博麗の巫女の依頼は本当にただの掃除であった。伊吹は私も働くかあ、とどこかへ飛び去って行った。去り際、ここの居候を止めてもいいのだぞと言っておいたが、聞こえていたのかは分からん。居残る可能性は大である。
私はこの一週間、つまりは先払いされた給金分、博麗神社の境内を竹箒で掃いている。砂やら葉やらの細々としたごみももちろんのこと、宴会の残骸が思いの外多く、そして意外と広い敷地に苦戦を強いられていた。雇い主の巫女は相も変わらず本堂の縁側で茶を飲んでいる。一時間ほど奮闘した私は早々に見切りをつけ竹箒を本殿に立てかけると、うっとりしながら湯呑みを持っている巫女の元へ戻った。
茶請けを間に隣り合い座る。
「あら、もう終わったの?」
横目でちらっと見てきた巫女に私は、大方はな、と詳細をぼかして答えておいた。
「まあいいわ。飲む?」
急須を指さしそう言って来た。もらおう、私がうなずくと彼女は中に入り、私専用の湯呑と何かが詰まった袋を持ってきた。興味深げに見つめていたからだろう、彼女はその袋を渡してきた。ずっしりとしていて結構な重量だった。早速開けてみると中に入っていたのは野菜であった。色とりどりのものが揃えられているが、お世辞にも新鮮とは言えそうにない。所々黒ずんでいるのも多少あったが、食えんこともなかろう。私はこれはどうしたと疑問を口にした。
「前の宴会の時のあまりでね、あっても食べないからあげる」
言いながら巫女は座り、私の湯呑に茶を淹れてくれた。やけに優しい行動だ。普段との乖離に、何か裏があるのではないかと疑ってしまう私を誰が責められよう。訝しげな視線を送る私の思考を読んだのか、巫女は肩をすくめて言った。
「何もないから安心しなさい。いつも何かと助けられてるし、こんな時くらいは私だって助けるわよ」
娘が更生したようで私は心底嬉しくなった。涙がちょちょぎれそうである。およよ、と呟く。
「なんかむかつくわね……」
ちょっと睨まれたがお茶を啜り誤魔化した。これがまたうまい。今日は暑く、掃除をしていたのもあり汗をかいていた。そこにこのちょいと冷えたお茶がちょうどいい。こう言った気配りが出来るのにどうしてもっと優しさを見せてくれないのか。年中優しさに飢えている私は心の中で慟哭した。
汗も引き少しして、私は他に仕事はないのかと問うた。境内の掃除しかしていないから本当にこれだけでいいのかと不安になるのである。すると巫女は私を見ずにうなずくのみであった。視線の先には木々。夏となり青々と茂っていた。ふと乾いた風が頬を撫でる。季節の変わり目を感じさせる風情ある佇まいだった。
「あんたさあ」
不意に巫女の口が開かれた。私はただ耳を傾ける。
「あの萃香ってのと一緒に住んでて大丈夫なわけ? あいつ明らかに馬鹿よ」
的を射た正論に私は天を仰ぎ見た。その通りである。呑んだくれの馬鹿力。どれだけ命があろうがもたん。
「なに、弱みでも握られてるの?」
そんなことはない、私は即座に否定する。ただ腐れ縁で居候させてやっているだけに過ぎない。そろそろ奴も自分の寝床を確保して移り住むことだろう。もしくは色々な場所を転々とする住所不定無職となるか。それよりは私の家にいてもらったほうが被害を抑えられるかもしれんから難しいところだ。抑える、のではなく私で止めると言ったほうが正しいか。貧乏くじを引いているのだ、立派であろう。
「ふーん、まあいいけど。手に余るようだったらここに住ませてあげてもいいわよ? あんたんとこの小さいのよりこっちの方がいくらか住みやすいでしょ」
またとない提案だがどうしたのだろう。彼女がこう言ったことを話すのは珍しい。存分に甘えたい気持ちだがしかし、甘えた場合の対価は何になるのか。払えるものなど命くらいしかない私はそれを悟られないようほほう、と興味惹かれた素振りで理由を聞いた。
「萃香は、何て言うかねえ。個人的に気に入ったのよ。最近茶飲み友達が欲しいと思ってたし」
茶飲み友達というよりは酒飲み友達になってしまいそうだが、それはそれでよかろう。宴会もここで開かれるのだからぴったりだ。それに巫女は相手で態度を変えない奴である。鬼とはそりがあうのやもしれん。考えれば考えるほど妙案に思えて、私は良い案だとうなずいた。
「ふふ、何やら楽しそうね。お邪魔していいかしら」
突然隣から彼奴の声が聞こえた。私は衝動に身を任せチョップをお見舞いしてやろうとしたのだが、振り下ろした手刀は角に当たって防がれた。先端部分が刺さって非常に痛い。
――角?
私は見ないようにしていた隣を視界にいれた。案の定、そこにいたのは伊吹その鬼。にこやかに私を睥睨している。これはいかん。流れが出来ている。死なねば終わらぬ一連の工程に入ってしまったことを悟った。しかし諦めるにはまだ早い。
だが待て。私は冷静に命乞いを始めた。これは不可抗力だ。私は八雲が現れたならば一発ぶちのめさなければならないと心に決めておるのだ。伊吹、お前に手刀を叩き込んだのは意図してではない。いやさ、もしやり返されずにやっていいといわれたら嬉々としてやるがそれとこれとは話が別だ。落ち着け、落ち着け。そう私を殺してもいいことなぞありゃあせん。手が汚れるのみだ。よーく考えたまえ。
矢継ぎ早の言葉で最後まで足掻くも、当然無理だった。
吹っ飛んで逝く最中視界の端に映った八雲は、くすくす楽しそうな笑みを浮かべていた。
私はまた一歩石段を上る。先はまだまだ長い。
伊吹に殴られ吹き飛んだ私は、何がどうしたのか博麗神社に続く石階段で意識を取り戻した。距離で考えても方向で考えてもおかしい。憎き大妖怪の能力で動かされたとみるべきであろう。理由は? 考えるまでもなく嫌がらせである。あいつの私に対する行動の大半はそれで片が付く。
そう、始まりは何時であったか。私と共に旅をするうちにぐんぐん力を伸ばし、ずうずうしくなり、大妖怪と呼ばれ、羨ましい能力を十全に使いこなし、幻想郷まで作り上げ今ではこんな関係だ。どう思い返しても私を尊敬して然るべきとしか思えんのだが、なぜこんなことに。
――八雲ぉ!
私は叫んだ。途端足元がぱっくりと裂け、落ちて行った。視界が一瞬不気味な目玉だらけの空間を経由し、神社の境内に尻もちをつく。ちょっとした高さから落とされたせいで尾てい骨が地味に痛むが、一瞬で戻ってこられたので良しとしよう。やはり便利な能力である。今からでも交換できないものか。出来もしない妄想に身を浸す。
「ほらこれ」
立ち上がって尻の砂を払っていたら、歩いてきた巫女はあの野菜袋を置いた。
「今日はもういいわ。紫がきてごたごたしちゃったしね。ああ、あと萃香は試しにここで暮らしてみるってさ」
私が戻ってくるまでにもうほとんどの交渉は終わってしまったらしい。ただただうなずく。
「明日は……まあ大丈夫かな。萃香に手伝わせてみるから」
強かなりし博麗の巫女。立っている者は鬼でも使うとは心強い。
「じゃ、また何かあったらよろしく」
そう言うや否や踵を返して去っていった。
私も帰ろう。久しぶりの一人暮らしが待っている。
しかし野菜袋は重かった。これを持ったまま石階段を下るのは重労働であろう。
――八雲ぉ!
私はまた叫んだ。そしてこれまた足元が裂け、目玉が浮かぶ不気味空間を通過し、住み慣れた自宅へと……通じてはいなかった。私はなぜか地面に叩きつけられた。上から袋が落ちて来た。背中を直撃した。呻きながら起き上がる。
立ち上がって見渡せば、そこに広がるは竹林。
前を見て竹、後ろ見て竹、見上げても竹。
――紫ちゃあん!?
私の渾身の雄たけびは、深い霧の中に消えていった。