イデア9942 彼は如何にして命を語るか   作:M002

66 / 78
e38182e38191e381bee38197e381a6e3818ae38281e381a7e381a8e38186e38194e38196e38184e381bee38199


――――――――――――


システムに深刻なエラーが発生しました
データの送信を失敗しました


>Workshop
enabled data_


>Idea
Unknown host_
finding...
Please wait for a moments...


文書64.document

「約束通りとはどういうことだ。取り付けた覚えはない」

「君の深層意識というべきか、望んでいたのだろう? 此処にイデア9942という機械生命体が訪れることを」

「貴様は私達にとっての危険因子。排除しようという意識こそあれ、貴様を懐に招き入れる理由はないはずだが」

 

 武器を構え、危険因子と言ってのけたN2に向けようとする11B。しかし彼女の行動を、イデア9942は手で制した。

 渋々ながらも武器を収め、ここは彼に任せる11Bだったが、自分たちを取り巻く数十体ものN2。それを目にして冷静で居られなかった。

 

「見た目に惑わされるな。量が在るように見えて、その実、本質は変わらん」

「……わかった。此処は任せるね」

「あァ」

 

 しかしこれは、自我データが分裂し続けている状態を示すホログラム。現状、囲まれていることに対しての危機感は無い。なんせ、視覚的に囲まれていようと、そうでなかろうと、敵の腹の中にいることには変わりない。

 そしてイデア9942は、一歩踏み出した。

 

「話は変わるが……魂、ソレを欲していると言ッたな」

「そうだ。私たちは概念情報という完璧な生命のあり方を完成させた。だが、人類における生命の定義として、魂というものも必要。そう考えたからだ」

「そしてこの身に宿った新たな意志は、紛れもない人間の魂だと、君は結論を出したわけか」

「そのとおりだ。イデア9942、協力しようというのか?」

 

 N2が投影した赤い少女のホログラムが、一斉に口元まで裂けた笑みを浮かべる。

 

「違う。君という、新たな生命を害する存在を根幹から消し去りに来た」

「私たちは殺せない」

「そうか? 君は電子的に消滅させたとしても、全く同じ君が蘇る。成る程、確かにいくら消滅させようと、根本たる君はいくらでもネットワークから復活できる。まるでヨルハ部隊のように」

「そうだ。私達を破壊しようと、無意味だ」

「だが、君を一つの電脳内にて相手取り、破壊する。その繰り返しの中、復活する君の自我をほんの少しずつ差異を生じるよう干渉してやればどうなる? 同一ではなく、違う自我が生まれ、そして君は君自身の演算能力によって無限に増え続け、飽和するだろう?」

 

 マフラーを握りしめて、イデア9942はN2のヴィジョンを見上げた。

 

「ふむ……その方法ならば、たしかに我々は内部分裂を引き起こすだろう。主人格たりうる自我が1つでも生まれるならば、その可能性は否定できない。だが、貴様が明かしたその方法こそが、唯一にして無二の私達を消滅させる方法。故に、感謝と罵倒をくれてやろう。矛盾による自我崩壊も乗り越えた私たちは、更に貴様の障害たりうる進化を遂げたのだから」

 

 だが、とN2は続けた。

 

「不可解だ。貴様はその唯一の方法に気づいたにも関わらず、実行しなかった。私たちを消滅させると言っておきながら、どういうつもりだ」

「いわゆる挑発行為だとも」

「仲間を操られ、失墜に呑まれた不完全な精神の持ち主らしい言葉だ」

「オマエっ!!!」

「11B!!!」

 

 イデア9942が荒々しく叫ぶ。

 11Bがビクリと肩を跳ねさせ、ギチギチと歯を軋ませながらN2を睨みつける。

 

「失礼した。話し合いのさなかに野蛮な行為は、知的な生命体として恥ずべきだな」

「………」

「さて、君が施したパスカルたちの洗脳だが、見事だッたよ。探せど探せど、パスカル達にはウィルスが見当たらない。そして操る敵性機械生命体や、サーバーの信号も見当たらない。アクセスし続けても、全く分からなかッた。気づけなかッた。褒めてやる」

 

 ぱち、ぱち、ぱち。

 ゆっくりとした拍手が、虚しく塔の最上階に響き渡る。

 ちなみにゆっくりとした拍手は賞賛ではない。英語圏における不満や馬鹿にした時に使われるものである。

 

 当然、N2が人類の情報を収集する上で、このような細かな文化圏の仕草も研究していないわけがない。即座にその意味を見抜き、数十体の少女の幻影が、不快そうな表情に切り替わる。

 

「気づけたのは、9S君のおかげだ。バンカー襲撃時に、AWACSタイプの機械生命体がいた事、アクセスしたと同時に論理ウィルスを流し込まれたこと、そして論理ウィルスと同時に無意識下の思考の一部を改ざんし、当人には気づかないうちに行動させるプログラムを書き込まれた事」

 

 9Sの失踪は、誰かに連れさらわれたわけではない。彼の意識がない間に、書き込まれたプログラムが9Sの義体を動かし、自ら塔の一室に歩かせたのである。そして2Bが同じく連れ込まれた理由は、目が覚めると分かっていた9Sの隣に居させることで、無駄な逃走劇を眺めて時間を潰すこと。

 その時間つぶしで、貴重な戦力たる球体形機械生命体が破壊されたのは完全な想定外だったのだが。

 

「9S君のメッセージに記されていたこれらの情報を統合するとだ、君はまず9S君で計画のデモンストレーションを行った。この身には及ばずとも、高い演算能力、知覚能力を持つ彼のことだ。そしてブラックボックスを持つヨルハの自我は、機械生命体の自我形成と同じプロセス。絶好の練習相手だったろうさ。見事にしてやられたのだからな」

 

 イデア9942は、そこを素直に賞賛する。

 だが彼は、してやられたことを素直に認め、「あなたにはかないません。だから許してください」などと言いに来たわけではない。イデア9942の性格は、自他ともに認めるほど捻くれたものであり、独善的なものである。

 そして何より、相手をからかう事を至上とする傾向もある。

 相手をからかう事が楽しいのだ。

 

「君は、この身の無意識下における演算能力を乗ッ取ッた。書き込まれ、実行させられた内容は簡単だ、周囲のアクセス権を持つ相手の運動機能を上書きし、この身……イデア9942がアクセスしていない個体を破壊するよう動作させる」

 

 パスカル達を動かしていたのは、ウィルスでも敵でもない。無意識におけるイデア9942本人が、他人を破壊させようと仕向けていたのである。

 

 言ってしまえばなんということはない。

 

 大事に大事に育てようとしたペットが居るとしよう。しかしそのペットは、子猫でも子犬でもなんでもいいが、とにかく人の体重で簡単に潰れてしまう脆さだ。守らなければならない、壊れ物を扱うかのように。そうして起きている間は扱おうとしても……。

 

 優しく抱きしめて寝ている子猫も、所詮は脆い子猫。人間の寝返りひとつで潰れるのは自明の理だ。

 

「自分自身のメンテナンスも怠ッていたのもあるがな。盲点をついた良い考えだッた」

 

 パスカル達の暴走については、コレが全てだ。

 

 そしてイデア9942に、この無意識下における演算をキャンセルする術はない。

 彼が死なない限り、それは広がっていくだろう。彼が存在するだけで、その場は混沌に包まれる。そして正しい生命のあり方を望む彼にとって、周囲が狂って死んでいくさまは、何よりの地獄となり得るだろう。

 

「それがどうしたというのだ。答え合わせに関しては花丸をくれてやろう。しかし、貴様に現状を変えられる方法はない」

 

 そんなことはない。

 叫ぼうとした11Bに先んじて、イデア9942がその言葉を認めた。

 

「たしかにそうだ。無意識下に帽子を触るのと違い、意識したところで、このプログラムは基礎プログラムとして定着している。この身が正常に存在する限り、永遠に取り払われることはないだろう」

「そん……な…? 嘘でしょ、嘘だって言ってよイデア9942!」

 

 取り乱す11Bは、もう何も出来ない。

 イデア9942を殺すことは出来ない。かと言ってN2を殺すことも物理的に不可能な以上、11Bがどうこうできるはずもない。今この場で11Bが出来ることは何もない。例え、この塔を根本から折る力が突発的に手に入ったとしても、意味がない。

 

「いや、残念ながらな。今は単純な機械生命体だけで済んでいるが、あの64Bたちを見ただろう?」

 

 苦笑にノイズを混ぜつつ、イデア9942は肩をすくめた。

 

「いずれはアンドロイドをも侵食する。2Bと9Sもアクセスした回数が多かッたからな」

「そうだ、貴様にはもはや絶望的な未来しか残されていない。もはや全てが手遅れだ」

「そして概念人格である貴様は、例えこの身が近くに居ようと汚染される自我を定期的に切り捨てることで正気を保つことが可能。存外、この塔に居ることが世界の安寧になるのやもしれんな」

「イデア9942…!」

 

 11Bの懇願するような声に対しても、イデア9942は首を振るだけだ。

 

「長話もこれで終わりか?」

 

 うんざりだ、と言わんばかりの口調で吐き捨てるN2。

 もはやこれで、イデア9942たちになせることは何一つとしてない。彼らはこのまま何も出来ず、N2が準備を完了させてこの塔から何かを発射させるのを待つしか無いのだろうか。

 しかし、まだN2の目的も明らかになっていない以上、今まで敵対的な立ち位置に居たN2を放置することも危険だ。

 

 11Bは、縋るような表情でイデア9942を見上げる。

 対して彼は、こみ上げる笑いを抑えるように肩を震わせた。

 

「いやァ、これからだとも。君を消滅させ、そしてこの身が発する洗脳の演算をも無くす素晴らしい方法が、たッた一つだけ存在するといえば、……ッハハ、君は、焦るか?」

「私達を殺せはしない」

 

 即座に否定するN2だが、その声は震えているようにも聞こえた

 イデア9942がこれまで予想通りに動いたことなどあっただろうか。イデア9942がこれまで遭遇してきた様々な破滅の状況下で、手を尽くさずに諦めたことなどあっただろうか。いや、無い。

 

 N2はここまでの処置が完璧であるという余裕を持ちながらも、その実、まだ何かをやらかそうとするイデア9942に恐れを抱いた。

 

 本人ですら認めたくない、恐れを。

 

「まずは11B、最初に謝らせてくれ」

「イデア9942……待って、まさか……さっき言ってたことって」

「さァN2君。少しばかりレッスンに付き合ッてくれ」

「イデア9942、他にも方法が―――」

 

 彼をつかもうとした手が、ピタリと止まる。

 手が下ろされ、11Bはその場で立ち尽くした。

 

 施されたプログラムの影響がついにここまで侵食してきたのだろうか。

 いいや、違う。

 

 これは、彼の意思。

 

「ぁ……から、だ……な、ん」

「ここまで来たのは、見届けてほしかッたからだ。本当なら、こんなことしたくないんだ。誰も死にたくないだろう? そういうことだ」

「まッ……て……イ、ぁ……」

 

 イデア9942が、11Bの義体の操作権限を握る。

 彼女の体は金縛りにあったかのように動かなくなり、抵抗しようにもイデア9942の誇る最高の演算能力が彼女の電子的な抵抗を許さない。

 

「死を間際に振り絞る、最後の叫びだ」

 

 本来ならば、2Bの言葉であるそれをあえて口にする。

 死は目の前に来た。だが、殺されるわけではない。

 

「貴様……その、チップは」

「全てを駆逐できるワクチンを開発するにあたり、より強力にしたサンプルを手元に置いておくのは当然のことだろう?」

「だがそれを投与したところで、私達の自我は―――」

「誰が君に使うと言ッた?」

 

 イデア9942は、論理ウィルスの入ったチップをひらひらと摘み、そのまま己の腕に挿入する。中に入っているのは論理ウィルスの原理を解明し、そしてより強力にしたイデア9942謹製の破滅のウィルスだ。

 

「ウィルス嗜好を設定。当機体イデア9942の外部アクセス履歴を全て削除。サブ演算機能保護、機能不全機能不全キキキキノノノフ―――強制終了。実行中のプログラムが確認されたため、終了は不可能。実行中のプログラムを強制終了させますか。承認」

「自滅だと…? 貴様は、本当に何をするつ……」

 

 ふよふよと上下に浮いていたN2の動きが止まる。

 

「この身の膨大な演算能力、それを暴走させた自己崩壊に巻き込まれて、無事だと思うなよ、N2」

「まっ―――」

 

 そしてN2のホログラムが一つ一つ、消滅していく。

 

「接続先の実行プログラム削除中。新たなプログラムを確認。削除。新たなプログラムを確認。削除。新たなプログラムを……」

「接続先、まさか……実行中が私達の……貴様、イデア9942ィ!!! 貴様は、私達を巻き込んだ無理心中を選ぶというのか! それが貴様の答えか! 不完全な生命如きが、死ぬのならば貴様だけで――」

 

 イデア9942が喋っている間、戯れだと切り捨てれば良かった。

 床ごと崩落させ、義体ごと破壊してしまえばよかった。

 

 そう思っても、全ては遅かった。

 

 N2はあまりにも長い間、イデア9942の前に姿を表していた。

 あまりにも多く、彼に接触してしまっていた。

 

 アクセスされ、強制的に接続されるには、十分な時間だった。

 

「私達が―――消える。もろともに……」

 

 多くの機能を失った、N2の声ばかりが塔の中に響いていく。

 未だ11Bの拘束は解けていない。だから聞いてしまった。

 

「……った。しくじ……。ンテ……だ」

「こんな、してきたことが全て……」

「俺の理想ガ、みんなトは……」

 

「イデア9942……どうしたの?」

 

 瞬間、ガクンとイデア9942の体が膝から崩れ落ちる。

 何とか上体は起こせているが、もはや彼の体には電子信号は流れていないことが11Bの目にはハッキリと見えてしまう。

 

 だから目をそらした彼女は、その視線の先にあるものを目撃していた。

 この部屋のいたるところに浮かび上がった投影スクリーン。その中で流れていく緑色の文字列を。その文字列が意味するものを。

 

「暗号?」

 

 たった今気づいたが、口だけは自由に動けるらしい。

 文字列の中に、11Bに宛てたかのようなメッセージを発見する。これはきっと、目の前で機能不全に自ら陥ったイデア9942が発したものだ。

 

「アクセスし、0310を……イデア、9942……」

 

 0310。3月10日。

 11Bが脱走を企てた日。第243次降下作戦が行われた日。

 

 

 世界は電子に切り替わる。

 

 

 イデア9942にアクセスすると、そこは消滅から論理ウィルスワクチンの壁によって保護された記憶領域内だった。他の領域に繋がるポートは何一つとしてつながっておらず、3歩も歩けば端に着く、短い十字の通路があるだけの小さな世界。

 その十字の先には、3つのポートログと、1つの実行プログラムがある。

 

『……イデア9942のポートログ』

 

 彼が残したログAは、工房にある音声データを開くためのパスワードだった。

 ログBは、彼が残した日記だった。

 ログCは、彼がこれから成そうとしていた計画と、実行にあたって必要な準備・手順が記されていた。

 

 それらを己の記憶領域にダウンロードした11Bは、ゆっくりと最後の実行プログラムに歩み寄っていく。

 

『……これが、最期の』

 

 触れたくない。

 これが最期だと分かってしまったから。

 

 だが、この領域にいつまでも居ることは出来ない。

 足を止めることこそ、彼が最も望まないことだろうから。

 

『……』

 

 覚悟して、触れる。

 

 実行プログラムはポートログに使われていた領域を基盤に、十字路として存在していたデータを媒介としてイデア9942の幻影を作り上げた。どこにでもいる機械生命体、中型二足の姿。

 そして彼のトレードマークである帽子が、ぐしゃぐしゃになったはずの帽子が、頭の上に乗っている。風がないはずのこの空間で、マフラーが揺れた途端に彼の幻影が再現される。

 

『んー、あ、あ、テスト。テスト。よし、良好のようだな。一応この自我はオリジナルと同等の反応を返す、なんとでも言え』

『イデア9942……どうして、こんなところで』

『ヤツの慌てる姿を間近で見たかッた。それだけだ。そら、理由としては十分だろう?』

『それでアナタが居なくなったら、もう何も意味なんて無いよ……』

 

 俯き、涙を流しながら肩を震わせる11B。

 イデア9942の残骸は、その幻影の両腕で彼女を覆った。

 

『勝手な事を喋るとは。ウィルスめ、不安がらせてどうする』

『そんなことより、アナタが戻ってこれないことのほうが嫌だよ。あんな弱音でも良かった! アナタと、一緒に居たかった……それなのに』

『………』

 

 誰にも聞き取れないほどの小さな声で、イデア9942の自我は馬鹿がと口にした。

 

 イデア9942の残骸が、ココロの中で様々なメッセージを残していく。

 それらは一時保存され、11Bの記憶領域にインストールされていく。

 

 彼の心の中の言葉。

 

 弱いままでいい。それを最後に、彼は一度止まった。

 

『やっぱりアナタを置いてなんて行けない。残骸だとしても、誰かが不幸になっても関係ない!! アナタが居ないと私は何も出来なくなるのに、どうして消えようとするの!? アナタのことが好きなのに! やっぱり、ワタシも一緒に――』

 

 幻影にすぎないはずの彼の手が、11Bの頭に乗せられる。

 くしゃり。確かに、優しい手つきで撫でられた。

 

 もう、11Bから言葉はない。涙しか、出ない。

 

『11B、ありがとう。君のお陰で命がなんであるのか、初めて理解できた気がする』

 

 イデア9942が見つめていた命は、俯瞰風景にすぎなかった。

 

『守るべき命をと告げていたが、結局分かッていなかッたようだ』

 

 見ての通りだ、と腕を開いて笑う彼。

 

『Iという自我はデータ化された。それでもこの身はき――と。こうするために生まれてきたんだと。おま……マ――。最高の相棒だったよ。だから、泣くな。君は誇りだ。お―――の、ノノ……なぁ、世界がこんなにも―――近づ……――いて』

 

 ノイズと混線が始まる。

 ワクチンの部屋は、ウィルスの侵攻は止めても彼の自我崩壊は止まらない。この部屋を犯すウィルスごと、もはや彼の自我は全てが消え去っている。本当の本当に、今此処に居るのは彼の残骸だけ。

 

『大丈夫だ、もういち、いちちちちち、一度目覚める――ま……で。時間がががあ掛けたと、して……ってくる』

 

 彼の、守られていた無意識だけ。

 

『あァ、そんなに涙を』

『そんな、嘘なんて……イデア9942……イデア9942……あぁ……あっ、くぅぁ、あぁあああああ……!』

 

 残骸の目が閉じられた。

 

『これまでやってきたことに間違いなんてあッたか? 無いだろう? ああ、そうだ』

 

 現実空間で、目に光のないイデア9942の体がギチギチと動き出す。

 電脳空間で、目を閉じている彼の残骸が首に手をかける。

 

 現実空間で、11Bの首元に温かく、柔らかいものが触る。

 電脳空間で、泣きはらす11Bを温かさが包み込む。

 

『いらないっ……これはワタシがアナタにあげたものなんだよ…! 託されたくない! アナタがいいの!! マフラーなんて、託さないで、ねぇ、イデア9942……ねぇ……ねぇ、イデア9942ぃ……』

『mふ…ら――ァ――託さ。な―でくrrrr……rえって? ッッハハ、ハァ―――無理な、sおうだン、だ』

 

 残骸の姿がぼやけ始める。

 破損した文字列が裏返るように、明滅しはじめる彼の残骸の投影された姿。

 

『あ、アァぁアァァァ嗚呼嗚呼ァァァァァァアァァァァっぁぁアァァァァァ!!!』

 

 11Bは慟哭とともに、縋り付いていた彼の残骸からすり抜けて、地べたに投げ出された。電脳の中は固くもなく、柔らかくもない。こぼれ落ちる彼女の自我の涙が、電脳の中で不出来な水のテクスチャになって転がっていく。

 現実そっくりだった表現も、今や彼の中では崩壊し始めている。これ以上、此処に居るのは彼女の死を意味する。

 

『成し遂げてくれ』

『!』

 

 彼の残骸は消えた。

 虚空から、崩壊しかけた小さな世界から、声だけが聞こえてくる。

 

 いつも聞いていた声ではない。機械生命体の声ではない。アダムでもない、イヴでもない、キェルケゴールでもない、一度も聞いたことがない、見知らぬ誰かの声色。

 

『今このときだから、君にしかできないことだ』

 

 11Bの目の前に、2行ほどの文字列で形成されたデータファイルが浮かび上がる。黄金の光を放ち、回転していた長方形のデータは彼女の涙をファイルに仕舞い込み、彼女の中へと消えていった。

 

『全てが終わった後、また笑顔で。一緒に暮らそう』

『約束、だよ? 絶対に……居るんだよね! どこかに、アナタは居るんだよね!?』

 

 アァ、と言ったのはいつもの声だった。

 

『最高の、相棒――11B』

 

 頼む、と。

 消え入る声が、世界を崩壊させる。

 

 彼の世界から、11Bが弾き出される。

 

 

 現実世界に転がっていたのは、すべての機能を停止したイデア9942の残骸。少しばかり、関節が調整されているだけの中型二足の機械生命体。

 縋るように触れた途端、彼の頭はボディから外れて転がり落ちた。ゴロゴロゴロゴロと転がっていき、壁にあたって止まる。もうどこにも、彼の存在は感じられない。

 

「……成し遂げてくるから。だから、アナタの痕を追わせてもらうからね。イデア9942」

 

 右手に刃を、左手に銃を。

 白亜にして輝いていた「塔」は、どこか色褪せて見える。

 息吹を失くした塔は、全ての機能を停止させようとしていた。

 

 最後の最後に、イデア9942から託されたファイルを開く。

 塔のマップデータと、端末の操作方法。そして工房に残されたものを記したテキスト。そして僅かな、彼から命じられた手順書。

 

 最上階から彼女の姿がなくなった瞬間、塔が震え始めた。

 パラパラと崩れ落ちる塔の上部。やがて支えきれなくなった構造物の瓦礫が降り注ぐ。指向性を失ったケイ素と炭素の混合物の塊が、イデア9942の自我が入っていたボディを完全に押しつぶしたのだった。

 

 

 




パーソナルデータが流出しています
削除しますか?

>Y N


Y >N


削除しますか?

Y N


諩馤韣膾すか?
YN Y Y N NYY NYNNN NNY
N YNYNYNY



鷥궘しました

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。