イデア9942 彼は如何にして命を語るか 作:M002
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
そして重大な真実をお話します。
イデア9942の読み方は「いであきゅうきゅうよんに」です。
以上です。本編エピローグをどうぞ
エイリアンシップを改造した、ヨルハの新拠点「ベース」。
地下にあるためか、倒壊した「塔」の被害も被ることのなかった拠点は、今は静かなものだった。それというのも、現在、ヨルハ部隊の大半は「塔」の瓦礫処理のため、アンドロイド軍と協力して撤去作業にあたっているからである。
機械生命体のネットワークは完全に崩壊し、全ての機械生命体を繋いでいた共通意識は空中分解した。周囲を歩いていた自意識のない機械生命体は、その殆どがハッとしたようにあたりを見渡して途方に暮れるという事態に陥っていたが、各地の自意識を持つ共同体などが呼びかけ、取り込み始めているらしい。
こうして、機械生命体とアンドロイド達の戦争は終わりを告げ、はや2日という時間が過ぎようとしている時だった。
「……そう、か。奴は自ら」
「うん。なんだかんだ言って、最初っから決めてたって可能性もあるけどね。……ワタシが、イデア9942の決意を後押ししちゃった、から」
ベースの一室。
応接室に当たる広めの部屋で、4つの人影が話し合っていた。
アダムは足を組み、息を吐いて11Bの報告を聞いている。
彼女から伝えられた事実に対して思うところがあるのだろうか。はたまた、自分に未来を与えたくせに、自滅の道を選んだイデア9942を内心罵っているのか。
閉じられた瞳からは、その心境を伺うことは出来ない。
「……とにかく、敵性機械生命体の大本が断ち切られたのは理解した。私はこの情報をアンドロイド軍に伝えることにしよう。イデア9942については、ヤツのことだ。バックアップを用意していても可笑しくはない。ヨルハからも捜索を呼びかけておく」
「ありがとう、司令官」
イデア9942は、ブラックボックスの複製品を個人で作成することが可能な技術を有していることが証明されている。故にホワイトは、彼が死んだとして、その人格データが復旧されている可能性を信じていた。
これから戦いの時代が終わり、機械生命体とアンドロイドが手を取り合う世界になる。そんな中、イデア9942は下地を作り上げるのに必要不可欠な人物であると判断したが故の対処だった。
「尤も、ヨルハ部隊もそのうち解散する。以降はアンドロイド軍に連絡をつけてもらうことになるが」
ホワイトは紅茶を口に含み、話を締めくくる。
ここまでスムーズに進んでいるように見える作業だが、その分彼女への負担は酷く重いものだった。今この瞬間も、並列思考によって各所アンドロイドたちからの指令に受け答えをしている状態だ。
優雅な所作とは別に、彼女の目元は下がり、顔色はあまり良くはない。
「解散後は、私達機械生命体とアンドロイド軍、新しい組織の人員として再配備されるとのことですが……」
そして自分たちの事が気がかりなのだろう。この部屋の四人目、パスカルが口を挟む。ホワイトはパスカルの言葉に対して、疲れきった表情で答えを返す。
「そのあたりもおいおいだ。急ぐ案件でもないから、しばらく待って欲しい」
「畏まりました。それでは、私はこのあたりで」
とにかく、今回は機械生命体がアンドロイドに助けてもらう形になる。それなら、現状自分たちは出来る範囲で独自に動くほうがいいだろう、と。心のなかで今後の行動方針を決定したパスカルが立ち上がり、体をエンジンの揺れで振動させながらガシャガシャと扉に向かって歩いていった。
「そうそう、11Bさん。少し、ご一緒していただいてもよろしいでしょうか?」
「パスカル…?」
「イデア9942さんの事で、お話が」
「わかった。それじゃあ司令官、そういうことだから、ワタシはこれで」
「ああ」
パスカルに続き、11Bが部屋を出る。
応接室にはホワイトとアダムだけが残され、なんとも言えない気まずい空気だけが漂っていた。
「……アダム」
「クッ」
「どうした?」
「いや、なに、可笑しいと思った。それだけだよ」
一度だけ肩を震わせたアダムは、両手をおおっぴらに広げて、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「一つ気になることがあってな。現場で少し動きたい」
「君もか……まぁいいさ。それから、イヴのことだが」
ホワイトが続けようとしたところ、彼女は口に彼の指を当てられ遮られた。
「聞くまでもなく把握しているさ」
「……そうか」
機械生命体達が襲ってくることもなくなった廃墟都市。多量のケイ素を含んでいる「塔」が崩壊した影響で、ほんのりと肌寒さがアンドロイド達を包み込むようになった街となった。
11Bの排気熱を含んだ吐息が白く、もうもうと湯気を作る。隣を歩くパスカルの、背部機関からも白い煙が吹いているように見えている。
仲良く煙を作りながら歩く二人は、老朽化した道路の欠片をザリザリと踏みしめながら、パスカルたちの本拠地である村への歩みを進めていた。
「……イデア9942さんは、満足そうでしたか?」
道中、これまで口を開かなかったパスカルが問いかける。
それは彼から多くを伝えられていながら、真実を知らなかった者の問う言葉には似つかわしくない、しかし、優しさに満ちた言葉。
俯き気味に歩いていた11Bは、ハッとしたように目を見開いて、すぐさま首を振って答えた。
「ううん」
「それは、本当によかったです」
「パスカルは」
満足そうに頷くパスカルに、11Bはこみ上げてきた言葉を区切って、
「アナタは、パスカルは……これで本当によかったの?」
「ええ。少し、覚悟していましたから」
「そっか」
ザリザリと、彼女らの足音だけがビルの間に響いていく。
寂れた廃墟を吹き抜ける風が、11Bの肩ほどまで伸びた髪をなびかせる。
「勝手な方ですよね。貴女のように慕う方を残して、勝手に逝ってしまう。それでもまぁ、彼なら何とかして復活しそうなものですが……ふふふ」
「なにか、聞いてないの?」
「残念ながら、11Bさんが求めるような事は何も」
言葉よりも、ずっと残念そうに。
パスカルは首を横に振った。
「ごめん……ね、パスカル」
「いいんです」
また、少しだけ無言の時間が続く。
大きな鉄塔のある広場、森林地帯へと通じる場所に彼女らは辿り着いた。ここは、パスカルの村も近い。そろそろ、パスカルとも別れて、11Bは一人で行動を始めなければならない。
その足は、自然と止まってしまっていた。
「11Bさん?」
「……ごめん、ごめんね。なんだか、もう、信じられないの」
「11Bさん……」
目頭に熱がこもって、しゃくりあげるように声が上ずっていた。
11Bはそんなこと、したいだなんて思っていないのに、溢れてくる涙は視界を歪めて顎の下へと滴り落ちる。
「何か、彼は遺されたんですか?」
単に、イデア9942という存在が居なくなってしまったからか。今の11Bは酷く情緒不安定だと、パスカルは認識していた。だがソレだけではない。11Bは、どうしようもなく途方にくれている生まれたての機械生命体と違って、どこか進むべき道を持っているような気がしていた。
何より、イデア9942の性格もある。だからこそ、そんな質問をしていた。
「……うん」
「それは、私が見てもいいものですか?」
「ううん」
「でしょうねぇ。えぇ、それでしたら、辿ってみましょうよ。11Bさん。きっと、貴女にしか出来ないことですから」
いま11Bに必要なのは、落ち着くための時間。
ずっとイデア9942という存在に依存していた以上、その判断をするのは難しいかもしれない。それでも、残されたものがあるというのなら、最後の標を頼りに、彼の成し遂げたい事をさせてあげたほうがいい。
時間と作業が、ともに彼女の心の隙間を埋めてくれることを信じて、パスカルはそう提案したのだ。
「……パスカル」
「はい? なんでしょう」
「ありがと」
「11Bさん、少し、側に」
「えっ……あ」
パスカルは、涙を拭っていた11Bを優しく抱擁してみせた。
ゴツゴツとした感触は、イデア9942が撫でていた時、抱きしめてくれたときを思い出させるが、少し違う。それでも、それでも。感じる温かさは、何も変わらない。
優しい心に触れる時、その温かさは、変わらなかった。
「ごめん」
「いいんです」
「ごめんねパスカル」
「大丈夫ですから」
「ワタシ……彼を見捨てた……!」
「11Bさんが、あの人のことを救ってくれたんです。私は、それだけで満足です」
「パスカル……ごめ……いで、あ……イデア9942……」
谷風が吹きすさぶ中、嗚咽がかき消されずに運ばれていく。
彼女の思いを伝える相手が生きているのか。それすらもわからない。それでも、信じていた。きっと、いつか再会することが出来るのだと。それを信じて、11Bはパスカルと別れを告げた。
イデア9942と顔向け出来るようになるまで、涙は流さないとパスカルに約束して。
砂の吹き荒れる砂漠地帯。
アンドロイドや機械生命体にとって過酷な環境であるはずなのに、何故かそこに住まう者は後を絶たない。もっと穏やかに暮らせる場所は幾らでもあるが、なぜそこに生きることを選択しているのか。
「ここに、こういうのがあるって聞いたんだけど……」
「うーン……聞イた事ナイナぁ……あぁ、でももしカシたら向コウの仲間なら知っテるかもシレナいネ。聞いテ見ルヨ」
「そっか。ありがと、でも大丈夫。多分危険なところにあると思うし」
そうして、かつて「マンモス団地」と呼ばれていた人口密集地。その廃墟を再利用して暮らしている機械生命体の宅を訪ねていたアンドロイド――11Bは、礼を言ってマンションの一室を離れた。
彼女の中に保存された、イデア9942から託されたリスト。そこには、当初から何度か頼まれていた、彼らしい「お使い」の内容が幾つか記されている。他にも簡単な仕事は幾つかあったのだが、11Bは何故お使いを先に済ませているのか。
その理由は、2Bと9Sの復旧作業に関わっているからだ。
「……あの二人が、ほんとに復旧できたとしたら」
パーソナルデータすら残さず自殺した以上、それは僅かな希望でしか無い。そして撤去作業が終わらない限り、まだ「工房」にも戻れていないので、存在しているかも怪しいイデア9942のパーソナルデータ。
もしそれが見つかれば、このヨルハ部隊ですら再生させる技術が記された「お使い」の材料を余分に集めることで、イデア9942を復活させる事ができるかもしれない。
まだ夢想の領域にあることは理解しているが、そんな僅かなヒカリに縋るほど、11Bは少しだけ追い詰められていた。そして、焦燥感とパスカルでも埋めきれなかった心の隙間から感じられる寒気を温めるために、必死になって彼女は「お使い」をこなしているというわけだ。
そうして砂漠の街を抜け、洞窟らしい場所を潜った先。
開けた、広い空間に彼女は足を踏み入れることになった。
「……ここ、確かアダムとイヴが生まれた場所」
かつて彼らを産み落とした、機械生命体たちの集合体「ゆりかご」は、最初の崩落によって見ることは出来ない。ただ、ここのコミュニティの機械生命体が「産育」という概念を獲得した、異質でありながらも神聖な場所は、恐ろしく静かな雰囲気を発していた。
「よい、しょ」
崩れそうな足場を、11Bは難なく滑り降りていく。
いま、彼女が探しているのは「機械生命体のコア」。いまやありとあらゆる機械生命体が庇護対象であり、同盟相手になった以上、希少品と成り果てたものであった。
此処に探しに来たのは、アダムからの情報提供があったから。
かつて生まれた場所なら、まだコアが無傷で残っている残骸があるかもしれない。崩落の危険もあり、ほとんど手を付けられていないから、という理由で案内されたのだ。
そしてアダムの言うとおり、破壊された機械生命体が何体も転がっている。実のところ、2Bたちが訪れた後、ヨルハ部隊が後続で調査のために訪れていたのだが、待ち構えていたのは自爆型を含む大量の機械生命体からの襲撃。何とか逃げ出すことに成功したが、結局立入禁止の場所を増やすだけ、というエピソードもあったのである。
「……中型、二脚」
当然、そうして破壊された機械生命体のなかでは、ポピュラーな中型二脚の姿もある。普段見ている分には、何も問題はないのだ。だがこうして残骸を見ると、かつてのイデア9942が首を転がして倒れた姿を思い出す。
「ッ」
こみ上げてくる嘔吐感はあまりにも人間らしい感情で、11Bの目頭に再び熱を宿らせた。それでも、彼女は歯を食いしばって、ホルスターから抜いた三式戦術刀を中型二脚の胴体に叩きつけた。
「ァあっ!!」
すでに破壊されている残骸だからか、爆発すること無くパーツだけがバラバラに飛び散った。中途半端に原型を残した内部機構がカチャカチャと音を立てながら落下し、砂の上に軽い音を立てながら落ちていく。
「……コア」
そして、残骸の頭部の中から機械生命体のコアが転がり出てきた。
コアというだけあって繊細なはずであるのに、砂に塗れた程度ではその機能を全く損なわない丈夫さ。エイリアン縁の技術がふんだんに使用されていながら、現地の材料だけで作れていたらしいオーバーテクノロジーの塊。
そして、人間で言う脳でもある。決して自分たちでは作ることが叶わない、という点では奇妙な共通点があるソレを、11Bは冷めた目で見つめ、腰のポーチから取り出した袋に包んで仕舞い込んだ。
「あと、2つ」
壊してしまいたい衝動に駆られながら、11Bは小さく呟いた。
半年後、2Bと9Sが再起動を果たし、11Bはイデア9942から残されたリストにあった事全てを成し遂げた。その頃には、脳筋だと言われていた彼女も、イデア9942のように突拍子もない発想から新たな道具を作り出せる、技術畑の方面で活躍できるほどの技量を身につけていた。
だが、イデア9942のデータは撤去作業が終わり、入れるようになった「工房」にも見つからず、かつて居た機械生命体を0から再生させる方法など、まだ手にするには至らない。
どこか妥協した幸せを噛み締めながら、11Bは平和な世界を享受し、今日も生きていくのであった。
「塔」が崩壊し、一年という月日が経過した。
機械生命体とアンドロイドは正式に手を取り合い、
ギクシャクとはしながらも、未来に向かって歩み始めている。
発展し、緑の街と呼ばれるようになったパスカルの街。
改装され、灰色の街として復活したアンドロイド達の廃墟都市。
そして終戦の間際、指揮を取る立場に居たものたちは、警邏隊や救助隊となった。
二つの街を中心とし、地球の反対側、夜の国にまで平和の足音が響く世界。
どこか、ぼうっと、何もない場所を見ているアンドロイドがいた。
世界に貢献しながら、自意識はそこになく
未来の下地を作りながら、己の行いではないと否定した。
彼女は11B。未だ、過去に意識を置き去りにしたアンドロイド。
この世界には語られない「彼」の遺した作品達を並べた部屋。
彼女が拠点とする「工房」という場所に、ある日一報が入った。
「帽子をかぶった機械生命体を見た」
~短い後日談のエレクトロニカ~
一人のアンドロイドが、囚われた過去をたどるお話