかを知っている。そして共に暮らしていたから、あれほど純粋で献身的な子どもたちを守りたいという想いは、ホワイトに共感するところも多々あった。

 思った以上に、友好的な関係を築くことができそうだったと言うのに。

 

「6O、バンカーの状態は」

「……つ、繋がりません。最後に全情報がシャットアウトされたことから察するに、バンカーは……自爆体勢に入ったかと思われます」

「ヨルハの大半を収容した状態で、か」

 

 言葉少なく、俯いたままそれを聞いたホワイトは再び沈黙する。

 会合の場には、緊迫した空気が張り詰めている。

 

「……バンカーが直接論理ウィルスに犯されたといッたところか」

「イデア9942殿、どうかなされたか」

「いいや、以前渡しておいたパスコードで繋がッている、演算補助機能も乗ッ取られたのだろうなと……」

「イデア9942?」

 

 彼の呟きを広い、顔を上げたホワイト。

 司令官という立場上、懸命にこらえていた表情が彼という存在を思い出した瞬間に決壊したらしい。縋るような、弱々しい顔だ。もう何をしても手遅れだということは、分かっている。だからこそ、外部でとんでもないことをやらかしたイデア9942が、意味深に発した言葉に食いつかないはずがないのだ。

 

 対して、見ていられないと言わんばかりに顔をそらしたのはアネモネ。彼女は親友であるホワイトがこうまで追い詰められてしまった事が、心苦しいのだろうか。与えられた使命ではなく、己の決断を信じた途端、運命に裏切られたホワイトに哀れ以外の感情を向けられなかったのだ。

 

「……これがヨルハの実態か。本当に、操り人形だったというわけだ」

「そう言ッてやるなアダム。だが、嬉しいんだよ。ヨルハ司令官は亡霊の敷いたレールから外れる決意をしたんだ。それに見合う結果が無ければ、報われないだろう」

「そう、だな。私も己の欲を選んだ者だ。まぁ、今のような相応の報いが無ければおかしいか」

 

 ホワイトにあえて答えを返さず、アダムとの会話に興じ始めたイデア9942。こんな危機的状況で一体何をふざけているのかと、パスカルが無言の圧力を掛け始めているが、イデア9942はどこ吹く風で受け流す。

 

「そうとも、報いが無ければ可笑しいんだ。まず、君たちヨルハが栄華すらつかめず滅ぼされるだけの存在、そこから脱却の道を選んだ事を祝福させて欲しい」

「だが、もうバンカーは!!」

 

 抑えられない感情をぶつけるホワイト。

 対象的に、彼は動く必要すらないのだと諭す。

 

「あのパスコードは君たちが、機械生命体を本当に信じてくれるか。その確認のためでもあッた。そして君はこの身を……機械生命体であるイデア9942を信じてくれた。ならば、その何を使ッてでも生きようとする意思ある命を、存続させること。それこそがこの身が感じられる至上の喜びだ」

 

 嬉しそうな声を隠さずに、彼は続ける。

 

「ありがとう。信じてくれて。だからこそ、君たちはもう大丈夫だ」

 

 

 

 

 

 警報が鳴り響くバンカー。

 自爆のカウントダウンに入ってなお、9Sの事を諦めなかった2Bはバンカーから脱出するという9Sの意思を弾き、彼を捨て置くくらいなら自分もろとも散るつもりで寄り添っていた。

 

 修繕フロアで力なく隣り合う二人。すでに9Sは、最後の抵抗のためか表に意識を残しては居ない。ポッドと共に論理ウィルスへ最後の抵抗を試みているのだろうか。修繕フロアの論理ウィルスワクチンが働いてくれれば……いいや、もし治ったとしても、おしまいだろうか。

 彼の力なく項垂れた左手に、自分の右手を重ね合わせ、ゴーグルを外した2Bが9Sの顔を覗き込む。人間の子供をモデルにした、細い顔に左手を沿わせる。儚い存在となってしまった彼は、こうして触れるだけで壊れてしまいそうな印象を受けた。

 

「……壊れてしまっても、もしあの世なんてものがあるとしたら。それでも一緒だよ、9S」

 

 最後は、最後になるくらいなら、紛れもない己の瞳に彼の姿を入れておきたい。そうして運命に身を任せていた2Bだったが、ふとバンカーの赤い警告ランプが収まっていることに気づいた。

 

「……自爆のカウントダウンが止まっている?」

 

 彼女が呟いた瞬間、最低限の警報を除き、全ての機能を制限されていたはずのバンカーに再び光が灯る。修繕フロアの照明が薄暗かった二人の姿を明るく照らし出し、途端に全フロアに設置されている放送機材からノイズが聞こえてきた。

 

『ザ……ザザ……か』

 

 間違いない、21Oの声だ。

 司令室は機密情報の塊でもあるため、一足先に自爆の被害がありそうなものだが、彼女の声が聞こえるということは自爆そのものが解除されたと見て間違いない。だが、論理ウィルスに犯されている以上もはや機能すらも奪われているのが道理。

 

 どうして。2Bの声にならない疑問に答えるように、21Oの全域放送が繰り返される。

 

『聞こますか。総員は衝撃に備えてください。バンカーはこれより地上に降下し、不時着します。急ぎ司令室へ全ヨルハ機体は集合してください。繰り返します―――』

「……降下?」

 

 バンカーは機動衛星上に打ち上げられ、その後は施設そのものを投棄することが決定づけられているはずだ。修復不可能なほどの損害を受けた場合でも、それは例外ではない。そしてバンカーはシャッターを全て下ろしたとしても、大気圏の再突入に耐えきれるかどうか。

 

「とにかく、行くしか無い。でも9Sは」

 

 未だに論理ウィルスと戦っている……いいや、もしかしたら彼は、自分でOSチップを解除し、すでにその機能を失っているかもしれない。11Sと7Eは完全に侵食されたわけではないから復帰できたが、彼の場合は。

 

 迷う暇などない。2Bは結論を下し、彼の未だ力なくうなだれる義体を背負った。

 

「行こう、9S。司令室に」

 

 同じヨルハ(129.9kg)を背負っているとは言え、2Bも戦闘用アンドロイド。その足取りはふらつくこと無く、司令室へ歩いて行く。長い重力制御された廊下を抜け、司令室への大きな扉をくぐる。平時と同じように、問題なく動作する様子は論理ウィルスに乗っ取られているという印象は無い。

 

「9S! 2Bも、あなた達が最後ですね。これでバンカー内に確認できるヨルハ機体は司令室に集まれましたか」

 

 彼を背負ったまま昇降用エレベーターから降りた途端、21Oが駆け寄ってくる姿が見えた。2Bは9Sの体を背中から回すと、21Oが診られるよう膝に彼の頭を乗せて横たえる。

 

「私は大丈夫。だけど9Sが、今論理ウィルスの汚染と戦っている」

 

 彼女の言葉を聞いた途端、21Oが右手を彼の額のあたりに当てて目を瞑る。専属のオペレーターモデルとして、彼女以上に彼の状態を確認できるものは居ないだろう。

 数秒後、安心したように21Oが胸をなでおろす。

 

「……身体機能をスリープ状態にしているだけのようですね。論理ウィルスも今のところは抑えられているようです。ポッドも機能が停止した中で、9S……」

 

 21Oが9Sに抱く感情もあるが、今はそれを振り払ってでもしなければならないことがある。すっと立ち上がった彼女は言った。

 

「それはともかく、こちらへ」

 

 9Sの義体を支えたまま、21Oに案内されてヨルハたちが犇めき合う中に2Bが赴く。その集まりの中心には、オペレーターモデルの数名が現状について説明しているようだった。その中からオペレーター数名の代表としてだろうか、4Oが歩み出て、口火を切る。

 

「突然集まってくれてありがとうございます。放送でお話したとおり、現在バンカーは衛星軌道を外れ、地上へと降下中です」

 

 彼女が指差す先には、正常に動作している大型モニター。そこにはバンカーの予測降下図が表示されている。

 モニターの中では大気圏を抜け、落下する地点……2B達が活動していた地点の砂漠地帯……そのアクセスポイント東部の辺りに落下するモーションイメージが繰り返し行われていた。同時に、大破して原型をトドメていないバンカーの予測図も。

 

「大丈夫です。司令室の隔壁降りました」

「大気圏突入前には全体障壁も下ろしましょう。続けて各個室の防壁を起動させてください」

「了解しました。大型ターミナルは…駄目です。回路が焼き切られていますね」

「レーザー通信も回復しません。連絡手段は諦めてバンカーの形状保持に当たりましょう」

 

 説明に参加していないオペレーター達はバンカーの現状をチェックしているらしく、いつも以上に真面目な様子でコンソールを叩いている。一部のヨルハ戦闘部隊は、何も手伝えない現状に歯噛みしている者もいた。

 

「……知っての通り、このバンカーは構造上、墜落の衝撃に耐えられるように設計されていません。外部との通信もシャットアウトされていますが、内部機能ならいくつかは復活し、こうして落下までの間に幾つか備えることしかできないのが現状です」

 

 オペレーター達のやり取りからも見て分かる通りだ。

 そうなると、ここに集まったヨルハが出来るのは、彼女らの献身あって、一応のゆりかごとして完成した司令室で祈り続けることだけだろうか。

 

 だが、そうする中で当然疑問が湧いてくる。

 

「質問いいかしら」

「7Eですか。どうぞ」

「少し前は確かに、バンカーのメインサーバーが乗っ取られたと聞いたわ。でも今は、一部とは言えバンカーの機能は完全に私達の制御下に入っている。どうしてここまで回復できたの?」

「その疑問には、私がお答えしましょう」

 

 9Sの介抱も終わっていた21Oが、ヨルハ達の中から歩み出て前に出る。

 

「バンカーが論理ウィルスに侵攻されて514秒後、バンカーに接続されたイデア9942の演算補助機器を管理するプログラムも乗っ取られました。そして演算機能を助長させた論理ウィルスは急速に進化し、1分もしないうちにメインサーバーを攻撃、バンカーは機密保持の自爆決行を余儀なくされました」

 

 そこで言葉を区切ると、21Oが信じられない事があったと言わんばかりに視線を横に流す。

 

「……ですが、その瞬間、司令室の大型モニターには数値が映し出されました。年号と月、日を表すそれが9で埋め尽くされた瞬間、バンカーは全ての機能を一時的に停止し、“耐用年数超過のため地上での点検を要する”というメッセージウィンドウが表示されました」

「耐用、年数?」

 

 あるはずのない数字だ。バンカーが老朽化したとして、それは宇宙空間でそのまま破棄されるだけ。この施設が破棄される時はつまり、自爆しか無い。

 だが、そんな荒唐無稽な後付プログラムにしか思えないものがどこから入力されたのか。心当たりは、一つしかなかった。

 

「その瞬間、論理ウィルスは死滅しました」

「……ちょ、ちょっと待ってよ。そのメッセージが自爆を邪魔したのは分かるけど、どうして論理ウィルスが」

「イデア9942の設置した演算補助機能は、よりよい効率化を図るための適応・進化促進プログラムがあります。おかげで私達の判断よりも圧倒的に高機能なバンカーが出来上がりましたが、論理ウィルスはそのプログラムを吸収し、際限なく進化させられたのです。結果は、言わずもがな分かるでしょう」

 

 全ての存在は、滅びるようにデザインされている。

 論理ウィルスとて形ある、被造物。全体が死滅されそうになれば、耐性を持った僅かな生き残りが再び増殖し、際限なく進化していく。そこを逆手に取り、ありとあらゆる障害を与えられた論理ウィルスは演算の海の中で限りなく己の本来の役割を無くしていき、「論理ウィルスとして死滅」したのである。論理ウィルスだったものは、未だにメインサーバーに残されているが、もはや実行できる形を無くしたプログラムの残骸でしかない。

 

「以上がバンカー復旧までの経緯です。それでは皆さん……衝撃に備えてください」

 

 21Oが締めくくった瞬間、モニターに隔壁が下ろされ、司令室の余剰空間は生成された数多の隔壁によって即席のシェルターと化した。

 

 バンカーは大気圏を突入する。

 円形状に張り巡らされたソーラーパネルが全て焼け落ち、バンカーの本体を覆う円形状の施設は衝撃に耐えきれず、バラバラに崩壊していく。ヨルハたちの個室の多くは破壊され、まもりを固めた中央の施設のみが大気圏を突破することができた。

 

 巨大な火球となったバンカー。だが、その大きさは巨大な隕石にも匹敵する。

 幸いなのはバンカー自身にある程度の斥力操作が可能な事と、途中で施設が焼け落ちたことで質量が幾分か落ちたことだろうか。それでも、地上へ墜落した瞬間に膨大な衝撃波が生じるのは間違いないだろう。

 

 バンカーの司令室で予測された着地地点。

 砂漠地帯中央のアクセスポイントから東側上空では、空を割って巨大な火球が顔を覗かせる。粒のようなそれは次第に大きくなると、砂漠のそれを上回る莫大な熱量を伴って影を掻き消し―――

 

 この世の終わりを思わせる衝撃とともに、大地を揺るがした。

 

















ちなみに最初期、バンカーを落とす構想はありませんでした。
(この時点で正規のヨルハそのものが2B・9S、オリキャラ含めて死亡する予定だった)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。